第56話 パンドラの箱
その日、瑠夏州への救援物資を運んできた王宮の一行は、州都に足を踏み入れた瞬間一斉に踵を返した。
「待てやゴラぁ」
「ひっ! 女王様」
「ここではその名で呼ばないで下さいませ」
笑顔で使者の横っ面を扇で張り倒す明燐に、物陰で見ていた使者団の長はグッと心の中でエールを送った。
殴られた一行の長は、彼の息子だった。
「あら? 思ったよりも物資が多いですわね」
「わ、我が王より惜しむなとの言葉です、ぐふっ」
「うわぁぁぁっ! 団長が倒れたあ!」
「泡吹いてるぞ!」
「なんて軟弱なのかしら」
か弱い女子の一撃を受けてこうでは頭が痛い。
とばかりに溜息をつく明燐に、その場にいた全員が嘘だと心の中で叫んだ。
確かに見た目はか弱く暴力等とは無縁の清楚可憐さを称える明燐だが、彼女が果竪に襲い掛かった熊にボディーブローを喰らわせて一撃で仕留めた経験を持つ事は王宮内の誰もが知っている。
あの時の切れ、あの時の勢い、そして熊を一撃で仕留めた時の笑顔。
しかも、果竪が熊の存在に気付く前に葬ったその手際の良さに女性陣はお姉さまと頬を赤らめ、男性陣は女王様と恐れ戦きつつも、胸キュンしたのは言うまでもない。
所詮はオトメンの男性陣。
強い女性の雄々しさに抗う事など無理なのだ。
更には、その美しさと気高き色香は、男達の劣情を刺激するというよりは、凄惨なる過去より開発され開花させられた己が女の性に男達は涙したという。
「で、どうして踵を返されたのです?」
「とりあえず色々と幻覚が見えましたので、ここは一度王宮に戻ろうかと思いました」
そう言った副団長だったが、その視界をまた横切るそれに意識を飛ばしたくなった。
「たかが大根ではないですか」
「たかが大根がどうして歩いたり物を運んだりしているんですか!」
実は明燐もかなり常識から外れているかもしれない。
というより、果竪と一緒に居る時点で大根に対する一般常識の許容範囲が広くなってしまったのだろう。
現在、州都の人口は民よりも大根が多い。
それも、歩き回り自由に動き大根達が。
大小様々の大根達がくるくると動き回り、資材や物資を運びつつ、壊れた建物などの修復をしているのだ。
しかも、民達はそれに対して特に疑問に思う事もなく、大根達と一緒に働いている。
「この州都には邪悪な呪いがかかってるのですか!」
「それ、果竪の前で言ったらあの子泣きますよ」
それはつい三日前の事だ。
伯冨達によって壊された州都を修復するも、疲弊しきった民達だけでは追いつかなかった。
その為、果竪が近くの山に生えていた野生の大根達をやはり野生の勘で見つけ出し、彼らを動けるようである。
曰く、彼らは大根の妖精。
彼らはとても勤勉に働いてくれた。
最初は大根達が完璧な行進で山から下ってきた姿に阿鼻叫喚となった民達も、今では共に働きつつ、一緒に休憩なんぞもしているという。
「そこまで心が疲れてしまったとはっ!」
「くぅ! 我らがもう少し速く駆け付けていれば」
「大根に占拠されずとも済んだのに」
果竪が聞けば泣いて抗議するような発言をしつつ嘆く王宮の一行だった。
それから、一週間。
王宮からの一行と、それ以前に来ていた使者団の協力もあり、州の各地に救援物資が届け終った。
後は、それぞれの町や村での配給制度に頼る処が大きいが、それも各地に派遣された領主館の官吏達のもと、何とかなるだろう。
少しずつだが、民達に笑顔が戻っていき、州都も再び活気づいていく。
が、それを更に加速させる報せが届いた。
「騎凰様が見つかりました!」
行方不明だった官吏――騎凰。
彼が見つかったという報せが入ったのだ。
しかも、衰弱はしているが命に別状はないという。
「しばらく村で休んだ後は、こちらに戻って来られるようです」
「良かった……本当に」
「李盟……」
子供のように泣きじゃくる李盟の頭を果竪は優しくなでた。
どれほど大人のように振る舞っていても、まだ十歳の子供なのだ。
今まで張り詰めていた緊張の糸を少しぐらい緩めたとしても誰も文句はつけないだろう。
それに今は、民達も李盟への信頼を強めているのだから。
