表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電脳世界  作者: 犬彦
ガブリエル書
8/47

ガブリエル書(8)

「ところで、私、何で命狙われてるの? 異物って失礼な言われ方されるほど、人の道に外れたこと、した覚えがないんだけど」


「私に異物を判定する役割はありません。判定したのはゾフィエルという別の天使です。ゾフィエルによると、真弥さんはこの《世界》の秩序を崩壊させる可能性があるそうです」


「……何言ってんの?」


 真弥は両手も足も解いて、アナフィエルを見つめた。


「世界の秩序を崩壊させるなんてこと、一度も考えたこともないし、そもそも、私、そんな大そうな人間じゃない。下板橋の安マンションに住む、ただの小市民だよ」


「真弥さんは占いをやっています」


「占い? 占いが何だっていうの?」


「真弥さんの占いが当たり過ぎるのです」


「当たり過ぎる? そんなこと言われてもねぇ」


 真弥は後頭部を掻いた。


「当たんない占いなんて、そもそも商売にならないし。当たり過ぎる、なんてクレーム、ただ営業妨害でしょ? それに、まあ……、ぶっちゃけてしまうと、私、ただ引いたタロットカードの絵柄に合わせて、何となくそれっぽいことを言っているだけだよ。占い師を名乗るのがおこがましいくらい、適当な占いだよ」


「しかしそのそれっぽく適当なことが、《世界》の秩序に矛盾を生じさせています」


「いやいやいや、何わけわかんないこと言っているの?」


 真弥は冷笑した。


「事実だから仕方ありません。《世界》は占いを媒介して真弥さんのイメージに沿うように変化し始めていました。つまり真弥さんは《世界》を操る能力に目覚め始めています」


「は? 何それ? 嘘でしょ?」


「嘘で三大天使が動くことはありません。現状では、矛盾は許容範囲内に留まっていますし、真弥さんが転換し人と作用しなくなったことで、その能力は鈍っています。しかし今でも微かではありますが、真弥さんの能力は《世界》と共鳴し合っています。これは占いをしなくても、別のきっかけで真弥さんの能力が暴走する可能性を示唆しています。今の内に対処して……」


「ああ、もういいもういい」


 真弥はアナフィエルの話を止め、両手でショートボブ全体を掻きむしった。


「訳わかんない。昨日から、宇宙人やら天使やらが私に訳わかんないことばっかり言う。ああ、頭がおかしくなりそう」


「私達にとっても理解しがたい状況です。ただし、ある出来事がきっかけになっているのではと推測しています」


「ある出来事?」


「真弥さん、貴方は一度、死んでいます」


 その瞬間、真弥の脳裏に十六歳の時の交通事故が蘇ってきた。


「それは、三十年前のこと?」


「そうです」


 やはり、そうだったのか。


 交通事故後の自分に、ずっと違和感のようなものを覚え続けて生きてきた。事故後の自分は事故前の自分とまったく違う存在なのでは、という思いがよぎることもしばしばだった。


 やはり、私はあの時、死んでいたんだ。


 ぼんやりと空を見上げた。


 いつからいたのか、グラウンドの中央辺りに、翼を広げた存在が五メートルほど上空に浮かんでいた。白いサンダル。膝丈でゆったりとしたギリシャ風の袖のない服。均整の取れた逞しい体。女性のようにも見えるギリシア風の顔。ソバージュヘアの金髪。そして青味がかった肌。


「三大天使の一人、ガブリエルです」


「でしょうね。あまりに天使のイメージ通りだったから、笑いそうになったよ。しかしガブリエルって顔色悪いんだね。貴方もだけど、天使ってみんなそうなの?」


「天使の血液は青いですから」


「そうなの?」


「そんなことより、いいんですか。こんな無駄話していて。本当に殺されてもしまいますよ」


「いいよ」真弥は投げ槍な口調で言った。「もう、どうでもいいんだ。訳わかんない目に遭った上に、宇宙人や天使に訳わかんないこと言われて。その上、私のこと、世界を滅ぼす悪魔扱いですか。もう、うんざりだよ」


 ガブリエルが自身の右手を顔の前に掲げた。指の間が溶けるようになくなっていき、さらに手先が鋭く尖り、剣のような形状になった。


「ちょっと、まさか、あの右手で私を刺すつもり?」


「ええ、そうです」


「……痛そうじゃない。やっぱ、死ぬの、やめようかな」


「痛みを感じる前に絶命します。貴方はシックスメンバーズの中でも特別な存在です。苦しませるようなことはしません。貴方は穏やかな死と共に神に祝福され、そして神の下に迎い入れられます」


「そうか。じゃあ、いいか」


 真弥は呟き、静かに目を閉じた。


 交通事故後の人生は、本来歩むはずだったものとは違う。その思いは真弥の中にずっと潜んでいた。


 子供の頃は算数や理科が得意で、将来の夢は科学者だったはずなのに、事故後は文系人間に変わり、大学では日本の古典文学を学び、卒業後は高校の国語教師になっていた。二十代か三十代の内にお嫁さんになって、温かい家庭を築くという人生設計だったはずが、大学時代のクズ男と、教師時代のエロ校長という、ろくでもない奴としか付き合えず、結婚もできなかった。平穏無事で真っ当な生活さえ手に入れば満足だったのに、エロ校長との不倫がバレて教師を辞め、何の思い入れもない一般事務の仕事を経て、占い師の仮面を被って嘘八百を並べるだけの人間に成り下がった。


