前編
「アリアナ、君との婚約は本日をもって解消する」
婚約者であるロビン王太子殿下から呼ばれ、急ぎ王宮、ロビンの公務室に駆けつけてみれば開口一番に告げられた。
予想はしていた。聖女様が異世界から召喚されたと聞いた2日前から。
聖女が召喚されるのは500年に一度とも1000年に一度とも言われている。400年余前に召喚された聖女も魔物を封印し、結界を張った。ただ、聖女が召喚されるまでの間に暴れた魔物による被害は大きく、復興にはかなりの時間と労力を費やした。
結界は未だ解かれてはいないが、少し前に綻びが見つかったいう。綻びから結界が破られ、封印が弱まり、魔物が解放されれば、生活を脅かされかねない。今一度、強固な結界を張り、封印をより強固なものとし、魔物の出現を防ぐ、そのため魔術師たちは日々聖女召喚の研究に勤しんでいた。
そして、聖女が召喚された。
この国では聖女は王妃になる。他国に奪われないために。だから、聖女が召喚されれば聖女以外の者と結婚する者は王にはなれない。
婚約している言えどもアリアナとロビンの結婚は聖女が召喚されなかった場合に限られる。聖女が召喚されればすぐに解消される婚約であった。聖女が現れた時に問題なく解消できるという点から他国の姫ではなく自国の公爵家の娘、アリアナが婚約者となっていた。
王太子のロビンは王となるに相応しく教養は高く、知識も深い。また、誰に対しても公平で誠意を持って接しているため、国民からの信頼も厚い。聖人君子との呼び声も聞かれる。ただ、ここまでの道のりは平坦ではなかった。ロビンは血と汗が滲む努力をしてきた。最近では国民のことを第一に考えた背策を発案し、推し進めている。だからこそロビンが王を辞退するとは考えられないし辞退すべきてはないとも思う。
アリアナ自身、婚約者のロビンが勤勉で人当たりもよく次期国王に相応しいと言われ、鼻が高かった。
だからといって婚約解消に不服はない。
ロビンに対して、皇太子に対する尊敬の気持ちはある。ただ、それだけ。5年間の婚約期間、仲を深める程同じ時間を過ごす事はなかった。
婚約者としての5年間、会うのは月に一度の二人でのお茶会。いつもは当たり障りの無い話、きっかり30分しかなかった。時間を計ったようにロビンの側近のハノイが
「お時間です。」
と、ロビンを呼びにくる。特に話が盛り上がることもなく、天気の話の後は主にアリアナが王太子妃教育の進捗状況を話しておしまい。ハノイがアリアナには一切目を向ける事なく、ロビンを引っ張って行ってしまう。婚約者としてお互いを知り合う、思い合う暇もなかった。
だから、婚約解消がこの国のためになると思い納得していた。今回の聖女召喚を聞いた時から、遅かれ早かれ婚約解消になる事は予想していた。ここまで早いとは思っとはいなかったが。
聖女召喚から2日という短期間の婚約解消。
婚約解消には貴族間への根回しや書類作成、申請諸々、煩雑な手続きがあるはずが、それが全て終わっているらしい。そうでないと婚約解消決定のせりふは出てこない。既に王家、そして貴族間では決定事項となっているという事だ。知らなかったのはアリアナだけ。そんな雰囲気が王太子の部屋のドア付近で控えている側近たちからも漂ってくる。
最短でも2ヶ月、そう思っていた。
今日はその手続きが終わるまでの2ヶ月間、アリアナが領地で静養する事を提案されるかと思っていた。婚約解消が決定事項であるというのに王太子妃として王都に留まる事は、聖女に対して示しがつかない。他の貴族もアリアナの扱いに困るしアリアナにとっても居心地がよいとは思えない。その間を静養と称して領地に雲隠れさせる。そう思っていたのに。
その2ヶ月を通り越しての婚約解消。
でも、ここで動揺は見せられない。王太子妃になるべく淑女教育を受けてきた身としては。
そして、特に異論は無い。
「承知いたしました。」
ロビンの目を見ながら返答する。
が、なぜかロビンと目が合わない。ロビンの目はアリアナを通り越して、アリアナの後方を見ている。振り返ってみるとロビンの視線の先には自身の側近のハノイがいる。なぜ、ハノイ?聖女召喚の一番の立役者だとは聞いているが、ロビンは今、なぜアリアナではなく魔導士のハノイを見ているのだろうか。
王太子は何か言い淀むような様子で、沈黙を続けた。下を向いて何か考え込んでいたが、意を決したように口を開いた。
「それで、君の新しい婚約者を紹介しようと思うのだが。」
唐突に告げるハノイに思わず顔が強張る。淑女教育で
