第16話 心の整理、そして一歩前へ
翌日の早朝。
休日とは言え、訓練を怠ることはしません。
一色くんがどうかはわかりませんでしたが、彼も当然のようにいました。
また、天羽さんたちの姿もあります。
天羽さんは元からでしたけど、一葉ちゃんと光凜さんも、同じ時間に訓練場を訪れるようになりました。
念の為に言っておくと、一葉ちゃんと光凜さんは今まで実家で訓練していたのであって、場所を変えたに過ぎません。
理由を尋ねたところ、その……わ、わたしと一色くんを、2人きりにさせたくないんだとか……。
天羽さんがいる時点で2人きりではないんですけど、自分たちの目で確かめないと気が済まないらしいですね。
彼女たちが、何を心配しているかわからないとは言いませんが……む、無用の気遣いだと思います。
だって一色くんは、わたしに特別な感情なんか持ってなさそうですし……。
わ、わたしだって、そうですよ?
……たぶん。
い、いえ、絶対そうです……!
ついでに言うと、放課後にも彼女たちとは訓練するようになりました。
一色くんは用事でもあるのか、授業が終わるとすぐにどこかに行ってしまいます。
部屋に戻って来るのはわたしよりあとなので、真っ直ぐ帰っている訳じゃなさそうなんですけど……。
どこで何をしているのか、全く気にならないと言えば嘘になりますが、だからと言って詮索する訳には行きませんよね。
わたしと一色くんは……と、特別な仲ではないんですし。
そ、そのようなことより、今は訓練に専念しましょう。
天羽さんたちは互いを相手に模擬戦をしていますが、わたしは約束通り一色くんに挑み掛かっていました。
彼女たちはそれすら止めようとしていましたけど、断固として譲りません。
余計な感情を抜きにしても、彼と戦うのは何ものにも代え難い経験ですから。
わたしの意志が固いことを察したのか、天羽さんたちも最後には折れてくれました。
そうして、全身全霊をもって『葬命』を振るっているつもりでしたが、あることが頭から離れません。
それは、今日のお出掛けの結果次第で、わたしの……えぇと……初キスの相手が決まると言う事実。
冷静に考えれば、そのような取り決めに従う必要などないんですけど、今更取り消すのもどうかと思いますし……。
だからと言って、大人しく従うのが果たして正解なんでしょうか……?
懊悩したわたしは、モヤモヤとした気持ちを胸に斬撃を繰り出しましたが、あっさりと弾かれてしまいます。
なんて迂闊な……!
ここまで大きな隙を晒しては、回避も防御も間に合いません……!
間違いなく襲い来るだろう衝撃を覚悟していましたけど、一色くんはその場から動きませんでした。
おかしいですね、いつもなら確実に攻めて来るところなのに……。
怪訝に思ったわたしは、ひとまず構え直しましたが、そこに冷たい声が響きました。
「ここまでにしよう」
「え……? ま、まだ時間はありますよ?」
「集中を欠いた状態で戦っても、無意味だ。 それどころか、マイナスだとすら言える」
「わ、わたしは集中を欠いてなど……」
「自覚がないのか? それなら猶更だ。 少し自分を見つめ直せ」
「……わかりました」
一色くんに、鋭利な刃のような言葉で斬り裂かれて、しょんぼりしてしまいました……。
そんなに、わかり易かったのでしょうか……。
落ち込んでいるわたしに構わず、彼はサッサと【刀】を解除しています。
本当に終わりなんですね……。
折角相手をしてくれたのに、申し訳なさでいっぱいです……。
思わず涙が込み上げて来ましたが、際どい所で堪えました。
すると一色くんは、無言でこちらに歩み寄って、目の前で立ち止まります。
お、怒られるのかもしれません……。
最悪、もう相手をしてもらえないのでは……。
内心でビクビクしつつ、甘んじて受け止める覚悟で俯いていると、彼は平坦な声を発しました。
「何があった?」
「へ……?」
「ここまで急な変化があったんだ、理由があるんだろう?」
「そ、それは……」
「言いたくないなら言わなくても良いが、今のままでは強くなることなど出来ない。 それが嫌なら、即刻改善するんだな」
「……はい。 必ず、今日中には解決します」
「……そうか。 なら、俺から言うことは何もない。 出掛ける準備もあるだろうから、早めに切り上げろ」
踵を返した一色くんが、訓練場を立ち去りました。
その背中を、わたしは何とも言い難い気分で見送ります。
気に掛けてくれたのは……う、嬉しいと言えなくもありません。
ただ、こればかりは、彼に打ち明けることは出来ませんでした。
わ、わたしの初キスになど興味ないでしょうけど、そのようなことで心が乱れていたと、知られたくないので……。
