第4話 説得と決意
その事件は、一人の姫君の死から始まった。
王の側室候補の死。
王妃である果竪は、その容疑者にされた。
誰だって、それまでの経緯を鑑みれば、側室に嫉妬した末の犯行と思うだろう。
だが真犯人は別に居る事を早くに掴んだ王と上層部により、事件解決までの間、追放という形で王宮から遠い辺境の地に逃がされたのだ。
「王妃様が冤罪だった事は、誰もが知っています。ですから、どうか王宮へとお戻り下さい」
果竪が追放された後、王達の必死の捜査により王妃への疑いは晴れ、真犯人達も処刑された。
事件が収束に向かうまで二年の歳月が流れた頃、王の終息宣言と共に事件は一応の決着を見せた。
最早王妃が王都に戻ってくるのを阻む者は居ない。
しかし――果竪は帰還命令を悉く蹴り、二十年と言う月日を此処で過ごしてきた。
王宮からの援助もできる限り断って。今、王妃の生活費は全て彼女が大根栽培で得たお金でまかなわれ、ただ屋敷と人員だけが王宮から支給されていた。
ビバ自立王妃ーー彼女を知る周囲の者達は尊敬の眼差しを送っていた。
「その言葉、嬉しく思います」
「ではっ」
使者の瞳に歓喜の色を見る事に心苦しく思いつつ、果竪は哀しげに告げた。
「ですが長く中央から離れていました。再び王宮に戻るとしても、すぐには……それに、度々体調を崩す王妃は国の害になっても薬にはなりません」
果竪はこう言って、この二十年もの間、王都へ戻る事を拒否し続けて来た。
「そのような事はありません」
「ですが、他の方全てがそうとは限りません。身体の弱い王妃など不要と思う者達も多い筈」
「王妃様」
「冷静にお考え下さいな。王妃は、ただ王に愛されるだけの存在ではございません。第一に世継ぎを産み参らせ、王の不在時には宰相と同格の権力を有する、れっきとした政治家なのです。公私ともに夫を支えられる強い後見人を有する美しく若い姫君が相応しいのは言うまでも無いでしょう」
「王妃様……」
使者が立ち上がり、吹けば飛ぶような儚い王妃に思わず触れようとした、その時。
仲間の動きを制するように声を上げたのは、使者達の中でも一番年齢の高い男だった。
彼は口早に述べる。
「王妃様の所に来たというのに、貢ぎ物を忘れてしまいましたぞ!!」
「え、あの」
「私とした事がなんたる失態!!」
悔しがる姿からは、演技だとは思えない迫真さが感じられる。
男は果竪を見ると、ガバリと頭を下げた。
「誠に申し訳ありません! しかし今日はこれにて失礼! この度の詫びもかね、後日また伺いますのでどうか養生下さいませ」
そう言うと、呆けた状態で立ち尽くす使者の襟首を掴み、残りの使者達を促し部屋を出て行った。
突然の事ながら、その去り際は見事だった。
「流石は使者歴数百年」
小刻みに肩を震わせた明燐が呟く。
「上手く逃げられましたわね?」
「どうあっても続きを言わせない気ね」
これまで何度もこんなやりとりをしては、使者達が逃げていく。
まるで最後まで言わせてしまえば全てが終わると言わんばかりに。
果たして、それは彼らの意思かそれとも――。
「けれど、今回はそれだけではありませんわね」
意外な言葉に、首を傾げる果竪に明燐が苦笑する。
果竪以外の誰もが気づいていた。
不敬罪の危険を冒してでもとんでもない退散をしたのは、あの使者が王妃に必要以上に近づこうとしたからだ。
「ですが、果竪。確かに彼らの言うとおり、この国の王妃が此処に留まるのはまだ良いとして、別の女性を薦めるのは、この私でも承諾はできませんわね」
明燐がにっこりと笑った。
「そうでしょう?」
麗しく微笑む友人の顔が悪魔に見えた。
「私は相応しくないのは誰もが分かってる事じゃない」
「それでも、今は果竪が王妃なのよ。その事と王妃という地位の重みを忘れないで。ああ、睨んでも駄目」
「明燐は厳しい」
「当たり前ですわ。時には貴方を諫めるのが私の信条ですもの――さて、昼食にしましょうか。あの使者達も、あれほど急いで帰らなければ料理人の自慢の料理を振る舞われましたのに」
この屋敷の料理長の腕前は、近くの街のお祭りの際には必ず料理を振舞ってくれるように泣きつかれるほどの腕前だった。
勿論、果竪も料理長の作る大根料理は大好きだ。
「それでは、しばし御前を失礼します」
そう言って退出しようとする明燐に、果竪は声を掛けた。
「ねぇ、昼食の前に畑」
「寝室の方で待っていて下さい」
有無を言わせない明燐の気迫に、果竪は怯えながら頷いた。
やはり、明燐に本気で逆らってはいけない。
明燐が他の侍女達を連れて退出すると、すぐに明燐の命を達成するべく自分の私室兼寝室へと向った。
階段を上った先に、果竪の寝室はあった。
広い間取りに、品良く調われた室内。
これが貴族の姫君ならば何の問題もないだろうが、もと田舎出身の果竪にとっては分不相応な広さだった。
果竪はそのまま寝台に近寄ると、寝台の下を探り一つの箱を出した。
鍵穴がなく、蓋と本体の境目もないが、果竪の紡ぐ呪が鍵となる。
その最後の音が宙に消えると、カチンと鍵が開く音に加え、蓋と本体の切れ目が現れた。
ゆっくりと蓋を開けると、そこには銀冠が鎮座していた。
凪国王妃の証であり、賢君と名高い現王――萩波の唯一の妻であると示す絶対無二の冠である。
