第7話 特務組の洗礼
校舎に着いたわたしですが、大事なことを忘れていました。
えぇと……どの教室に行けば良いんでしょう……?
あまりにも間抜けな自分に、呆れてしまいますね……。
入口の辺りで途方に暮れていると、一色くんがスタスタと脇を通り過ぎながら、何でもないように言い放ちました。
「あそこの掲示板に、案内が張ってある」
「え……?」
「自分の所属が知りたいんじゃないのか?」
「ど、どうしてわかったんですか……?」
「顔に書いてある」
「へ……!?」
か、顔に……!?
いつの間に、そのような悪戯をされたんでしょうか……!
と、とにかく、早く顔を洗わないと……!
「冗談に決まっているだろう」
「あ……そ、そうだったんですね……」
「まさか、本気にするとはな」
「し、仕方ないじゃないですか。 自分では見えないのですから……」
「だとしても、普通気付くと思うが……とにかく、確認するぞ」
「は、はい……」
じ、冗談でしたか……。
確かに、良く考えればそんな訳ないですよね。
などと考えつつ、思わず顔をペタペタ触ってしまいました。
一色くんが呆れた目を向けて来ましたけど……気にしません。
そもそも、あのような冗談を言わなければ良かったんです。
微妙に不貞腐れながら、掲示板の近くまで来たわたしですが、そこには大勢の生徒たちがいました。
何やら騒めいており、混乱した空気が漂って来ています。
いったい、どうしたんでしょうか?
このタイミングでの新入生が気になるにしても、いささか異様過ぎます。
周囲からは、わたしの頭上に大量の疑問符が浮かんでいるように、見えたかもしれません。
勿論、そんなはずないですけど。
……と、ふざけている場合ではないですね。
まずは、この状況の原因を探らないといけません。
そう思い、人垣の後ろから掲示板を覗き込もうとして――
「あ! 来たわよ!」
「あれが『無字姫』か……。 噂通り、メチャクチャ可愛いな……」
「一文字使いも、超カッコイイよね……」
「そんなこと言ってる場合かよ!? あいつら、いきなり特務組に入ってんだぜ!?」
「だから、絶対何かの間違いだって! 一文字使いもだけど、『無字姫』が特務組なんてあり得ないから!」
「で、でもよ、もし本当だったら……?」
「馬鹿なこと言うな! 特務組は、精鋭中の精鋭だぞ!? 『肆言姫』と『参言衆』だけの組に、あいつらが入れる訳ないだろ!」
より一層混沌とする、掲示板前。
ちなみに、『参言衆』と言うのは、三文字使いのことを表す呼称です。
……て、そうじゃないでしょう……!?
わたしたちが特務組とは、どう言うことですか……!?
あ、特務組は普通の組とは違って、その名の通り特殊な任務などを請け負う、学院でも突出した言魂士の集まりです。
……などと、説明している暇はありません……!
い、一色くんほどの実力者なら頷けますが、わたしには早過ぎるのでは……!?
他の生徒たちと同様に、わたしもパニック寸前でしたが、そこに冷静な声が聞こえて来ました。
「行くぞ」
「はい……!?」
「場所はわかったんだ。 ここに留まる理由はない」
「で、ですが、皆さんの言う通り、これは間違いでは……!?」
「いや、合っている。 先ほど確認した」
「確認……? いったい、いつの間に……?」
「そんなことは、どうでも良い。 それとも、いたずらにここで注目を浴びたいか?」
「……ッ! い、行きましょう……! 今すぐ……!」
「だから、そう言っている」
背中に数多の視線が突き刺さるのを感じつつ、逃げるようにその場をあとにしました。
一色くんも遅れず付いて来ていますが、憎たらしいくらいに落ち着いています。
どうして彼は、こうまで平然としていられるのでしょうか……?