それに、宣言したことは出任せじゃないです。
どう転んだところで、この悩みは今日中に決着が付くでしょう。
それがわたしにとって、どのようなものかは知り得ませんけど……。
ですが、ある意味で開き直れた気がしますね。
万全の状態で一色くんと戦う為にも、乗り越えてみせます。
初キスが何だと言うのですか。
強くなる為なら、そのようなものに拘っていられません。
……本音を言えば、ちょっぴり気になりますけど……。
でも、天羽さんたちとなら、そんなに抵抗ありませんし。
女性同士と言うことも鑑みれば、ほとんど挨拶みたいなものじゃないでしょうか。
そうです、そうに違いありません。
無理やり自分に言い聞かせたわたしが、胸の前で握り拳を作っていると、天羽さんたちが近付いて来ました。
「無明、一色に何か言われたのか? もしそうなら、遠慮なく頼れ。 天羽家が全力で、奴を潰す」
「え……!? だ、大丈夫ですよ。 むしろ、助言をもらえました」
「それなら良いのだけど……。 彼、言い方が厳しいときがあるから。 夜宵さんが傷付いていないか、心配だわ」
「確かにねー。 ホント、何様って感じ! 夜宵ちゃん! もしイジメられたら、すぐに言ってね! あたしが、ぶっ飛ばしてやるから!」
「お、落ち着いて下さい、一葉ちゃん……!? ひ、光凜さんも、心配いりませんよ。 一色くんは皆さんが思っているより、ずっと良い人ですから……!」
血気盛んな3人を宥めるように、胸の前で両手を焦って振りました。
わ、わたしのことを思ってくれるのは有難いんですけど、一色くんを誤解するのはやめて欲しいですね……。
まぁ……彼の言葉が刺々しかったり、態度が不遜なのはその通りなんですけど……。
ただ、本質は凄く優しくて、思いやりに満ちていると思うんです。
さり気なく、いつも気に掛けてくれますし。
ご飯を作ったら、美味しいと言ってくれますし。
なんだかんだで、訓練に付き合ってくれますし。
……あれ?
改めて考えてみたら、わたしの望むこと全てを叶えてくれていませんか……?
だとしたら、それはどうして……。
「……ちゃん。 夜宵ちゃん!」
「あ……! は、はい、一葉ちゃん……!」
「もう、ボケっとしてどうしたの? 顔が真っ赤だよ?」
「な、何でもありません……! 訓練をしたせいで、少し体が火照っているだけだと思います……!」
「それにしては様子がおかしかったが……まぁ良い。 それより、一旦戻るぞ。 わたしもシャワーくらいは浴びたいからな」
「そうね、四季さん。 夜宵さん、何なら一緒に入る? 隅から隅まで、洗ってあげるわよ?」
「へ……!? ひ、光凜さんに、そんなことさせられません……! じ、自分で洗えますから……!」
「あら、そう? 残念ね」
「油断も隙もない陰険女ね! 夜宵ちゃん! やっぱり、今日は2人で出掛けようよ!」
「どさくさに紛れて、ふざけたことを言うな! 九条、貴様こそ留守番しておけ!」
「べーっだ! 四季ちゃんの言うことなんか、聞かないもんね!」
「この、小娘が……!」
舌を出して拒否の意を示す一葉ちゃんに、怒りの炎を灯す天羽さん。
どうしてこうも、すぐに喧嘩するんでしょう……。
発端となった光凜さんは、我関せずのスタンスを取っていますし、不本意ながら止めるしかないですね。
「そ、そこまでにして下さい。 5人で出掛けるのは、決定事項です。 時間も迫って来ましたし、そろそろ行きましょう」
「むー。 夜宵ちゃんが言うなら、仕方ないわね」
「九条め……。 わたしは最初から、そのつもりだ」
「やれやれ。 すぐに争うなんて、2人とも品がないわよ」
『貴様が言うなッ!』
肩をすくめてのたまった光凜さんに、天羽さんと一葉ちゃんが、揃って言い返しました。
もしかして、本当は凄く仲良しなんじゃ……?
そんな疑念を抱きつつ、ようやくして寮へと帰ります
3人と別れて部屋に戻り、一瞬だけ躊躇ってから中に入りました。
「た、ただいまです」
「お帰り」
挨拶すると、一色くんの真っ直ぐな声が返って来ました。
学院の正装とは違う、武道袴を着てくつろいでいます。
壁に背を預けて座り、瞳を閉じていました。
容姿端麗な彼は、それだけでも様になって……その……み、見惚れてしまいそうになります。
で、ですがそれは、芸術品を見て感動するとか、綺麗な景色を眺めた感覚に近いもので、決して異性としてどうと言う訳では……ありません。
す、少なくともわたしは、人を見た目だけで判断するタイプではないです。
……一色くんは内面も悪い人じゃないので、惹かれる人がいても納得ですけど。
あ……こ、これは一般論ですから、わたしがそうと言う話ではないですよ……!?
