第10話 引き分けの代償
目を覚まして最初に視界に映ったのは、見覚えのない天井でした。
ここはどこでしょう……?
ボンヤリとする頭でそのようなことを考えながら、ゆっくりと身を起こします。
布団に寝かされていたようですが、やはりここがどこかわかりません。
さほど広くもない部屋で、薬品の匂いが特徴的。
もしかして、医務室でしょうか?
ですが、どうして医務室に……あ……。
えぇと……確かわたしは天羽さんと決闘して、勝った……と言うには微妙ですけど、とにかく倒すことは出来たんでした……よね……?
途中から記憶が曖昧で、自信がないです……。
ま、まずは誰かから、状況を聞かないといけません。
そう考えた瞬間、引き戸が軽くノックされました。
思わずビクリとしてしまいましたが、好都合ですね。
深呼吸して気を落ち着けてから、返答しました。
「は、はい」
「あ、目が覚めたのね。 入っても良い?」
「橘先生……? ど、どうぞ」
わたしの言葉を聞いた橘先生が入室して来ましたが、彼女は1人じゃありませんでした。
意外……でもないですね。
彼女の背後に立っているのは、天羽さん。
何とも言い難い複雑な表情をしていますけど……気のせいか、敵対的だった雰囲気はなくなっています。
そのことにどう反応するべきか、迷ってしまいました。
布団の上のわたしと、見下ろして来る天羽さん。
気まずい沈黙が流れていたところ、橘先生が傍に座って視線を合わせながら、問い掛けて来ました。
「体調はどう? どこか痛いとか、具合の悪いところはない?」
「えぇと……大丈夫です。 反動で少し体が重いですけど、大したことありません」
「反動って、天羽さんを倒した最後の技の?」
敢えて「天羽さんを倒した」と強調した橘先生。
いえ、そう言うことはやめて欲しいのですが……。
恐る恐る天羽さんの様子を窺うと、案の定と言いますか、憮然とした面持ちになっています。
わたしのせいじゃない……ですよね?
と、取り敢えず、橘先生の問に答えましょう。
「はい。 溜めた魂力を無理やり放出するので、どうしても体に負荷が掛かるんです」
「なるほどね。 でも、どうして最初に使わなかったの? そうすれば、無傷で天羽さんに勝てたかもしれないのに」
また、そう言うことを……。
視界の隅で天羽さんの片眉が跳ねるのが見えましたが、気付かぬふりをしておきましょう。
「あれは切り札のようなものでしたし、もし避けられてしまえば、2度目はないと思っていましたから。 反動のことも考えると、安易に使うことは出来ません」
「確かに仕留められなかったら、反動を受けた状態で戦わないといけないものね」
「その通りです。 天羽さんを相手に、それはほぼ敗北を意味します」
「納得したわ。 天羽さんは? 他に聞いておきたいこととか、言っておきたいことはあるかしら?」
橘先生に水を向けられた天羽さんは、黙ってこちらを凝視していました。
な、何を言われるんでしょう……?
戦々恐々としたわたしは、固唾を飲んで彼女の言葉を待っていましたが――
「引き分けだ」
「へ……?」
「先に倒れたのはわたしだが、目を覚ましたのはわたしの方が早い。 だから、引き分けだ。 文句ないな?」
「……はい」
断固として譲る気配のない天羽さん。
どこまでも、プライドの高い人ですね……。
まぁ、それだけの実力と実績があるんでしょうけど。
そもそも、彼女が全力を出せないように仕向けた訳ですし、そのことを思えば実質負けです。
などと考えていると、天羽さんが急に落ち着きなく、視線を彷徨わせました。
どうしたんでしょう?
