第47話 清い心
その薬草は、大根のミニチュアバージョンだった。
愛らしい姿、愛らしい仕草。全てが完璧だった。
ただ一つを除けば――
急いで引き抜こうとした料理人を果竪は押し止めた。
「待って」
「何故止めるのですか?!」
「あれを抜くときには注意が必要なの」
「注意?」
「そう……あれは、抜く者の心を敏感に察知するのよ。心に悪しき思いがあれば決して抜くことは出来ないの」
その言葉に、その場に居た者達がゴクリと唾を飲み込む。
「そ、そんな凄いものだったのですね……」
「ええ。大根の品種改良している内にたまたま出来たものだったんだけど」
「そ、それでどのようにすればいいのですか?!」
「あの薬草は自分を引き抜こうとする者の心を惑わすの。だからそれに打ち勝つ必要があるわ。惑わしの全てに打ち勝ち、真実の名を告げながら引き抜いたその時、薬草は手に入るわ!!」
「その真実の名とは?!」
「それは貴方が自分で見つけるのよ――って事で、ゴォ!!」
え?
そこでチェンジは無理ですか?
そんな事を思いつつ、料理人は薬草を掴んだ。
そうして真実の名を考えながら引き抜くべく、手に力を入れたその時。
その薬草から、それは聞こえてきた。
『長くて太くて黒い猛々しいけれど、激しく擦ると白いモノが沢山出て来るものってな~んだ?!』
その瞬間、料理人は固まった。
『五、四、三、二、一、零!! は~い、時間切れ~』
「ちょっ! どうしたの?!」
果竪がどうして真実の名を口にしないのかと叫べば、料理人は泣きながら叫んだ。
んなもん言えるわけないと――。
「きちんと言わないと手に入らないのよ?! なら他の人に」
すると、次々と無理だという叫びが聞こえてくる。
中には泣いている者さえ居た。
「言えるわけないです! 無理です自分達にはっ」
「くっ! ならば私がやるわ!」
そう言うと、他の者達の制止などなんのその。
果竪はさっさと薬草を掴む。
先程と同じクイズが聞こえてくる。
果竪は迷いなく叫んだ。
大根――と
その叫びが雨音に完全に消された時、果竪の手には薬草がしっかりと握られていた。
「ほら、こういう風に抜くのよ」
その瞬間、ハレンチ的答えを即座に叩き出してしまった彼らは、自分達の穢れっぷりに木に頭を打ち付ける者達が続出したという――。
「で、帰りが遅くなったの」
無事に屋敷まで戻って来た果竪の言葉に、明燐を始めとした侍従達は思わず果竪から顔を背けた。
果竪から話を聞いた時、自分達も思わずそのクイズの答えがピーーであると思ってしまったからだ。
というか、その年頃で、しかも既に夫婦生活を営み済みであるにも関わらず迷いもなく『大根』と答えられる果竪が凄かった。
「けど、ここまで遅くなる気はなかったんだよね……」
時刻は既に遅く、深夜に近い時間だ。
「とにかく、薬草を届けなきゃね」
「い、今からですか?!」
「ええ、今からよ。子供の病気は待ってはくれないもの」
「ならば私もついて行きますわ」
「明燐」
「でなければ、絶対に行かせません」
「……行く事自体はいいの?」
「当の料理人が頭をぶつけすぎて昏倒しているんですから仕方ありませんわ」
そう――料理人は、他の薬草取りに向かった者達と共に昏倒していた。どうやら木に頭をぶつけすぎたらしく、屋敷に戻ってくるや否や、ぶっ倒れたのだ。
今、他の者達に介抱されているが、当分は起きないだろう。
「全く……自分で言い出したというのに、あの馬鹿は……」
「め、明燐、今はそれどころじゃないよ!」
「そうでしたわね」
疲れたように呟くと、明燐は此処まで乗ってきた【車】の一つを用意するように侍女に命じた。
「明燐様、我々も」
「いえ、貴方がたは此処に残るように。今、この屋敷を空にするのは得策ではないわ」
「ですが……」
「それにもう夜も遅い。今日は色々な事がありすぎたわ。少し休みなさい」
そして、明日も調査を頼むと明燐が告げると、侍従達はしばし躊躇うが、結局それを受け入れる事にした。
「果竪様」
「ん?」
「明燐様」
「何ですの?」
「どうか十分に気をつけて下さい。何か嫌な予感がするのです」
侍従の一人の言葉に、果竪と明燐はそれぞれ頷いた。
「そうね……私もするよ}
屋敷の出火は放火が原因。
それだけでも、何かよからぬ事が起きているのは事実だ。
「みんなも気をつけてね」
そうして侍従達に労る言葉を掛けた果竪は、ほどなく用意された【車】に明燐と共に乗り込み、屋敷を後にしたのだった。
それから二時間後。
州都へと辿り着いた果竪達は、すぐに病気の子供のもとへと駆けつけた。
既に意識はなく死が間近まで迫っていた子供だったが、寸前に届られた薬草により、容体は安定し始めたのだった。
「これでもう大丈夫」
寝ていたところを明燐に叩き起され、強引に連れて来られた医師が聴診器を外して告げた。
母親が安堵の余り崩れ落ち、父親が慌てて支える。
「危ないところでしたが、この分ですと三日もしないうちに良くなるでしょう」
「良かった……これで一安心だわ」
ホッとした果竪は、すやすやと眠る子供に微笑んだ。
と、そんな果竪と明燐に子供の両親が駆け寄った。
「ありがとうございます!」
「貴方達のおかげです!」
そうして手を握りしめて涙を流す両親に、果竪は慌てて言った。
「あ、いえ、本当にお礼を言われるべき相手はうちの料理人で」