と、とにかく今は外出の準備です。
正装は言魂の力で清潔に保たれますが、汗をたくさんかいた体は洗う必要があります。
一色くんに……コホン……み、皆さんに、不潔だと思われたくないですし。
なんとなく恥ずかしくなったわたしは、モジモジしながら口を開きました。
「シ、シャワーを浴びて来ます」
「あぁ」
微動だにせず、一言だけ発した一色くん。
むぅ……わたしの入浴なんか、興味はないと言うことですか。
いえ、覗いて欲しいだなんてことは、天地が引っ繰り返ってもあり得ませんけど、全く気にしてもらえないのもちょっと……。
微かに憮然としながら、着替えを持って脱衣所に向かいました。
一応言っておくと、夜は湯船に浸かりますけど、朝はシャワーだけなんです。
手早く正装を脱いで丁寧に畳み、生まれたままの姿になりました。
すぐに浴室に入り、温度を調節して熱めのお湯を浴びます。
疲れた体に染み渡るようで、大きく息をつきました。
その後は、入念に石鹸やシャンプーで全身を清め、肌や髪の手入れに抜かりはありません。
これはわたし自身と言うよりは、母上から口酸っぱく言われて来た、習慣のようなものです。
何でも、将来の為に強さだけではなく、身嗜みにも注意しなさい……とのことでした。
昔はいまいちピンと来ていませんでしたが、今ならその意味がわかる気がします。
なんとなく、ですけど……。
そのとき、頭に浮かんだのは同室の少年。
手を止めてしまったわたしはハッとして、紅潮した顔を左右にブンブンと振りました。
さ、最後に見たのが彼だったからですね、そうとしか思えません。
内心で自分に言い聞かせ、大きく深呼吸してからシャワーを止めます。
浴室を出てタオルで水滴を拭い、着替えを手に取りましたが、そこで鏡が視界に入りました。
普段は意識しないんですけど、今日に限っては何故だか目が離せません。
鏡に映っているのは、いつもと変わらないわたし。
誇るつもりはありませんけど、客観的に見ても整った容貌をしていると思います。
体つきも女性としての魅力があると言えばありますし、周囲から称賛されるのも理解出来なくもありません。
い、一色くんも褒めてくれましたしね。
ですが……それだけでは足りないのでしょうか。
もっと天羽さんのように、堂々としている方が良いのかもしれません。
それとも一葉ちゃんのように、明るく元気な子が好みだったり?
あるいは光凜さんのように、冷静な感じとか。
彼に振り向いてもらうには、もっと別の何かが必要――
「て、そうじゃないでしょう……!?」
ゴン――と。
額を鏡にぶつけました。
い、痛いです……。
流石に割るようなことはありませんでしたが、結構な衝撃で涙が出て来ました。
赤くなった額を撫でつつ、深呼吸を繰り返します。
い、いったいわたしは、何を考えていたんでしょうか……。
気の迷いにしても、おかし過ぎます。
どうにも最近、調子が変ですね……。
戦闘技能に関しては、上達しつつあると思うんですけど、精神的に不安定と言いますか……。
だからと言って嫌な気分じゃなく、何とも不思議な感覚です。
取り敢えず、様子を見るしかありません。
方針を固めたわたしが、身支度を再開しようとすると、脱衣所のドアをノックする音が聞こえました。
ビクリと震えて悲鳴を上げそうになりましたが、口を両手で押さえてなんとか堪えます。
し、心臓が飛び出るかと思いました……。
まだドキドキしていますが、無視する訳にも行きません。
「は、はい……!?」
お、思い切り声が裏返ってしまいました……恥ずかしいです……。
救いがあるとすれば、彼がそのようなことを意に介していないことでしょうか。
自分で自分を抱き締めるようにしていると、平然とした声が届きました。
「大きな音がしたが、何かあったか?」
「な、何でもありません……! 大丈夫ですから、気にしないで下さい……!」
「わかった。 そろそろ時間だから、先に出ている」
「は、はい。 わたしも、準備が終わったら向かいます」
宣言通り部屋を出たようで、一色くんの気配が遠退きました。
そのことを察したわたしは、ホッと息を吐き出します。
ビックリしましたが、心配してくれたようですね……。
心が温かくなって、鏡を見ると頬が緩んでいました。
なんてだらしない顔なんでしょう……。
情けなくなりましたけど、それに反して喜びを抑え切れません。
母上が仰っていたのは、こう言うことでしょうか?
外の世界に出るのは大変ですが、幸せを感じることも多いです。
あ……い、一色くんが特別なのではなく、天羽さんたちとの触れ合いもそうですよ?
えぇ、そうに決まっています。
考えを纏めたわたしは、久しぶりに振袖を身に纏って、ルンルン気分で待ち合わせ場所に向かいました。