感情を表情に出さない鍛錬は積んできたはず、なのに驚きを隠せない。
「・・・」
言葉も出ない。
なぜ、今、そういう話をするのか。確かに愛とか信頼とか何もない婚約だった。とはいえ、婚約解消と共にそれぞれ新たな婚約者を決めるなんてありえない。突然の婚約解消でさえアリアナの気持ちは追いついていないのに。
混乱しているアリアナをそのままにロビンは言葉を続ける。
「私の腹心のハノイだ。魔導士の力はこの国はもちろん他国でも右に出るものはいない。この私が一番に信頼を置いていて、この男ほどアリアナを幸せにできる男はいないと思っている。今回の聖女の召喚はハノイ無くしては実現できなかった。我が国の救世主で聖女召喚の功労者であり、功績として・・・。」
「お断りさせていただきます。」
アリアナはロビンの声に被せて、返事をした。王太子の話を遮るのは不敬だが、今、そんな話を聞きたくないと、思わず口を挟んでしまった。
やってしまったという気持ちはあったが、これ以上この場にいる事にも我慢ができない。
静まり返った公務室で、ロビンに
「気分が優れませんので」
とだけ告げ、アリアナは逃げるように王宮を出た。
馬車に乗り、家路を急ぐ。
父には腹立たしい思いが湧いてくる。幼い頃に亡くなった母の分まで愛情をかけて育ててくれた。だが、今日の婚約解消については事前に連絡がきていたはず。なぜ何も知らせてもらえなかったのだろうか。
反対に申し訳ないと思うのは教育係のマリアーノ。時には完璧を求めて厳しくなる時もあるが、母のように愛ある教育でアリアナを淑女として育てあげてくれた。 マリアーノから受けた5年の淑女教育が身を結ばなかった。予想はしていた。ただ、厄介払いのように婚約者をあてがわれたのではないかと考えてしまい、焦燥感、虚無感を感じていた。そして、馬車が自宅に到着した。
家に入ると使用人と並んでアリアナの父であるファビール公爵が顔色を伺うように出迎えた。しかし、父に苛立ちを感じていたアリアナは知らんふりをして自室に急いだ。使用人たちにはしばらく一人にしてもらうよう声をかけて部屋に入った。
一人になって気持ちを落ち着かせたい、そう思いながらドアを開けたのに、中に入ってドアを閉めた途端、
「なぜ、断った。」
窓の方から低い声が聞こえた。
ハノイだ。ハノイが勝手に部屋に入っていた。
「どうしてここにいるの?」
叫び出しそうになるのを何とか我慢して質問すると
「窓から。」
ハノイが答える。
「えっ。」
ハノイの家はアリアナの家の隣。小さい頃、幼馴染として育った二人はアリアナが婚約を結ぶ前までは仲が良く、今みたいにハノイがアリアナの部屋の窓から入って来る事もあった。ただ、婚約が決まってからは王城や互いの家で出会う事があっても、話をすることはおろか、目も合わせず、もちろん二人きりになる事もなかった。
ただ、今はどこから入ったのではなく、入った理由が聞きたかったのだけれど。
「それよりどうして、断った。」
ハノイの質問の意味が分からず口ごもっていると、しびれを切らしたハノイが一歩前に出て、
「婚約だ。アリアナと俺の婚約。」
びっくりする。婚約を断りたかったのはハノイの方だったのではないだろうか。
王太子に婚約解消された厄介者を婚約者にする事をハノイは納得していないと思っていた。婚約解消されたアリアナの受け皿として、王命で断れないハノイが選ばれた、そう思っていた。ハノイの気持ちを考えればロビンの提案に拒否をした自分は感謝されるべきではないのか。なのになぜハノイは断った理由が知りたいのだろう。
今回の婚約解消でアリアナには一生独り身で生きていける違約金、慰謝料の類いは出るはずである。だから、今、アリアナには新たに婚約を結ぶ気持ちは全く無い。マリアーノから淑女教育では合格点をもらった。この経験を活かして、家庭教師として淑女教育に携わって生きて行く道もある。
「ハノイだって婚約に納得できないでしょ。聖女を召喚したあなたなら婚約者なんて引くて数多だと思うけど。わざわざ、王子に婚約解消された私と婚約しなくても。」
そう、話すアリアナに
「俺はアリアナがいい。」
ハノイは言い切った。
「なんで?」
アリアナには理解できない。
ハノイとは幼馴染で小さい頃はいつも一緒だった。でも、いつからか、そう王家との婚約が決まる位から急に疎遠になった気がする。
「なんでって。」
不機嫌きわまりない顔のハノイが話を続ける。
「俺はアリアナがいい。」
