第11話 三姫一刀
そして翌日。
約束通りに早朝は一色くんと訓練……ではなく、わたしが一方的に挑み掛かり、それが終わってから教室に移動しました。
ヘトヘトになりましたけど、とても充実した時間だったと思います。
彼と斬り結ぶ度に、剣技の練度が上がるのを実感しました。
明らかに手加減されたのは不満ですけど……力を引き出せない、わたしが悪いですね。
それに、午後の授業に差し障らないようにするには、ちょうど良い塩梅でした。
……ひょっとして、一色くんはそのつもりだったんでしょうか?
考え過ぎかもしれませんが、彼は妙に優しいときがあるので、あり得なくもないです。
どちらにせよ、感謝するべきかもしれませんけど、タイミングを逃してしまいました……。
隣の席の彼をチラリと見ると、窓の外に視線を固定しています。
うぅ、話し掛け辛いですね……。
仕方ありません、今回は見送りましょう。
諦めたわたしが小さく嘆息していると、教室の引き戸が開かれました。
反射的に視線を向けた先にいたのは、堂々たる佇まいの天羽さん。
紛れもなく美人の彼女は、立っているだけでも絵になります。
本当に、素敵ですね。
密かに感心していましたが、こちらに気付いた天羽さんと目が合った瞬間、プイっと顔を背けられました。
な、何か粗相を働いてしまいましたか……?
これと言って心当たりはありませんけど、知らない間に不興を買ったのかもしれません……。
しかし、彼女から漂って来る雰囲気は、敵対的なものではないです。
顔が微妙に紅潮していることは、気になりますけど。
どうしたものか迷っていると、1つ咳払いした天羽さんが自分の席に着きました。
そこからは淀みなく、授業の準備をしています。
何だったんでしょう……?
疑問に思わないと言えば嘘になりますが、別のことも気になりました。
会話の切っ掛けになるかもしれませんし……ここは、思い切って聞いてみましょう。
「天羽さん、おはようございます」
「……ッ! お、おはよう。 何か用か?」
わたしに呼ばれた天羽さんは、ビクリと震えてから立ち上がり、こちらの席まで歩み寄って来ました。
えぇと……その場で聞いてくれて、良かったんですが……。
正面に立った彼女は、どことなく緊張した面持ちをしていて、何かあったのかと怪訝に思ってしまいます。
体調が悪いと言う訳じゃなさそうですけど……。
ま、まぁ、親交を深めるチャンスだと思うべきですね。
「その……早乙女さんたちは、一緒じゃないんですか?」
「む? あぁ、美紗たちは別で任務に就いている。 恐らく、数日は掛かるだろう」
「そうなんですか。 無事だと良いのですが……」
「心配するな。 3人とも、伊達や酔狂で『参言衆』などと呼ばれてはいない。 必ず戻って来る」
「……はい、天羽さんを信じます」
曇りなき眼で、断言する天羽さん。
はっきり言って、彼女の言葉には何の保証もないです。
ですが、本当にそうだと思わせる力が宿っていました。
自然と心が落ち着いて、微笑んでしまいます。
すると彼女は、目を丸くして頬を更に赤らめました。
まさか、熱でもあるんでしょうか……?
心配になったわたしは、躊躇しながら尋ねようとして――
「おっはよーッ!」
「きゃ……!?」
引き戸が乱暴に開かれ、大きな音を立てました。
び、びっくりしましたね……。
速くなった鼓動を鎮めるように、胸に手を当てながら目を転じると、教室の入口に知らない人が立っていました。
年の頃は、同世代でしょうか。
身長も、わたしと同じくらいです。
髪は三つ編みで、元気溌剌とした橙黄色の瞳。
とても可愛らしいです。
胸元は……若干勝っていますね。
い、いえ、勝ち負けを競うものじゃないんですけど……。
変なことを考えてしまいましたが、そのような場合ではありません。
わたしの見立てが正しければ、この少女は天羽さんと同等の実力者。
そして、特務組の一員であることを踏まえれば……。
などと考えていると、少女はこちらを見て目をパチクリさせ、何やら嬉しそうに口を開こうとしましたが、それが叶うことはありませんでした。
「入口で立ち止まらないで、猪娘」
「ふぎゃ!?」
背中を蹴飛ばされた少女は、顔から床にダイブしました。
い、痛そうですね……。
憐憫の情を抱きつつ、その原因となったもう1人の少女を見つめます。
年齢はたぶん、それほど変わりません。
身長はわたしより少し高いくらいで、髪は首の後ろで一つ括り。
理知的な銀色の瞳が、目を引きました。
蹴飛ばされた少女とはタイプが全然違いますけど、彼女も超が付くほどの美少女。
と言いますか、特務組は可愛い子ばかりじゃないですか……?
