第9話 肆言姫の試練
そして、あっと言う間に実技の授業がやって来ました。
考え事をしていたせいで、お弁当の味が全然わかりませんでしたね……。
それはそれとして、改めて訓練場をぐるりと見渡してみました。
試験のときは気付きませんでしたが、たくさんの先生方がいて、生徒たちをチェックするようです。
いくら自由に訓練して良いとは言え、あまりにも手を抜いていると、罰則が科されるのだとか。
また、場合によっては、助言などをすることもあるそうですね。
まぁ、今日のわたしには、どちらも関係のないこと。
先ほどから天羽さんが、ずっとこちらを睨み付けて来ています。
近くには早乙女さんたちの姿もありますけど、今のところ声を掛けている素振りはありません。
もしかして、余計な口出しをしないように、天羽さんから釘を刺されているんでしょうか?
一方のわたしはと言うと、唯一の友人……と言っても良いですよね……?
と、とにかく一色くんが近くにはいますが、やはり何も言って来ません。
ただ、彼には早朝に訓練してもらいましたし、隠匿発動のことを聞きました。
それだけでも、大きな手助けを受けたと言えます。
彼の為にも……とまでは言いませんが、頑張りましょう。
入念に準備運動をして、『葬命』の状態を確かめていると、遂にそのときがやって来ます。
訓練場全域に響き渡るような、鐘の音が鳴りました。
その瞬間――
「ふッ……!」
「ほう……」
天羽さんが、遠い間合いから踏み込んで、超速の刺突を放ちました。
やはり、来ましたね。
開始直後を狙って来る可能性を考えていたわたしは、難なく弾き返すことに成功します。
とは言え、今の攻防だけでも天羽さんの実力は、相当高いと察せられました。
ただし……一色くんには及びません。
決め付けるには早いと思われるかもしれませんけど、自信を持って言えます。
もっとも、それは言魂を含めない場合。
彼女の真骨頂が言魂であるなら、最低限この時点で後れを取る訳には行きませんよ。
「やぁッ……!」
「む……!?」
先手必勝。
格上を相手に守りに入っては、勝ち目はありません。
そう自分に言い聞かせて、果敢に斬り込みました。
最短距離を走って抜刀し、逆袈裟に振り抜きます。
天羽さんは驚いた反応を見せましたが、辛うじて槍で防がれました。
そう簡単には行きませんね。
ですが、まだまだこれからです……!
「はッ……!」
「く……!」
斬り上げからの、袈裟斬り。
全く同じ軌道を往復するように、斬撃を放ちました。
天羽さんの武器が槍である以上、内側に入り込めばこちらに分があるはずです。
実際、彼女は反撃する余裕はないようで、後方に跳躍することで避けました。
しかし、それは予測の範疇です。
飛び退いた天羽さんを追い掛ける形で、全力の踏み込みを敢行して、『葬命』を真一文字に振り抜きました。
またしても驚いた様子の天羽さんですが、強気な眼差しで叫喚を上げます。
「調子に……乗るなッ!」
「……ッ!」
槍をコンパクトに振り上げることで、『葬命』を弾いてわたしに後退を強いました。
今のタイミングで止められられるとは、やりますね……。
侮っていたつもりはないですが、今一度気を引き締め直した方が良さそうです。
対する天羽さんも、こちらを忌々しそうに見ていました。
本当に強気な人ですね。
『葬命』を油断なく構えながら隙を窺っていると、今度は天羽さんが攻め入って来ました。
「はぁッ!」
気を吐きながら繰り出された刺突は、見事と言うほかありません。
ただ……恐れるほどでもないです。
小さくサイドステップするだけで、冷静に対処しました。
わたしが顔色1つ変えなかったことに腹が立ったのか、天羽さんが選んだのは怒涛の連続突き。
途轍もない手数ですが、負けませんよ。
可能な限り回避して、どうしても間に合わないときは『葬命』で弾きます。
攻撃が当たらないことに、天羽さんは苛立ちを募らせたように見えました。
そして、わたしが狙うのは、まさにそこ。
微かに予備動作が大きくなったのを見逃さず、反撃に転じます。
天羽さんの刺突を紙一重で躱しつつ、『葬命』を胴に走らせました。
急激な変化に対応し切れなかった天羽さんは、必死に体を捻ってやり過ごそうとしていましたが、間に合いません。
切っ先が脇腹を捉え、互いにとって初めての一撃。
訓練場のお陰で怪我はありませんが、天羽さんは斬られた脇腹を押さえて、悔しそうにしています。
とは言え、先手を取れたのは良いですけど、この結果はわたしにとっても不本意なもの。