「そ、そうです! あの青年は?」
「あの方にもお礼を言わなければ」
青年は何処に居るのかと聞く両親に、明燐が明日になれば来るとだけ告げた。
「薬草を探しにかけずり回ったせいで、疲れて眠っているんですの」
「そ、そうですか……いや、本当に彼には礼を言わなければ」
「ええ。見も知らずの私達にこれほど親切にして下さって……本当に、信じられないぐらい……ああ、どうしてあの方はこれほど親切にして下さったのか」
その言葉に、果竪も同じ疑問を抱く。
どうしてそこまでしたのか。
特に、いつも穏やかなのに、明燐にまで喰ってかかるほどの男気を見せたし……。
そんな疑問に答えたのは、【車】を運転して果竪達を此処まで運んだ料理人仲間だった。
「自分の弟を重ねたんだと思いますよ」
「え?」
驚く果竪に、料理人仲間が言った。
「あいつにも居たんですよ。栄養失調の末に病気で亡くなった弟が……大戦中の頃だそうです。住む村を失い、両親も失い、小さな幼子を連れてあいつは放浪生活を送っていました。でも、当然食べる物も何もなく、泥水をすするだけの生活が続いて……栄養失調、不衛生な環境、子供が病気になる条件は揃っていた」
果竪達は何も言わなかった。
ただ、その言葉を聞いていた。
「当然、病気になっても栄養もつけられなければ、薬だってない。あっと言う間だったそうです」
たった一人の弟だった。
その小さな体が冷たくなってもその死を認められず、肉が腐りウジがわき、半分白骨化しても大切に抱き続けた。
途中、死に物狂いでとってきた虫の死骸などをその口に運び、泥水を含ませた事もあったという。
しかし、そんな事をしてももはや死んだ弟は蘇らない。
ならばと、弟や家族のもとに行こうと自殺を図ったのだが、失敗して現在に至るという。
「萩波様に助けられたそうです」
気付けば、見た事もないテントの中で手当をされていた。
「弟の遺骸も、綺麗に調えられて……花の代わりに草が敷き詰められたうえに大切そうに置かれていたそうです」
そうして、食料と水も一緒に置かれていた――せめてもの手向けとして。
その三日後。
弟は火葬された。
兄自身の手で。
ようやく、弟の死をしっかりと受け止めたのだ。
「でも……今でもきっと何処かで思っていると思います。あの時、病気に効く薬草の一つでもあれば――と」
あの時代は、医師でさえ何も出来なかった。
物資も何も無いからだ。治療器具も薬も、人員も足りなすぎた。
たとえ病気が治っても、不衛生で栄養すら満足に取れない状況では同じ事の繰り返しになるのは目に見えていた。
予防さえ不可能で、弱い者達――子供や赤子はバタバタと死んでいった。
せめて子供達だけでもと大人が自分の分を与えて死んでいっても、やはり育てる者達が居なくなって子供達は息絶えた。
二度と思い出したくない暗黒時代。
間引きも、死んだ者の肉を喰らう死肉喰いも全て当然のように行われた。そんな日常に絶望して命を絶つ者達も多かった。
果竪だけではない。
子供の両親も、明燐も、そして料理人仲間の青年も皆あの暗黒時代のトラウマに苦しんでいる。
だからこそ、ようやく訪れた平和に心から感謝し、それが続く事を心の底から願って止まない。
あの時に比べたら、少しぐらい食べられなくても、貧しくても平気だ。
子が親を、親が子を平然と殺すまでになってしまったあの時代に比べれば……どんな困難だって、乗り越えられる。
そう思っていた。
けれど……と、果竪は思う。
今回の件など、昔に比べれば大幅にマシだと思う。
にも関わらず、皆はここまで混乱し、その怒りは懸命に努力する領主へと向かってしまった。
それは、いつしか慣れてしまっていたのかもしれない。
たった数百年でも、この安穏とした平穏で豊かな暮らしに。
そして、何処かで昔の事を悪い意味で過去のものとしてしまっていたのかもしれない。
「……早く、助かったって教えてあげなきゃね」
今も昏倒しているだろう料理人に。
きっと、とても喜ぶだろうから。
果竪は子供へと視線を向けた。
自分には兄妹はいない。
でも、もし兄妹がいればきっと、あの料理人の青年のように必死になったかもしれない。
たとえ、恐いと言われる相手に掴みかかってでも。
と、子供の寝顔に別の少年がダブって見えた。
「……李盟」
自分にとっては弟みたいな存在。
と、何だか急に李盟の顔が見たくなってきた。
「……この時間だと、組合長のところだよね」
組合長には、この州都を出る時にきちんと李盟の事を頼んでいた。
だから、今頃は組合長の所に居るだろう。
「……明燐、私ちょっと組合長のところに行ってくるわ」
「なら、私も」
「あ、大丈夫よ。すぐそこだし」
「ですが」
「すぐに戻ってくるから! それよりも、明燐は美味しいご飯の方をお願い」
薬草で容体は安定した。
しかし、それだけでは不十分な事は誰の目から見ても明らかだろう。
「薬と来たら栄養でしょう? あの子が目覚めた時の為に美味しい料理を作ってあげて」
「果竪……」
「それに、まだ熱もあるから氷も必要だし」
「それは俺の方で用意します」
料理人仲間の青年が言う。
「とにかく、すぐに戻ってくるよ」
「……分かりました、本当にすぐに戻ってきて下さいませね」
明燐の念の押しように苦笑しながら、果竪は頷いたのだった。