あ……わ、わたしがそうだとは言っていませんよ?
これだけ可愛い子が揃っていたら、一色くんも流石に動揺……していませんね……。
まるで関心がないかのように、今も外の景色を眺めています。
うぅん、彼は恋愛に興味ないんでしょうか?
べ、別に、わたしには関係のないことですけど。
……あ、それどころではありませんでした。
「だ、大丈夫ですか……?」
床に突っ伏したまま動かない少女に駆け寄り、恐る恐る声を掛けました。
すると彼女は身を起こし、ゆっくりと立ち上がって――
「何てことすんのよ、陰険女!? 痛いじゃないッ!」
「貴女が邪魔なところで、立ち止まるのが悪いのよ。 これでも少し待ってあげたのだから、感謝しなさい」
「ふざけんじゃないわよ! そんなの、口で言えば済む話じゃない! あんたのそれは飾りなの!?」
「良く言うわね。 口で言ったところで、大人しく言うことなんて聞かないでしょう? そんなの時間の無駄よ」
「だからって、蹴ることないでしょ!? あたしに何か、恨みでもあんの!?」
「恨みなんてないわ。 ただ、目障りなだけ」
「こんの……! あったま来た! ボコボコにしてやるわッ!」
「あら、面白いじゃない。 わたしに勝てると思っているの?」
「むしろ、負け方を教えて欲しいくらいね!」
「へぇ……良いわ、そこまで言うなら乗ってあげる」
両者ともに、凄まじい闘志を剥き出しにしています。
た、大変なことになりました……。
本音を言うと関わりたくありませんが、ここは勇気を出しましょう……!
「ま、待って下さい……! もう少しで授業が始まります……! ここは一旦、落ち着いて下さい……!」
「むぅ……仕方ないわね」
「……わたしとしたことが、少し冷静さを失っていたわ」
間に割って入ったわたしの必死の説得を受けて、2人は渋々矛を収めてくれました。
な、なんとかなりましたね……。
ドッと疲れましたけど、頑張って良かったです。
内心で安堵したわたしは席に戻ろうとしましたが、その前に少女たちから声を掛けられました。
「そう言えば、挨拶がまだだったわね! あたしは九条一葉! よろしく!」
「いちいち喧しいわね。 初めまして、わたしは神代光凜よ。 よろしくお願いするわ」
両手を腰に当てて名乗りを上げる九条さんと、右手を胸元に沿えて冷然とした声を発する神代さん。
予想はしていましたが、やはり『肆言姫』ですね。
九条家はヒノモトで最も武道に長けた家系で、神代家は最も剣技に長けた家系。
この両家は古くから、ライバル関係にあると聞いています。
ちなみに天羽家は何かに突出している訳ではないですけど、ヒノモト最大の家系で、あらゆる分野に関わっていると言っても過言じゃありません。
要するに、同じ『姫』などと言う呼称を使われてはいますが、わたしと違って彼女たちは正真正銘のお姫様。
もう1人の『肆言姫』も負けず劣らずですけど……今は良いでしょう。
「よ、よろしくお願いします。 わたしは――」
「無明夜宵ちゃんでしょ? 知ってるわよ!」
「え……ど、どうしてですか?」