出来れば、今ので決めたかったのが本音。
まぁ、『肆言姫』を相手に、そう都合良くは行きませんよね……。
恐らく、ここからが本当の戦いです。
内心でそう考えていると、天羽さんが深く息をついて、不機嫌そうに声を発しました。
「……ふん。 認めたくはないが、確かにそれなりには出来るらしい」
「有難うございます。 天羽さんも、流石は『肆言姫』ですね」
「おだてるのはやめろ。 現時点では、誰が見ても貴様が押している。 だが、それも終わりだ」
宣言した天羽さんが、右手の人差し指と中指を真っ直ぐに伸ばします。
いよいよですね……。
警戒の度合いを限界まで引き上げていると、周囲の生徒たちはどよめいていました。
早乙女さんたちも、僅かばかり表情を硬くしています。
唯一、一色くんだけは平然としていました。
本当に……相変わらずですね。
彼を見ていると、何故か勇気付けられてしまいます。
有難いことなのですが、なんとなく悔しい思いもあったり……。
な、などと考えている場合ではありません。
意識を切り替えたわたしは、全神経を集中させ――
「行くぞ、『無字姫』」
風が荒れ狂いました。
【風】の言魂士は比較的多いですし、二文字なら【疾風】や【突風】などもいます。
しかし天羽さんの力は、そう言った人たちとは次元が違うように感じました。
詳細はまだ不明ですけど、風を媒介にしていると言うのなら、真っ先に注意するべき点があります。
「さぁ、付いて来られるか?」
ゆらりと右手を持ち上げた天羽さんが、手刀のように振り下ろしました。
わたしとの距離はかなりあるので、届く訳がありませんが、当然無駄な行動ではありません。
咄嗟に転身したわたしの傍を、不可視の刃が通過します。
風と言えば、やはりこれは基本ですよね……。
ですが、威力、速度、隠密性……どれをとっても、凄まじい一撃でした。
事前に用意していなければ、今ので終わっていたかもしれません。
もっとも、これは序の口に過ぎないでしょう。
「良く避けた。 では、次だ」
そう言いながら、今度は腕を十字に振るう天羽さん。
同じ軌道で襲い来る、交差した風の刃。
初撃よりも避け難いですが、タイミングを見計らって『葬命』で迎撃。
重いですね……!
天羽さんは何気なく繰り出していましたが、とんでもない威力です。
それでも……受けられないことはありません。
渾身の力で風の刃を打ち消し、出来れば一息つきたいところでしたけど、そのような考えは甘え。
「やるな。 だが、これならどうだ?」
天羽さんが、連続で腕を振るいました。
その挙措は優雅で、とても美しいです。
ただし、引き起こされるのは暴力的な事態。
「う……!」
数多の風の刃が飛来し、体を掠めました。
深刻なダメージだけは受けないように防ぎましたけど、わたしの刀よりも彼女の腕の方が、振られるのが速いです。
結果として手数が足りず、完全に相殺することは出来ません。
これは、かなり厳しいですね……。
ただ、辛うじて致命傷は避けられます。
魂力に限りがある以上、いつかは息切れするはずで――
「浅はかだぞ、『無字姫』。 この程度なら、わたしは丸一日戦える」
「……そうですか」
「それ以前に、いつまでも耐えられると思うな」
悠然と立ったまま、尚も腕を振り続ける天羽さん。
まだまだ本気には、ほど遠いようです。
このまま守りを固めても勝てませんが、だからと言って無理をしても、斬り刻まれるだけ。
我慢のときですね……。
現在進行形で必死に『葬命』を振り乱し、大きな被弾だけは避け続けました。
しかし、そのとき感じたのは、背筋が凍るような殺気。
背後から。
考えるより先に、横に跳びました。
そのまま地面を転がって、立ち上がると同時に後方に跳躍。
あ、危なかったですね……。
風を使った攻撃と言うことで、不意打ちを警戒していたのが、功を奏しました。
天羽さんは腕を振って風の刃を放っていましたが、必ずしもそれが必要だと決め付けなくて良かったです。
彼女としても仕留める気だったらしく、手を止めて渋い顔をしていました。
それを凌げたのは、誇らしい思いではありますけど……依然として不利なのはわたし。
大きく息を吐いて、『葬命』を構えます。
こうなったら、賭けに出るしかありません……。
真っ直ぐに天羽さんを見つめて、言い放ちました。
「『肆言姫』の言魂、やはり凄いですね。 同じ【風】系統の言魂と比べても、格段に強力だと思います」
「ふん。 負けを認めるなら、ここでやめておいてやるぞ?」