あの特務組に配属されると言うのが、どう言う意味かわかっているのか疑問ですね……。
いえ、まぁ、わたしも正確に把握出来ている訳じゃないですけど……。
だって、まさかこれほど早く関わることになるとは、夢にも思っていませんでしたし……。
思い切り嘆息したわたしは、階段を上がって目当ての教室を目指します。
特務組の教室は、他の組とは離れた場所に位置しているので、次第に喧騒が遠退いて行きました。
そのことに安堵しかけましたが……気が早かったかもしれません。
校舎の5階、端の教室。
そこには、読み間違いようもないほどはっきりと、特務組と書かれた札が掛けられています。
中からはピリピリとした気配が滲み出ていて、回れ右したくなりました。
もっとも、流石に初日からいきなりサボる訳には行きません。
初日ではなくても、いきなりでもなくても、サボるのは良くないですけど。
深呼吸を繰り返して、無理やり落ち着きを取り戻したわたしは、微かに震える手を伸ばし、引き戸を横に開きました。
「お、おはようございます……!」
少し声が詰まってしまいましたが、きちんと挨拶出来た自分を褒めてあげたいです。
対する一色くんは無言で、ふてぶてしい態度を取っていました。
いつか痛い目を見ますよ……?
横目で彼を見て呆れていましたが、すぐに意識を教室内に戻しました。
1つの組にもかかわらず、そこにはわたしたちを除いて4人しかいません。
時間がまだ、早いからかもしれませんが。
4人のうち1人は、天羽さんです。
姿勢正しく着席して、精神統一するかのように瞳を閉じていました。
そして、彼女の席を囲むかのように、3人の生徒が立っています。
1人はヒノモトでは珍しい、白髪の少女。
恐らく年下で、15歳前後ではないでしょうか。
髪をツインテールに結んでいて、眠そうに目をこすっています。
身長はかなり低く、胸元も……その……慎ましいですね。
まるで、お人形さんのような愛らしさを感じました。
もう1人は身長も胸元も平均的で、髪は肩口で切り揃えています。
歳はたぶん、さほど変わりません。
これだけ聞けば、大きな特徴はないように聞こえるかもしれませんが、両目を眼帯で覆っています。
目が不自由なのか、何か別の理由があるのかわかりませんけど、いきなり聞くのは躊躇いますね……。
口元は弧を描いており、頭の後ろで手を組んで、なんだか楽しそうに見えました。
最後の1人は、長身痩躯の男性。
一色くんも背が高いですが、更に大きいです。
髪はオールバックに撫で付けられていて、腰の後ろに両手を回しているんですけど……天羽さん以上に、敵対的な目をしていますね……。
そうして、わたしが一通り確認していると、眼帯の少女がにこやかに笑いながら口を開きました。
「おはよう! キミたちが新しく特務組に入る、期待の新人かな?」
「え、えぇと……。 き、期待の新人かどうか知りませんけど……一応、この組に配属されたようです」
「そっか、そっか! ここは癖の強い子が多いけど実力は確かだから、じゃんじゃん頼ってね! あ、あたしは早乙女美紗! よろしく!」
「む、無明夜宵と言います。 よ、よろしくお願いします」
歩み寄って来た早乙女さんが、フレンドリーに手を差し出して来ました。
反射的に握手したわたしは、正直なところホッとしています。
彼女自身が言っていましたけど、特務組はもっと変わった人ばかりだと思っていましたから……。
ですが、これなら思ったよりも楽しく過ごせ――
「あ、それは難しいかも。 ここって普通の組じゃないし、和気藹々とは行かないと思うよ?」
「え……!?」
「ビックリした? ちょっとしたサプライズ!」
「ま、まさか、言魂の力ですか……?」
「どうだろうね~。 案外、顔に書いてただけかもよ?」
「か、顔に……!?」
「あはは! 嘘に決まってるじゃない! キミ、面白いね!」
「あ……ま、また引っ掛かりました……」
「ん? また?」
「い、いえ、何でもありません……!」
胸の前で慌てて両手を振り、必死に誤魔化しました。
ところが、早乙女さんはわたしと一色くんを交互に見比べて、ニヤニヤ笑っています。
もしかして、また心を読まれたんでしょうか……?
