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大根と王妃①  作者: 大雪
第四章 大根を求めて
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第17話 門

 瑠夏州――州都【李瑠】。

 州の中でも最も大きく人口のあるその都は、高台にある領主舘を中心に円状広がる都だった。

 その周囲は高い石造りの城壁で囲まれており、東西南北四カ所に入り口がある。

 中でも、多くの者達が行き来するのが南門であり、ここは市民だけではなく観光客達の出入りにも使用されていた。

 都に入るには、簡単なチェックを受けなければならないが、受付の係員は果竪を見た瞬間、すぐさま通すことを決めた。

「は、早く通って下さい! あ、これタオルです!」

「すいません、ご迷惑をおかけしまして」

 明燐がそう言って係員から受取ったタオルで、ずぶ濡れのままくしゃみを続ける果竪を拭く。

「休んで行かれますか?」

 係員が気遣って言えば、明燐は首を横に振った。

「いえ、急いでいますので……」

「でも、服を乾かしていかれた方が宜しいかと」

「車を用意しましょうか」

 他の係員も心配そうに提案する。

「果竪、どうしますか?」

「いや、傘があればいいよ。傘を貸して貰えるかな?」

「本当に大丈夫ですか?」

「ええ、心配してくれてありがとうございます」

「ではちょっとお待ち下さい」

 そう言うと、係員が確か忘れ物の傘がごっそりあった筈と言って、奥の倉庫へと向かう。

 その間、中に入って休んでいてくれと他の係員が言うが、果竪はそれを断り受付の横で待つ。

 受付のある部分は丁度屋根があり、雨を凌ぐことが出来るので、ここで十分だった。

 その間に明燐と組合長が入都届けに記入をする。

 通っていいとは言われたが、一応きちんと書かなければ。

 この入都届けは、外から中に入った者の名前とどのぐらいの期間滞在するかを書く物である。

 逆に、州都民はここを出る時に出都届けを同じように書く。

 目的は、州都民の安全が第一だが、他にも都民入都者問わず、万が一何か事件に巻き込まれた際に、予定日になっても受付に現れなかったとしてすぐに探せるようにする為だ。

 昔は、よく観光客が事件に巻き込まれて何処かに売られるという事件も多かったが、これを取り入れてからはそういった事件は起きても早急に解決されるようになっていた。

 明燐もここに来るときには必ず書くようにしている。

 カリカリとペンを軽やかに動かし、書類に記載していく明燐を横目で見ながら、果竪はふと受付を見た。

 受付の少女は頬を赤く染めながら明燐を見ていた。

 ふと視線を感じて周囲を見れば、同じく受付する者達や、受付の順番を待つ者達も明燐に熱い視線を送っている。

(美人だもんね~)

 王都でも滅多に見られないほどの美少女として名高かった明燐。

 その美しさも艶やかさも、美姫と謳われる者達が多い自国の貴族の姫君達ですら足下に及ばない。

 そんな彼女に魅入られる者達は酷く多く、誰もが美しく咲き誇る華を手折りたいと願った。

 同時に、溢れんばかりの気品と高貴さ、一点の曇りもない聡明さと清らかさ、荒れ地の中でも凛と咲き誇る白百合を思わせるその美貌に、彼女を目にした誰もが明燐こそが王妃だと誤解した。

 絶世の美男子にして賢君と名高い凪国国王。

 彼の隣に立つのに相応しい存在として、誰もが一目見た瞬間に認めるのだ。

 彼女こそがこの国の王妃だと。

 彼女以外の者が王妃である筈がないと誰もが口を揃えて言う。

 彼女が王妃でないならば誰が王妃なのだと。

(確かに……私みたいのが王妃だなんて言ったって……誰も信じないよなぁ)

 文武共にダメダメで、芸術面にも疎い。

 礼儀作法も明燐に比べれば天とどん底ほどの差があり、政治にだって明るくない。

 努力はしているが、それでも乗り越えられない壁というものは確かに存在していた。

 どんなに努力しても越えられない壁。けれど、明燐は少しの努力でそれを易々と乗り越える。

 それを自分はいつも寂しく見つめていた。

(って……僻んでどうする私!)

 果竪は自分を叱咤する。

 確かに明燐は何でも出来て、しかもこの国一番の美姫だ。

 けれど、明燐が努力しているのを一番傍で見て来たのは自分ではないか。

 確かに、自分と比べれば努力は少ないかもしれないが、それは自分がそれだけダメだという事だけで、明燐は必要な分きちんと努力している。

 いや、もしかしたら影ではもっともっと努力しているのかも。

 そんな相手を僻むなんて……。

(うぅ……こんなんだから余計に王妃失格だなんて言われるのよ!)

