第3話 予想外の同室
訓練場を出たわたしと一色くんは、言われた通り学院長室を目指しました。
並んで……と言うことはなく、彼の斜め後方をわたしは歩いています。
この位置取りに明確な理由はありませんが……と、隣同士と言うのは、少しばかり恥ずかしくて……。
ですが、このままではいけません。
わたしは、一色くんにどうしても聞きたいことがありました。
それゆえに先ほどから、チャンスを窺っているのですが、勇気が出ません……。
うぅ……母上と2人で生きて来た弊害でしょうか、凄く人見知りしている気がします……。
だ、だからこそ、ここは思い切って、話し掛けるべきじゃないでしょうか。
苦手は早いうちに、克服しておくべきです。
などと考えていると、早くも校舎に辿り着いてしまいました。
で、では、2階に上がったタイミングで聞きましょう。
い、いえ、それは少し心の準備が足りませんね……。
やはり3階……ではなく4階……むしろ5階に着いてからでも――
「おい」
「ひゃい……!?」
思考の海に沈み込んでいたわたしは、突然呼び掛けられて、素っ頓狂な声を上げてしまいました。
か、顔から火が出るほど恥ずかしいです……。
俯いて涙目になっていると、一色くんから平坦な声が投げ掛けられましたが、内容は予想外なものでした。
「言いたいことがあるなら言え」
「へ……?」
「何かあるんだろう?」
「え、えぇと……はい……」
「答えられることなら、答えてやる。 言ってみろ」
顔を振り上げたわたしの目に飛び込んで来たのは、肩越しに振り向いた一色くん。
感情が察せられない表情で、お世辞にも愛想が良いとは言えませんが……もしかして、気を遣ってくれたんでしょうか……?
本当のところはわかりませんけど、彼は立ち止まって聞く態勢を作ってくれています。
ここまで譲歩させたからには、その思いに応えなければなりませんね。
1度深呼吸したわたしは、緊張しながらも真っ直ぐに一色くんの目を見据えて、ずっと問い掛けたかったことを聞きました。
「どうして、試験で手を抜いたのですか?」
「何のことだ?」
「とぼけないで下さい。 貴方が本気になれば、わたしを容易く倒せたはずです。 それくらいのことは、わかります」
そう、一色くんは明らかに全力を出していません。
表向きはやる気満々に見えましたけど、手を合わせているうちに確信しました。
この人は、わたしを試していると。
ですが、その意図はわからず仕舞いだったので、こうして尋ねているんです。
わたしの口調が思いのほか強かったからか、一色くんは一瞬だけ目を丸くしてから、気負った様子もなく声を発しました。
「それがわかるなら、見どころがある。 だから、あそこで落とすには勿体ないと思った。 それだけだ」
「……後付けの理由に聞こえます」
「どう思うかは自由だが、俺の答えは変わらない。 それとも、こう言って欲しいか?」
完全に振り返った一色くんが、ツカツカと歩み寄って来ました。
な、何のつもりでしょうか……?
目の前に立たれたわたしは、緊張のあまり体を硬直させていましたが――
「お前が美し過ぎて斬れなかった。 これで満足か?」
「な……!? ふ、ふざけないで下さい……! そんな口から出任せ……!」
「まぁ、我ながら今のはないな。 だが、お前が美しいのは事実だ」
「……ッ!? も、もう良いです……! 早く行きましょう……!」
恥ずかしげもなく言葉をぶつけられて、耳まで顔が真っ赤になるのを感じました。
それを見られるのが嫌で、一色くんを追い抜いて階段を上ります。
ほ、本当に、この人は何を考えているんでしょう……。
速くなった鼓動を必死に落ち着けるべく、深呼吸しながら内心でひとりごちました。
チラリと背後を見やると、彼は平然と付いて来ています。
まるで、今のやり取りなどなかったかのように。
もう……意識しているのが、馬鹿みたいです……。
悔しくなったわたしは、なんとか平静を取り戻して、学院長室の前まで来ました。
2度目ですけど、やっぱり尋常ではない気配が漂って来ますね。
だからと言って、ここで立ち止まる訳には行きません。
隣に立った一色くんを一瞥してから、ドアをノックして中に声を掛けました。
「学院長、無明夜宵と……一色透真くんです。 試験に合格したので、手続きに来ました」
「入れ」
「失礼します」
相変わらず、重々しい声ですね……。
しかし今回は、学院長の人となりを知っている為、あまり躊躇することなく入室しました。
執務机に着いた彼は、書類を眺めていましたが、すぐに視線をこちらに向けて声を発します。
「2人とも、ご苦労だったな。 まずは、合格おめでとう」
「あ、有難うございます」
労ってくれた学院長に、わたしは感謝を伝えましたが、一色くんは無言を保っていました。
し、少々、無礼ではないですか……?
ところが学院長は気にした素振りもなく、わたしたちに1枚ずつ紙を差し出します。
反射的に受け取って内容を確認すると、入学に関する書類でした。
これに署名捺印することで、晴れて学院生になれるようです。
そのことに軽く感動していると、柔らかく微笑んだ学院長が、筆記具を出しながら告げました。
「まずは、手続きを済ませてしまおう」
「わかりました」
わたしはすぐに書類に記入し始めましたが……何故か一色くんは、無言で学院長にジト目を向けています。
対する学院長は、何やらニヤニヤしていました。
どうしたのでしょうか……?