何か聞こうとして聞けない……そのように見えました。
小首を傾げて橘先生を見ても、彼女はニコニコ笑うだけ。
ますます不思議になっていると、意を決したかのように天羽さんが口を開きます。
「『無字姫』……いや、無明。 わたしの言魂が何かわかっていると言うのは、本当か?」
「あ……はい。 恐らく、ですが……」
「そうか……。 答え合わせしてやる、言ってみろ」
「え、ここでですか……?」
「心配するな。 橘先生は、既にご存知だ。 特務組の担任なのだから、当然だろう?」
「そう言うこと。 だから無明さん、遠慮しなくて良いわよ」
「……わかりました。 では……」
そうしてわたしは、自身の答えを述べました。
対する天羽さんたちは目を見張って、驚いているようです。
どうやら、間違いありません。
内心で安堵していると、硬い顔付きの天羽さんが尋ねて来ました。
「どうしてわかった? わたしの隠匿発動を、見破ったと言うのか?」
「いえ、隠匿発動は完璧だったと思います。 文字は全く見えませんでしたから」
「だったら何故だ? 貴様はいったい、何をした?」
天羽さんは本気で謎が知りたいらしく、必死に問い質して来ました。
橘先生も、興味深そうな眼差しを向けて来ています。
既に彼女の言魂を知ることが出来ましたし、絡繰りを教えること自体は構いません。
ただ……本当に単純な方法なんです。
ですから、凄い仕組みがあると思っているなら、期待外れになってしまう可能性も捨て切れませんが、ここは正直に明かすべきですね。
「指の動きを追いました」
「指の動きだと……?」
「そうです。 いくら隠匿発動を使おうと、言魂を使うには必ずその文字を書かなければなりません。 なので、そこに注意していました」
「馬鹿な。 自分で言うのも何だが、わたしが文字を書く速さは目視出来るようなものではない」
「確かに簡単じゃありませんでしたけど、わたしは目が良いので」
「……本当にそれだけか?」
「はい」
「そうか……」
それっきり、天羽さんはおとがいに手を当てて、何事かを考え始めました。
何にせよ、わたしの言葉には一定の理解を示してくれたようです。
そのまま時計の秒針が1回転するほどの時間が経ち、再び天羽さんが口を開きました。
「貴様に出来たと言うことは、他の者にも知られるかもしれない。 今後は、更に発動時間の短縮に励もう」
「良いと思います。 ただ、速さに拘り過ぎて文字が雑になってしまえば、発動失敗のリスクがあるので、その辺りは気を付けて下さいね」
「ふん、何を当たり前のことを言っている。 その程度のこと、言われるまでもない」
「そ、そうですよね……。 すみません……」
腕を組んで居丈高に言い返され、縮こまってしまいました……。
天羽さん、背が高い上に見下ろして来ているので、迫力が半端じゃないです……。
布団の上でしょんぼりとしていると、クスクスとした笑い声が聞こえて来ました。
発生源は橘先生です。
笑いごとではありませんよ……。
思わず恨めしい気持ちになりましたが、そこで今度は別の視線を感じました。
目を転じると、天羽さんがまたしても落ち着きをなくしています。
先ほどから、らしくありませんね?
不思議を通り越して不審になって来ましたが、天羽さんの口から思わぬ言葉が飛び出しました。
「……すまなかった」
「……はい?」
「だから……すまなかった。 わたしは言魂を持たない貴様を、弱者だと決め付けていた。 だが、手を合わせて確信した。 貴様は強い」
「そ、そんな、謝らないで下さい。 わたしが言魂を持たないのは事実ですし、そう考えるのが当然です。 それに、天羽さんは全力じゃなかったではないですか」
「確かにわたしが本気だったら、また違う結果になったかもしれない。 しかし、それは仮定の話だ。 現実に貴様はわたしの力を制限する策を用いて、打ち倒してみせた。 敵ながら見事と言わざるを得ない」
「あ、有難うございます……」
「言魂を持たない貴様を、言魂士と呼んで良いかは議論の余地があるが……特務組に相応しい使い手なのは間違いない。 改めて、よろしく頼む」
「あ……こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
握手を求めて来た天羽さんの手を、身を起こした体勢で握りました。
本当なら立ち上がるべきなんでしょうけど、まだ体が重くて……。
その代わりに、なるべく親しみ易い表情を心掛けました。
すると彼女は、何やら目を丸くして頬を朱に染めています。
そ、そんなに変な顔でしたか……?