ハノイが繰り返す。
そして、
「それより、なんでロビンとの婚約を受けた?」
ハノイが話を続けようとする。
ロビンとの婚約は5年前。今、なぜ5年前の話をするのか。この5年間、ハノイがアリアナに理由を聞こうと思えば聞く機会はいくらでもあった。顔を合わせる事があっても目も合わせようとしなかったのはハノイの方だった。アリアナには今更と思えて仕方ない。それよりも気になる事がある。
「ハノイ、ここに来るの早過ぎない?」
ハノイは王太子の側近として勤務中であったはずである。なのに、今、ここにいる。
「馬で駆けてきた。アリアナが帰ってすぐに後を追った。公爵家の馬車を抜いたので先にここで待たせてもらっていた。」
と、言う事は勤務を放り出して来たのだろうか。ハノイは勤務放棄をしているとしたら、後から重い処罰の対象になるはずだ。早く仕事に戻ってもらわないと、最悪クビになるのでは、そう思ったアリアナが
「ハノイ、そんな事より早く王宮に戻らないと大変な事になるわ。」
そう、言うのに
「それより、ロビンとの婚約の理由を教えて。好きだったのか?」
まだ昔の事を聞いてくる。
アリアナが答えないと王宮に戻る気はないみたいだ。
そう思うから、質問の答えを考えてみた。
『好き』という気持ちをロビンに持った事はある。ただその『好き』は尊敬という、この国の未来の王として、人として『好き』という気持ち。婚約の理由では全くない。
そう思ってアリアナは首を横に振った。
「じゃあ、なぜ?」
ハノイは急かすように聞いてくる。
一生懸命考えてもこれといった理由も思いつかない。強いて言えば、
「王命だったから。」
そう、返事するアリアナ。
ハノイは少しイライラしているらしく早口で
「断れただろう。」
と言ってくる。
そう、別に断ってもよかった。でも、
「断る理由がなかったから。」
アリアナがそう言うとハノイは今度は悲しそうな顔をしてしばし言葉に詰まった様子だった。
何か声を掛けた方がよいのか迷っていたら
「分かった。」
そうハノイが言うと同時にコバルトブルーのリボンがかかった袋を渡してきた。
「これ何?」
アリアナが怪訝そうな顔で袋を受け取らないでいるとハノイは無理やりアリアナに押し付けて
「5年前に渡しそびれた誕生日プレゼント。」
それだけ言うと窓から部屋を出て行った。
一人、部屋に残された袋を開けてみる。中身は
釣竿
伸縮自在、多分重たい魚が釣れても軽く釣り上げられる魔法がかけられている。昔からハノイのプレゼントには何かしらの魔法がかけられている。
手にして思い出した。そういえば婚約する前に父と釣りに行く約束をしていた。ハノイに相談したら釣竿を用意すると言われて。その後、ハノイとはけんかしてアリアナ自身は王太子との婚約の話ですっかり忘れていた。
それまでは父とは本当に仲が良かった。父は何よりも常にアリアナを優先してくれた。幼くして母を亡くしたアリアナが寂しくならないように。仕事も制御して。
その時、アリアナの部屋をノックする音が聞こえた。
「アリアナ、父だ。入ってよいか?」
少し緊張した声がした。
「お父様」
アリアナはドアを空けて、部屋の前で佇んでいる父に抱きついた。父も抱きしめてくれた。久しぶりに抱き合った父は少し小さくなった気がした。
「アリアナ。すまなかった。今日の事を黙っていて。王命でお前には伝えられなかった」
父からの心からの謝罪。アリアナも素直に聞き入れる事ができた。
「聖女様をお守りするには機密事項が多いんですね。」
アリアナがそう言えば
「いや、聖女様のためではなく、お前に悪い虫が付かないように言われたから。」
悪い虫?父の言う言葉に理解はできないが、アリアナのためだったらしい。そして、改めて父から
「アリアナ、おかえり。これからはこの国のため、この家のためではなく、自分のために生きてくれ。」
その言葉に涙が溢れた。
しばらく抱き合っていると不意に
「アリアナ、手にしているのは釣竿か?」
ハノイからのプレゼントを手にしたまま父と抱き合っていた事に気づいた。
「ハノイからもらったの。」
そして、思いついた。
「あっ、お父様、もしお暇な日があれば釣りに行きません?約束、しましたよね。5年前に。」
そんな昔の事、父は覚えているのだろうか、アリアナはふと思ったが、
「何を言っている。忘れた事はない。明日は1日、空けている。朝一で行くぞ」
そう、、言った父の顔は、小さい頃によく見た満面の笑みだった。