「そうは行きません。 まだ、三文字も残っているんですから」
「……何を言っている?」
「白を切る必要はないですよ。 わたしは、天羽さんの言魂が何かわかっています」
「嘘をつくな。 わたしは――」
「隠匿発動を使えるのですよね? 確かに文字は見えませんでしたが、言魂を知る術は他にもあります」
「……隠匿発動を知っているのか。 だが、だからと言って、貴様の言葉を鵜呑みにする訳にはいかんな」
「でしたら、ここで言いましょうか? 大声で。 そうすれば、嘘か本当かはっきりします」
ともすれば挑発、あるいは脅しとも取れる、わたしの発言。
ド、ドキドキしますね……。
しかし、効果はあったようでした。
もしも、わたしが本当に言魂を暴露してしまえば、生徒たちの多くが知ることになるでしょう。
隠匿発動を使用してまで秘密にして来た意味が、なくなってしまいます。
実際、生徒たちは興味津々と言った様子でこちらを窺っており、何なら先生方も同様でした。
天羽さんに、わたしの言葉の真偽を確かめることは出来ないでしょうから、苦々しい顔をしています。
これなら、行けるかもしれません。
若干卑怯な手段ではありますけど、作戦の一環と言うことで許して下さい。
胸中で言い訳したわたしは、天羽さんに『葬命』を突き付けて言葉を連ねました。
「まぁ、このまま風しか使わなければ、わたしの主張は通らないでしょうね」
「『無字姫』、貴様……!」
「それとも、他の力も使いますか? わたしはそれでも構いませんが」
「……良いだろう。 貴様ごときに、本気を出すまでもない。 このまま押し切ってやる」
周囲に風を起こし、怒髪天を衝く勢いの天羽さんに対して、わたしは澄まし顔を返しました。
ほ、本当は怖くて仕方ないですけど……。
ただ、お陰で天羽さんの攻撃手段を限定することには、成功しましたね。
そこで視線を感じてチラリと目を向けると、一色くんがニヤリとした笑みを浮かべています。
どことなく、悪い顔に見えました……。
恐らく、わたしの考えを見透かしたのでしょう。
本当に、察しの良い人ですね。
思わず苦笑してしまいましたが、気を抜くことは出来ません。
これ以上の状況悪化を防げたとは言え、現時点でも相当辛いんですから。
ですがそれは、百も承知。
1つ深呼吸することで覚悟を固め、強く宣言しました。
「行きます……!」
「来い」
堂々たる天羽さんに向かって、全力で接近。
腕を振る必要がないことが、こちらに明らかになった為、彼女は槍を構えたまま風の刃を繰り出して来ました。
そのせいで軌道を読むことが難しくなっており、被弾のリスクが跳ね上がっています。
微妙な空気の揺らぎに反応して、なんとか大ダメージだけは避けていますが、近付けば近付くほど危険。
それでも、前に出るしかないんです。
全身を走る痛みに歯を食い縛りつつ、『葬命』と身のこなしを併用して風の刃を掻い潜ると、刺突の雨が待っていましたが……それはこちらの得意分野。
言魂を用いない攻防でなら、決して引けを取りません。
と言いますか、そうでなければ話にならないでしょう。
天羽さんの槍をことごとく避けながら更に踏み込み、ようやくわたしの間合いに到達しました。
反射的に安堵しかけましたけど、まだ入口に立ったばかり。
ここからやっと、反撃が始まります。
渾身の力を込めて、『葬命』を一閃。
天羽さんは防御が間に合わず、今度こそ彼女の胴を斬り裂こうとして――
「甘いぞ、『無字姫』」
刃が寸前で止まりました。
これは……風の障壁……!?
攻撃ばかりに意識を取られていましたが、これくらいは予想しておくべきでした……!
しかし、今更言っても詮無いこと。
なんとか仕切り直すしかありません。
刹那の間にそう判断して、思い切り後方に跳び退ります。
ところがそこには、天羽さんの罠が仕掛けられていました。
「甘いと言っただろう」
全周囲に吹き荒ぶ、風の刃。
まるで、風の結界ですね。
前後左右がわからないほど風で揺らされながら、全身を滅多斬り。
1つ1つの威力が低いのは救いですが、これだけの手数が纏まれば、とんでもない苦痛です……!
せめてもの抵抗で『葬命』を振るいましたが、焼け石に水でした。
意識が遠退き始めて、今にも倒れそうです。
やはり、『肆言姫』に挑むなど、土台無理だったのでしょうか……。
全力ではないにもかかわらず、この圧倒的実力差。
我ながら、良く戦ったとは思います。
少なくとも、言魂なしの戦いなら勝っていました。
ですから、この結果は受け入れられる……などと言うことはないです……!