 努力している相手を僻む自分に腹が立つ。

 明燐が美しいのも優れているのも全ては彼女の努力の結果。

 でも――

(わかってるのに……ドロドロする)

 自分の中の黒い感情に果竪は小さく呻き声を上げる。

 自分が僻みが強いのは知っている。自分より優れた相手に嫉妬する気持ちが強い事も。

 どうにもならないって分かっているのに、凄く羨ましくて……全然気にしていないと良いながらも実は気にしている。

 ドロドロでドス黒い嫌な心。

 明燐や王宮の皆が大好きなのに、その美しさと有能さが眩しすぎて、賞賛する気持ちと同じぐらい悔しさと惨めさが自分を支配していた。

 大好きだ。

 でも、自分を惨めにする皆が嫌いとはいえないけど、苦手にも思っていた。

(こんなんだから……ダメなのかもね)

 こんな私が王妃だなんて最初から無理だったんだと思う。

 それどころか、明燐達と一緒に居る価値すらも本当はなかったのかも。

 でもみんなは優しくて、こんなドロドロの自分にも優しくて……だから甘えた。

 酷く心地よくて、でも勝手に相手に嫉妬して……自分で自分の居場所を汚していった。

 果竪は思う。

 もしかしたら、夫もこんな自分の心を見抜いていたのかも知れない。

 自分には余りある恵みを受けながらも、こんな汚い心をしている私に夫は失望したのかもしれない。

 それで満足しなければならないのに、相手に嫉妬して惨めさを勝手に覚えて。

 だから……夫はそんな駄目な妻よりも、別の方向に目を向けたのかも知れない。

 ――いや、違うだろ私。

 果竪は慌てて首を振った。

 夫が別の女性に目を向けたのは当然のこと。

 だって、自分は夫の同情から妻にして貰った身なのだ。

 帰るところも家族も何もかも失った戦災孤児の自分を憐れんでくれただけなのだ。

  好きとかそういう恋愛感情から、そうしたのではない。

 だから、別に好きな人が出来てもおかしくないし、その人を傍に置きたいと願ってもおかしくない。

 寧ろ、好きな人が出来たにも関わらず、同情から迎えられただけの妻が今もその座にのうのうとあぐらを掻いている方がおかしいのだ。

 どう考えても、自分がさっさと妻の座を降りて、噂の愛妾に妻の座を譲るべきだろう。

 真実愛しあっているのに、日陰の身だなんて理不尽すぎる。

 それに、一般的な政略結婚とは違い自分の場合は必ずしも正妻の座に置いておくほどの政治的価値があるわけでもない。

 ただの同情からの結婚。

 ならば、王妃の座などすぐに譲れるはずだ。

 そう考えると、本当に子供が居なかった事が幸いである。

 が、そこで果竪の心の中で笑った。

 馬鹿ね、私……幸いも何も自分で作ろうとしなかっただけでしょう?

