第27話 二重の役目
「つまり、貴方様は【ご自分の帰還と引き替え】に我らにその特権を行使しろと?」
「そうです」
時間のない今、遠回しな言い方など必要ない。
明燐と話した後、果竪は別室に居た使者団の長のもとに行き、その旨を告げた。
自分の帰還と引き替えに、特権を行使して領主の仕事を手伝って欲しいと。
「確かに……特権を使えば、我らは領主の仕事に介入できるでしょう」
王妃を連れ戻す為の特権は、王妃の帰還に邪魔するもの全てに対処出来る。
今回の一件が王妃の帰還の邪魔となっていて、それを解決すれば王妃の帰還が可能となるならば使用可能だろう。
「ですが……いやはや、まさかそう言われるとはね。今まで頑なに帰還を拒否されてきた貴方様でしたのに」
使者は驚いたというような、恐れ言ったというようなどちらも言えない様子だった。
「それが、今回の件と引き替えに……というか、それほど簡単にご自分を使ってしまわれるとは信じられませんな」
「それのどこが悪いの?」
「王妃様?」
「ここの州の人達の平穏な暮らしを取り戻すのに、李盟達の助けを得る為に私には使えるものがある。これほど嬉しい事はないわ」
「王妃様……」
言葉を失う使者に果竪は言った。
「役立たずの王妃様――それが私。その上、この屋敷に流された事によって、私は王妃とは名ばかりとなった。権力は全て取り上げられているも同然だから。けれど、そんな事など気にならないぐらいに此処にいるのは楽しかった」
幸せだった。
本当に楽しかった。
心ない者達の噂話も、王妃に相応しくないという声も、夫の妃の座を狙う者達の嫌がらせもない。
ここでは、唯の果竪で居られた。
大好きな農作業をしながら、のびのびと暮らす事が出来た。
全てを忘れ、傷ついた心を癒す事が出来た。
「私にとって此処は新たな故郷。その故郷を助けられるのよ、この身一つで」
生まれた故郷はそれが叶わなかった。
全てが燃え、皆死に絶えた。
それを呆然と見ているだけしかなかった自分。
力があれば、絶対的な力があれば……どれだけそう願っただろう。
今の自分には王妃としての権力はない。
でも、王妃としての地位がこの故郷を助ける力となるならば、自分はそれを使おう。
その結果、今まで通りの生活が出来なくなったとしても
二度と帰らないと決めた王宮に戻らざるを得なくても
一度でも特権を使ってしまえば、後で嘘でしたとは言えない。
法のもとに使われた特権に対して、法を守るのが義務だ。
王妃であっても、それは絶対遵守のものである。
「有事の際であれば、手続きをすっ飛ばす事もあると思いますが」
「それは最終手段よ。他に何も方法がない場合。そうでなければ、常日頃からその方法が取られてしまう。それに……屋敷の者達の事もあるわ」
彼らは手続きを無視して動いてくれるという。
「貴方達ならば、その特権にて緊急時という事で彼らに動く権利をくれるわ。そう……貴方達の配下として動かせば、手続きをしなくても済む」
確かに……と使者団の長が頷く。
だが、それでもげせないと彼は首を振った。
「しかし、他にも方法はあったのでは? そう――王宮側の不手際を責めるという方法が」
「不手際……」
「そうです。王宮側に使者を出したにも関わらず、いまだ使者が来ていない。この有事に何をちんたらしている、怠慢だと」
「それは、使者が向こうに無事に辿り着いて話が通った場合でしょう?」
「…………」
言葉を詰まらせる使者に、果竪は瞳を閉じる。
