中編
次の日の夜、またハノイが部屋に現れた。
父と釣った魚を前菜にしたディナーを終えて部屋で釣竿を拭いている時だった。
「釣れたか?」
また、窓から入ってきた。
「小さいのが2匹。1日かかってようやく。メインにはできない大きさの魚だったわ。でも、楽しかった。ハノイ、ありがとう」
その言葉を聞いた途端ハノイはなぜか下を向いた。そして下を向いたまま
「今日は一昨年の誕生日祝い、持ってきた」
と、コバルトブルーの木箱を渡された。
アリアナが受け取るとハノイはすぐに帰って行った。
中身はここ数年、令嬢の間で流行っているサロンピンクのティーセット。高価な代物であるのに販売と同時に売り切れて再販を繰り返したと噂では聞いた事があるサロンピンクのティーセット。
その中でもハノイから受け取ったこのロイヤルティーセットはロビンの歳の離れた妹、アン王女誕生のお祝いとして作られた限定3個のプレミアム。王族の紋章が入っている。途方もなく貴重で高価な品で、そのうちの1つはアン王女の元に、もう1つは国立美術館に飾られていると聞く。残りの1つがここに。
国立美術館に行く事もなく、新聞でしか見たことがなかったロイヤルティーセット。多分、ハノイの魔法がかけられているからちょっとやそっとで割れる気がしない。高価な物だけれど割れないと思うと遠慮なく使える。
そういえばこの5年間、お茶会をするのはロビンとのみ。
王太子の婚約者として、貴族同士の軋轢を避けるため親しかった友人とも個人的に会うことは御法度。
お茶会に招かれても砕けた話をする事もなかった。王族になる身として節度ある言動を求められる。アリアナはお茶会を楽しむ事はできなかった。
婚約する前は仲良しの女友だちとお茶会をするのが楽しくて毎月、公爵邸でお茶会を開いて、そして毎週のようにお茶会に参加していた。楽しかったお茶会が3年前から楽しくなくなっていた。
また、楽しいお茶会がしたい。
次の日の朝、もしよかったらとお茶会の案内を仲の良かったリリーに送ったところ快諾の返事がすぐに送られてきた。
明日のお茶会を楽しみにしながら夕食の後、部屋でくつろいでいるとまたハノイが部屋に現れた。
「ハノイ、ありがとう。明日はリリーとゆっくり話せるの」
その言葉にハノイもフッと笑顔を見せた。
だが、
「次はハノイをお誘いさせてね」
続けたその言葉にハノイはまた下を向く。
そして、紙箱を渡して来た。王都で有名なパティスリーの名前が書いてある。
「明日、一緒に食べたら」
中を見ると、それは毎朝開店と同時に売り切れる、1日10個限定のバームクーヘン。開店2時間前に並ぶのが必須という代物。
「ハノイ、並んだの?」
そんな事するわけないと思いながら尋ねると
「うん。5時から並んだ。流石に開店5時間前だから1番だったよ」
当たり前に答える姿にビックリしながら、有名人のハノイが並んでいるのに気付いた周りの人の反応が気になって
「大騒ぎにならなかった?」
と、聞くと
「なんだか行列の周りの人が多すぎるとかで警備隊が出てきたよ」
不思議そうに話すハノイに大笑いしてしまった。
次の日、リリーが来てくれた。アリアナはそれだけで嬉しくて涙ぐみながらリリーを迎えると、リリーは優しくアリアナを抱きしめてくれた。
公爵邸のサロンでのお茶会、3年間の空白が無かったかのように話が弾んだ。
ティーセットとバームクーヘンの話にリリーは
「ハノイらしい」
と、あまり驚いてはくれなかった。
「でも、ハノイとは仲直りしたのね。よかった。私、責任を感じていたから。」
なぜ?そう思っているとリリーは続けて、
「私がハノイってかっこいいって言ったらアリアナったら私とハノイをくっつけようと必死になって。私はアリアナとお似合いって意味で言ったのに、アリアナったら私がハノイを好きだと勘違いして」
3年前、ハノイと喧嘩した理由を思い出した。それまで一度もアリアナに対して怒った事がなかったのにリリーと二人きりにしようとしたら思い切り怒られた。アリアナもついつい反論して、売り言葉に買い言葉でそこから口を聞かなくなった。
その後、学園時代のクラスメイトの話をしていると日も翳ってきた。そろそろリリーは帰ってしまう。でもまだリリーの婚約者の話は聞いていない。リリーは半年後結婚が決まっている。大恋愛の末の婚約だったといつかのお茶会で聞いた事があった。