不安に思っていると、橘先生がニヤニヤしながら、良くわからないことを言い出しました。
「あら? 天羽さんって、そっちなの?」
「た、橘先生!? な、何を仰っているのですか!」
「その慌てよう、ますます怪しいわね。 でも心配しないで、わたしはそう言うの肯定派だから」
「何のことか、わかりかねます! 用があるので、失礼します! 無明! 今日はゆっくり休んで、万全の状態に戻せ! また明日会おう!」
一方的に言い捨てた天羽さんは、大慌てで医務室を出て行きました。
何だったんでしょう……?
橘先生に聞いても無駄でしょうし、この謎はそのままにしておくしかなさそうです。
いまいちすっきりしませんが、体の状態は戻って来ましたね。
わたしも、そろそろ戻りましょうか。
「橘先生、わたしも失礼します」
「もう大丈夫なの? 無理せず、ゆっくりして行って良いのよ?」
「有難うございます。 ですが、もう平気なので」
「そう。 わかったわ、気を付けてね」
「はい。 お世話になりました、明日の授業もよろしくお願いします」
そう言って立ち上がったわたしは、丁寧に頭を下げます。
すると橘先生は、笑顔で手を振ってくれました。
こうしている限りは、素直に優しい先生だと思えるんですけど……。
内心に複雑なものを抱えつつ、医務室をあとにして校舎の外へ。
かなり時間が経っていたらしく、夕焼け空が広がっています。
他の生徒たちの姿はありませんけど、訓練場の方からは大きな音が響いて来ました。
たぶん、自主的に訓練している人もいるんでしょうね。
わたしとしても、出来ればそうしたかったですが、今日は体調の快復に努めるべきです。
自分に言い聞かせたわたしは、寮への道を歩き始めました。
そのとき――
「良く眠れたか?」
「ひゃ……!?」
校舎の死角に隠れていた……かどうかは定かじゃないですが、見えない場所からいきなり声を掛けられました。
し、心臓に悪いですね……。
いったい誰が……と思うこともなく、既に正体は判明しています。
「い、一色くん? 何をしているんですか?」
悪びれることもなく現れたのは、いつもの如く感情が窺えない一色くん。
わたしとしては当然の疑問を投げ掛けましたけど、答えてくれる素振りはないです。
こちらをジッと見つめて来て、とても気まずくなりました……。
こ、ここはもう1度、聞くべきでしょうか?
それとも、辛抱強く待った方が良いんでしょうか……。
判断に迷って口ごもっていると、一色くんは前触れなく踵を返して、淡々と言い放ちました。
「帰るぞ」
「え……あ、はい……」
反論を許さない口調で言われて、思わず返事してしまいました。
何なんですか、もう……。
正直なところ不服ですけど、彼はわたしに構うことなく足を踏み出しました。
溜息をついて、仕方なくあとを追い掛けます。
今朝とは違い、重苦しい沈黙が落ちて、なんとなくいたたまれなくなりました……。
ですが、行き先が同じなので、どうすることも出来ません。
うぅん、何か話題はないでしょうか……。
あ……そう言えば、確認しておくことがありましたね。
一色くんがどう考えているかは不明ですけど、わたしにとっては大事なことです。
深呼吸して決意を固めたわたしは、若干硬い声で呼び掛けました。
「い、一色くん」
「何だ?」
「その……わたし、天羽さんとは引き分けになったんですけど……明日以降の訓練はどうなるんですか……?」
追い付きたい相手と訓練をするのが、果たして正しい選択なのかはわかりません。
それでも、彼と訓練をすれば、確実に今より成長出来ると思うんです。
だからこそ、なんとかして約束を取り付けたいんですけど、肩越しに振り返った一色くんは、微妙な返事をしました。
「今朝と同じ時間に、訓練場に来い」
「え……と言うことは……」
「早合点するな。 天羽に勝てたらと言う約束だった以上、お前の訓練に付き合うつもりはない」
「そ、そうですか……」
「ただ、勝手に俺を攻撃するのは許す。 そして俺は、それに対して反撃する」
「それって……実質的には訓練なのでは……?」
「お前がどう思うかは自由だ。 言っておくが、俺は一切の助言などはしない。 あくまでも、反撃するだけだ」
「……充分です」
むしろ、望むところです。
一色くんから教えを受けるより、戦いの中で何かを掴む方が、自分の為になると思いますから。
胸の内に熱い闘志が燃え盛るのを感じていると、彼は視線を切って歩みを再開させました。
背は高い方ですが、飛び抜けて逞しいと言う訳ではないにもかかわらず、異様に大きく見える背中。
わたしと彼との間には、埋め難い差があるのは重々承知しています。
しかし、それは現時点での話。
どれだけ掛かろうと、いつか辿り着いてみせます。
あ……む、無意識のうちに、一色くんの背中に手を伸ばしてしまいました……。
気付かれていませんよね……?