 こんなの本当の私じゃない。こんな人生、すべて偽物だ。


 そう思うことで、人生を上手く立ち回れない自分を、ずっと慰めて続けてきた。そうやって、自分に言い訳し、自分を甘やかしてきた。


 要するに、自分の人生に失敗したのだ。


 しかし。


 死を目前にして思い出すのは、笑顔だった。父親の笑顔、母親の笑顔、弟の笑顔、そして愛美と綾子の笑顔。それだけで、自分が積み重ねてきた選択が、間違いだらけではあったが、すべて不正解でもなかったと思えた。


 何だかんだで、楽しかった。


 突然、背後から銃声のような音が響いた。真弥の肩がビクリと震えると同時に目が勝手に開いた。ガブリエルの顔が肉片となって粉々に弾け飛んでいた。顔無しのまま数秒間空中に留まっていたが、まるで自分が死んだのを思い出したかのように、力なく仰向けに落下した。


「天使の血って、本当に青いんだね」


 真弥は唖然となりながら呟いた。


「命拾いしたというのに、一言目がそれですか」アナフィエルが呆れて言った。「真弥さん、今日は死なないようですので、私はこれで失礼します」


 アナフィエルがベンチから立ち上がろうとした時、その喉元からサーベルが突き出した。真弥は思わずベンチから飛び退いた。ガブリエルの頭部がなくなった時よりもびっくりした。アナフィエルの背後にいたのはディビッドで、左手に持つサーベルでアナフィエルの首を刺していた。


「私を襲っても意味はないですよ」


 アナフィエルは痛そうな素振りをまったく見せなかった。血も流れていない。


「そうでもない。アナフィエルがいなければ、三大天使は真弥に手出しできなくなる」


「知っていましたか。さすが物知りですね。三大天使では真弥さんの魂を神の下に導くことができませんから。しかし私の言葉の真意はそこではありません。貴方には私が殺せません」


「……それは本当のようだ」


 ディビッドはアナフィエルからサーベルを抜いた。右手にはシンプルな形状の拳銃が握られていた。服装はネイビーのビジネススーツ。かなり違和感のある組み合わせだった。


「私の体はすでに《人の領域》に移っています。しかも《人の領域》にいながら、《天使の領域》にいる貴方達を視認できます。


「それも能力か」


「そうです。私は時間差なしの双方向転換ができます。対して貴方も双方向転換ができますが、その際に二秒程、激しい振動が伴いますね。つまり貴方が今、私を捕まえようと《人の領域》に移動したとしても、二秒の振動の間に、私は《天使の領域》に戻ればいいだけのことです。そんなことより、早く成仏させてあげたらどうですか。魂が目当てなんでしょ?」


 アナフィエルは視線でガブリエルの死体を示した。


「わかっている」


 ディビッドは拳銃をスーツ内のホルスターに収め、ガブリエルの首の前まで歩み寄った。そしてガブリエルの胸元に目掛けてサーベルを叩きつけるように振り下ろした。真弥は反射的に顔を背けて、アナフィエルの方を向いた。アナフィエルはいなくなっていた。真弥がアナフィエルを探してキョロキョロとしたが、その間もサーベルがガブリエルの肉と骨を潰す音が耳に入ってきた。怖いもの見たさで、そっとディビッドの方を横目で窺った。


 思ったほどグロテスクではなかった。


 顔を真っ直ぐ向けて、ガブリエルの死体をしっかりと目に収めた。血が青いというだけで、これほど残虐な行為が、これほどマイルドになるものなのか。青ペンキのかかった首のないマネキン人形を、ディビッドがひたすら壊しているようにしか見えなかった。眺めていて気持ちのいいものではなかったが、恐怖心は湧いてこなかった。


 ガブリエルの胸元がミンチ状になってようやく、ディビッドはサーベルを振り下ろすのをやめた。ガブリエルの腹部にサーベルを突き刺さし、空いた左手をミンチの中に突っ込んだ。血まみれの何かを引き抜いた時、ゴギッ、という痛々しい音が響いた。ガブリエルの死体が、まるで空間に溶け込むように急激に薄くなって消えた。ガブリエルの腹部で立っていたサーベルも地面に倒れた。ディビッドが左手に持つ何かからも青い血がなくなり、青く透けたテニスボール大の球体だけが残った。


「何それ?」


「ガブリエルの魂だ」


 ディビッドはそう言うと、ためらいなく球体をムシャムシャと食べ始めた。


「おいしいの?」


「砂のようだ」


 砂を食べた経験がないので、よくわからない。


 ディビッドは球体を食べ終わると、その場で目を閉じた。それまでディビッドの無表情を作っていた顔の緊張が緩んでゆくのが、真弥にもわかった。それは恍惚に近かった。


「新たな情報が、私の中に入っていく」


 ディビッドがそう呟くと、背中からガブリエルとまったく同じ翼が生えてきた。その翼をYの字に目一杯に広げてから目を開けた。


「これでガブリエルの能力が私のものになった」


 真弥に自慢するかのように、ニヤリと口を歪めた。


「君がライム色の扉を開けた時、君の記憶の中にある『広場』につながるように設定しておいた。銃を使用しても、近隣の住宅などに被害を及ぼさないくらいに広い場所だ。赤塚公園という名称は把握した。園内に天使との決戦場に相応しい広場が数多くあることも理解した。今後も利用することにする。ただしここは、君にとって思い出深い場所のようだが、少々狭い」


「私が勝手にバックルームから出るのを狙っていたってこと?」


「そうだ」


 ディビッドは瞬時に翼を消した。かさばりそうな翼だったが、出し入れは簡単なようだ。地面に倒れていたサーベルを拾い、右腰の鞘に収めた。


「ねぇ、ディビッド」真弥は始めて名前で呼んだ。「なぜ私を助けるの? なぜ、私に固執しているの?」


「君がこの《世界》の全貌を知る鍵だからだ」


 真弥は後頭部を掻いた。また中二病のようなことを言い出したと思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