リプレイス
重く固いドアを開けると、綺麗に手入れされた館内が視界に入ってきた。正面に二階に続く大きな階段があり、右手と左手にそれぞれ廊下が続いている。右と左迷ったら左を選択する癖がある僕は、ためらうことなく左廊下を突き進んだ。これは夢の中の世界である。万が一危険なことがあっても、命を落としたりはしない。
突き当たりにあるドアの目の前までたどり着いて僕は驚きを隠さざるを得なかった。
「この館...もしかして...」
オカルト界では有名な話だ。自分の中で感情的に強く記憶に残っている体験を、もう一度味わうことができるリプレイスと呼ばれる空間である。受験当日の緊張感、部活の大会で負けたときの悔しさ。それぞれをとりまく感情が生み出す強い記憶の創造物で、人によっては学校、廃屋など様々な建物として出現する。僕の場合、森の奥に現れた白い洋館だったわけである。
数ある部屋を開けるごとにそれぞれの体験が瞬間的に蘇る。多くの場合、ドアには記憶の概要が明記されている。目の前にかかれている文字は、『秋月との口論』だった。
秋月澪。オカルトサークルの後輩だ。彼はオカルト関連の知識を幅広く持っている真面目でクールなタイプで、基本的に誰かと言い争いをするようなことはない。そんな彼と口論になってしまったのはつい最近のことだ。しかし、彼にとってそこまで印象に残る何かがあったわけではなく、何についての口論だったのか思い出せないほど、日常生活の一部としか考えていなかった。ここに存在している限り、なにか僕の人生において大きな意味をもつ出来事だったのだろう。腹を括り、ドアを開けてみることにした。
リプレイスでは第三者視点で過去を振り返る。ドアを開けた先には、大学の食堂で何かを言い合う僕と秋月の姿があった。近づいて耳を傾けてみる。
「僕はそうは思わないです。橋野一家殺人事件はもっとなにか根本的に異なることが起こっているように感じます。我々が知り得ない何かが。」
「でも時期的にも明らかなんだ。シャイニングヒル失踪事件。成瀬花菜が行方不明になったあの事件が起きてすぐにこの事件は起こっている。失踪事件が起きたところから、場所的にもかなり近いところでこの事件も起こっているんだ。」
「にしてもです。死者が主体的な移動を通して他者に危害を加えるとは到底考えにくいと思いませんか。ましてや無関係な家族ですよ。」
「無関係だという証拠はどこにもない!俺はいますぐこの成瀬家の行方を追って、事件前の人間関係を中心とした事情聴取を...」
澪はかなり絶望している様子だ。サークルの代表がこの程度の考察かと落胆するかのように深くかぶっていた紺色のキャップを脱いで前髪をわしゃわしゃとかきむしる。
「二つの事件に関連性はありません。心底残念です。根拠もなく動いて、悲しい思いをした家族に当時の辛さを思い出させるのは違うかと。」
「それでは逆に、彼らに何が起こったと思うんだ?」
「それは...」
このときの佑介は何を言っているんだこいつは、と思っていた。お互いがお互いの考えを、否定した前提でやりとりをしてしまっていたのである。でも俯瞰してみる今ならばわかる。彼は、秋月澪は、明らかにこの事件について何か知っている。若干ヒートアップしそうになった会話を終わらせるかのように、澪はゆっくりと立ち上がり、いつも来ているお気に入りのワインレッドのパーカーに手を突っ込んだ。
「僕にも分からないので調べているところです。とにかく...もっといろんな可能性を追いかけませんか。」
食堂を去る澪の背中が小さくなっていく。彼が見えなくなると、回想が終わり、気づかないうちに部屋の外にいた。澪ときちんと話をした方がいいかもしれない。僕は洋館の外に出ると、何度も見返して覚えてきた呪文を唱えた。「エンデ・アウヴェルト。」
目を覚ますと朝だった。どれくらいの時間夢の中を彷徨い、無限に広がっていた桎梏の森を歩き抜いて、リプレイスで記憶を回想していたのかはわからない。しかし、あの突然の爆発音は空間に歪みを生じさせ、異世界へと飛び込むことができたことを意味していたような気がする。呪文を唱えたことによってすぐに目を覚ますことができたのを考えても本にかいてあったことは現実に存在する可能性が高そうだ。
この夢の内容は藍那に伝えたほうがいいだろう。そして一刻も早く澪に話を聞かなければ。今日は休日で、大学の授業はない。彼らの予定がなければ少し時間をとって喫茶店で話でもしたいところだ。そう考えていたとき津村から一通のメールがきた。
『今夜藍那ちゃんの歓迎会でもしないか?サークルメンバー全員呼んである。』
こういうときに津村は頼りになる。まさにベストタイミングだ。
『いいね、最高。準備でき次第向かうわ!』
そう返信すると、彼は一仕事終えたかのように一服し始めた。彼の大好きな銘柄であるブレイブナインのパッケージに載っている白い虎がいつもより不気味な表情をしていた。




