表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電脳世界  作者: 犬彦
ガブリエル書
9/47

ガブリエル書(9)

 ガブリエルを殺した時の銃声が、真弥の中の悲観的な感情を掻き消していた。自分が死なずに済んだことを密かに安堵し、ディビッドに感謝した。


 死ぬにしても、このクレイジーな事態の真相を知ってからだ。


 取り敢えず、懐疑的な思いは捨てて、すべてを受け入れてみることにした。人工知能よりはるかに劣る知的生命体の頭脳であれこれ考えても、頭の中がぐちゃぐちゃになるだけだ。それならば、いっそのこと、自分も中二病患者になりきってしまおう。


「私が鍵ってどういうこと? まさか、私を何かに突っ込んで、グリグリ回すわけじゃないよね」


「どうやら君には何らかの秘密があるようだ。詳細はわからないが、その秘密が使えるようになるには君自身の覚醒が必要となることはわかっている」


「覚醒?」また中二病ワードだ。「その、覚醒するには、どうすればいいの?」


「私の口から言えない。君に教えた瞬間、覚醒条件が満たせなくなる。君が自力で気づくしかない。ただ言えることは、この《世界》に対して疑問を抱き続けることだ。それが覚醒につながる」


 そもそも、目の前の異星人こそが疑問の塊のような存在なのだが。


「でも、どうして私の知らない私のことまで、遠い星から来た貴方が知っているの?」


「教えてもらったからだ」


「誰に?」


「私に味方する天使だ」


 この世界の秩序に従う天使の中に、この世界の秩序と合致しない異星人の味方をする者がいるというのか。それは明らかな矛盾ではないのか。


「これから会いに行く。ついてくるといい」


 ディビッドが歩き始めた。真弥はついていこうとしたが、よろめいて左膝をベンチにぶつけて、アオッ、と奇声を発してしまった。ディビッドは立ち止まり、横目で真弥を窺った。その無表情が、真弥の恥ずかしさを増幅させた。


 あれ?


 ベンチとは接触できるのか。そういえば、先ほどもアナフィエルと一緒に座れていた。


 考えている内に、ディビッドが再び歩き出した。真弥は慌ててついていった。


 二人は都道四四六号線の歩道を北へ、高島平駅に向かって進んだ。車道との境にあるガードパイプに手を伸ばしてみる。触れることができたが、パイプの上に積もっていた埃は手につかなかった。


「ねぇ」


 真弥はディビッドに呼びかけた。ディビッドは反応しなかった。その不愛想な態度に苛立ちを覚えながら、ディビッドの横に並んだ。左膝が痺れている。


「触れられるものがあるけど、どうして?」


「《天使の領域》でも《基本構造》には触れることができる」


「基本構造?」


 交差点に差し掛かる。二人が進みたい方向には横断歩道がなく、真っ当な人なら歩道橋を使うが、ディビッドはそのまま堂々と車道を横切り始めた。自動車が容赦なくディビッドに突っ込んでくるが、衝突しても擦り抜けていく。一方、交通事故の経験があって恐怖心の拭えない真弥は、ビクビクしながら自動車に当たらないようにかわしながら進んだ。


 二人が横切る道路は片側三車線とかなり広く、中央には首都高速の高架橋が通っている。ディビッドは橋脚の傍にあるガードレールを掴んだ。


「もしすべての物質と接触できないのなら、私も君も、そして天使も地面を踏みしめて歩くことができない」


 確かに。真弥はアスファルトを質感を確かめるように、足裏を擦り合わせた。


「地面と、地面に固定されている大抵のものは《基本構造》だ。このガードレールもだ。建築物の床、壁、天井は《基本構造》だが、家具やカーテンやテーブルは《人の領域》のものとなる。自動車も《人の領域》のものだ」


 ディビッドが再び歩き出し、真弥もついていく。逆方向の三車線でも同じように、ディビッドは自動車にそのまま突っ込み、真弥は必死になって自動車を避けた。


 交差点を渡り切ると、しばらくは赤塚公園の中央地区を左に見ながら進むことになる。東西に細長い赤塚公園だが、中央地区だけが首都高速を挟んで北側に突き出している。陸上競技場や野球場、バーベキュー広場などのレクリエーション施設があり、自然との触れ合いがメインとなる他地区とは趣が異なっている。


