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大根と王妃①  作者: 大雪
第六章 疾走
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第37話 火事

 現場となった山までは、車で八時間はかかる。

 だが、その前に一度町にも寄らなくてはならない。

「ってか、ちょっと流石にスピードを出し過ぎではありません?」

 助手席に座る明燐が青ざめながら言う。

「何を悠長な事を。このような時間が物を言う場合は一刻も早く現場に辿り着くのが大切ですぞ」

 そう言うと、使者団の長はアクセルをふかす。

 それに応じるように、果竪達の乗る【車】はスピードをあげていく。

「長って結構運転上手なんだね」

「ふ、昔は【走り屋】と呼ばれましたからな!!」

 何を使って走った。

 大戦以前には【車】は無いから、自分の足か?それとも馬か?

 大戦以前の移動手段は神力を使用しなければ、馬や馬車がもっぱらだった。

 これほどのスピードを出しながら、行き交う他の【車】を軽やかに避けていく。

「もう少し行けば他の【車】も少なくなるよ」

 果竪が後部座席から使者団の長へとアドバイスする。

「道も暫くはまっすぐになりますしね」

 明燐も頷きながらそれに付け加える。

「分かりました。それにしてもここの街道は素晴らしいですな」

「え?」

「今まで色々な街道を通りましたが、ここはきちんと整備されている。そう、舗装された道。それだけではない。全部の町村に街道が、その舗装された道で繋がっている。これは凄い事ですよ」

 州によっては、まだまだ舗装された道が少ない場所もある。

「これほど完璧な街道は、王都の周辺ぐらいでしょうね」

 言い換えれば、瑠夏州は王都に匹敵するほどの整った道路を持っているのだ。

「目的の道まで完璧に塗装され、整備された道。だからこそ、このような無茶もできる」

「長……」

「素晴らしい領主様ですよ、彼は」

 長の笑顔に、果竪も頷く。

「この調子であれば、一時間は確実に時間を短縮できます」

 それから四時間ほど経過した頃だった。

 どんなに整備された道でも、やはり座ったままでは足の血行が悪くなる。

 シートベルトを外して足を上に上げ下げしていた果竪は、突然車がガタンと大きく揺れたのに気付いた。

「な、何?!」

「タイヤがパンクしたようです」

「えぇ?!」

「大丈夫。替えのタイヤは積んでいますから」

 もしもの事を考えて、二本ほど積んでいる。

「長、もう少し行った先に村があります。そこなら、交換場所もあると思いますわ」

「だ、大丈夫なの?」

「あと、五、六分ぐらいなら」

「十分ですわ。あ、向こうの分かれ道を右に曲がって下さい」

 明燐の指示に、使者団の長は素直に従った。

 そうして右に進み、長いトンネルを抜けて少し走ると、その村は見えてきた。

「って、結構横道にそれたね」

「大丈夫ですわ。こちらからでも行けますから。寧ろ、此方からの方が距離的には近いんですよ。ただ、カーブが多くて危険な道ではありますが」

「そろそろ燃料の補給もしなくてなりません。ここでついでに致しましょう」

 そうして車を村へと近づけた時である。

「あれ……なんかおかしくない?」

 村から煙が幾つも上がっている。

 それも、白ではなく――黒。

 黒い煙の現わすものに、果竪は愕然とした。

「か……じ…」

 その煙は、果竪の中に眠る悪夢を強引に引きずり出した。

 家族も村も全て奪っていった、あの忌まわしい悪夢の過去を。

 それに一番最初に気付いたのは、やはり明燐だった。

「果竪!!」

 ああ、こんな事なら共に後部座席に座れば良かった。

「あ……う…」

 恐い。

 恐い。 

 果竪は炎が大嫌いだった。

 料理の火とか、たき火の火とかは大丈夫だが、火事の炎は大嫌い。

 何故なら、火事の炎は自分から全てを奪った。

 あの黒い煙を持つ炎は、両親の遺骸さえ消し去ってしまったのだ。

 それは、今も果竪を苦しめ続ける悲しい過去。

「一体王妃様はどうなされたんだ?!」

「火事よ!!」

「え?」

「あの村の火事が果竪を怯えさせているのよ」

 火事?

