第34話 犯人の狙いは…2
翌日、李盟は仕事に復帰した。
まだ石をぶつけられた頭は包帯を巻いていたが、やる気は前以上らしく、溜まった仕事を処理していく。
そんな中、果竪は使者団の長の手伝いをしていた。
「はぁ~~……手際がいいですね」
「宰相閣下に叩き込まれましたからなぁ」
使者団の長が、煙草を手にしながら書き物を続ける。
どうやら書類書きには煙草は欠かせないらしく、既に灰皿にはいくつもの短くなった煙草が入っていた。
それをチラリと見るも、すぐに視線をずらす。
「その様子だと、宰相にこっぴどくやられた感じですね」
「ご想像の通りです」
その様子に、果竪は納得する。
自他共に厳しいあの腹黒宰相に鍛えられれば、そりゃあこのぐらいは当然になるだろう。
「でも、ギブアップしないところが凄いわ」
「したら、素晴らしい毒舌が待っておりますので」
「……………」
じゃあ、その薄い後頭部はその毒舌を受け続けた結果だろうか?
見た目はまだ三十代半ば。
どう考えてもまだ髪とおさらばする年齢ではない。
にもかかわらず、使者団の長の後頭部は一段と薄く、前髪も良い感じで後退している。
「……私の家系は多毛でして」
隔世遺伝である事を何気に否定する発言に、果竪は心の中で涙する。
「……地位が高くなるって……恐いですね」
人の上に立つならば、それだけ努力しろ。甘えるな。
特に、宰相自身が努力しているのを見て、嫌です……なんて言える者もはいない。
宰相の駒として生きること二十年。
責任感を徹底的に叩き込まれた。
「この髪はその証です」
はぁ……と溜息をつきつつ、落ちかかった煙草の灰を灰皿へと落とす。
その動きに思わず目が行きながらも、果竪は苦笑を返す。
「そ、そうなんだ……」
凄いね――というべきか、苦労したね……と労るべきか、それとも両方を言うべきか。
「……だ、大根食べると髪生えるよ」
とりあえずそう言った果竪だったが、その時、確かに使者団の長が、恋する乙女の如き眼差しで自分を見つめたのに気付いてしまった。
そんなに苦労していたんだ……。
その人達の苦労の上に自分の生活が成り立っている。
その事実に果竪は涙しつつ、とびっきりの大根を振舞う事を決意した。
というか、そもそもあの宰相の駒として仕えていられるだけで凄いし――オトメンだけど。
「おや、墨が切れましたな」
「あ、じゃあ擦るね――って、擦る分もないのか」
見れば、もう墨がない。
「備品庫まで取りに行くしかないか。ちょっと行ってきますね」
「王妃様がですか?!」
「だって他に人がいないですし」
そう、普段ならばまだしも、皆が忙しく動き回っている今、頼める者はいない。
ただ――行くとしても、これだけはお願いしたい。
果竪はいまだ煙草を持ったままの長に、口を開こうとしたが、それより早く長がぼやくように言った。
「本当に人がいないですね」
「仕方ないよ。そもそも領主館で働いていた人達はみんな各地に飛んでるし」
しかも次から次へとやる事が増えて、いまだ戻れない。
おかげで、村人を斬り付けて居なくなった兵士達の後釜すらもままならない状況である。
「こういう時じゃなければ、アルバイトとか頼むんだけどね~」
政治は無理だが、臨時の侍女やら何やら頼む事は出来る。
しかし、今の民達の感情を考慮すればそれも難しい。
「というか、侍女もいないのですな」
短くなった煙草を灰皿に押しつけ、使者団の長は新しい煙草に火を付ける。
どうやら、かなりの愛煙家のようだ。
既に空になった煙草の箱が二つほど机の上に転がっているにも関わらず、なんの躊躇いもなく三箱目の封を切って煙草を取り出した様は、もはや吸い過ぎの言葉すら出ない。
それでも、空になった箱をちらりと見ながら、果竪は頷いた。
「うん。こういう辺境では侍女も飛ばされるのよね、使者として」
王宮では違うが、この州では侍女ですら使者として扱われる。
特に今回は、飛ばす村や町で効率よく仕事が行える事が何より重要になってくる。
そこで大切なのが、中渡し役となる人物だ。
侍女の中には、州都以外から仕事に来ている者もおり、今回飛ばす村や町出身の者もいる。
