第46話 悲しい過去
今回は、李盟の過去語りなので、果竪達は出てきません。
静まり返った舘。
人一人居らず、恐いほどの静けさが満ちる。
自分の息遣いが、これほど大きく聞こえた事は初めてだ。
思い返してみれば、こうして自分一人だけで舘に居るのも初めてだ。
李盟は、書類を書く手を止め、雨が打ち付ける窓を見た。
止まなければ、水害に直結する雨。
でも、適度に降れば恵みの存在となる。
でも……自分にとっての雨はそれだけの存在ではない。
雨の音が、昔の記憶を呼び覚ましていく。
変わり果てた両親と再会した時も、沢山の雨が降っていた。
大量の雨粒が大地に降り注ぐ様に、天も領主と夫人の死を悼んでいるのだと言った。
だが、李盟にとっては泣けない自分の代わりに、天が泣いているかのように見えた。
そして――その雨だけが、李盟の両親の死を悲しんでくれているように見えたのだ。
――なんという事だ
――領主様と奥方が亡くなってしまうとは!!
――これでもう瑠夏州も終わりだ!!
李盟にとってはかけがえのない両親でも、他の者達にとっては領主達でしかなく、仕えるべき主を失った事に恐れ戦くだけだった。
そんな彼らが、李盟の事に考えが及んだのは、騎凰を始めとした能吏達に一括された時だった。
だが、それでさえも、「ああ、そういえばそんなのが居たな――」程度の反応しかしなかった。
――というか、次の領主は誰がなるんだ?
――何でも、補佐役の一人の伯冨が領主の座を狙っているとか
――補佐役の伯冨か……前々から狙っていたっけな
――ああ、あいつはとびっきりの狸さ。表では前領主を褒め称えながらも、裏では散々に罵ってやがった
――けど、仕事が出来るのも事実だ。それに、あいつが進言した政策の幾つかは見事に大当たりしたし、確かに政治家としては有能だ
――と言う事は、領主はあいつで決まりか?
そこに、領主様の子息はどうするんだ?という声が上がったが、すぐに笑い声に消された。
――馬鹿だなお前!子息様はまだ子供じゃないか。子供に政治をさせるのか?!
――確かに前領主様の子息だけど、それは無理だろう。ってか、子供に何が出来るんだよ。
子供に出来るほど政治は単純ではない。
そんな声があちこちから聞こえる。
――それに、俺はこの州に住む者として、子供に政治なんてされたくないよ
――そうそう、政治は遊びじゃないんだ。それこそ、メチャクチャにされてしまう
――それに比べれば、伯冨の方がマシって事か
伯冨で決まりだなと言う官吏達を、自分は物陰で聞いていた。
そして彼らが居なくなるまで、ずっと物陰に隠れていた。
みんなの言うとおりだ。
子供が政治だなんてとんでもない。
そんな事は分かりきっていた。
けれど、両親の死からまだ一週間しか経ってないのに、もう新たな領主の話に傷ついたのも確かだ。
まるで死んだら後は用無しだ――そう言われているようで、辛かった。
そればかりか、まだ葬儀も終っていないにも関わらず、それまで父に従順だった者達の一部が、少しずつ自分勝手に動き始めていった。
我こそが領主に相応しいとして――
そこには、前領主への敬慕の念もなければ、遺児に対する配慮もなかった
その様に、父が居た時には領主の子息でも、その父が亡くなれば自分は唯の子供であり、何の価値もないのだという事を、痛いほど思い知らされた。
そして始めて――共に連れて逝ってくれなかった両親を恨んだ。
愛情は憎しみに代わり、悲しみは心を歪める。
誰も自分などいらない。
あれほどこの州の為に尽くした両親ですら、死んだ途端にさっさと忘れられる。
怒りと憎しみに支配された李盟は眠る事も忘れ、その怒りをぶつけるべく両親の棺へと向かった。
でも――
両親の棺の前には、騎凰が居た。
静かに涙を流し、声を上げる事こそなかったけど、確かに彼は泣いていた。
棺に縋り付き、どうして死んだのかと。息子を残して死んだのかと、両親の入った棺に訴えていた。
その次の日のことだ。
『李盟様――』
騎凰が自分に領主になるように頼んだのは。
既に、伯冨という者が派閥を造り始めたのをきっかけに、少しずつ水面下で幾つかの派閥が出来はじめた。
我こそが領主に相応しいとして振る舞い、領主として就任するべくあちこちに働きかけた。
それを抑える為には、一刻も早く自分が領主になるしかない。
騎凰は他の能吏達と協力し、自分を領主へと就けた。
勿論反対も多かった。
特に、伯冨は猛反対し、子供である事を理由に退位を迫ってきた。
最初は優しく、それで駄目だと分かれば脅迫に近い口調で自分を罵ってきた。
そこには前領主の遺児に対する遠慮は何一つなく、あるのは嘲りと見下しのみ。
彼にとって、自分は己が領主となる為の邪魔ものでしかなかった。
一方で、領主になるには大金も必要になったのだろう。
税金を懐に入れ、巧みに領収書を書き換え、大量の使途不明金の存在を隠した。
よからぬ者達との付き会いも囁かれ、少しずつ伯冨の力は強まっていった。
そこに、あの鉱山の件である。
少しずつ政治は荒れ始め、内乱の前兆が見え始めた。
もし、果竪が来てくれなければきっと伯冨に全てを奪われていただろう。
そればかりか、瑠夏州の民達が彼の欲望の犠牲になっていたかもしれない。
「私は……本当に多くの人達に支えられて来たのですね」
改めてそう思い、李盟はそっと書類に視線を戻した後、机の上にある時計を見た。
その針が、もうすぐ夜の七時を示す。
「……あともう少しだけ」
多くの人達に支えられている自分。だからこそ、出来る事をしたい。
そうしてあともう少し、あともう少しと――李盟は組合長のもとに行く時間を先延ばしにしていったのだった。




