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電脳世界  作者: 犬彦
ガブリエル書
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ガブリエル書(2)

 真弥の職業は占い師だった。


 東京池袋の某百貨店のレストラン街には占いコーナーがあり、四つのブースの内の一つが真弥の仕事場だった。グレース・マヤという源氏名で、妖艶なアラビア風コスチュームを身にまとい、午前十一時から午後八時までタロット占いをしている。


 約三年前、平日勤務の一般事務と掛け持ちで、日曜日だけのアルバイトとして始めた。一九九〇年代のバブル崩壊から日本の経済成長は鈍化しており、不景気とまでは言えないものの、巷には老若男女を問わず将来に不安を抱えた者達が溢れている。占いの需要は真弥が思っていたよりも高く、一日の稼ぎが一般事務を下回ることはほぼなかった。さらに去年あたりから、グレース・マヤの占いはよく当たる、と池袋界隈で評判になると、相談客が急増し、ピーク時には順番待ちの行列ができるまでになった。半年前、百貨店側の勧めもあって思い切って一般事務の仕事を辞め、占い師一本で食べていくことにした。現在は月曜日と木曜日以外の週五日で営業している。


 通勤途中、ディビッドという得体の知れない白人に出会わないかと不安だったが、結局出会わなかった。占いコーナーで次々に訪ねてくる相談客に応対している内に、ディビッドのことが頭から消えていた。


 昼休憩はいつも相談客がほとんど来ない午後三時台に取っていた。真弥でもレストラン従業員用の休憩室が使えたが、占いブーズから離れたくなかった。昼食はいつも仕事前に百貨店地下で買った惣菜で、匂いの強くないものを選ぶようにしていた。ブース前に「只今休憩中」の看板を掲げ、入口のカーテンを閉め、「シェフおすすめ野菜たっぷりチキンサラダ」と「五目おこわ」を円卓上の紫のテーブルクロスに並べた。そして昼食をつまみながら、母親のことをふと思い出した。


 母親は占い師のことを、嘘八百の仕事、と言ってはばからなかった。女性にしては珍しく、とにかくスピリチュアルなことが嫌いな人だった。人間が穢れるから、占い師なんか早くやめなさい、と厳しい口調で再三迫ってきた。もし老人ホームに入所しなければ、娘は一般事務の仕事を辞められなかっただろう。


 嘘八百の仕事かぁ。


 その言葉に娘は反論したことがなかった。その通りだと自分でも思っていた。信念を持って真摯に取り組んでいる占い師も確かにいるだろう。しかし自分がそういう占い師ではないことは、自分自身が一番よくわかっていた。


 タロットカードの全七十八枚の内、真弥が使っているのは大アルカナと呼ばれる二十二枚のカードだけだった。残り五十六枚の小アルカナの意味が頭にまったく入っていないからだった。そんないい加減な占いでも、なぜかプロとして成り立ってしまっている。そのことに薄気味悪さを覚えていた。


 不意に入口のカーテンが開き、誰かが覗き込んできた。


「すいません。占いは四時から再開……、って、綾子か」


 真弥の表情が緩んだ。


「よっ」


 綾子は軽く右手を上げた。


「よっ、じゃないよ。仕事はどうしたの?」


「サボってきた」


 綾子は相談客用の椅子に座った。


「サボってて大丈夫なの?」


「私、それなりに偉いからね」


「お局様だからね」


 二人は声を殺してクスクスと笑った。


 綾子はレストラン街のマネージャーの一人だった。真弥が占い師になったのも、綾子に強く頼まれたからだった。


 真弥の人生の中で大親友と呼べるのは、綾子と愛美の二人だけだった。二人とは高校一年で知り合ってから、多少の喧嘩はあったものの、長らく良好な関係を保ってきた。


 高校二年生の頃、休み時間や放課後に、二人の前でタロット占いの真似事をして遊んでいた時期があった。しばらくすると、なぜかよく当たるという噂が学年中に広まった。進路や恋愛の悩みを持つ生徒が真弥に集まるようになると、生活指導の教師の耳に入るのも時間の問題だった。タロットカードは校則で持ち込み禁止とされている物品に該当するということで没収。その上でこっぴどく叱られたことで、占いへの興味がすっかり冷めてしまった。


 以来、ずっとタロットカードに触れることすらなかった。


 三年前のある日、綾子が急に、占い師が足りなくなった、と助けを求めてきた。お願い、占い師になって! 真弥、昔、占い、やってたじゃない。最初はもちろん断った。一般事務をしながら別の仕事を掛け持ちするのは辛そうだったし、高校時代のデタラメ占いがプロとして通用するとは思えなかった。しかし綾子は引き下がらなかった。忙しいなら週一でもいいから、私がちゃんとサポートするから。綾子のここまで必死な顔を見せられると、それ以上断ることができなかった。綾子を支え、そして守る。それが亡き愛美との約束だった。