「どうしても何も、あの四季さんに勝ったのだから、嫌でも耳に入って来るわよ。 わたしと猪娘が任務から帰って来たのは、昨日の夕方だけど、そのことで話は持ち切りだったわ」
は、話は持ち切り……。
言われてみれば、今日は周りからの視線の質が少し変わっていた気がしますね……。
何と言いますか、昨日はあからさまに疎ましく思われていたのが、今日は畏怖されているような感じでしょうか。
まぁ、あまり好ましくないのは変わりませんけど……。
それはそうと、訂正しておかないといけません。
「そうだったんですね……。 ですが、その認識は正しくないです」
「ん? 正しくないって、どう言うこと?」
「九条さん、わたしと天羽さんは引き分けだったんです。 わたしが勝った訳ではありません」
「そうなの? でも、貴女は確か言魂を持っていないのよね? それで良く、四季さんと渡り合えたものだわ」
「か、神代さん、実際には渡り合えたと言うほどでもないので……」
「でも、引き分けだったのよね? ねぇねぇ! どうやって四季ちゃんと戦ったの!?」
「わたしも気になるわね。 是非、詳しく聞きたいわ」
先ほどまでの喧嘩もどこへやら、息ぴったりに問い詰めて来る九条さんと神代さん。
いえ、まぁ、話すのは別に構わないんですけど……。
ただ、こうまで勢い良く来られると、尻込みしてしまいます。
とは言え、この様子では話すまで解放してくれそうもありません。
仕方なくわたしは、簡単に説明しようとしましたが、その前に言葉が差し込まれました。
「九条、神代、そこまでだ。 無明が困っているだろう」
「む、何よ四季ちゃん。 自分が負けた話を聞きたくないからって、邪魔しないでくれる?」
「猪娘と同意見なのは不本意だけれど、その通りね。 四季さんが負けるなんて滅多にないのだから、興味を持つのは当然でしょう?」
「負けではない! 引き分けだ! 勘違いするな!」
「そんな必死に否定しなくて良いじゃない。 どうせ、あたしには勝てないんだから、勝てない相手が1人くらい増えても別に良いでしょ?」
「ふん、誰が誰に勝てないだって? わたしは断じて、九条に劣っているとは思わない」
「そうね。 猪娘と四季さんなら、四季さんが上でしょう。 わたしには届かないけれど」
「神代も寝ぼけているようだな。 貴様にもわたしは、負けるつもりなどないぞ」
「ふーん。 四季ちゃん、相変わらず自信家だね。 陰険女はともかく、あたしにも勝てるだなんて」
「2人とも、現実を見た方が良いわよ。 強がれば強がるほど、惨めになるのだから」
「九条も神代も、任務で疲れているのだな。 そのような妄言を吐くとは。 どうしてもと言うのなら、誰が『肆言姫』最強か決めようではないか」
天羽さんも混ざって、視線で激しく火花を散らせる同級生たち。
と言いますか、『肆言姫』最強を決めるなら、1人足りないのでは?
……じゃなくて、このままでは大変なことになります……!
下手をすれば校舎が半壊……いえ、全壊しかねませんよ……!?
どうしましょう、先生を呼んで来るべきでしょうか?
