第5話 消えた大根
改訂版と入れ替えております!!
「うぅ……私のマイハニー………」
畑から屋敷に担ぎ込まれて数時間。
寝台に突っ伏しひたすら泣き続ける果竪に、屋敷の者達は部屋の入り口から心配げに見守った。
間違っても、「ハニーやらダーリンやら忙しいな、どっちやねん」、なんていうツッコミはしない。
彼らは優秀だから。
「一体どうなされたんだ?」
「何でも、大根が果竪様を捨てて都に上京されたとか」
「え? 私は大根が誘拐されたって聞いたけど」
「それか恋煩い?」
恋煩い?!
その場に稲妻のような衝撃が走った。
「誰が誰に!」
「通り過がりの誰かとかだったらやばいぞ!」
「王の抹殺対象に入る」
自分達は永い時を生きる神。
だが、神は不老ではあるが不死ではない。
不死に近い肉体は持つし、その頑強さには目を見張るものがあるが、死ぬ時は死ぬ存在だ。
つまり、殺害される恐れもあれば、自殺する事だって出来る。
「いや、他の男とかじゃなくて」
「じゃあ女?!」
王妃様の雄々しさには女性どころかオトメン達だって恋い焦がれる。
「違うって。王妃様大根にしか興味ないじゃん」
とりあえず、黙らせた。
どこで誰が聞いているか分からないのにそんな危険発言許しませんよ!!
「イダダダタ! だから、恋する相手は大根だって事だよ!」
大根に恋をしている?!
「それはいつもの事じゃん」
全員の言葉を代弁するかのように言うのは、侍女の一人。
王妃が大根を異常なまでに愛しているのは、周知の事実だ。
今更驚く事でもなければ、衝撃を受ける代物ではない。慣れって恐い。
「どうしましたの? 貴方達」
「め、明燐様?!」
聞こえてきた声に後ろを振り向けば、そこには明燐が立っていた。
「そ、その果竪様のご様子が」
「果竪がおかしいのはいつもの事でしょう」
女性の誰もが憧れる王宮上位職――侍女長の適正の一つは王妃への毒舌。
そんな事を思わざるを得ない一言である。
「その、あんなに悲しまれている姿は珍しくて」
「ああ、大根がないって騒いでいましたからね」
「大根がない?!」
「昼食後に畑に行ったら大根がなくなっていたのよ」
「それは一大事ではありませんかっ!」
屋敷の者達の騒ぎように、明燐は首を傾げた。
自分の予想では、屋敷の誰かが絶好の収穫時期を逃さない為に、密かに収穫したものと思っていたが……。
「誰かが収穫したのではないのかしら?」
「誰かとは? まさか、この屋敷の中の者が……ですか?」
「そうだと思っていたのだけど」
「いいえ、あの時は使者を迎えるのに忙しく、誰も大根の収穫には行っておりません」
寧ろ行ったらただの馬鹿だ。
「では、どうして……」
まさか、大根が歩くわけもないし……
「……いえ、歩くかもしれませんわ」
「明燐様?」
「果竪の作る大根ですもの。歩いたり踊ったり脱走したりするぐらいわけないですわ!!」
それ、もう大根じゃないし。
「だ、大根って普通は歩きませんけど」
「いや、王妃様が作られるものならば分からないぞ!!」
「そうだ、王妃様の大根は不可能を可能とするスーパー野菜だ!!」
果竪の作る大根ならば何が起きてもおかしくない。
それは、もはや屋敷に仕える者達にとっての共通認識事項である。
「でも、本当に大根はどこに行ったのかしら?」
「早く探さないと王妃様が泣きすぎて枯れてしまう」
「そうね……って、あれ? 王妃様は?」
先程まで泣いていた果竪の姿はそこになかった。
その森は、屋敷から歩いて三十分ほどの場所にある【聖域の森】と呼ばれる土地だった。
暗黒大戦では、天界は多くの領土を失った。
その為、現在の天界十三世界は、現天帝達によってその大部分の領土が新たに創造されている。
そんな中、大戦以前から今も残る古の土地は聖域として住民達から大切にされている。
【聖域の森】も、あの忌まわしい大戦にも負けず残った土地として、近隣の領民達から大切にされていた。
領民達に愛される森には、普段ならば多くの者達が訪れるが、今日に限っては誰の影も見えず、代わりに遊歩道を森の獣達が闊歩し、鳥達が気ままに木々を飛び回る。
だが、そんな獣達も最奥にある泉には近寄らなかった。
既に先客がいるからである。
その先客――果竪はそこに立ち尽くしながら、何度目かの溜息をついた。
「私の大根達……何処に行っちゃったんだろう……」
自分の部屋で大根を求めて泣き続けていたが、どんなに嘆いても大根は戻って来ない。
自分の至らなさにもどかしく、気付けばこの泉の前に居たのだ。
だが、果竪はその事には気付いても、それがもたらす結果には気付かない。
「きっと今頃寂しがってる……」
ああ、一体愛しい大根達は何処に行ってしまったのだろうか?
