第58話 しばしの別れ
「最後はやっぱりここだよね」
あれから一週間以上過ぎたというのに、いまだに焼け焦げた匂いが漂うその場所は。
『聖域の森』
但し、元がつくが。
「見る影もなくなっちゃったね……」
あれほど緑生い茂っていた木々は黒焦げとなり、葉っぱの一枚も残っていない。
しかも、全体的に焼け残った木の総数が少ないらしく、かなり向こうまで見渡すことが出来た。
果竪が来た時には、他にも様子を見に来ていた者達が何人も居た。
皆、哀しみと悔しさを露わにしていた。
それほどに、この森は民達にとっての心の拠所として愛されていたのは言うまでもないだろう。
「みんな愛していたのよ」
暗黒大戦後も残っていたこの森を――。
あの苦しく辛く、全てを滅ぼしかねなかった悪夢の時代を生き抜いたこの森を自分達に重ね合わせていた。
そうする事で、必死に生きてきたのだ。
苦しい事にも、辛く哀しいことにも負けないように――。
この先、この焼け落ちた森はどうなるだろうか?
このまま荒れ地となるのか。
それとも、再び緑溢れる地へと生まれ変わるのか。
そしてその時、自分はそれを見る事が出来るだろうか。
気づけば、聖域の森の前にいるのは果竪だけになっていた。夕日が周囲を照らし、全てが緋色に染まる。
それは、この森を焼き尽くした炎の色と同じだが、何故か果竪には別のものに見えた。
パキンと枝を踏みしめる音が聞こえる。
はっと振り返ったその先に見えた人物。
夕日の光が逆光となり顔がよく見えず、果竪は眼を細めた。
すると、まるで相手の姿を露わにするかのように、降り注ぐ緋色の光が動いたような気がした。
露わになる顔。
果竪の中に安堵と喜びがこみ上げる。
「無事だったのね!」
「当たり前じゃない」
そう言ったカヤは、前と同じ笑顔を浮かべて果竪に笑いかけたのだった。
「何しょぼくれた顔を」
「うわあぁぁぁんっ! 会いたかったよぉ!」
「って飛びつくなぁっ!」
泣きながら飛びついてきた果竪にカヤはそう叫びながらも、体は受け止める体勢となる。
別にこのまま避けてもいいが、そうなると果竪は黒焦げとなった木々の残骸に突っ込み真っ黒になってしまう。
そうして受け止められた果竪はカヤに抱きつき再会を喜んだ。
「森が焼けて、カヤも何処にいるか分からなくて」
えぐえぐと泣きじゃくる果竪は年相応の少女だった。
そんな果竪の頭をカヤはぽんぽんとなでる。
「そう……心配してくれたのね、ありがとう」
「当たり前じゃない! こんな……森が凄くなっちゃっていて、しかも神殿では女性像が壊されちゃうし」
「そうね、壊されちゃったね」
カヤの言葉に、果竪は涙を拭って顔を上げた。
「カヤも知っているの? 女性像のこと」
「勿論よ。この森で見つかったのでしょう?」
そう……女性像はこの森で見つかった。
それも、あの鍾乳洞を探している途中で。
「それにしても……抜け目のない者達ね……まあ、同じ轍は二度と踏まないという事だと思うけど」
「え?」
カヤは何を言っているのだろう?
「ふふ……今に分かるわ……なぜなら、貴方は選ばれてしまったのだから」
「選ばれて?」
すると、カヤが哀しそうに笑って言った。
ごめんね――と。
「カヤ……」
何を謝っているのだろう?
そして……どうしてそんなに哀しそうな顔をするのだろう?