 使者団の長は村の方を見た。

 幾つもあがる黒い煙は、確実に村が燃えていることを指す。

 しかも、あれだけの黒煙はどう考えても小規模の火事ではあり得ない。

 その火事に、果竪が怯えている。

「王妃様は……過去に火事に遭われた事が?」

 これは明らかにパニック症状だ。

 だが、それ以外にもそう思う理由があった。

 それはあの煙草の一件。

 果竪が煙草を吸う自分を凄い目で見ていた。

 そして、灰が絨毯を焼いた瞬間のあの行動と眼差し。

 あれは火事を憎む瞳だった。

「……ええ、ありますわ」

 明燐は、果竪から視線をそらさないまま答えた。

「果竪は、火事で村を焼き尽くされましたの」

 それは悲しい過去。

「火事……では、火事で王妃様は御家族を」

「いえ」

「え?」

「火事は遺骸を燃やしただけ。果竪の両親は、村の者達は皆、その前に殺されたわ」

「っ?!」

 火を付けたが、直接命を奪ったのは奴らの手によるものだ。

 男達を殺し、女達を陵辱しようとした。それを良しとせず、女達は自害した。

 結果的に、あいつらが殺したのだ。

 それでも、遺体だけでも残る筈だったのに、あいつらの放った炎が果竪から全てを奪った。

 文字通り、何一つ残さず奪い取ったのだ。

「だから……あれほど、お怒りになられたのですね」

「……何かしたの?」

「じ、実は煙草を……」

 使者団の長の説明に、明燐は溜息をついた。

「貴方、チャレンジャーね」

「申し訳ない」

「まあ、こちらも話しておかなかったからおあいこね」

「本当に申し訳ない事をしたと思います」

 火事で全て奪われた王妃の前で、危うく火事を起こしかけたのだ。

 怒り狂われても仕方がない。

「ただ、問題は今よ」

「そうですね……」

 長の時は火事が起きかけた。

 しかし、今あの村は火事が起きているのだ。

 それを見た時の果竪の衝撃はいかほどだったか。

 いまだ震え続ける果竪を明燐はしっかりと抱き締めた。

 あれから数百年が経った。

 自分も、ただ炎から逃げ回っていただけではない。

 みんなの協力で必死に克服してきた。

 けれど……火事の炎だけはいまだに駄目だ。

 一瞬にして大切な物全てを焼き尽くすあの黒い炎だけは。

 今も尚、果竪を苦しめ続ける。

「かっ……は…」

 息が上手く吸えなくなる。

 大量の汗が流れ落ち、ドクドクと凄まじい勢いで心臓が拍を刻む。

 その場に突っ伏し、ギュッと目を瞑る。

 明燐が何かを叫んでいるがよく聞こえない。

 恐い。

 恐い。

 炎が、全てを焼き尽くす炎が恐い。

 窓から見えたあの暗い煙が今もあの村の誰かを焼いているのかと思うと、恐怖に意識が飛びそうだった。

 そのうち、真っ暗な視界にあの光景が蘇ってくる。

 プスプスと焼け焦げた地面。

 瓦礫も何も残らず、両親や村のみんなの遺骸さえ燃え尽き、ただ肉の焼けた臭いが辺りに満ちていた。

 鼻に、あの忌まわしい臭いが蘇る。

「がっ!!」

 強烈な嘔吐感に慌てて口を押える。

 ああ、自分は何をしているのだろう。

 今、あの村では誰かが炎にまかれているかもしれないというのに、自分は助けにいくどころかこうして動けなくなっている。

 あの時は何も出来なかった。

 ようやく這い出てきた時には、全てが焼け落ちていたから。

 でも、今は違う。

 今はまだ全て焼けていない――なのに恐くて動けない。

 弱い自分が悲しくなる。

 ああ、どうして自分はこんなにも弱いのだろう。

 偉そうな事を言っておきながら、王宮に戻ることを拒んでいた時の自分と同じ。

 あの時と何一つ変わっていない。

 ポタリと涙が流れ落ちる。

「果竪!!」

 気付けば車は既に止まっており、明燐が自分を抱き締めていた。

「大丈夫、大丈夫ですわ」

 必死に背中をさすり宥める。

 それに余計に涙が出る。

 自分の事よりも、早くあの村を。

 また涙が零れ、それは頬を伝い自分の胸元をぬらす。

 その時だった。

 胸元がじんわりと温かくなる。

 え?と思い、慌てて胸元を探るとそれは出てきた。

「……これ」

 それは、ご神体の欠片。

 カヤから貰った鏡の欠片だった。

 お守りとして、ハンカチに包んで常に持っていた。

 それが、淡い光を放っている。

「……慰めてくれてるの?」

 まるで、果竪を慰めるように淡い光りが揺らめいている。

 それだけではない。

 その光は酷く温かかった。

 今まで何の反応も見せなかったというのに……。

 いや、寧ろ何故こんな事が起きているのだろう?

 ――お守りよ

 カヤの声が蘇る。

 ――それ、結構便利よ

 そんな事も言っていたな。

 でも、こんな風に慰めてくれる事もしてくれるのか。

 驚いて、でも何処か安心もしていた。

 気付けば、果竪の中から恐怖が少しずつ薄まっていた。

「果竪、それは?」

「……お守り」

 明燐の質問に、果竪はそう言い切る。

 その時、声が聞こえてきた気がした。

 ――大丈夫。あの時とは違うでしょう?

