カンボジアからの電話
高額バイト
面接室は、蛍光灯の光が虚しく壁を照らす、殺風景な空間だった。山本は、ぎこちなく椅子に腰掛け、目の前に座る男を見つめる。
「えーっと、山本です。なんか変わった募集だったので気になって」
声が震えた。男は、山本に構わず、手元の資料に目を落とす。
「はい、山本さんですね。早速ですが、仕事内容は電話です」
男の言葉は、まるで歯切れの良い刃物のように響いた。
「電話ですか。はい」
「ここにあるリストに電話してください。ただし、海外勤務になります」
「海外……?」
「ええ、まずカンボジアに行ってもらいます」
男の言葉に、山本は思わず身構えた。「カンボジア……!えっと、カンボジアの人に電話するんですか?英語話せませんけど」
「いえいえ、日本語ですよ。日本人にかけるんです」
「え?カンボジアから日本の人に?時差とか、大丈夫なんですか?」
男は、まるで子供に言い聞かせるように、親切に説明した。「はい。時差は二時間しか変わりませんし、インフラが整っていて電波も良いですから大丈夫です。国際電話代もこちらで出しますから安心してください」
「はあ……。で、電話で何て言うんですか?」
「まず『もしもし、俺』または『僕』です。そして、相手の反応を見て少し待つ」
男は、至って真面目な顔で言う。「俺って……相手が困りますよね?」
「いえ、大丈夫です。向こうは、あなたを息子や孫だと思いますから」
「え?でも、僕の声を知らないですよね?」
男は、ニヤリと笑った。「知らないからいいんです。久しぶりの電話で、声が変わったと思ってもらう。もしかしたら風邪かな、大丈夫かなとか。そうすることで、向こうはあなたに会いたいという気持ちになるんです」
山本は、その不気味な論理に背筋が凍った。
「…会いたい…」
「そうです。そして、相手が『たけし?』とか名前を言ったら、そこからはその人になりきってください。あくまで役柄ですよ」
「なりきり……」
「ええ。役者業も兼ねてます。そして、この電話は、孤独な人を救う電話です。人生の先輩である、おじいちゃんやおばあちゃんに寄り添い、少しでも心の安らぎを届けましょう」
男の言葉は、まるで善意に満ちたボランティア活動のように聞こえた。山本は、その言葉に少しずつ納得しかける。
「…はい」
「で、少し話したら、『お金に困ってるんだ』とか『借金が』とか言ってみましょう」
「え?なんでそんなこと言うんですか?」
男は、山本の目をじっと見つめた。「あなた、実際そうでしょ?時給一万円ですよ。あなた自身がお金に困っているんです。それを言うだけです。本心ですから」
山本の言葉が詰まった。男の指摘は、図星だった。
「…たしかに」
「そうすると、きっと『お金渡すよ』『お小遣いやるよ』となるんです。もらえるものはもらわないと失礼ですよね。お土産と同じですよ」
「お土産……?」
「そうです。で、もし『何でだ』と聞かれたら、『借金取りに追われてる』とか『警察や弁護士に相談してる』と言ってください。で、内線で私に言ってください」
「はあ」
「大丈夫です。そこからはプロ、あっ、本物の警察とか弁護士に変わりますから」
「ほんもの……?」
「ええ。で、変わることなく話が進んだら、振り込みか現金手渡しになります。振り込みだと、銀行に怪し……いや、手数料がかかっちゃいますから、住所を聞いてください」
「でも僕、カンボジアにいるから受け取れないですよね?」
「だから上司が行くと言ってください。時間と場所を聞いて。実際に、うちの会社の人間、つまりあなたの上司が取りに行きますから、本当ですからね」
山本は、その言葉の恐ろしさに、ただ呆然とするしかなかった。
「…本当に……」
「簡単ですよ。で、受け取った額の一割は、実際にあなたに入ります。お小遣いですよ。おばあちゃんも喜ぶ、あなたも喜ぶ、ウィンウィンです」
「ウィンウィン……」
「あ、ただし、半年はカンボジアにいなきゃですから」
山本は、男の最後の言葉に、顔が引きつるのを感じた。
「さあ、頑張りましょう。君はもう、立派な家族の一員ですよ」
「え、家族?なんか…そういう宗教ですか?」
「ええ。私たちは、困っているお年寄りの、もう一つの家族ですからね。逃げられませんよ」
山本は、面接官の言葉が、自分を縛りつける鎖に聞こえた。すでに自分は、この男の、そしてこの会社の掌の上で踊らされている。このバイトは、金銭的な成功だけでなく、彼の自由と魂を奪うための罠なのだと、ようやく理解した。しかし、もう遅い。
ナレーション: このバイトは、あなたに『家族の温かさ』を教えてくれるでしょう。