けれど、それ以上聞く事は出来なかった。
「で、一体どうしたの?いくら今回の事件の首謀者達が捕まって事件が解決したからって言ったって、こんな時間に一人でここに来るのは危ないわよ」
どうやら、カヤは今回の事件の顛末も知っているようだ。
まあ、あれだけ大騒ぎすれば耳にはするだろう。
一応、今回の一連の経緯は民達にも説明はしてあるし。
「いや、その、お別れに」
「お別れ……ああ、戻るのね」
「うん」
カヤは自分が王妃だという事を知っている。
だからこそ、果竪は素直に頷いた。
少し考えれば誰だって分かる。
本来王宮の奥深くにいる王妃が、本当は此処にはいない事を。
居てはいけない事を。
どんな物もあるべき姿に戻らなければならないように。
王妃である自分もまた、戻らなければならない。
「でも……恐いの」
果竪は静かに言った。
「本当は恐くてたまらないの。王宮に戻らなければならない、やらなければならない事をしなきゃならない。この先行く場所もやる事も分かっている。何度も考えて納得した。でも、それでも……それでも恐くて迷っちゃうの」
何度も考え何度も悩んだ。
何度も自分を納得させた。
理解し、納得し、それを受け入れた。
でもまた悩み考える。
いつまで経っても堂々巡り。
同じ問題を悩み同じ答えに行き着くのに。
再び同じ事を悩んでしまう自分が酷く醜く思える。
なんでこんなに弱いのだろう……。
夫も王宮にいる皆も、そして明燐もあんなに強い。
李盟達も前を向いて頑張っている。
なのに、私だけがこんなにも後ろ向きだ。
「必死に前を向こうとしても、気づけば後ろばかり振り返っちゃうの。同じ事をウジウジ悩んじゃって、結局どうしたいのか分からなくなっちゃうの」
全部納得した筈なのに、まるでメビウスの輪のようにぐるぐると同じ事をしてしまう。
「こんなんだから……ダメなのよね」
みんなみたいな強さが欲しい。
こんな風に、何度も後ろを振り返り後悔し悩む弱さなんて欲しくない。
そこまで言って、果竪はハッとした。
こんな愚痴を聞かされて気分が良い筈はない。
カヤの気分を悪くさせてしまったのではないだろうか。
「あ、あの、カヤ」
「別にいいじゃない」
「へ?」
慌てて謝ろうとした果竪に、カヤが呆れたように言った。
「だから、いいんじゃないの、迷っても」
「で、でも、私のは迷いすぎて」
「いいじゃない、迷いすぎたって。後ろを向こうが迷おうが、何度も同じ所をぐるぐるしてようが、それでいいじゃない。寧ろ何が悪いの?」
カヤの問いに、果竪は答えられなかった。
「弱い事の何が悪いの?」
「カヤ……」
カヤが腕を組みながら果竪を見つめる。
「確かに弱ければ傷つく事も多いし、理不尽な目に遭うこともある。でも、だからこそ得られる物もあるわ」
「得られる物?」
「そう。私としてはね、寧ろ何でも出来ると思う者の方がよっぽど危険だと思うわ」
「危険?」
「そうよ。だって、自分が強くて何でも出来るとなれば、他者の意見を取り入れないでしょう?」
「あ……」
「それに、果たして果竪は堂々巡りをしてるかしら」
その言葉に、果竪はカヤを見た。
「確かに同じ問題、同じ答えに行き着いたとしても、その度に少しずつ変わっているものがあると思うわ」
「変わっているもの?」
「それが何かは自分で気づく事。私が言っても、自分で気づかなければ意味がないから」
そう言うと、カヤが果竪の頭をなでた。
「まあ、とりあえず動いてみればいいわ」
「動く?」
「そう。動けば何かが変わるかも知れない。投げられた小石が水面に波紋を作るように、たとえどれだけ小さくとも動いた事で変わるものはきっとある筈よ」
だから頑張りなさい。
そう言ってカヤは果竪を抱きしめた。
それは、初めての事だ。
驚いて身じろぎすら出来ない果竪に、カヤはふっと笑うと、ゆっくりと体を離した。
そして、そのまま後ろに下がる。
「カヤ?」
「もう帰りなさい」
その言葉に、ようやく果竪は辺りが暗くなっている事に気づいた。
もう、空には上っていく月が青銀の光を放ち始めている。
「カヤはどうするの?」
州都に戻るのならば一緒に行こうという果竪に、カヤは頭を横に振った。
「私はいいのよ」
「でも」
「いいの」
カヤの言葉に、果竪は言った。
「あの……また会えるよね」
すぐには無理だけど、王妃を辞めたら自分は此処にまた来るつもりでいる。
だから、その時は。
「無理」
「っ?!」
カヤはきっぱりと言い切った。
「ど、どうして?」
もしかして、森がこうなったから何処かに引っ越すのだろうか?
「ひ、引っ越すの? なら、誰かに引っ越し先を伝えてくれれば」
「違うわ」
「じゃあ、どうして?私のこと」
「嫌いじゃないわ。でも、無理」
「っ……」
再び涙がこみ上げてくる。
そんな果竪にカヤは困ったように笑った。
「泣き虫な王妃様。それではこの先動けなくなるわよ」
「だ、だって!」
「貴方には愛する大根達が居るでしょう?」
「カヤだって大切だもの」
「たかが数回しか会った事がないのに?」
「そ、それでもです」
断言する果竪にカヤが負けたと言うように溜息をつく。
しかし、その顔は何処か嬉しそうだった。
「そうね……もしかしたらまた会えるかもね」
「ほ、本当?」
「……果竪が――何時までもそう思い続けてくれるなら」
そう……もしかしたら、奇跡が起きるかも知れない
「さあ、帰りなさい――貴方が生きる場所へと」
「カヤ……」
「果竪、またね」
その言葉に、果竪は涙をぬぐって微笑んだ。
またね。
それは再会の約束。
それが何時になるかは分からないけれど。
でも、いつかまた会いましょう。
出来るならば、今度は日の光溢れる場所で。