よって、そういう場所での中渡し役として即刻戦力扱いされて飛ばされているのだ。
他にも、侍従やら下働きの者達も同様である。
「ただ、それでも能力差とかもあるから、全部がそのような条件で行かせることは出来てないのも事実だけどね」
特に交渉が難しい場所は、出身者ではなく、能力の高い者を行かせている。
しかし、それでも出来る限りはそれぞれの出身者に同行して貰っていた。
「と言う事で、思いきり人手が足りないのよ」
官吏、武官、兵士、侍女、侍従、そして料理人やら下働きやら皆が出払っている。
最盛期では領主館は百名以上の者達が働いているが、現在残っている者達は十人にも満たない。
「確かに、最初人数を聞いた時は驚きましたな」
はっきりいって、この広い領主館にたった数人しか残っていないと聞いた時、驚きのあまり気が遠くなった。
「王宮ではあり得ないからね~」
王宮は常に人で溢れているのが日常である。
「人手不足、ここに極める――ですな」
「いや、普段は別に人手不足じゃないし」
使者団の長が仕事の振り分け表を見ながら煙草の煙を吐く。
と、その時の自分の表情が見えたらしい。
「王妃様は煙草がお嫌いですか?」
「え?」
「なんか凄い顔をしていらっしゃいましたので」
「あ、いや、別に。それより、人手の話よ」
果竪は強引に話を戻した。
「あ、ああ、そうですな。しかし……これほど少ないのはあり得ない」
「まあ、確かにあり得ないよね」
おかげで、警備にさえ人手が割けない。
「はっきりいって、今、強盗とか入られたら盗み放題だよね~」
「強盗……強盗か」
何かを思いついたのか、ガタンと立ち上がる長。
と、その煙草の灰が床の絨毯に落ちる。
それは、一瞬のことだった。
ジュッという音と焦げた臭いが果竪を襲う。
「っ!!」
その臭いが、奥深くに押し込めた記憶を凄い勢いで引きずり出す――
燃える。
また燃える。
みんな燃えてしまう。
考えるよりも先に体が動いていた。
自分を押しのけるような果竪の行動に、使者団の長は驚く。
が、体が揺れたことでその振動が手に伝わり、また灰が床へと落ちる。
それが、果竪の目の前にまた落ちて、焦げる臭いが立つ。
カッと頭に血が上った。
「煙草を消して!!」
「はい!!」
果竪の怒声に慌てて煙草を灰皿へと押しつけた。
だが、まだ完全に消えきっていないらしく、白煙が空に昇る。
「完全に消して!!」
「へ? いや、これぐらいならじきに消え」
「消してって言ってるんです!! 消せ!!」
今度こそ、長は徹底的に煙草を潰すように灰皿に押しつけた。
煙すら完全に消え、部屋は沈黙に包まれる。
「あ、あの……」
「……ごめんなさい」
そうして果竪が離れた絨毯は、しっかりと焦げ目が出来ていた。
その上に、果竪は近くにあった水差しの水を掛ける。
それが無くなると、部屋を出て行きまた水差しを持ってきては何度もかけた。
それからどれくらい経ったか。
使者団の長はようやく口を開いた。
「も、申し訳ありませんでした」
煙草の灰といえど軽んじるな。
果竪の行動を見ているうちに、使者団の長はその灰と熱から起こる惨事に思い至った。
寝煙草からの火事というのがある。
今回は寝煙草ではないが、それでも絨毯に落ちた灰を放置していれば、何時火事になってもおかしくはない。
「すいませんでした」
「別にいいです」
果竪は静かに答える。
「でも、もう二度としないで下さい。火事は……恐いですから」
ただ、それだけを告げる。
「は、はい、以後気をつけます」
素直に頭を下げた長に、果竪はそれ以上責めるような事は言わない。
ただ、何度か大きく深呼吸をする。
大丈夫。
大丈夫だ……だから、冷静になれ。
それに、今はもっと大切な事がある。
果竪は引きずり出された記憶を再び心の奥底に押し込めた。
「それで、先程の話は?」
「え?」
呆然とする使者団の長。
だが、それも仕方ない。パッと思いついた事だったのだろう。
それを邪魔したのは自分だ。果竪は根気よく質問した。
「さっき何か思い当たられていましたよね?」
「思い当たる……」
「ええ。私が、強盗とか入られたら盗み放題と言った時、貴方は強盗という言葉に反応されていた」