「またここで食べてるの?」


「うん」


 真弥は気まずい顔をした。


「マネージャーとしては、あまりここで食べてほしくないんだけど。前にも言ったけど、ここは休憩する場所じゃないからね。管理部の中には、こういうことにうるさい奴いるからね」


「……わかってる」


 食欲がなくなってくる。


「ねぇ、サラダ、おいしそうね。ちょっと頂戴」


 自分が持っていた箸をそのまま綾子に渡した。綾子はその箸でチキンの部分を選んで摘まみ、口に入れた。


「これで私も同罪だけどね」


 綾子は食べながら、真弥にウインクした。


 綾子、愛美、真弥の仲良し三人組で、自分達の関係を姉妹に例えていた。綾子が長女、愛美が次女、そして西本家では長女なはずの真弥が末っ子だった。怒るべき時は怒るが、怒りすぎることはない。褒める時は褒めるが、褒めすぎることはない。長女の綾子はそういうバランスを測るのが上手く、次女と末っ子をうまくコントロールしてきた。


「やっぱり、みんなとうまくいってないの?」


 綾子が心配そうに訊いた。


「……私が気にしすぎなだけ」


「それは仕方ないよ」


 綾子が箸を返した。


 最近の真弥は占い師の中だけでなく、レストラン街の従業員の中でも浮いた存在になっていた。半年前に週五日営業になると、すぐにナンバーワン占い師になってしまったのが良くなかった。四十六歳にしては容姿が良いこともマイナスに働いた。他の占い師達の強い嫉妬を買ってしまったのだ。占いの基礎もわからないくせに、色気で客寄せしているババア。彼らは仲間内で真弥の悪口を言い合うだけでなく、レストランの従業員にも悪口を吐いて回った。休憩室を訪れる度に、真弥は従業員達の冷たい視線を感じるようになった。


「いじめられてない?」


「それは大丈夫」


 直接悪口を言われたり、ロッカーにゴミを入れられたり、殴られたり蹴られたり、ということはない。


「もしいじめに遭ったらすぐ言ってね。いじめた奴等、全員クビにしてやるから」


 綾子が真弥の左手をやさしく握ってきた。真弥の箸が止まった。


「また占い師不足になるよ」


 真弥はおこわを少し多めに口に入れた。自分の頬が火照ってくるのを感じた。


「また別の人を探しせばいい」


 綾子が真弥の目を真っ直ぐに見つめる。


「また、そうやって、私を甘やかすんだから」


 真弥は照れたようにうつむいて、左手を引っ込めて、円卓の下に隠した。


 夫も子供もいない。老人ホームの母親とは月二回面会するだけ。弟夫婦ともすっかり疎遠になっている。そして愛美もいない。今の真弥に、綾子よりも気兼ねなく話せる相手はいなかった。


「心配なんだよ。真弥のことは、昔から」


「昔から?」


「そうだよ。車に轢かれるし」


「随分昔の話じゃない?」


 真弥は白けたように目を細くした。


「あの時は本当にヤバいと思ったよ。メチャクチャ跳ね飛ばされてたし」


 三十年前の交通事故を、綾子は愛美と共に直に目撃していた。真弥は二人と交差点手前で別れた直後に轢かれたのだ。


 警察の検分によれば、真弥は三十メートルも跳ね飛ばされていた。まず命は助からないだろうし、もし運良く助かったとしても何らかの障害は残るだろう、と事故に関わった誰もが思ったことだろう。しかし実際は、全身に無数の擦過傷と打撲傷があったものの、脳も、臓器も、骨も、まったくダメージを負っていなかった。入院もたった三日で済んだ。まさに奇跡だ、と担当医師に言われたのを覚えている。


「それから大学生の時、とんでもないクズ男と付き合っていたし」


 あー、と真弥は声を漏らした。嫌なところを突かれた。


「すぐに別れなさいって言ってるのに、結構長く付き合っていたよね」


「別れるって、そんなに簡単じゃないんだよ」


 真弥は気まずそうにした。


 大学に入学して間もない頃、ごく短い期間だけテニスサークルに所属していたことがあった。新入生歓迎コンパの時、一歳上の先輩に声を掛けられた。受験のプレッシャーから解放されて、浮かれていたことは認めざるを得ない。特に深く考えずにその先輩と付き合うようになった。金癖も女癖も悪い男だった。金癖の方は、真弥が学業の合間にアルバイトをすれば賄える程度で済んでいたが、女癖の方は容認できないレベルだった。二股ならまだいい方で、酷い時は五股にまで達した。それでも、君が一番だ、とか、君がいなければ俺は生きていけない、などと調子の良いことを言われて、ずるずると交際を続けてしまった。結局、別れるのに二年半もかかった。


