一話 春と夏の間
今日もどうやら雨らしい。
五月も中頃というこの時期。春は一年先の未来へ行こうとしており、夏は今、この瞬間も近づいてきている。簡単に言うと梅雨の時期というわけだ。空気は湿気を多く含み、体全体に不快感を与えている。
これで、5日連続の雨だ。傘の上で弾ける雨粒は大きく、バタバタと音を立てている。おそらく、バケツを引っくり返す勢いとは、こういう事を言うのだろう。
「―――――くあっ」
視界もはっきりしないような世界の中で、少年は欠伸をしていた。身長はひょろりと高く、とても力があるようには見えない。細目の少し鋭い視線と、やや曲がった背中は猫を連想させた。
少年の服装はいわゆるブレザー。濃い青を基調としており、ネクタイは赤と派手になっている。周りにもちらほら同じ服装の少年少女が見受けられた。どの顔も梅雨のせいでやや沈んでいるように見えるのは錯覚か。
緩やかに長い坂道を登ると、彼らが通う学校が見えてきた。
市立湊川高校。通称、ミナ高。
どちらかと言うと、学力よりも部活に力を入れている学校であり、全国各地から有名な生徒を獲得している。部活に力を入れていると言っても、学力もそこそこで、有名大学に進学している者も少なくない。普通科、体育科、芸術科、進学科、商業科、情報処理科に分かれており、総生徒数2000人を超えているマンモス校だ。街の中心の丘に建てられており、その丘丸々が敷地面積となっている。県外の生徒のために、学生寮もある。この街のシンボルと言っても過言でもないだろう。
少年は校門を眠そうに抜けた。敷地内と言っても面積が広いので、校舎に入るのも一苦労だ。
敷地内の中央には、大きめのグラウンドが二つ並んでおり、それを囲むように、校舎が四つ並んでいる。北校舎は普通科、進学科の校舎であり、南校舎は商業化、情報処理科の校舎、東校舎は体育科と芸術科、西校舎は特別教室と文化部の部室と言う具合だ。
少年は雨で濡れているグランドに降りると、そのままグラウンドを直進する。足を踏み出すたびに、泥が沈んで不快だ。そして、反対側まで来ると、階段を死人のようにゆっくりと登った。それを登り切ると、目の前に生徒玄関が見えて来る。『普通科・進学科』と書いているようだ。少年にとって、それは日常なのだろう。特に反応もしないまま、玄関に入っていく。自分の靴箱から上履きを取り出し、履き替える。その時、
「おっはよ!三日月」
「どわっ!」
唐突に後ろから勢い良く抱きつかれ、少年は体勢を崩して、靴箱に頭をぶつけてしまう。ガツンと鈍い音が鳴り、少年は頭を押さえて痛みに耐える。
「いや~、今日も良い朝だね。春眠、暁の如くだね」
「どこがだ!雨降っているし、俺は頭ぶつけているわ!それに今は春じゃない!!」
少年―――来島三日月は振り返りながら、背後に立っている人物に声を上げる。
「おっ、今日も冴えるツッコミ。やっぱり、三日月はツッコミタイプか」
三日月の目の前には、ひょろりとした男子が立っていた。同じクラスの美馬倉明彦だ。中学校の一年生からの付き合いで、その時から何の呪いか分からないがずっと同じクラスになっている。顔つきは男らしくイケメンの部類に入るのだが、浮ついた話はあまり聞かない。
「誰もツッコミタイプじゃない。お前がボケるからそうなっただけだ」
「それは光栄だね。思わず踊りだしそうだよ」
「うっさい、ボケ」
二人はじゃれあいながら教室に向かう。湿気のせいなのか、少しだけ廊下が滑りやすかった。
人間はなぜ死ぬのだろう?
そんなことを考えても仕方のないことだろうけど、どうしても考えてしまう。
例えば、虫は触覚を千切っても足を千切っても、生きようと足掻きもがく。しかし、人間はそうしない。両手両足を千切ってしまえば、残るのは恐怖しかなく、生きる気力は無くなってしまう。というか、痛みにより失神してしまう人間もいるだろう。
まったく、何て脆い存在なんだろう。虫よりも高性能のくせに、生きる欲求の弱さは虫以下だ。
今、殺した人間もそうだった。
殺した理由はない。ただ、彼女が前を歩いていて、周りに人がいなかった。それだけ。
それにしても、手応えがなかった。まったくもってつまらない。
もっと、頑丈な人間はいないのだろうか?もしくは精神の強い人間か。
まぁ、そんな事を考えていても仕方がない。もうしばらくはこの死体で遊ぶとしよう。
この火照った体を冷やすには、雨の冷たさだけでは全然足りないのだから――――――。