その後、ここらで一つ大きな祭りを行う事が決まった。
それは、民達を元気づける為のお祭りだ。
歌って踊って騒いで――沢山美味しいものを食べて。
そしてまた明日から頑張ろう――そんな民達を鼓舞する祭りが開催される。
開催日は一週間後。
本来ならばこれほど大きな祭りとなれば、数ヶ月の準備期間が必要となるが、現在の状況からはそんな余裕はない。
その為、準備は急ピッチで進められた。
勿論、果竪も大根の妖精達と協力し、飾り付けに追われていた。
李盟達は王妃がそこまでしなくても良いと止めるも、何かしていた方が気も紛れるとして果竪は率先して手伝いを行っていた。
そう――何かしていた方が、先延ばしにされるのだ。
果竪は焼け落ちた『聖域の森』に、いまだ足を運べていなかった。
「カヤ……どうしてるかな」
『聖域の森』が焼け落ちたと聞いた時、思ったのはカヤと二度と会えないという思いだった。
しかし、よくよく考えれば別に『聖域の森』が焼け落ちただけでカヤと会えなくなるなんていう馬鹿な話はない。
あのカヤの事だから、きっと無事に逃げ延びている筈だ。
「それに……私、カヤとあったよね」
『聖域の森』ではない場所で。
もしかしたら、あの後『聖域の森』に戻ったかもしれないが、だからといって火事に巻き込まれたとは言い切れない。
きっと、前みたいに『なんて顔してるの』とか言ってひょっこり顔を見せてくれるに違いない。
でも――そう思っても、どうしても足が進まなかった。
果竪は後を大根達に御願いし、近くのベンチに腰を下ろした。
「ふぅ……」
空は何処までも青く澄み切っている。
昔、夫がくれた青玉を思い出す。
そういえば、あの青玉は何処にいったっけ?
「……確か、壊されたんだっけ」
久しぶりに出た宴で、夫に言い寄る姫君達に嫌がらせで青玉を壊されてしまった。
しかも、大勢の前で転ばされて頭から料理や飲み物を被ってしまった。
まるで濡れ鼠のよう――。
くすくすと、悪意ある笑いの中、何とか涙を堪えて先の退室を詫びて出て行けば、後ろで姫君達が夫に言い寄る声が聞こえた。
でも、そんな事は日常茶飯事だった。
誰もが言った。
あれほど素晴らしい王の妻になったならば、嫉妬や嫌がらせの一つや二つ甘んじて受け入れるべきだと。
それほどに、身分不相応な地位に貴方はいるのだから――と。
夫の妃に、側室になりたい姫君達やその親族関係者達は皆そう言って自分を責めるように見た。
誰にも言えなかった、
明燐にさえ言えなかった。
言えば、きっと明燐達は怒ってくれるだろう。
でも、そんな事になれば明燐達と彼らの関係が悪くなってしまう。
自分が我慢すればいいのだ。
寧ろ、周囲にそうとしか思って貰えない自分が悪いのだから。
そうしてずっと我慢してきた。
言えない。
言えないのだ。
そんな事を言えば、みんなを巻き込んでしまう。
だから――。
ツキンと頭が痛む。
ふと、何か大切な事を忘れているような気がした。
そう……とても、大切な。
『私は貴方を傷つける者は許さない』
「――っ?!」
それが思い出される寸前、果竪は無意識にそれを押し込めた。
それ以上思い出してはいけない――そう、自分の中の何かが警告する。
「思い出しては……ダメ」
そう、思い出してはならない。
思い出せば、自分は動けなくなる。
ニゲラレナクナル。
あの時のように――。
「忘れていなければ」
何を?と聞くもう一人の自分がいる。
しかし、それを押え付けるように別の自分が忘れることを叫ぶ。
そう忘れなければ。
『優しい果竪、これで貴方も分かったはず。貴方はもう私から』
ワスレナケレバ。
闇の中から目眩がするほど優しい声で囁く相手が誰かに気づく前に、忘れてしまわなければならない。
果竪は自分を守るように体をかき抱き、小さくまるまった。
それからどれだけ時間が経ったのか分からない。
けれど、日差しが更に温かさを増し、優しく吹きぬける風が髪を揺らし出した頃、果竪はゆっくりと起き上がった。
そうして、ポツリと呟いた。
「もう、全て終った事よ」
王妃を辞めてしまえば、全てが終る。
そう……自分が王妃を辞めれば、全てが良い方向に進むのだ。