もう果竪には分かっていた。
自分が、王宮側からの連絡が来ないと騒いだ時の使者団の反応。
あれからずっとひっかかっていた。
何故、使者団があんな反応をしたのだろうと。
そして果竪の中に一つの答えが浮かび上がった。
「王宮側にはこちらの緊急を伝える使者は行っていない。だから、貴方も知らなかった。そうでしょう?」
「……それは」
「でなければ、悠長に王妃の迎えになんて来ない。先にこちらの件を片付ける筈」
連絡が行っていなかった。
そうすれば、これほど時間がかかっているのも、使者の反応も頷ける。
「こちらからの連絡が行っていなければ、向こう側が知らなくても当然のことだわ」
でも、一つだけ気になることがある。
「王宮側からは常に各領地に隠密が潜り込ませている。でも、その様子だと、そこからの報告すら行ってないわ」
いくら不可侵があるとはいえ、領主達の動向を全く知らないでは済まされない。
故に、王宮側は数名から数十名の隠密を各領地へと放っていた。
何かあれば彼らから連絡がすぐ来るように。
なのに、今回はその連絡すら行っていないようだ。
「……流石ですのう、王妃様。いやはや、まさかここまでとは……」
「一体何が起きているの?」
「それは我らにも分かりません。何せ、突然連絡が取れなくなったものですからな」
「連絡が……取れなくなった?」
「ええ」
「いつ?」
そうして使者団の長が答えた日にちに、果竪は言葉を失う。
何故なら、その日は自分が化け物に襲われた日だ。
「ただ、連絡が取れないといってもすぐに動くわけにはまいりませんからな。下手に王宮から人が来れば、こちら側も警戒するでしょうし。もしこの領地での問題ならば警戒させては元も子もない」
「……つまり、私のところに寄越す使者団を隠れ蓑にしたという事ね」
だからこそ、一ヶ月に一度というルールを破ってまで来たのだろう。
誤魔化す時だって、王が我慢しきれず回数を増やせとでも言えばそれで済む。
「御意」
「領主側としても、私のところに使者が定期的に来る事を知っている。だから、その使者団を使って、その件を調べに来た」
「その通りです。ああ、でも王妃様を連れ帰る事が第一の使命ではありますぞ。しかし、第二の使命はそちらです」
つまり、領主の手伝いはしていられないという事。
「特権を使っても無理だという事ね」
「いや、それは大丈夫でしょう」
「え?」
「この州で一番情報収集に優れているのは領主の所です。そこに半数を置き、もう半数を州内に飛ばします。そうすれば、何とかなりましょう」
「じゃあ」
「但し、王妃様が戻るという条約は変わりません」
「分かってるわ」
どちらにしろ、領主の仕事を手伝うには、特権を使わなければいけない。
「それで……後悔はございませんね?」
「ないわ」
後悔するぐらいなら、迷うぐらいなら最初からこんな事は言い出さない。
「そのお心、臣下として素晴らしく思います」
「お世辞はいいわ」
「いえ、世辞などではございません」
それは本心だった。
此処に流刑にされた王妃。
けれど彼女はこの土地を愛し、この土地の為に自分に使えるものを使おうとしている。
その為には、自分の平穏な生活を犠牲にする覚悟すらあった。
彼女は王妃だ。
病弱だと聞いていた。
自分もその噂を信じていて、王妃を迎える任務を与えられた時には気が重かった。
流刑地にて引きこもってばかりいる王妃。
果たして連れ戻しても彼女は王妃として立派にやっていけるだろうか?
