第52話 明かされる真相
雨の降る音が静まりかえった館に響き渡る。
普段は多くの人達が行き交う廊下は、シンと静まり返っていた。
だが、程なくそこを慌ただしく走る足音が聞こえてくる。
この館の主――李盟は傷ついた足を引きずりながら奥へと向って必死に走る。
「くっ……」
血が流れ、足下を伝いそれは道標のように点々と続いていく。
どんなに気配を消しても、これではすぐに気づかれてしまうだろう。
現に、自分を追いかけるようにして近づいてくる気配は着実にこちらに向ってきている。
「……王妃様の言うとおりにしなかったからかな……」
とはいえ、自分も最初から果竪の言いつけを破るつもりはなかった。
ただ、調べ物をしているうちにいつの間にかこんな時間になっていたのだ。
果竪の怒る顔が目に浮かび、今からでも組合長のもとに向おうとしたが――。
その時、何者かが館の中に入ってくる気配に気づいたのだ。
一体誰が?
普段であれば有り得ない事だが、もしかしたら外に出している屋敷の者達の誰かが報告に戻ってきたのかもしれない。
そう考えて、気配のした場所へと向った李盟だったが、それは間違いだった。
明かりの点いていない廊下の向こうから襲ってきたのは、顔を隠した者達。
彼らは声もなく、李盟を見つけるやいなや襲い掛かってきた。
誰だと誰何している暇もなかった。
そんな事をしていれば確実に死ぬ。
だから李盟は逃げ出した。
それしか生き残る方法はないから。
「っ……」
傷の痛みが増し、視界がぐらつく。
少々出血が多くなり過ぎたらしい。
それでも、李盟は必死に歩き続ける。
そうして辿り着いた先は――両親の部屋だった。
家具は一つもかけず残っている。
掃除も行き届いていた。
けれど、ここを使う主達はもう居ない。
だが、領主となる事を決めた李盟にとって、ここは唯一両親のぬくもりが感じられる場所だった。
泣きたくなったら、いつも此処に来て泣いていた。
やはり自分が最後に行き着く先は此処なのか。
「父上……母上……」
両親が眠っていた寝台。
小さい頃はそんな両親の間で自分も眠っていた。
仲の良い両親だった。
愛情深い両親だった。
子どもも乳母に任せるのではなく、自分達で育ててくれた。
そしてその情の深さは、領民達にも向けられこの領地は少しずつ豊かになっていった。
そんな父のようになりたい。
両親が愛したこの領地を守りたい。
そうだ。
ただ、それだけだったんだ。
領主としての責務とかよりも。
自分は此処が好きだから、守りたかった。
たとえ、それで子どもでいる事が許されなくなったとしても。
「僕は……好きだったんです」
だから、領主になった。
大切な場所を守る為に。
「ようやく追い詰めたぞ」
禍々しい声が聞こえたかと思った次の瞬間、背後の扉が破壊された。
粉塵の中、現れた男達に李盟はゆっくりと向き直った。
「…………あなた方の狙いは何ですか?」
「勿論、お前の命だ」
もしかしたらどこかで予想していたのかもしれない。
普通なら突然こんな自体に陥れば、パニックに陥るだろう。
勿論、自分もそうだった。
だが、逃げ続けているうちに、少しずつバラバラだったものが形をなしてきた。
それは、男達と鉢合わせして逃げ出した時に男の一人がハッした声が原因だった。
『何が何でも李盟を捕まえろ!!』
その声は、この部屋の扉が破壊される直前に聞こえてきた声と同じ。
同じ人物の声。
そしてその人物が彼らの首領格だと気づいた時。
李盟は彼らが誰で、何が目的なのか知った。
「つまりこれは……二十年前の復讐ですか?」
男達が殺気立つ中、李盟はその名を呼んだ。
「ご自分の野望が打ち砕かれた事によるもの……ですか? 伯冨」
伯冨。
それは、二十年前に領主の座を奪い、この地を支配しようとし果竪達によって追放された男の名である。
その言葉にざわめく男達。
だが、一人の男――首領格の男だけは、静かに李盟の視線を受け止めていた。
どれほどの時間が流れただろう。
もはや気力だけで意識を保つ李盟に、ようやく男が口を開いた。
「名を覚えていてくれたとは光栄ですなあ」
パッと部屋の明かりがつく。
男が、顔を覆う布を外した。
そこに現れた顔は、紛れもなく二十年前と同じ。
「私も貴方の顔は決して忘れませんでしたよ」
「…………」
「この私を追放した一人として、いつか殺してやると誓った相手の一人なんですから」
クツクツと笑う伯冨の顔が狂気に染まる。
「本当に……酷い屈辱と辛酸を舐めましたよ。でも、もうそれも今日で終わりです。すべては今日のために、ずっと耐えて準備してきたのですからね」
「準備?」
「ええ。貴方を殺す為の準備ですよ。その為に、色々とやっかいなことを行ってきたのですからね。どうでしたか? 無能領主と蔑まされるのは。貴方が守ってきた民達から不信の眼差しで見られるのは?」
どうですか?
