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電脳世界  作者: 犬彦
ラジエル書
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ラジエル書(8)

 矢崎がオクタゴンを去って一ヶ月後。矢崎の予想通り、僕は政治予測AIチームから追い出されることになった。浦田と矢崎の時と同じ、チームオフィスから離れた面談室に呼び出された時点で察していた。室内にはリーダーの茂木が一人でテーブル席に座って待っていた。僕は何も言わずに向かいに座った。


「君には交通系AIチームに異動してもらう。三日後に君の所属が変わるから、引っ越しの準備をしておいてくれ」


 ハの字形の眉、細い垂れ目、だんご鼻、ふっくらとした頬。決して太っているわけではないが、茂木の顔はえびす様を連想させた。ほとんど話したことがなかったが、声も穏やかで、人間的なやさしさも感じられた。


「僕をチームから追い出すということでしょうか」


 矢崎と話したこともあって、覚悟はできていたし、度胸もついていた。


「そうじゃない」


 僕の反抗的な態度が、茂木には意外だったようだ。


「これは栄転だ。交通機関の負荷予測AIの状態が最近芳しくなくてね。我が社で一番のエンジニアの力を借りたいという強い要望があったのだよ。私のチームは安定軌道に乗っているから、君は心配しなくてもいい」


「僕が政治予測AIを触らなくなったから、安定し始めたってことですか」


「そういう風に考えるべきではない」


 茂木は困惑の表情を浮かべた。


「矢崎さんから話は聞いてます。大学だってバカじゃありませんから。このチームが平正党とグルになって、税金をオクタゴンに横流しさせようとしていることに気づいていますよ」


 茂木の眉がピクリを動いたのを、僕は見逃さなかった。


「しかしです。僕は矢崎さんほど理想主義者じゃありません。オクタゴンが大儲けして、僕にもその恩恵があれば、文句はありません。僕が気に入らないのは、最近AIの内部を見せてくれなかったことです。僕はエンジニアなんです」


 もちろんこの言葉のすべてが、僕の本心というわけではない。批判一辺倒では茂木の心が閉じてしまう。相手のやり方や考え方に理解を示さなければ、相手から情報を引き出すことはできない。ネクラ気質の僕だが、子供の頃から他人の顔色を窺ってばかりいたので、こういう駆け引きは意外と得意だった。


「それは悪かった。しかし君のスキルは交通系AIチームの方が存分に生かせる、これは君にとっても、願ったり叶ったりじゃないのか」


「そうですねぇ」僕は少し考えた。「もちろん僕にとっていいことだと思います。しかし政治予測AIの悪だくみにも興味があります」


「悪だくみだって?」


 茂木は苦笑いを浮かべた。


「ちょっとやりすぎな気がします。確かに日本国が労働者から搾り取った税金は膨大な額になります。しかしすでに決まっている税金の使い道もまだ膨大な額です。その上でオクタゴンに横流ししていると、この国は財政難に陥りませんか。矢崎さんの大学の試算でも、そういう答えが出ています」


「オーバーだ。そこまでにはならないようAIがちゃんと調整している」


「そこまで税金に拘らなくてもいいでしょ? 税金を横流ししてもらうことには、まあ、仕方ない部分もあるのかもしれません。しかしオクタゴンの税金依存度が高くなりすぎることにはやはり懸念を感じざるを得ません。収益の多角化は追求し続けるべきです。また、良質な商品やサービスを提供して、顧客にお金を払ってもらう。それが商売にとっての普遍的原則です。良質でバリエーション豊かなAIサービス、それこそがオクタゴン最大の売りです。そこを土台にしておかなければ、いずれ会社は揺らぎます」