不思議に思いつつ自分の手続きを終えたわたしが、黙って一色くんを待っていると、彼は横目でこちらを見てから溜息をついて、ようやく筆記具を持ちます。
ますます疑問が強くなりましたが、口を挟む前に学院長が上機嫌に声を発しました。
「良し。 これでお前たちは正式に、学院の生徒だ。 今後はその自覚を持って、行動するように」
「き、気を付けます」
「はは、そこまで固くなる必要はない。 正装や教科書などの必要なものは、既に寮の部屋に運んでいる。 あとで確認してくれ。 明日から早速授業だから、それに備えておくのも良いだろう」
「はい、そうさせて頂きます」
随分と根回しが良いですね。
まるで、合格するのは決まっていたかのようですが……考え過ぎでしょうか。
とにかく、荷物の整理もしないといけません。
「では、わたしは寮に向かいます。 確か、敷地の東側でしたよね?」
「そうだ。 鍵を預けるから、失くさないようにな」
「わかりました」
学院長から鍵を受け取りつつ、返事しました。
206号室ですか。
どのようなところかわかりませんけど、少しだけ楽しみですね。
微かに気分が高揚していると、一色くんも鍵を手渡されていましたが……何故か動きを止めています。
気になることでもあったのでしょうか……?
学院長は楽し気に笑っており、対する彼は憮然としています。
事情がわからず不思議に思いましたが、取り敢えずこの場を辞すことにしました。
「学院長、今日は有難うございました。 明日からも、よろしくお願い致します」
「気にするな。 お前にとってはこれからが本番だろうが……負けるなよ」
「……はい、頑張ります」
学院長の言う『本番』が何を意味するのか、わかっているつもりです。
橘先生のお陰で最悪の状況ではなくなりましたが、無明家……いえ、わたしに対する風当たりは尚も強いまま。
ですが、屈しはしません。
必ずや、一人前の言魂士になってみせます。
決意を胸に宿したわたしは、一礼してから退室しました。
すると、一色くんもすぐに出て来たのですが……どことなく、困った空気が漂っています。
無表情なので、勘違いの可能性もありますけど。
謎は尽きませんが、今は寮で荷物整理しなければなりません。
意識を切り替えて足を踏み出すと、一色くんもあとを付いて来ました。
まぁ、行き先は同じですからね。
だからと言って、会話が弾むようなことはありませんが、険悪と言う訳でもないです。
互いに干渉することはなく、ひたすらに足を動かし続けました。
友だちになれたら……などと考えたりもしましたけど、わたしの近くにいたら、トラブルに巻き込まれるかもしれません。
何もないに越したことはないですが、恐らくそうは行かないでしょうからね……。
思わず嘆息しそうになったのを、なんとか堪えます。
そうこうしていると、敷地の外れに大きな建物が見えて来ました。
学院の生徒は、ほとんどがここに住んでいるので、相当な規模です。
ロの字型で、広い中庭があるのが特徴ですね。
今は誰もいませんけど、登下校時は生徒で溢れるのだと想像出来ました。
出入口は1箇所ではないので、混雑してもなんとかなるとは思います。
取り敢えず真ん中の入口から入ったわたしは、案内板を探しました。
すぐには見付かりませんでしたが――
「ここにある」
端的な言葉が聞こえて、振り向きました。
一色くんが視線で示している先には、わたしが探していた案内板。
どうしてわかったんでしょう……。
心を見透かされているようで、若干恥ずかしくなりましたが、ここは素直にお礼を言うべきですね。
「あ、有難うございます」
「良いから、行くぞ」
「は、はい」
あっさりと歩き出した一色くんを、今度はわたしが追い掛けました。
何と言いますか……この人と一緒にいると、ペースを乱されてしまいます。
い、嫌と言う訳じゃないんですが……。
そんなわたしの気持ちなど露知らず、階段を上った一色くんは前を進みます。
あ、彼も2階らしいですね。
……え?
と言いますか、ここって……。
「い、一色くん……?」
「何だ?」
「あの……ここは、わたしの部屋なんですが……」
恐る恐る、わたしは鍵を見せました。
それには確かに、206と書かれたタグが付いています。
これでわたしの主張が正しいと、わかってくれると思っていましたが、一色くんは泰然とした態度を崩さず、右手を差し出して言い放ちました。
「俺もこの部屋だ」
「……はい?」
「だから、俺もこの部屋だ。 この通り、鍵もある」
「……あ、あはは……。 そ、そんな訳ないじゃないですか。 と、年頃の男女が同室だなんて……」
思わず、乾いた笑いが漏れてしまいました。
確かに一色くんの手には、206のタグが付いた鍵が握られていましたが、それは何かの間違いです、そうに決まっています。
すぐにでも学院長室に戻って、鍵を取り換えてもらわなくては。
そう考えましたが、一色くんは大きく溜息をついて、発せられたのは死刑宣告。
「やはり、読んでいなかったか」
「な、何のことですか……?」
「入学手続きの書類だ。 あれには、『部屋割りの都合により、男女同室を受け入れる』と言う、注意事項が書かれていた」
「そ、そんな……。 う、嘘ですよね……?」
「残念ながら現実だ。 その証拠が、同じ番号の鍵だと言える」
「で、では……わたしは今後……一色くんと同室になるんですか……?」
「なると言うか、なった」
「い、今から別室にしてもらう訳には……」
「無理だろうな」
終わりです。
何がかはわかりませんが、確かにわたしはそう思いました。
明日から頑張ろうと意気込んでいたのに、まさかこのようなところで躓くなんて……。
頭の中がグチャグチャになって、目が回り――
「はぅ……」
最後に耳にしたのは、自分の間抜けな声でした。
それと同時に、力強くも優しい何かに体を包まれましたが……わたしの意識はそこで途切れます。
こうして学院での生活は、出鼻を挫かれる形で始まりました。