民達がこの先貧困に喘がなければならない現実は――。
李盟が相手を凝視する。
すべてが繋がった。
「お前……」
今回起こった全てのことは……伯冨達によるもの。
「何故……ここまで」
「貴方を孤立させる為ですよ」
「なん……だと?」
「いえ、違いますね。孤立させて絶望を味わせてから殺す為です。まあ、もう一つの大きな理由は、殺しやすくする為ですが」
殺しやすくする?
「普段、多くの兵士達に守られている貴方を殺すのは少々厄介なのですよ。だから、もがせて貰いましたよ――守りを全て」
伯冨は笑って言う。
今、この屋敷に誰も居ないのはすべて自分達の計画通りだと。
李盟を殺しやすくする為、殺す時に誰にも邪魔されないようにする為に、わざと館の者達をここから引き離したのだと。
「勿論、民達に復讐する理由もありましたが」
自分を領主として頂かなかった民達に生きる価値はない。
だが、自分は優しい男だ。
今後自分の為に馬車馬のように働き死んでいく彼らの為に、せめて今は生きることを許してやる。
だが、もう二度と自分に逆らわないように徹底的に痛めつけるのだと。
「民達をなんだと思ってるんですかっ」
「勿論、私の為に死ぬまで富を提供してくれる大切な働き蟻ですが?」
それはまるで使い捨てがきくと言わんばかりの言葉だ。
「まあ、あまり酷使するとすぐに壊れてしまいますから、代わりの準備はしておかなければね。そうそう、領民の一定の供給は必要ですからねぇ。子どもは各家庭に十人ずつ産んで貰いましょうか。産めない家は見せしめとして潰してしまうのもいいですね」
「っ?!」
「産めずに死んだらそれまでの事。別の女達を買うか略奪してくれば良いだけの話です」
「伯冨、貴様っ!!」
もう耐えられない。
李盟が伯冨に殴りかかる。
腹部に強烈な一撃を叩き込まれ、李盟は床に転がった。
「無様ですね」
「くっ……」
「その顔ですよ。その憎い顔……あの男と同じだ」
「あの……男?」
「そう……あの……男だ」
伯冨の歪んだ笑みが更に歪む。
「いつも私の前を行っていた男。あの時の私の不手際は、息子の貴様も共に葬れなかった事だ」
え?
「散々嬲り尽くしてから殺してあげますよ。貴方の両親の時は一瞬でしたから。な~に、すぐに他の者達も送ってあげます。あの、大根狂いの女も――」
大根狂いという言葉に、李盟はすぐに果竪の顔が思い浮かぶ。
と、その時点ですでに自分も何かが終わっている気がしたが、そこは深く考えなかった。
一瞬にして冷える頭。
果竪を殺す。
果竪を。
そんな事をすれば、果竪を愛する世界の大根達が反乱――じゃなくて、国王陛下及び上層部が黙っていない。
なぜなら、果竪はこの国の――。
州都が大根達に、ではなく王国軍に焼き払われる。
勿論、王国軍の構成は普通の神だが。
だって、果竪曰く大根はそんな暴挙はしない。
大根の好きな言葉は平和的解決。
そこに暴力という二文字は存在しない。
って事は、攻め込む王国軍は大根以下?
それを聞けば王国軍が本気で落ち込むだろう事をつらつらと考える李盟。
普通死ぬ前によぎる走馬燈の欠片もなく、彼の頭は大根の事でいっぱいだった。
それは一瞬の現実逃避だったのか。
「死ね」
ドンっと、刀が貫く音がした。