ご、誤解しないで欲しいんですけど……べ、別に彼を欲しているとか、そう言うことはありません。
ただ単に、わたしは一色くんを目標にしているだけです。
それ以外の思惑などないと、強く主張させて下さい。
……誰に言っているんでしょうね。
と、とにかく、今後も彼と戦う権利を得ることは出来ました。
生半可な覚悟ではいけませんが、強くなる糧としましょう。
改めて決心していると、いつの間にか寮に到着していました。
ひとまずは、夕飯の準備ですね。
この時間なら購買が開いているでしょうから、そこで材料を調達しましょう。
そう考えたわたしは、自室とは違う方に向かいましたが、何故か一色くんも付いて来ています。
何か買うんでしょうか?
内心で疑問に思いつつ、購買で食材を吟味しました。
同じ値段でも、質が違ったりするんですよ。
その辺りの見極め方は、母上から教わりましたから、目利きには自信があります。
なるべく安くて良い食材を選んで、代金を支払って購買をあとにし――買い物袋を取り上げられました。
何が起こったのかわからず、キョトンとしているわたしの目に飛び込んで来たのは、泰然とした一色くん。
右手には奪った買い物袋を握っており、何も言わずに歩き出しました。
えぇと……まさか、荷物持ちの為に一緒に来てくれたんでしょうか……?
いえ、そうとしか考えられないんですけど……。
本当に、彼の思考は理解不能です。
……あ、それよりお礼を言わないと……!
「あ、有難うございます」
「礼を言われるほどのことじゃない」
「ですが、炊事はわたしの担当なのに……」
「実際に作るのはお前だが、買い出しくらいは手伝う。 ましてや、今は体調が良くないみたいだからな」
足を止めないまま、言い切られました。
一色くんらしいと言えばらしいですけど……あれ?
もしかして……。
「あの……校舎の外にいたのって、わたしを待ってくれていたんですか……?」
「だとしたら何だ?」
「い、いえ、どうしてかなと……」
「お前が食事を作れないほど消耗していたら、自分で用意する必要がある。 それを確認する為だ」
「そ、そう言うことですか……」
つまり、わたしを心配してくれていた訳じゃないんですね……。
べ、別に、何かを期待していた訳ではないですよ?
ただ……ほんの少しだけ、残念に思ってしまいました。
ほ、本当に少しだけです。
それなのに、無性に涙が溢れそうになりました。
きっと、友人だと思っていたのは、わたしだけだと感じたからでしょう。
それ以外に、理由は見当たりません。
それ以外には……。
何故かショックを受けてしまったわたしは、立ち止まって俯き――
「補足するなら、訓練をするつもりなら止めるつもりだった」
「え……?」
「天羽との決闘で、お前はかなり消耗している。 その状態で訓練しても、逆効果だからな」
「そ、それは……わたしを案じてくれたんですか……?」
驚きに顔を振り上げて問いましたが、返事はありませんでした。
ただ、歩く速度が若干上がった気がします。
照れている……のでしょうか……?
彼がそのような感情を抱くのは、あまり想像出来ません。
ですが、だとしたら……少し可愛らしく思います。
ほ、本人に言ったら、睨まれそうですけど……。
思わず苦笑をこぼしたわたしは、急いであとを追い掛けました。
そして、彼の斜め後ろ辺りまで来てから、宣言します。
「今日も、美味しいご飯を作りますね」
「……頼んだ」
一色くんが振り向くことはありませんでしたが、一呼吸置いてから発せられた声は、平坦ながらどこか優しさが含まれていました。
やはり彼は、決して悪い人じゃありません。
またしても苦笑を漏らしつつ、穏やかな気持ちで自室に帰りました。
ここまで有難うございます。
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