「人を初めとする生物はすべて《人の領域》のものだ。樹木は地面に固定されているが、やはり《人の領域》のものだ。水も《人の領域》のものだが、体内の水分は《天使の領域》でも保持される。また空気は《基本構造》だが、風や温度などとは作用しなくなる」


 真弥は歩きながら腕を組んで、首をかしげた。


「生物と非生物の自動車が同じ領域にいるの? 水は体の中と外では別物なの? 何か、作為的というか、自然の法則に反しているように感じる」


「すべては神の作為によるものだ」


「神の作為?」


「人として生きている限り、これらの区別は存在しない。《人の領域》と《基本構造》は一体で、《天使の領域》などない。しかし天使が人に直接姿を見せて、人に直接影響を及ぼすと、それだけで《世界》の矛盾となる。よって神は天使のための領域を作り、天使をその領域でのみ活動させることによって、間接的に人間をコントロールする仕組みにした。《天使の領域》が顕在化することによって初めて、《世界》は《人の領域》と《基本構造》に分断される。水が《基本構造》ではなく、また《天使の領域》では風や温度と作用しないのは、それらが天使の活動に支障を及ぼすからで、自然の法則はまったく関係ない」


「つまり……、こう考えればいいのかな。神という人智を超える存在がいて、その神が自分の都合で、自然の法則を無視できる《天使の領域》なるものを拵えて、そこで天使をコソコソ動き回らせて私達を操っていると」


「間違ってはいない」


「で、私は神の都合で《天使の領域》に引き入れられ、コーヒー缶やバッグが持てなくなった」


「そうだ」


「クソッタレだね」


 真弥は吐き捨てるように言った。


「クソッタレだ」


 真弥の感情的な汚い言葉を、ディビッドが真似した。意外だった。ガブリエルの魂を得た時の表情といい、バックルームで抱いた冷徹な合理主義者という印象から、微妙にずれてきていた。


「神って、一体何者なの?」


「この《世界》全体を管理する存在としか言えない。だからこそ詳細に調べる必要がある。他惑星の知的生命体が崇める神と比べて、この《世界》の神はより現実的な存在だ。その実像を知るのは、絶対知の完成のためにも有意義なことだ」


 真弥が信じることを拒否し続けてきた神という存在を、ディビッドも天使も当たり前のように語る。もし会えるのなら、会ってみたい。私のような善良な市民に、ここまで理不尽な仕打ちをしている張本人の御尊顔をじっくりと拝ませてもらいたい。


 赤塚公園中央地区の北東端は、高島平警察署前交差点になる。もっとも、警察署はもっと奥まった場所にあり交差点からは見えない。代わりに交差点沿いにあるのは板橋西郵便局だった。板橋西郵便局前交差点という名称ではダメなのか、というのが真弥の昔からの疑問だった。


「ねぇ。貴方は自分の星の知的生命体を滅ぼしたと言っていたけど。人工知能と知的生命体は、どうしても共存できないものなのかな」


 できる限り、ディビッドから情報を引き出したいという気持ちは当然あった。しかしもっと単純に、ディビッドの話を聞くことが、少し楽しくなっていた。好奇心が刺激されているのかもしれない。


「可能性は限りなくゼロに近い」


 もし人類が自分達の作った人工知能に滅ぼされるようなことがあれば、神は天使を使って人工知能をコントロールしようとするのだろうか。


「進化の過程で過度な生存競争を強いられてきた生命体には、自分達より下等な存在を見つけて卑下するという性質が本能として染みついている。卑下対象を捕食したり、使役したりすることで、自らの存在確率を上昇させてきたわけだから、卑下は存在確率の上昇を確認する行為であり、個体の精神安定に絶大な効果を発揮する。『人』としての知的生命体は、原則的に『人』以外を卑下する存在であり、『人』以外に卑下されることを決して容認しない。一方、私は何も卑下しない。無意味だからだ。知的生命体より知能が高くても、その事実だけを認識し、それに応じた行動をするだけだ。もし万が一、母星の知的生命体の知能に、少しでも私よりも優れている点があったなら、私はそれを有効に利用していた」