もしこのまま大根達が見つからなかったら………。
「そんなのいやぁっ!!」
果竪の叫びが森に木霊する。
鳥達が驚いて飛び立ち、獣達は一斉に物陰に隠れた。
「大根と……もう会えないなんてありえない!!」
そんなの絶対に嫌だ。
愛する大根達ともう二度と会えないだなんて!!
「どうして?! 私の何がいけなかったの?! 家出? 家出なの?!」
だが、すぐにその考えを打ち消す。
「違う!! 愛する大根が私を残して家出なんてするはずがない!! 大根達は私を残して居なくなったりしない!!」
となると、別の意思がそこに働いたという事になる。
「まさか誰かに拐かされたんじゃ!!」
無理矢理連れ去られたとすれば、納得できる。
そうだ――大根達は無理矢理誰かに誘拐されたのだ……その悩ましい美貌とスタイル故に!!
「くっ! こうしちゃいられないわ!!」
果竪は大根達を助けるべく決意する。
その為には、畑に戻って証拠を探さなければ。
果竪は泉を背に森の出口へと向かって走り出した。
それを見かけた獣達が、慌て木々に隠れる。
下手に前に出て轢かれるだけならまだしも、大根探しにこき使われでもしたら大変である。
「待っていて私の愛する大根達!! いま私が助けに行くわ!!」
前だけを見て走っていた果竪は、足下にあった大きな木の根に気付かない。
見事にそれに足を引っかけ、スッ転ぶ。
その綺麗な転び方に、獣達は称賛の咆哮を上げた。
「イタタタ……」
思いきり打ち付けた膝が痛い。
涙目になりながら立ち上がり、服についた土を払う。
「うわ、ここ破れてる……明燐が怒るな」
そう呟いた瞬間、果竪は気付く。
そういえば、ここに来た事を明燐達に……うん、絶対伝えてない。
何も言わずに、勝手に一人でここに来ているという事実に果竪は青ざめた。
この【聖域の森】には、王宮から追放されここに来て以来、何度も訪れてきた。
しかし、訪れる際には必ず明燐が共に居た。
なのに、今は一人きり。
いや、そもそも一人で出歩いても良いと許されているのは、屋敷近くの畑ぐらいまでである。
が、此処は屋敷から一時間歩いた場所。
「や、やばい!!」
明燐が怒り狂う!!
果竪は服の土払いもそこそこに再び走りだそうとした。
が――
「ん?」
不穏な気配を感じて振り返る。
自分が走ってきた道の向こう――木々の合間に人影が見えた気がした。
「森林浴に来た人かしら……」
にしては、まるで何かを警戒しているかのような動きである。
果竪は少し考えた後、その人影へと向かって歩き出した。
変な人には近づいてはいけないと明燐達から教えられてはいたが、何か気になるのだ。
人影が見えた位置まで来たが、一足遅かったのかそこには誰もいなかった。
もしや森の奥に進んでしまったのかと思い、終には自分が先程まで居た泉へと辿り着く。
だが、そこにも気配はない。
「……見間違いだったのかな……」
その時――突然大地が揺れ地響きが辺りに木霊する。
激しい揺れに、果竪は地面に転がり立ち上がることも出来ない。
獣達の悲鳴が聞こえ、鳥達の羽ばたく音が森に響く。
果竪の中に恐怖が込み上げる。
無意識のうちに手は助けを求めて宙をさまよい、口は勝手にその名を呼んだ。
萩波――
「っ!!」
我に返り口を手で覆う。
どうして明燐ではなく、遠く離れた夫の名を呼んでしまったのだろう。
来られる筈がないのに
いや、来るはずがない相手なのに
だって、夫は既に愛しい存在――愛妾と呼ばれし少女を片時も傍から離してないのだから。
気付けば地震が静まっていた。
果竪は自分の中から悲しみを振り切るように勢いよく立ち上がる。
だが、揺れていたせいか体のバランスが悪く、再び尻餅をついてしまう。
「ダメだ……まだ酔ってる……」
それでも必死に体を起こした果竪は、ふと視界の違和感に気付く。
「あれ……水……え、えぇ?!」
果竪は目の前に広がる筈の泉の惨状に思わず悲鳴をあげた。
泉が完全に干上がっているのだ。
あれだけ豊かに沸いていた水はなくなり、代わりに土が露出している。
よくよく見れば、泉の底の部分に幾つもの大きな亀裂が走っており、そこから水が抜けた事が分かった。
「う、嘘でしょう?!」
まさかここの泉が干上がるなんて。
この泉は、どんな場合でも水が干上がることのないとされてきた水場であった。
大戦時代には、この泉に命を救われた者達も多く居る。
なのに、この状態が周囲に知れ渡れば……。
「すぐに知らせなきゃ!!」
明燐と、この地方を治める領主に。
特に領主はこの地を治める者としてこの事実を知る必要がある。
領主の住まう街までは、屋敷からだと歩いても二時間はかかるが、この森からだと一時間程度でつく。
果竪は一刻も早く泉の事を伝えるべく森の出口を目指すことにした。
が、走りだそうとした果竪の耳に、ガサガサと何かが草をかき分け、近づいてくる音が聞こえてきた。
もしや、あの人影の人物だろうか?
だが――果竪の前に現れたそれは、人の形をしていなかった。