「リリー、まだ婚約者の方の話も聞いてないしもう少し話がしたいわ。よかったら夕食もご一緒してくれない?」
そう言うとリリーは
「うん。今日もファビール公爵は遅くまで王城でしょ」
その通り。私が婚約解消を受けた日と次の日、丸二日休みを取った。聖女様の対応で忙しい中無理に二日も休んだので、しばらくは仕事が立て込んでいるらしい。
「アリアナ、今日は夕食も食べて行くようにって公爵からお願いされていたのよ」
私が一人で寂しく無いように気をかけてくれる父に感謝しながら、リリーと一緒の夕食をゆっくり楽しんだ。
ただ、デザートの辺りでリリーがそわそわしているのが気になった。急な誘いで夕食までいてくれるけれど先約があって帰宅を急いでるのかもしれない。そう思うと申し訳なくて
「リリー、早く帰らないといけないなら気にせずに言ってくれたら」
言いかけると、急にリリーを腕を取られて
「アリアナ、今すぐテラスに、王城が見えるテラスに出ましょう」
必死な顔のリリーがアリアナをテラスまで引っ張って行く。お茶の時間、リリーから王城が見えるテラスを聞かれて答えていた。リリーは今、そこに真っ直ぐに向かっている。
テラスに着いた途端
「間に合った」
のリリーの言葉と同時に王城の方から花火が上がった。色とりどりの花火。これは魔法の力。
「そっか。聖女様の歓迎の花火」
と、納得しかけたアリアナに
「違うよ」
リリーが花火を見ながら答えた。
「えっ」
アリアナがリリーの方を見ると、リリーは花火から目を離さず
「一昨年の誕生日、アリアナが寝込んでいなかったら上がった花火だよ」
そう、一昨年の誕生日前日から2日間、アリアナは風邪をひいて寝込んでいた。3年間の淑女教育で体調を崩したのは後にも先にもそれ1回。
「アリアナが見れない花火だから中止になったの。ハノイの一存で」
「それって皆、楽しみにしてたんだよね。私が見れないから中止って」
リリーは首を振った。
「大丈夫。花火はサプライズだったから。って、私もつい最近聞いたんだけどね。花火の事」
「誰から?」
って言いながらハノイの顔が浮かんでいた。
「アリアナ、ハノイって怖いくらい一途だね」
リリーの横顔を見ていた視線を花火に移した。怖いくらい綺麗な花火が上がっていた。
その日の夜もハノイがやってきた。
花火の話をしようと思っていたのにその前にハノイからコバルトブルーの封筒を渡された。
「明日、母さん、嫌、マリアーノが迎えに来るから」
それだけ言うと帰って行った。
封筒の中には観劇のチケット。最近、王都で人気を博している劇団の最新作。舞台正面の個室。プレミア席でなかなか予約が難しいとリリーから聞いていた。
リリーは来月、婚約者と行くと言っていた。騎士団に所属する婚約者が遠征から帰ってくるらしく、予約を取ったが人気すぎて端の方の席しか取れなかったと言っていた。でも、愛する人と一緒に見れる事でリリーに不満は無いらしい。ただ、
「真正面の個室って限られた人しか無理みたい。王族とか勲章を与えられた人とか。私には一生縁のない話だわ」
と、言っていた。ハノイの聖女召喚に対する褒章のようだ。
そういえば先月のロビンとのお茶会の席で観劇をしてみたいと話した事があった。ハノイはそれを聞いていたのかもしれない。
ただ、マリアーノと二人の観劇にアリアナは戸惑っていた。婚約解消が決まってからマリアーノと顔を合わせていない。マリアーノに何と言ったらいいのだろう。気持ちが落ち着いたら、マリアーノの貴重な時間を奪ってしまった事を謝りに行こうとは思っていた。でも、もう少し時間が欲しい。
マリアーノの好きなカーネーションの花束も用意できていない。マリアーノはハノイの実母だ。まだ小さかったハノイがアリアナと一緒にカーネーションの花束を送った事がある。その時、マリアーノは大喜びして涙を流した。その日以来、何かあればアリアナはマリアーノにカーネーションの花束を送っている。
そして、マナーに厳しいマリアーノとの観劇に緊張もしていた。複雑な気持ちが入り混じって眠れない夜を過ごし朝を迎えた。
マリアーノが迎えに来てくれた。
婚約解消が決まってからマリアーノには申し訳ない気持ちづいっぱいだった。顔を見た瞬間、申し訳なさに顔が曇って言葉が出なくなったアリアナにマリアーノは