「強盗……」
「何か思い当たった事があると思います。それが何か、教えて頂きたい」
その言葉に、突如長の脳裏に先程の考えが蘇るが――。
「いや、何でもありません」
「何でもないっていう顔じゃないですけど」
「……ただ、どうもこの状況がひっかかりましてね」
そう言いつつも、どこか煮え切らない様子の長に、果竪は首を傾げた。
「現在、ここは領主館にも関わらず、あまりにも人がいなさすぎる」
「うん。けど、それは他の各地に人手が割かれている為だから仕方ないわ。それに、今ここに残るよりも、直接現地での仕事の方が何よりも大切だもの」
「確かにその通りです。しかし、本来いるべき最低限の人数すらもいないとは……」
「まあ、警備とかまで使っているのは事実だよね」
「それが……何かひっかかりましてな。というか、何か気になるのです」
「へ?」
「王妃様に昔、我らが強盗などの犯罪に手を染めていた事はお話ししましたよね?」
使者団の長の言葉に、果竪は素直に頷いた。
『今回の件は、果たして唯の盗難事件なんでしょうか?』
墨を取りに廊下を歩く果竪は、先程の使者団の長の言葉を思い出した。
『唯の盗難事件にするには、あまりにも沢山の事が起きすぎている。そのせいで、領主館にはいまだ人が戻らない』
そうして彼は言った。
『まるで、わざと沢山の問題を立て続けに起らせる事で、領主館から人を居なくさせているような気がするのです』
それを聞いた時、果竪の中で一つずつピースが填っていく気がした。
『私達が強盗をしていた事はご存じだと思います。全ては食べる為であり、失敗は許されない。特に、大勢を養わなければなりませんからね。だからこそ、何が何でも強盗を成功させなければならなかった』
短時間で大量のものを手に入れる。
それをするには、邪魔を徹底的に排除しなければならない。
『その邪魔を取り除く手段として、私達は陽動作戦を行いました』
大規模な強盗集団がよく使う手らしく、ある人目につく場所で大きな騒動を起こす。
すると、皆の目がそちらに向かう。
その隙を突いて、強盗に及ぶのだ。
皆がそちらに向かっていれば、邪魔は当然無く盗み放題。
『目的だけ達成出来るうえ……傷つけたり殺したりせずにすむ』
沢山の者達がいれば、当然誰かが気付くかも知れない。
そうなれば、相手は強盗から金や物を守ろうとして反撃する。
だが、人がいなければその心配はない。
『自慢出来る事ではありませんがね』
悲しそうに笑う使者団の長の顔が印象的だった。
盗みたくて盗んでいたわけではない。
盗まなければ死んでいた。
生きるため――と言えば、何でも許されるわけではない。
しかし、そこまで追い込んだのは、謂われのない彼らの差別である。
『話がそれましたね。でも、その時に似ていると思いましてね』
本来いるべき場所から、別の場所に移動している。
というか、そうならざるを得ない状況を作らされている――そんな気がしてならない。
『万が一ではあると思いますが、大規模な盗賊団の調査もした方が宜しいかもしれませんな』
もしかしたら、領主館に盗みに入ろうとした者達の仕業かもしれないと言う使者団の長に、果竪は頷くも、調査する人手を何処から割けばいいのか頭を悩ました。
「もう人手がないのよ」
仕方ないので、使者団の長に頼んで、現在領主館で仕事をしている者達から数名回して貰う事にした。
が、そうなると、ようやく出来はじめていた余裕はほぼなくなるに違いない。
「にしても……似てる……か」
人が少なすぎる領主館。
確かに領主の舘にいる筈の能吏や武官達は、皆盗難事件やら立て続けに起きている事件の為にあちこち飛び回っている。
今では警備も最低限となり、舘は静まりかえっていた。
こんな状況で盗みに入られれば、確実に逃げられてしまう。
「せめて、王宮からの援助があれば」
何よりも人手が欲しい。
こうなれば、一刻も早く王宮へと向かった使者が戻ってくるのを願うしかない。
しかし、そんな果竪の考えを打ち破るように新たな騒ぎが起るのだった。
とりあえず……現在は順調に話が進んでいます。
が、展開が遅いかな~って。
しかも、明燐があんまり出せてないし(涙)