第7話
モルダン司教の言う通り、誰も立ち寄らぬ場所、地下牢の最奥へと移動した。
世界に自分一人になったと錯覚するほどに暗く、音のない場所。
「……ありがとうございます。
どこから、お話しすべきか……。
まず、リリエル様の塔での生活は——概ね、おっしゃる通りです。
私はリリエル様が幼い頃から……あの生活を、強いてきました。」
「何か、理由があってのことでしょうか。」
司教の、息を吐く音が聞こえた。
必死で呼吸を整えるような、息継ぎをするような、そんな音だった。
「……あの方の血を、薄めるためです。
リリエル様は本来、この世にあってはならない存在です。
塔に身を隠し、その存在を晒さぬよう……。
血を薄めるための薬草を、食事としてお出ししていました。
……血を抜いていたのも、同様です。」
「——やはり彼女は、王家の血を引いているのですか。」
「左様でございます。
リリエル様は前国王の不義の子です。
私は……あの方を、お守りしていたつもりでした。
聖女としてであれば……安全に生かすことができると……。
しかしそれは——、ただの我欲に、過ぎなかった。」
王家の血。
権力争いや政治利用の懸念があったことは想像に容易い。
だがこの国では、それだけが問題ではない。
その血を持つ者に触れればたちどころに傷は癒え、あらゆる病はなかったものとなる。口に含めば毒は無効化され、時に死さえも遠ざける。
それはこの国に住む者なら誰しもが知る事実であり、決して侵してはならない領域だ。
……あの森で、リリエルのそばだけ空気が澄んで見えたのは、気のせいなどではなかった。
己の唾を飲む音が、はっきりと聞こえた。
与えられたのは塔の警護でも、聖女捜索の任でもなく、王族の失態を隠蔽するための駒としての機能だけだったのだ。
「もしや……、歴史上、稀にいた聖女や聖徒は——」
「ええ。王族の血を他所で残さぬために、国が監視する建前です。
そして私は……浅はかにも、リリエル様を守ろうなどと。あの方が塔を出ても苦労のないようにと、血を薄め、知識さえあれば、どこかで生き延びれるだろうなど……なんと……浅はかな……。」
掠れた声に混じって、ぽたり、と何かが床を打つ音が聞こえた。
暗闇の中、姿は見えないけれど。
それでも確かに——モルダン司教は、涙を流している。
「お気持ちは、察します。
……ですがあなたには、人身売買の嫌疑もかかっています。
これも、リリエルのためだったと?」
大きく鼻を鳴らす音が二回したあと、先ほどまでよりもずっと老け込んだ声が続いた。
「世間には、そう見えていたかもしれません。
……リリエル様の足りなくなった血を補うため、適合する者を探しておりました。
——結果は言うまでもありません。
皆、貧しい家の子供ばかりだった。リリエル様が作られた薬と、いくらかの施しを渡して、家に帰らせてあります。
……知ってか知らずか、あの方は自らの血を薬の材料にしておりました。
私がそれを利用したのは、紛れもない事実です。」
司教に繋いだ縄が動き、彼が深々と頭を下げているのが伝わってくる。
「どうか……どうか。
老いぼれの戯言と言われても構いません。
リリエル様を……どうか、あの方の思うままに生きることを……手伝ってやってはもらえませんか。
もう充分に……私はあの方を、苦しめたのです……。」
司教の言葉の全てを鵜呑みにしていいものか。
それを判断するには、時間も、私自身の見識も足りていない。
だけれど、リリエルが彼を信じるならば。
「……約束したはずです。
私は、リリエルを必ず守り抜きます。」
お読みいただきありがとうございます。
ロイヤルタッチなんてリアルにあったら怖いですよね。
次回、リリエルに会いに行きます。お楽しみに。