果竪はこの冠が初めて頭に載せられた時の事を思い出した。
その時に感じた重みは、後に続く苦しみの重さだった。
「王妃になんてなりたくなかった……」
銀の冠に映り込む果竪の顔が悲しみに彩られる。
果竪の夢は何処までもささやかな物だった。
農家の嫁になりたかったのであって、王妃になる気は全くなかった。
王妃になったのは、成り行き。
夫が国王になったせいで、自分も王妃に据えられただけだった。
周囲――特に夫の後宮入りを狙う者達からは、散々嫌みを言われ、罵倒された。
確かに王の妃には、一般的に見ても有力な後見を持つ姫君との婚姻が望まれるが、果竪には何もなかった。
産まれは貧乏な農家。
身内といえば、血の繋がらない従姉妹が一人だけだが、それも彼女の嫁ぎ先によって滅多に会えず。
それ以前に従姉妹も一般家庭の出であり、後見人になるどころの話ではない。
後宮を開き、多くの高貴な姫君を妃とし、王としての権威を高めるのは当然のこと。
それが、狐狸貴族達の言い分。
何時しか仕方ないと諦めた。
遠く離れたこの屋敷に追放された後は、更にその思いは強まった。
自分は王妃で居るべきではないのだ。
だから――
「此処に来て……二十年か……」
それは神である自分達には短い年月……けれど、一人の女としては長い月日とも言えた。
特に、夫の心が離れるには十分すぎる時だったのだろう、
「長すぎたもんね………」
ズキンと痛む胸を抑え、果竪はゆっくりと目を閉じた。
自分一人だけを愛してくれた夫は……もう居ない。
昨年の春である。
風の便りで夫が愛妾を持ったと聞いたのは。
果竪は静かに箱の蓋を閉めた。
誰も知らないだろう。
哀れな女が一人、その悲しい報せに涙を流し、枕を涙でぬらした事は。
そう、誰も………。
小さな声で施錠の呪を唱えると、再び寝台の下へと戻す。
次にこれを開ける時、自分はどうなっているだろうか。
全ての人達にとって良い方向へと向って欲しいと思うのは、過ぎたる事だろうか。
「果竪」
気づけば、明燐が隣に立っていた。
「急いで食事の用意をして戻ってきてみれば、床の上に座り込んでいるなんて」
「ご、ごめん」
「はい、食事ですよ」
そう言って明燐が差し出したお盆の上には、野菜中心の料理が並んでいた。
「料理長の力作ですわよ――色々優れない王妃様への」
「って、それ演技」
「心の方ですわ」
「っ?!」
明燐の言葉に果竪は息を呑んだ。
まさか、気づかれていた?!
「当たり前ですわ。皆、それだけ果竪の事が大好きなのですから」
「明燐」
「相談してとは言いません。でも、その時は皆喜んで聞きますからね」
明燐の優しい笑みに、果竪の心は温まる。
そうだ
皆のためにも良い方向に進ませなければ。
その為に私は尽力しよう。
さて、それには気分の転換を図る必要がある。
昼食後、果竪は素早く農作業服へと着替えた。
鍬を手に、籠を背負って心の聖地とも言うべき畑へと走っていく。
自分の気分転換はこれ。
農作業に勤しめば嫌なことは全て忘れられる。
しかも、農作物も収穫出来一石二鳥!!
朝は望まぬ者達の来訪によって断念したが、もう邪魔者はいない!
きっと愛しの大根達は自分を待ってくれている。
ああ、待っていて愛しい私の大根達!!
果竪は愛する大根の寝床へと爆走する。
生茂る木々も最早果竪を止められず、その動きは一流の武官すらも足下に及ばない。
「いま行くわ、私の白い宝石達!!」
「何が宝石ですか。たかが大根に対して」
「それは私が心血注いだ我が子であり、鰤大根予定である白き宝石への侮辱だわ!!」
「白い鰤大根なんて邪道です」
畑へと急ぐ果竪の隣を、同じ速さで走る明燐。
彼女に夢を抱く男性陣が見れば、即卒倒しかねない光景がそこにあった。
しかし、そんな事はいつもの事でもあった。
「私の趣味にケチをつけるな!!」
「仮にもこの国の王妃が農作業服で大根収穫が元気の出る趣味。ああ!! 世も末ですわ」
「何言うのよ!! 大根の何が悪いの?! 人参だったらいいの?!」
「普通の王妃は農作業なんてしません」
「農作業こそ私の仕事よ! そもそも私は五穀豊穣を司る神族の血統なんだから」
勿論その中でも下っ端ではあるが、紛れも無い実りを司る一族である。
五穀豊穣を司る者として、農作業をする事はむしろ当然の事だろう。
「大根以外満足に育てられもしないくせに」
よし、王妃辞めよう絶対に辞めよう。
どこかの貴族の姫君を王妃にしてやる絶対に!!
何かにつけて余計な事を言う明燐に無言を貫きながら、果竪は目前に迫った畑へと突っ走った。
もう少し、もう少しで白く輝く大根に会える!!
しかしそんな願いは脆くも崩れ去った。
「…………ない」
「あらあら」
あれだけ自己主張していた丸々と太った白い大根達。
それは今、一つも残っていなかった。
焦茶色の土だけがそこにある。
大根の緑の葉も、白い部分も何も無い。
いったい愛しい我が子達は何処に言ったのか?
まさか家出?!
それとも誘拐?!
夢をかなえる為の単身上京?!
私捨てられた??!!!
「私のマイダーリン………」
バタン
「果竪?! 果竪しっかりして!!」
衝撃のあまりその場に倒れ付した果竪。
明燐が慌てて駆け寄るも意識を取り戻すことはなく、その後大慌てで屋敷へと運び込まれたのだった。