彼女の言魂が何かわかりませんが、どうにも油断なりません。
警戒の度合いを引き上げていたわたしを放置して、早乙女さんは一色くんに近付き、同じように握手を求めながら声を掛けていました。
「よろしく! キミの名前を教えてくれるかな?」
「わざわざ名乗らなくても、言魂で調べたらどうだ?」
「む、意地悪だね。 自己紹介くらい、してくれても良いじゃない」
「なるほど、無条件で考えがわかる訳ではないらしい。 俺の名前は、一色透真だ」
「もう、素直に教えてよね。 改めてよろしく、一色くん!」
「名前が鍵でもないようだ」
「え?」
「今、俺はお前を殺す方法を、いくつも思い浮かべていた。 だが、お前は何の反応も見せなかった。 つまり、まだ言魂の条件を満たしていないと言うことだ」
「……あたしが、敢えてそう思わせる為に、表情を取り繕ってるとか思わないの?」
「俺の目は、それほど節穴じゃない。 となると残されているのは……」
そこで言葉を切った一色くんが、早乙女さんの手を見ました。
もしかして……。
「身体的な接触……と言ったところか」
「ふぅん……。 こっちとしても軽いお遊びのつもりだったけど、こうまであっさり見抜かれるなんてね」
「認めるのか?」
「さぁね? 同じ特務組と言っても、簡単に手の内を晒すようなことはしないよ」
「その方が良いだろう。 敵の手に落ちた者が拷問されて、こちらの戦力を喋るような事態に陥らないとも限らないからな」
い、一色くん、怖いことを言わないで下さい……。
でも、あり得る話なんですよね……。
勿論、そうならないことを祈りますが、そのときわたしは耐えられるでしょうか……。
本音を言うと自信はないですけど、最悪のときは自ら命を絶つしか――
「お前は大丈夫だ」
「え……?」
「不安に思う必要はないと言っている」
「……一色くんも、心が読めるんですか?」
「顔に書いて――」
「いません……!」
「……心が読めなくても、それくらいはわかる」
「それはそれで複雑ですけど……有難うございます……」
「礼を言われることじゃない」
こちらを見ることもなく、淡々と言葉を連ねる一色くん。
なんだか釈然としませんが……不思議と安心してしまった自分がいます。
思わず苦笑を浮かべたわたしは、そこに来てある視線に気付きました。
目を転じた先に立っていたのは、白髪の少女。
こちらを……いえ、わたしと一色くんを、ジッと見比べています。
やはり何を考えているのかわからず、居心地が悪いですね……。
そうしてわたしが、落ち着きなくモジモジしていると、少女が言葉の爆弾を炸裂させました。
「貴女たち、付き合ってるの?」
「は……!?」
「どうなの?」
「つ、付き合っていません……! だ、だいたい、わたしたちは昨日知り合ったんですよ……!?」
「時間は関係ない。 好きになるのは、一瞬」
「だ、だとしても、わたしたちは違います……!」
「そう。 良かった」
「良かった……?」
少女の言葉の意味がわからなかったわたしは、キョトンとしてしまいました。
しかし、彼女はそんなわたしを華麗にスルーして、トテトテと一色くんに歩み寄ります。
なんだか、嫌な予感がしますね……。
早乙女さんは、黙ってニヤニヤしていますし……。
少女を見下ろす一色くんは、いつも通りの無表情で、何を思っているか不明です。
わたしにも、早乙女さんの言魂があれば……。
べ、別に、何が何でも知りたいって訳ではないですよ?
ただ、いつも振り回されているので、考えがわかれば多少なりとも、その点が改善され――
「一色透真、わたしと付き合って」
「はい……!?」
「貴女には言ってない」
「あ、すみません……ではなく……! ど、どうしてそうなるんですか……!?」
「好きになったから」
「し、初対面なのに……!?」
「初対面なのに」
「し、信じられません……!」
「貴女に信じてもらう必要はない。 さっきも言った。 好きになるのは、一瞬」
「うぅ……」
眠たげな顔で堂々と言い切られて、わたしは口ごもってしまいました……。
わたしに恋愛経験はないので、断言されると反論し辛いです……。
あ、いえ……い、一色くんが誰とどうなろうが、わたしには関係ありませんけど。
で、ですが、それにしたって急過ぎると思うんです。
言魂士の本分は魔族や魔物と戦うことですし、学生と言う意味では勉学ですし。
恋愛を否定するつもりはありませんが、もう少し順序を経るべきかと。
そうです、そのはずです。
なので、わたしが納得出来ないのは個人の感情ではなく、一般論から来る意見だと言えるでしょう。
つまり、ここで止めに入っても不思議はありません。
随分と時間が掛かりましたが、結論を下したわたしは口を開こうとしましたが、その前に一色くんが声を発しました。
「特に断る理由はない――」
「へ……!?」
「……ないが、今回は遠慮させてもらう」
「どうして? わたし、可愛くない?」
「いや、相当可愛いと思うぞ」
こ、この人はまた、臆面もなく……。
わたしにも、美しいだなんて言ったくせに……!