「若いな」


 茂木は呟き、軽く溜息をついた。テーブルの上にあった安物のボールペンを右手でクルクルと回し始めた。


「我が社にはマザーAIというものがある。我が社で最初のAIで、かつ最も博識なAIだ」


 ボールペンを回すのを止めた。マザーAIのことは、僕にとって初耳だった。僕は内心ほくそ笑んだ。若造の生意気な主張に対し、年長者は大抵黙っていられなくなる。


「オクタゴンは元々大手広告代理店の下請け企業だった。人材や利益を広告代理店に搾取され、厳しい経営が続いていた。そんな中、社長は多額の負債を抱えてまでAI用のサーバーコンピューターを購入し、ありとあらゆる経営ノウハウを学ばせた。それがマザーAIの原型だ。充分に学習させた上で、社長はマザーAIにこう質問した。我が社が日本一の企業になるにはどうすればいいかと。マザーAIの回答はこうだった」


 茂木はボールペンをデーブルに置き、顔の前で手を組んだ。


「公金が我が社に流れる仕組みを構築し、公金が収益の柱となるように我が社を導け。つまり国に寄生しろということだ」


 茂木の言葉に、僕は強い衝撃を受けた。


「そんな……、そんな回答をAIがするんですか。そんな、経済倫理に反するような回答を。そういう回答に辿り着かせるような学習をさせたんじゃないんですか」


「さあな」茂木は言った。「その頃は私はまだ入社していなかった。詳しいことはわからない、というのが正直なところだ。ただマザーAIは私達よりよほど賢いし、合理的だ。この国を代表するような大企業で、公金がまったく投入されていないところはない。三井や三菱や住友だって、明治時代に政商として、国と癒着することで成り上がっていった大企業グループだ。国に寄生する、それこそがオクタゴンの最大の目標だ。AIはそれを達成するための手段にすぎない。手始めにマザーAIを駆使して、親会社の広告代理店を乗っ取り、親会社の蓄積していたノウハウを基にマーケティングAIを開発した。それから未来予測型のAIを次々に開発したわけだ。未来予測という言葉に、人間は簡単に踊らされる。我が社の影響力は中小企業、大企業、地方自治体、そして遂には日本政府にまで及ぶようになった」


 茂木はパイプ椅子に背もたれた。


「私がオクタゴンに入社して、最初に関わったプロジェクトが、親会社の乗っ取りだった。そこからは驚くほど順調に事が進んだ。怖いくらいにだ。バチが当たるのではと思った時期もあった。どうしてここまでうまく行くのか、私はAIではなく自分の頭で考えてみた。そしてわかったんだ」


 茂木が少し身を乗り出した。


「この国の人間はバカばっかりだ」


 ニヤリと微笑んだ。細い目が若干大きく開いただけで、その顔が途端に威圧的になった。


「東大、京大、その他有名大学を卒業した奴等でも、簡単にAIに騙され、AIの言いなりになる。なぜか。この国の教育が、権威を素直に受け入れることを子供に叩き込んでいるからだ。逆らうな、疑問を持つな、ただ先生の言う通りにしていればいい。頭を使わせているようで、実は頭を使わせないようにしているのだよ。そして大学に合格すれば、もう人生勝ったも同然と勘違いし、さらに頭を使わなくなる。そんなボケーとした奴らが大学を卒業して、有名企業の上層部や、官僚や、政治家になって、何ができる? 我が社のAIに頼り切って、飼い犬に成り下がることくらいだ。しかもだ。今やオクタゴンの主力AIとなった、政治予測AIを管理する立場にいる私は、高卒だ」


 茂木はクククと愉快そうに笑った。ここまで本音が引き出せるとは、僕も思っていなかった。茂木の学歴コンプレックスは相当根深いようだった。


「少し、喋りすぎではないですか」


 僕の冷静な言葉に、茂木は我に返ったような表情を浮かべ、気まずそうに咳払いをした。


「君のような人間は嫌いだ。しかし平正党の畜生どもよりは見込みがありそうだ。交通系AIチームで結果を出してみろ。そうしたら、君を出世させてやる。交通系AIチームのリーダー、いや、政治予測AIチームを譲ってやってもいい」


「貴方の期待に添えるよう、頑張ります」


 僕は形式的に言って、形式的に頭を下げた。

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