唯のお飾りの王妃になるかもしれない。
いや、今の王宮を思えばお飾りの方が良いのかも知れない。
だが、実際に見た王妃はお飾りどころか、率先して動く今まで見たどの王妃よりも王妃らしい方だった。
しかしそれ以上に好意的に思えたのが、その姿勢だった。
無いものはどうしようもない。
だから、あるものでどうにかする。
取り上げられたままの王妃の権力がないのならば、自分に残っている王妃の地位を使う。
だが、それも自分の体と頭を使って、それでも無理だったと分かっての使用だった。
「他の方は知りませんが、私は好ましいと思います」
「……あ、ありがとう」
照れたように顔を背ける果竪に使者団の長は思わず笑みをこぼした。
「それでは、他の者達にも知らせてきましょう」
「お願いします――あ」
「どうしました?」
「貴方はどういった役職についているんですか? 私が追放された時にはいなかった筈です。それに、隠密探しも兼ねて居られるのならば、唯の文官でもなさそうですし」
果竪の言葉に、使者団の長はジッと王妃の顔を見た。
「それに、貴方に襲いかかった村の男の人を避けるときの足運びは、到底唯の文官とは思えませんでした」
「我らは、宰相閣下の駒ですよ」
「宰相の?」
「ええ。貴方様が追放されてすぐに、我らは宰相閣下に捕縛されましてね」
「へ?」
「隣国で盗賊をしていたんです。百名からなる大盗賊でした、これでも」
しかし、丁度凪国に潜入した時に捕まってしまったのだ。
処刑されると思っていた。
だが、宰相はそれをせずに自分の駒となれと言った。
「我らの境遇に同情したのかもしれません」
食べるため、食べさせるためには人からものを奪うしかなかった。
最後の一線として、人を殺す事だけは禁じていた。
それだけの技術はあったから。
だが、少数民族、しかももと奴隷出身として差別されてきた自分達。
それを宰相は自分の子飼いとしたのだ。
「子飼い……」
「ああ、そうはいっても、変な事はありませんぞ。しっかりと勉学を叩き込まれ、武術も更に磨かせられましてな。女も子供も関係ありませんでした。だが、そうして働いた分はきちんと返ってきた」
人が足りないのだからと言って、あの方は次々と自分達を役目に就けた。
それは正しく適材適所。
本人の希望があればなるべくそれに沿うようにしてくれた。
「でも驚きましたよ。盗賊が、まさか官吏として任命されるなんて」
「ああ、それは別に大丈夫。あの人っていうか、王宮の上層部ってとにかく使える者はなんだって使う人達だから」
パタパタと手を振る果竪に使者団の長は苦笑した。
「普通は……違いますぞ」
「そう? それに罪を犯してない人こそ寧ろ少なくない? あの大戦を乗り越えた人って、少なからず略奪や殺戮はしてると思うもの。それは確かに悪い事ではあるわ、特にこういう平穏時にはね。でも、そうなしければ生きていけない人達がいるのも事実だわ。殺さなければ殺されるなんて事はざらにあるし、殺されても仕方ないような人もいる」
「そうですなぁ」
「勿論、だからといって殺人やら略奪を推奨するつもりはないけどね。でも、私としては貴方達を入れた事に対しては宰相を評価するわ」
「それは、私達が食いっぱぐれなくなったという事ですか?」
「それもあるけど……やっぱり、そういう大変な思いをしてきた人って、同じような人の気持ちを分かるでしょう?」
「王妃様?」
「長く平和な時を過ごしてきた人達って、やっぱりそういう考えしか出来なくなる。私達もそう。いくら昔は酷い状況だといっても、今は少しずつ変わってきている。中にはそれを忘れるものもいる。そういう人達にとって、貴方達の存在は自分達を引き締める存在。でもそれだけじゃない。貴方達自身の役割にも期待しているからこそ、宰相は官吏にしたのよ。奴隷として虐げられて盗みをするしかなくなった。その時の悔しい気持ちも辛い気持ちも、味わった人達だけが分かる。だから、同じような状況の人達にどうすればいいのかは貴方達の方が分かるわ」
「王妃様……」
「宰相はそれも期待したのね。少しでも、そういう人達の暮らしを改善する為に」
果竪の言葉に、使者団の長は胸が熱くなるような想いだった。
今までの疑問が解けていく。
ずっと思っていた。
何故宰相は自分達を官吏にまでしたのだろうと。
宰相には多大な恩がある。命を捨ててもいいさえ思っていた。
だが、それでもなぜ――と。
無教養の自分達。
その自分達にこれほどの事をする理由が知りたかった。
しかし今、その理由がようやく分かった。
果竪が真摯眼差しを向ける。
「特権の行使、お願い致します」
「分かりました」
使者団の長は言う。
つい出そうになった言葉を慌てて飲み込みながら。
特権を無視して手伝ってもいい……それは、あまりにも突拍子もない事だ。
それに、特権を使わなければ王妃はきっと戻って来ない。
これほどの王妃をこのような場所に留めておくなんて事は使者には出来なかった。
たとえ王の命令でなくとも、連れ戻したい。
だからこそ、使者団の長はその言葉を飲み込み無かった事にしたのだった。