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作者: 水草ヨシ

 憧れていた夢の大学生活は、理想が大きかっただけ現実はつまらなくて、大学生デビューなんて人見知りに出来るはずもなく、気づいたら授業教室と下宿先を往復する生活を送っていた。別に友達を作ろうとしなかったわけではない、ただ気が合うやつがいなかったんだ。そんな言い訳を、一人きりの湿った部屋に吐き出して何が楽しいのか。自問自答する。何も楽しくない。夏休みなんて、学校で出される課題さえ終われば、何もすることはない。やかましい蝉の声が窓から入り込み、部屋中、いや世界中に響く。世の中に蝉ほど迷惑なものはない。

――暇だ。

 大学にさえ入れば、もれなく青春がついてくると思っていた自分が愚かだった。せめてサークルに入ってさえいれば……。今からでも遅くないのかもしれないが、途中参加は嫌だ。入った時の気まずい雰囲気、今更やってきて本当にやる気あるの、と問いかける視線、想像しただけでも身震いしてしまう。

 まぁ、このようなことをひたすら悩むのは時間の無駄だ。解のない問題を解こうとする人間、これを他人は阿呆と呼ぶ。少なくとも僕は呼ぶ。

 だから僕は無意味なことはやめて、水槽の蓋を少し開け、中に棲む生き物にそっと触れた。冷たい皮膚が火照った僕の手を冷やし心地よい。

――今日も元気だね。

 優しく話しかけると、生き物は首をわずかに引っ込めた。


 亀は僕が中学生の時に買ってきたものだった。水生生物を売る店で、そのものぐさな様子に一目惚れして衝動買いをしたのだ。生き物を準備もせず衝動買いするなんて、無計画にも程がある、と親は怒ったがすでに買ってしまったものはしようがない。最期まで自分で世話をするという当然の約束をして、僕はその亀を飼い始めた。後になって、亀が数十年生きることを知ったときは、それなりの後悔はしたが、今では生涯の親友として長生きなのはいいかな、と思っている。

 もちろん僕の大切な亀には名前も付けてある。その名も「玄武」――この最初に付けた名前は、さすがに恥ずかしくて呼びにくいので、「亀吉」といえ名前に変え玄武は名字と言うことにした。


 亀吉はいやがる素振りもなく、僕にさわられ続けている。天性のものぐさだから、わざわざいやがるのも面倒なのかもしれない。

――お前が人間ならばいいのに。

 人間だったら話し相手にもなってくれただろうし、一緒に様々なところへいけただろう。人間だったら、僕も寂しくはなかった。

「あぁ、お前が人間だったらなぁ」

 もう一度声に出して呟いた。我ながらくだらない願いだ。きっと暑さで頭も疲れているのだろう。

「それは無理な話ですね」

「まったく、馬鹿げた願いだよ」

 毎日が暇だと、訳の分からないことを考えてしまう。しかし誰だろう、僕の独り言に答えたのは?

「そうです、人間にはなれるはずがありません。なにせ亀ですから」

 とうとう暑さと孤独で頭がやられたか、目の前の亀吉が日本語を話しているように見える。でも考えるのが面倒くさい。まぁいいや、目の前の現象に文句を言うのはよそう。亀が話して何が悪いというのだ。

「とうとう君も話せるようになったのだね?」

僕は亀吉に言った。

「猫でさえも十年もすれば化けると言います。ましてや亀ならば化けないことがあるでしょうか?」

「いやない」

 まして亀なれば化けざる事あらんや。つまり反語。

「あれ、でも亀吉はまだ十歳になっていないよ?」

「なにせ亀なので、猫よりも徳があるから早く化けられるのです。化けるのです」

 納得がいかない。亀が猫よりも徳があるなんて信じられないし、徳があるからといって早く化けられるものなのか。

「それは本当のことなの?」

「本当のことです。あるいは詭弁です、出鱈目です。二者択一です。全ての物には二つの答えがあり、それは有か無かです」

「一体どっちなんだ?」

「なにせ亀です。亀は人ではないのです。友ではないのです。亀に真実を求めること事態間違っています」

 亀はしたり顔で答えた。亀のしたり顔なんてどんなものかは知らないけれど、きっとこれがそうなのだろう、と思える顔だった。違ってもかまうものか、少なくとも僕にはそう見えたんだ。なんだっていいだろう?

 ……少しヒートアップしすぎた。この暑さがいけないのだ。だから亀さえも日本語を話すんだ。

「亀が話すのは真実が、それとも妄想か?」

「偽の裏が真ならば、あるいは真実に内在する虚構でしょう。いたずらに嘘を並べて、虚ろの中に意味を隠しているのです。自身にも言う意味はわかりません。なにせ亀です、甲羅です。全ては甲羅となって虚に帰すのです。最期は人も亀も変わりはありません。あるいは――」

「もういい、話さないでくれ。頭が痛い」

 暑さでめまいがする。熱中症かもしれない。今ここで倒れたとしたら誰か僕を助けてくれるだろうか。それとも気づかれず、独り腐敗臭を漂わせながら消えていくのだろうか。消えた後も骨は残るだろうか。骨は誰が拾うだろうか。僕が知っている人だろうか。僕が消えた後の亀吉はどうして生きるだろうか。彼も甲羅になるだろうか。甲羅は誰が拾うだろうか。僕の知らぬ人だろうか。

「ねぇ、亀吉?」

 その言葉は誰が返すのだろうか。

「僕も甲羅になる?」

 ここに誰がいるのだろうか。

「教えておくれよ」

 人がいるだろうか。

「何故黙ってしまったんだ」

 僕がいるだろうか。

「僕が悪かった」

 それとも。

「…………」

 全て亀なのだろうか。

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