一色くんに追い付き、追い越すまで、学院を去る訳には行きません……!
唇を嚙み切って、強制的に意識を現実に繋げ止めます。
そんなわたしに驚いたのか、天羽さんは目を丸くしていました。
今です……!
ほんの一瞬だけ弱まった、刃の嵐を強引に突破して、再び天羽さんに向かって全力疾走。
そのときには立ち直っていた彼女は、あらゆる角度から風の刃を繰り出して来ました。
今までなら『葬命』で撃墜しながら、最低限の被弾のみを許していましたが――
「何だと!?」
好きにして下さい。
訓練場では死なないと言う特性を活用したわたしは、発狂しそうな激痛に苛まれながら、足を止めません。
その甲斐はあって、あっと言う間に懐に潜り込みます。
ただし、問題はここから。
正面から攻撃したところで、風の障壁で防がれるのは目に見えています。
事実として、天羽さんは既に焦っておらず、守り切る自信があることが窺えました。
さて、どうしましょう。
考えたところで、出来ることは限られています。
なら、その中で最善を尽くすのみ。
『葬命』をまたしても胴に振るうと、呆気なく風の障壁に防がれ――
「かはッ……!?」
それと同時に、右足で前蹴りを放ちました。
斬撃にのみ集中していたらしい天羽さんの腹部を捉え、吹き飛ばします。
障壁をどこまで展開しているのかわかりませんでしたが、全身を覆っているのではなくて助かりました……。
無理な体勢からの攻撃だったので、大した威力は出せませんでしたけど、無防備なところへの一撃は効きます。
何より、精神的な衝撃は計り知れません。
天羽さんが腹部を押さえながら、こちらを瞠目して見つめていました。
ここに、全てを懸けます……!
彼女の心が乱れている隙に畳み掛けるべく、何度目かの突貫を敢行しました。
少しでも気を抜くと倒れそうですけど、最後まで諦めません……!
必死に現実に踏み止まりながら疾駆し、『葬命』を袈裟斬りに振り下ろします。
対する天羽さんは厳しい眼光でわたしを射抜きながら、風の障壁で受け止めました。
そこで、先ほどと同じように右足を上げると、天羽さんの腹部にも風が集まるのを感じます。
同じ手は通用しない……そう言うことでしょうね。
とは言え、こちらも最初からそのようなつもりはありません。
上げていた右足を後ろに引きながら、地面を踏み砕く勢いで下ろし――
「はぁッ……!」
「ぐッ!?」
左手に握った鞘による打突。
天羽さんの胸元を打ち、苦悶の声を上げさせました。
下半身で生み出した力を乗せた一撃は、間違いなく大きなダメージを与えたでしょう。
それでも、彼女は倒れません。
『肆言姫』の名は、伊達じゃないですね……。
はっきり言って、わたしも限界が近いです。
もう、やるしかありません。
今の状態で使えば反動は大きいでしょうが……なんとかなるでしょう。
半ば無理やり自分に言い聞かせて、身の内に宿る魂力を全力で練り上げました。
魂力は言魂を発動する為の源。
それが常識ですが、完全な真実とは言い難いです。
何故なら魂力自体は純粋なエネルギーであり、言魂と言う形にしているに過ぎないのですから。
つまり何が言いたいかと言うと、魂力そのものを扱うことは、わたしにも出来ると言うことです。
そしてそれを突き詰めれば、1つの技術にまで昇華することすら可能なんですよ。
練り上げた魂力を両足に集めたわたしは、そこから噴出させることで、爆発的な推進力を得ました。
瞬きする間もなく天羽さんと擦れ違いながら、『葬命』を一閃。
風の障壁で防ぐ時間すら、なかったようです。
背後を振り返ると、意識を失った天羽さんが倒れるところでした。
や、やりましたね……。
相手は全力ではなかったですし、わたしは訓練場の特性を利用していたので、完全な勝利とは言い難いですが……先に倒れなかっただけでも充分です。
まぁ……本当に僅差なんですけど……。
緊張の糸が切れて全身から力が抜け、『葬命』を取り落としてしまいました。
体が傾いて地面が近付き、次いで衝撃がやって来るだろうと予想しましたが、何故かそうはなりません。
しっかりと、何かに受け止められた感触がします。
昨日も、このようなことがありましたね……。
などと思いつつ、わたしの意識はそこで途切れました。