 それは誰の声だったのか。

 でも、その言葉は果竪の心に優しく響いた。

 あの時とは違う、あの時と……ああ、あの時はどうだったっけ。

 果竪は、涙を堪え、吐き気を我慢し、あの時の自分を思い出す。

 何の力もなかった自分。

 独りぼっちだった自分。

 ただ隠し部屋に押し込められ、母が殺されるのを見ているしかなかった。

 そんな……何も出来なかった自分。

 でも、今は?

 力がないのは前と一緒だ。

 けど、あれ以来必死に勉強して、炎に対する知識は昔以上となった。

 応急手当についても必死に勉強した。

 それがどれだけ通用するかは分からないけど、前よりはマシな筈。

 そうだ……前よりも出来る事がある。

 それに……何よりも昔と違って、決定的に違うものがある。

「明燐」

「果竪?」

「一緒に居てくれる?」

 母は自分を救うために隠し部屋へと隠した。

 そうして全てが終った時には独りぼっちになっていた。

 誰もいない、何も無い。独りぼっちで全てが焼け落ちた村に佇んだ幼い頃。

 今でも思う。

 たった一人でもいい。

 誰かが生き残ってくれていれば……そうすれば、自分は。

「一緒に……」

 と、グッと抱き締められた。

「何を当たり前の事を。果竪が嫌がったとしても、ずっと一緒にいますわ」

 母親が子を抱くように、抱き締めてくれる明燐に果竪はようやく心から安心することが出来た。

 ――ね……昔とは違うでしょう

 そんな声が聞こえてきそうだった。

 そう……昔とは違う。

 あの黒い煙を持つ炎があっても、独りぼっちにはならない。

 昔とは……違うんだ。

 果竪は涙を拭った。

 と、そこで村のことを思う。

 今もこうしている間に炎にまかれている村。

 その村で、自分と同じような思いをしている人達はどれだけいるのだろう。

 黒い煙の炎のもたらす恐怖に怯えている者達は。

 果竪の中で、黒い煙の炎に対する憎悪が膨れあがる。

 許さない、もう大切なものを奪うのは。

 直接みんなに手をかけたのはあいつら。

 でも、その遺骸さえ消し去ったのはあいつらの放った炎。

 それに何も出来なかった過去。

 でも、その炎に怯えながらずっと思っていた。

 もし、いつか炎を克服出来たら、そして同じように誰かを燃やそうとしているならば、その時は黒い煙の炎に殴り込んででも戦ってやると。

 炎に殴り込む――そんな事をすればすぐさま炎にまかれて死んでしまう暴挙。

 けれど、それほどに果竪にとっては憎い存在だった。

 そして今、昔と同じように炎が村を飲み込もうとしている。

 果竪は思う。

 ずっとずっと抱いてきた思い。

 それを果たすのが今ではないのかと。

「では、明燐様は王妃様とこちらに残って」

「私も行く」

 絞り出すような声に、明燐と長が驚いたように果竪を見る。

「果竪?!」

「私も村の人達を助ける!!」

「でも、村は火事が」

 火事が直接果竪の大切な人達を奪ったわけではないが、遺骸すら残らなかったのはあいつらが放った火が原因だ。

 それを知る明燐は果竪を止めようとした。

 また、長も果竪の様子から止めようとする。

「王妃様、私が」

「それでも、行きたいの」

「果竪」

「もしここで……一人でも助けられたら、きっともっと前に進める。火事の炎の中でも、私は頑張れたって……でも、何もしなければまた炎が恐いといって泣くだけだわ」

「ですが……」

「それに、もう失いたくないの!! 人手は多い方がいいでしょう?!」

 確かに、村人を助けるには人手が多い方が良い。

「今こうして、火事が起きている村に来れたのは、ある意味運命かもしれない。なら、その運命の力をむしり取ってでも行く」

 果竪の強い眼差しに、明燐は思わずその瞳に取込まれるように気がした。

 それほどに強い決意。

 一体何が果竪をここまでするのかと不思議なほどに、その決意に明燐は目を見張った。

 ただ、それでもこれだけは分かった。

 今ここで強引に押し止めてはいけないと。

「今なら、きっと出来る」

 逆に言えば、今を逃せば二度と克服出来ないかもしれない。

「……後で泣き言を言っても、容赦しませんからね」

「うん」

「ならば、行きましょう」

「明燐様!!」

「何かあれば殴ってでも止めます。それに――この時間のない中、こうなってしまった果竪を説得して余計な時間を使うのは得策ではありませんわ」

「ですが……」

 しかし、結局は使者団の長も上手い説得の言葉は思い浮かばないのか、諦めたように項垂れた。

「いいですか? 泣き言でも言ったら許しませんからね」

 明燐の言葉に、果竪は力強く頷いた。

 そして窓の外を見る。そこは、村の入り口のすぐ傍。

 そこからでも、建物の火災や逃げ惑う人々を見る事が出来た。

 思わず目を逸らしそうになるが、ご神体の欠片が叱咤するように光を放つ。

「行こう」

 果竪達は【車】から飛び出した。


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