 男運に恵まれない人生だったと、つくづく思う。


 大学卒業後に高校教師になった真弥だが、妻子持ちの校長先生と十年以上不倫関係を続けていたことまでは、綾子は知らない。


「この前だって、経営コンサルタントとか名乗ってたジジイにプレゼント貰って。ちょっと、その気になってたんじゃないの?」


「その気になんかなってないよ」


 真弥は声を抑えて反論した。


「私もオバサンだけど、さすがにあそこまでの年寄りは嫌だよ。プレゼントだって事務所を通じて返したし、出禁にもしてもらった。そもそも、年寄りを惑わすような、こんなお色気コスチュームをオバサンに着させてるのは、綾子でしょ」


「それは……、プロデュースの一貫だよ。占いコーナー繁昌のため、真弥の美貌を最大限活用しないと」


「調子のいいこと言って」


 真弥の呟きに、綾子は咳払いをした。


「とにかく、真弥は全身から危なっかしいオーラを放っているんだよ。トラブルを引き寄せるオーラーを」


「何を占い師みたいなこと言ってるの」


「私もここでやってみようかしら、グレース・アヤコのオーラ鑑定、なんてどう?」


 真弥は綾子の口の前にチキンを差し出した。綾子はためらいなくチキンを口でくわえた。


「私をサポートしてくれるんじゃなかったの? 私のライバルになってどうするの?」


「そうだった」


 二人は少し笑い合った。その後、綾子が深い溜息をついた。


「もうすぐ四年だね」


 綾子が言った。唐突だったが、何のことか、真弥にはすぐにわかった。愛美の命日は四月十一日だった。


「そうだね。もうそんなに経つんだよね」


「お墓参り、一緒に行くよね」


 おそらく綾子はこの確認がしたくて、真弥のブースに寄ったのだろう。


「もちろん」


「ちょうど月曜日で、真弥がお休みの日なんだよね。私はもう有休申請してあるから」


 マネージャーという多忙な立場にいると、有休を使うタイミングがなかなか難しいらしい。


「愛美の次に死ぬのは絶対私だから」


「何? 急に」


 真弥は微笑みに戸惑いを滲ませた。


「真弥に先に死なれたら、私、寂しくて、耐えられない。だから、私が先に死んで、真弥にはいっぱい泣いてもらう。だから、真弥が先に死なないように、私、真弥を見張ってなきゃいけない。愛美だって」


 綾子の顔が曇った。


「愛美だって、私がもっとちゃんと見てあげていれば、胃癌だってもっと早く」


 今度は真弥の方が綾子の右手をしっかり握った。綾子の中にある怯えの感情が、その手からじわりと伝わってきた。綾子はいつも何かに怯えている。愛美が教えてくれなければ、真弥はずっと気づかないままだっただろう。


 綾子は真弥の目をじっと見つめ、それから諦めたようにうつむいて、静かに右手を引いた。


「ごめん。変なこと言っちゃったね」


 二人の微妙な距離感が、真弥には少し重苦しかった。


 人生の中で、互いに大親友と認識し合えるほどの人間関係を築くのは、意外と難しいことだ。それ故、大親友の存在はかけがえのないものとなるし、失った時の喪失感は耐えがたいものとなる。


 夫も子供もいた愛美よりも、夫とは別れて子供もいない独り身の綾子の方が、真弥とより共感し合えるのは確かだった。愛美の死がここまで悲しいのに、もし真弥まで失うことになったら、という怯えが、綾子から心の余裕を少しずつ削り取っていた。


 愛美の魂は今、どこにいるんだろう。


 真弥の頭に浮かんだのは、天国の記憶のイメージだった。


「そろそろ、戻るね」


 綾子はぎこちない表情で立ち上がり、カーテンを潜ろうとした。


「ねぇ」


 真弥の呼びかけに、綾子は立ち止まり、真弥の方を向いた。


「神様っているのかな」


「いるにきまっているじゃない」


 綾子は即答した。当たり前のことをどうして聞くのか、と不思議そうな顔をした。


 真弥は神を信じていなかった。天国の記憶の中で聞いた神の声のようなものでも、神を信じるにはまだ足りなかった。しかし四十六年生きてきて、自分以外で神を信じていない人に、一人として出会ったことがなかった。


「どうしてそう思うの?」


 それは綾子にだけでなく、すべての人に対する疑問だった。


「どうしてって」綾子は、斜めに顔を上げ、何もない空間を見つめた。「いないと、救いがないじゃない」


 真弥が求めていた答えとは違っていたが、今はそれで納得することにした。

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