途轍もなくモヤモヤしましたが、それを言葉にすることは出来ません。
「だったら、付き合って。 名前は白河伊織。 伊織って呼んで」
「伊織、今の俺に恋愛をするつもりはないんだ。 だから、断る」
「むぅ……仕方ない。 じゃあ、予約」
「予約?」
「うん。 一色透真が恋愛する気になったら、最初に告白する権利を頂戴」
「約束は出来ないな」
「ケチ」
「そう思うなら、やめれば良い」
「無理。 好きだから」
「そうか」
それっきり、2人は沈黙しました。
し、白河さん……見た目に反して、なんて情熱的な人なんでしょう……。
呆れを通り越して感心してしまいましたが、どこまで本気かわかりません……。
本人からすれば、完全なる本気なのかもしれませんが……。
今後、彼らがどうなるか知りませんけど……わ、わたしには関係ないです。
……すみません、気にならないと言えば嘘になりますね。
この感情を上手く表現することが出来ず、同時に処理することも出来ずにいると、男性が咳払いしてから口を開きました。
「コホン……そろそろ、わたしにも挨拶させてもらえるか?」
「ん、交代」
あっさりと元の位置に戻った白河さんに代わって、男性が前に進み出て来ました。
ですが、微妙に距離が空いている辺り、心を許していないことが窺えます。
まぁ、こちらとしても、最初はこれくらいの距離感の方が、有難いのですけど……。
などと思っていると、男性は鋭い眼光でこちらを睥睨し、居丈高に言い放ちました。
「天羽陣営の『参言衆』が1人、桐生卓哉だ」
「む、無明夜宵です。 よろし――」
「よろしくするつもりはない、『無字姫』」
「え……?」
「四季様から伺っている。 決闘の結果次第では、出て行くのだろう? そのような者を、同士とは思わない」
「……では、わたしが天羽さんに勝てたら、認めてくれるんですか?」
「四季様に勝つだと? 馬鹿も休み休み言え。 もしそんなことになれば、お前の下僕にでもなってやろう」
「い、いえ、それは逆に困るんですが……」
ギロリと睨まれて、縮こまってしまいました……。
だからと言って、退くつもりはありません。
わたしには、まだまだこの学院でやるべきことがあるんです。
戦意を燃やして桐生さんを見つめると、彼は意外そうに目を丸くしていました。
高圧的な人は苦手ですけど、わたしだってやるときはやるんですよ。
内心で少しばかり誇っていましたが、遅ればせながらあることが気になりました。
「ところで……天羽陣営と言うのは、何のことですか?」
「何? お前、そんなことも知らないのか?」
「す、すみません……」
「まったく、これほど無知とは……。 良いか、天羽陣営は全ての陣営の中で、最も優れた陣営だ」
「全ての陣営って……もしかして、他の『肆言姫』の陣営ってことですか?」
「決まっているだろう。 具体的に、どこが優れているかと言うと――」
「卓哉」
「……! はい、四季様!」
「部外者になる予定の者に、わざわざ説明する必要はない。 それより、そろそろ授業の時間だ。 席に着け」
「かしこまりました! 早乙女、白河、行くぞ」
「はいはい」
「一色透真、またね」
無言を貫いていた天羽さんの一言で、この場が解散になりました。
彼女は今も目を瞑っており、こちらの会話など興味ないかのようです。
うぅん、もう少し詳しく聞きたかったですね……。
無念ではありますが、授業時間が迫っているのは間違いありません。
一色くんを窺うと、黙って自分の席に向かいました。
あ、席には名前の札が張り付けてあるので、どこに座れば良いかは一目瞭然です。
席の数に比して、人数が少ないことに違和感を覚えましたが、とても質問出来る空気ではありません……。
早乙女さんなら答えてくれるかもしれませんけど、心を読まれるかもしれないと思うと、少し躊躇してしまいました。
一色くんの推測が正しいなら、触られなければ大丈夫そうですけど。
とにかく、今は座学の授業ですね。
頭を切り替えたわたしは、僅かに緊張しながらそのときを待ちました。