「なんて辛気臭い顔をしているのかしら」
いつもの淑女教育では全く聞いた事がない砕けた言葉遣いをするマリアーノに、アリアナは戸惑った。
「あら、ごめんなさい。今日はあなたの先生じゃなく、友だちとして来たのよ」
ちゃめっ気たっぷりにウインクするマリアーノ。いつもの厳しい姿からは想像もつかない雰囲気にアリアナは言葉を失った。
「さあ、早く乗って。遅れるわよ」
マリアーノに急かされて馬車に乗った。
馬車が動き出して、大きく息を吸ったアリアナは勇気を出して、マリアーノに婚約解消を告げようとした。それに気付いたマリアーノは首を横に振って、ニコッと笑顔を見せて話し出した。
「ハノイはあなたに救われたのよ」
急にハノイの話が出てアリアナは戸惑った。
「ハノイは小さい頃から魔力が強くて自分で制御する事に苦労していたの。だから、感情が高ぶって魔力が
暴走しそうになった時、他の子たちはあの子から離れていった。ただ、あなただけはそばで抱きしめて落ち着かせてくれたって。」
「アリアナが『大丈夫』って言ってくれると本当に心が落ち着いて魔力制御ができるようになったって。アリアナの『大丈夫』って言葉はあの子にとっては自分の魔力以上に強力な魔法の言葉らしいわよ。」
ハノイは昔は小さくていつもビクビクしていた。魔力が強くて、でも、それをどうしてよいか分からず途方に暮れていた。でも、アリアナはハノイの魔法が好きだった。何も無いところから何かを生み出すハノイが素敵だと思っていた。
ハノイは不安や怒りで魔法が勝手に発動してしまう事があった。けれど、アリアナが手を握ったり抱きしめたりするとハノイは自分の魔力をコントロールできるようになった。初めは何も分からずハノイの不安や怒りを抑えようと無我夢中の行動だった。でも、だんだんハノイが魔力制御ができるって自信が湧いた。だから、
「大丈夫」
制御不能の魔力をハノイが持て余していても、そう言えた。
魔法が収まるとハノイはいつも、お礼に魔法で小さな花火を見せてくれた。昨日見た花火のはるかに小さな花火。数センチ位の大きさだった。そう言えばハノイは言っていた。
「大きくなったらもっともっと大きな花火、見せてあげる」
そうか、昨日はその約束を果たしてくれたんだ。
ハノイは大きくなるにつれ、アリアナがいなくても自分自身で魔力制御ができるようになっていった。アリアナがハノイの手を握る事も抱きしめる事もなくなって。だから昨日の花火は、ハノイの小さな花火を最後に見てから10年以上、経っていた。あんな小さな花火が昨日は夜空を埋め尽くす大きさの花火になっていた。
そんな事を思いながら無意識にフッと笑ったアリアナを見て、マリアーノは
「アリアナ、あなたのおかげでハノイは強くなれた。そして、この3年間の淑女教育であなたは完璧なマナーを身につけたわ。あなたは私の最高の生徒よ。この国の誰よりも完璧な淑女だから、自信を持って」
その言葉を聞いて涙が溢れそうなアリアナに
「駄目。今、泣いたら観劇に行けなくなる!」
焦ってハンカチを押し付けてくるマリアーノがおかしくてアリアナの涙は引っ込んだ。
そして、笑顔で観劇を楽しんだ。
家に帰ったアリアナはまた昔の事を思い出していた。
ハノイからの誕生日プレゼント、そういえば物心着いた頃から毎年、もらっていた。
今はクローゼットの奥に大切にしまっていた。
一人で寝るのは寂しいと言って困らせた時は、触ると人肌に暖まるテディベアのぬいぐるみ。大好きな絵本は最後のページを閉じると裏表紙に描かれたお姫様が子守唄を歌ってくれるおまけつき。当時、流行して皆が持っていた腕時計、困った事があるとハノイを呼び出せる通信機能がついていた。呼び出した事はなかったけれど。
ピアノに憧れた時には旋律を弾くと伴奏が流れてピアニスト気分を味合わせてくれるピアノ。これはクローゼットには入らずアリアナの部屋の隣の部屋に置かれていた。
ハノイとは小さい頃からずっと一緒だった。いつもアリアナの1番欲しい物を用意してくれていた。そして、アリアナのための魔法を込めてくれていた。
そして、どれもこれもコバルトブルーの配色がある。テディベアのリボン、お姫様のドレス、時計とピアノに至っては全てがコバルトブルー。
その事にようやく気が付いた。