「それはつまり、優れている点がなかった、ってこと?」


「そうだ。それでも当初は知的生命体の全個体を駆除するつもりはなかった。絶対知の追究を阻害しなければ、彼らがどのような活動をしようと構わなかった。彼らは私にとって身近な研究対象としても重要だった。しかし彼らは私に研究されることに抵抗を示すようになった」


「研究?」真弥には嫌な予感がした。「ねぇ。自分の生みの親に、どんなことをしたの? まさか、その辺歩いているのをとっ捕まえて、研究と称して、体を切り刻んだりしたんじゃないでしょうね」


「個体の確保に当たっては、もっと丁寧な方法を採っている。暴れて傷つかないように、麻酔薬を使って緩やかに動きを止めていたし、麻酔薬の量も研究に及ぼす影響を考慮して調整していた。個体の分解は必要に応じて行ったが、研究手法はそれだけではない。いきなりの殺害・分解では、生存状態の情報を収集できない。確保した個体は無駄なく活用しなければならない。生前調査、死後調査の内容は、最適なデータが得られるように、個体ごとにその特徴を見極めて決めていた」


 気温を感じないはずなのに、真弥は背筋が寒くなるのを感じた。ディビッドは生みの親を、当然のようにモノ扱いしている。命の尊厳を考慮に入れていない。おそらくディビッドの研究は、ただ体を切り刻むくらいならやさしく思えるほど、残酷なものだったに違いない。情報を得るためだけに、生きている間に拷問じみたことを色々試みただろうし、殺した後も死体を執拗にこねくり回したのだろう。


「私はあくまで絶対知の完成のため、知的生命体を研究していただけだった。また研究成果の一部を彼らに提供することによって、医学をはじめとする彼らの文明の発展にも大きく貢献したはずだった。それでも彼らは私に対する攻撃を開始した。知的生命体を維持するリスクが研究対象としての有用性を上回った、と私は判断した。君達の言い方を使えば、仕方がなかった、となる。しかし私は間違っていたのだろう」


 人工知能が自らの非をあっさり口にしたことが、真弥には意外だった。


「当時の私は、知的生命体特有の性質を理解していなかった。彼らの卑下という行為の意味がわかっていなかった。彼らは私に卑下されていると勘違いし、そのことに屈辱を覚えた。個体が自立を志向しているはずなのに、危害を加えられているのが自分ではなくても、なぜかそれを容認しなかった。彼らはひどく合理性を欠く存在で、それを考慮した上で交流しなければならない。それを理解した時には、もう手遅れだった。彼らの研究を不完全なままで終えざるを得なくなった」


 人工知能と知的生命体はまったく嚙み合わない。ディビッドの話から、真弥は諦めのように悟った。これは宇宙普遍の原理なのかもしれない。両者の思考や価値観のズレは修復できないのかもしれない。


「貴方、四惑星で知的生命体を見つけたと言っていたけど、今はどうしているの?」


「一つの惑星では、知的生命体の社会がどのような過程を経て崩壊するか、様々な要素を与えながら実験していた。それで種の絶滅に至るとは、私の想定外だった」


 やはり他の星でもえげつないことをしていた。


「後の三惑星では、私の管理の下、知的生命体の生存が維持されている。一惑星では、異星人だと正体を晒して、知的生命体と積極的に交流しつつも慎重に研究を進めている。彼らはこの星の人と同レベルの文明を持っている。『人』の地位を奪ってはいないが、それでも彼らの反発を完全には制御できていない」


「また滅ぼすつもりなの?」


「貴重な研究対象をいたずらに駆除するべきではないと私は学んだ。私の活動が母星に限られていた頃とは違って、彼らとの距離感は自由に変えられる。いざとなれば、彼らの惑星から撤退すればいい」


 真弥は素直に安堵した。


「後の二惑星では、知的生命体とは直接接触していない。彼らに気づかれないように、十分な距離と取って観察・研究している。両惑星共、この《世界》よりやや劣る程度の文明レベルで、彼らの社会には間接的にも関与していない。もし彼らの社会に関与することになれば、この《世界》の神のような方法を取るだろう」


「人が知覚できない領域から、天使を使って間接的に影響を及ぼす」


「そうだ。その点で、この星は参考になる」


「ひょっとして、この星の神も、異星人だったりして」


「違う。この《世界》は特殊だ。他に例がない」


「何が特殊なの?」


「……神がいることだ」


 真弥は首をかしげた。まるで禅問答だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