いえ、ですが、その間に戦いが始まってしまったら……。
せめて訓練場に行って欲しいですけど、そのような気はなさそうですし……。
こ、こうなったら、わたしが止めるしか――
「滑稽だな」
突然、教室に冷たい声が響きました。
思わずと言ったように、わたしを含めた4人が振り向いた先にいたのは、嘲笑を浮かべた一色くん。
椅子に座ったまま、こちらを……いえ、天羽さんたちを眺めています。
い、いつもながら、なんて不遜な態度なんでしょう。
見ている方が怖くなりますが、今回ばかりは助かったかもしれませんね……。
過程はどうあれ、なんとか乱闘を防げたのですから。
ただ……これで済むとは思えないです。
案の定、気分を害したように、天羽さんが言い返しました。
「一色、滑稽とはどう言う意味だ?」
「言葉通りだ。 くだらない言い争いなんか、滑稽でしかない」
「何よあんた! 初対面でいきなり、失礼過ぎない!? ちょっとカッコ良いからって、調子に乗らないでよね!」
「猪娘は黙っていて。 でも、確かに言葉が過ぎるわね。 そもそも、貴方は誰なの?」
「名前は一色透真。 言魂は【刀】。 昨日から特務組に配属された」
「【刀】が特務組? 四季ちゃん、ホントなの?」
「残念ながら本当だ、九条。 だが、本当に特務組に相応しい実力を持っているのか、わたしはまだ疑っている」
「あ、天羽さん、それなら大丈夫ですよ。 一色くんは、わたしよりも圧倒的に強いですから」
「ふむ……。 無明がそう言うなら、信じてやっても良いが……」
「あら、随分と素直ね。 四季さん、何かあったのかしら?」
「な、何もないぞ、神代!?」
何故だか天羽さんは、顔を真っ赤にして両手を胸の前でブンブン振っています。
同時にこちらをチラチラ見ていますけど……どうしたんでしょうか?
わたしの頭は疑問でいっぱいでしたが、九条さんと神代さんは何かに気付いたらしく、どことなく意地悪そうに口を開きました。
「へー、あの四季ちゃんがねー」
「本当に、意外ね」
「え? 何がですか?」
「あれ? 夜宵ちゃん、気付いてないの?」
「えぇと……九条さん、何の話でしょう?」
「だから、四季ちゃんは夜宵ちゃんのことを――」
「九条ッ! 今すぐ黙らないと、口に『雅美』を突き込むぞ!?」
噛み付かんばかりに叫喚を上げながら、槍を構える天羽さん。
あの槍、『雅美』って名前だったんですね。
頭の片隅でそのようなことを思いつつ、わたしが何に気付いていないか気になっていましたが、その答えを得る前に再び冷え切った声が発せられました。
「いい加減にしてくれ。 お前たちは仮にも、ヒノモトの最高戦力なんだろう? そんなことで、魔族たちに勝てるのか?」
「仮じゃないわよ! 正真正銘、最高戦力だっての!」
「九条、今のところ、到底そうとは思えない」
「言ってくれるわね。 少なくとも、【刀】の貴方よりは上だと思うけれど?」
「お前も言魂で物事を判断するタイプか、神代。 どこぞの『肆言姫』と同じだな」
「……わたしがそうだったことは、認めよう。 言魂が全てではないと、昨日思い知った。 しかし、それと貴様が強いかどうかは、別の話ではないか?」
「確かに天羽の言う通りだ。 そこで提案がある」
「提案? 何よ?」
眉根を寄せて問い掛けた九条さんに対して、一色くんは席に着いたままニヤリと笑いました。
ま、まさか……。
嫌な予感がしましたが、時既に遅しです。
「午後の授業で、纏めて相手をしてやる。 それで俺に勝てないようなら、二度と不毛な言い合いはするな」
「纏めてって……3対1ってこと!?」
「わたしたちを、舐めているのかしら……?」
「一色……貴様、後悔するぞ?」
「後悔させられるものなら、させてみろ。 もしお前たちが勝てたら、何でも言うことを聞いてやる。 とにかく、今はここまでだ。 それとも授業の妨害をして、罰則を受けたいか?」
どこまでも強気な一色くんの言葉に、天羽さんたちは怒り心頭と言った顔付きになっています。
それはそうでしょうね……。
もっとも、当の本人はどこ吹く風で、また外を見ているんですけど……。
この場では何を言っても無駄だと悟ったのか、天羽さんたちは無言で視線を交換してから、自席へと向かいました。
な、なんとか収まりましたけど……これでは、解決とは言えません。
いくら一色くんでも、『肆言姫』3人を同時に相手するなんて、大丈夫なんでしょうか……?
訓練場では大怪我を負ったりしないとは言え、度が過ぎれば衝撃が計り知れないことは、身をもって知っています。
彼が自分で蒔いた種なのですから、自業自得ですが……正直、心配ですね。
なんとか無事に終わることを、わたしは胸中で強く願うのでした。