 そもそも、もう結婚して三百年以上経つ。

 まあ、ここ二十年は別居しているので無理だが、その前はずっと一緒に居た。

 もともと神は子供に恵まれにくいとされている。

 それは強すぎる力と、不老という寿命、そして強靱な肉体を得たが為の代償とも言われている。

 当然、高位神になればなるほどその傾向が強かった。

 だが、いくら神は子どもに恵まれにくいとはいえ、大国の王が未だに跡継ぎがいないとなれば周囲が煩くなるのは必死だ。

 特に、王妃や側室の座を狙う者達の煩さは確かめるまでもないだろう。

 これ幸いと王妃を石女扱いし、自分の娘を側室、いや正妃としてどうかと勧めてきた。

 確かに、結婚してから一度も懐妊の徴候がなければ、そうとられてもおかしくはない。

 けど、果竪は石女ではなかった。

 寧ろわざと王の子を孕まないようにしているだけだったのだ。

 しかも、その為に利用したのがよりにもよって、仲間が授けてくれた技術だというのだから笑えてくる。

 何度も言うが、果竪は、はっきりいって勉学は殆ど出来ない。

 けど、大戦の際はそうも言って居られず、後方支援の仲間達と共に色々と学ばされた。

 そんな中で唯一ものになったのが、薬である。

 昔死ぬほどやらされたせいか、今では、ある程度であれば自分で簡単に調合も出来る。

 その技術を、果竪は避妊薬造りに悪用したのだ。

 全ては王の子を宿すのを阻むために。

 命を流したくないから、最初から命にならないように互いの精を近づけないようにする作用を持たせた。

 幸にも副作用もなく、特に体に害になる事もない薬は正常に果竪の体に作用し新たな生命を宿すことを阻んでくれた。

 正常な思考を持った者ならば当然考えられないだろう暴挙。

 しかも、果竪はそれを誰にも言わずに内緒にしているのだ。

 それは王、ひいては国に対する裏切りに他ならない。

 特に夫に対して酷い侮辱とも言えるだろう。

 だが、果竪は子供を産む気はなかった。

 いや、子供を産んではならなかった。

 何故なら、子供を産むことが後に夫を酷く苦しめる事になる事を果竪は知っているからだ。

 王妃の第一の義務は子供を生むこと。

 でも、私はそれを拒否し、更には避妊薬を飲んでいる事も秘密にしている。

 それどころか、子供を産めない理由すらも何も伝えていない。

 周囲の事を考えれば伝えるべきだ。

 これではあまりにも酷すぎる。

 けれど、同時に全てを伝える事で一番苦しむのが誰か知っているからこそ伝えられなかった。

 夫は優しいから、それでもいいといってくれるだろう。

 でも、それではダメなのだ。

 それが分かったから、ずっと自分は内緒にしてきた。

 例え、そうする事で石女と呼ばれ、下手をすれば――いや、このままであれば確実に王妃から引き下ろされるか、側室をもたれるか分かっていた筈なのに。

 ううん、そうじゃない。

 寧ろ自分はそれを望んでいた。

 全てを話して傷つけるぐらいなら、最後まで隠し通す。

 隠し通したまま、自分は夫の元から身を引こうとしていた筈。

 全てを話せば、きっと優しい夫は自分を気遣う。

 気遣って、新しい女性を王妃に迎えられないかも知れない、側室を迎えられないかも知れない。

 王妃としての努めを果たせなければ降ろされるのに、夫はその優しさからそれを拒否するかもしれない。

 だが、それは一般家庭ならばまだしも、王である夫には許されない事だ。

 世継ぎを儲けるのは王として最も大切なことである。

 けれど、本当のことを言ってしまえば、夫は世継ぎを儲ける責務と妻への同情から板挟みになり酷く苦しむ。

 それだけじゃない。

 もし万が一別の女性を迎えて子供が出来ても、自分がいれば相手の女性は一生日陰身。

 いや、正妃になっても自分が留まればきっと酷く心苦しいだろう。

 だからこそ、自分は全てを隠した。

 このまま、唯の石女を演じ続ければきっと自分は王妃から降ろされると。時間はかかってもいい。

 出来る限り皆を傷つけないように退こうと決めていた。

 そのうち、夫も心を変えるだろうと。

 子供を産めない妻に落胆し、別の女性を妻に迎えるのだろうと。

 まあ……その前にこの地に追放されたが。

 なのに……。

 夫が愛妾を持ったという報せに、どうして私は傷ついたんだろう?

 だって自分は、それをずっと願っていた筈。

 同情で迎えられただけの妻。

 その上、子供さえ産めず、夫を苦しめるだけの存在でしかない妻。

 王である夫に対して何の手助けも後見となる強力な一族も何も無い、役立たず。

 そんな駄目な妻ではなく、夫は愛する人を手にいれたのだ。

 自分はそれを祝福しなければならない。

 だって、そうなるように仕向けてきたのは自分なのだ。

 傷つく権利なんてある筈がない。

 いつの間にか目を背けてきた。

 自分の酷い行いから。

 いつの間にか自分を悲劇のヒロインに仕立てあげていた。

 自分の方こそ酷い事ばかりしていたのに。

 自分よがりの傲慢で冷酷で僻み根性ばかり強い私。

 ――もうめちゃくちゃだよね。

 夫に愛妾が出来たから身を退こうなんて嘘だ。

 この屋敷に来てから、王妃を辞めようという思いが強くなったなんて嘘だ。

 本当はもっとずっとずっと前から王妃を辞める事を望んでいたのに。

 私が、自分で勝手に決めていたのに。

 夫のせいじゃない。

 周囲のせいじゃない。

 私が。

 私が。

 でも……それでも何処かで思っていた。

 ずっとこの幸せが続く事を。

 どんなに心ない者達から罵倒さてれも、だから頑張れた。

 けど……あれを聞いて……子供を産めば終わりだと知って……。

 それども必死に耐えていた気持ちはこの屋敷に追放される事になって、実際に追放されてからどんどん歪んでいった。

 王妃を辞めよう、辞めたくない。

 その二つの気持ちで揺れ動いていた。

 だから……それは小さな最後の一押しだった。

 夫が愛妾を持った報せは、その揺れ動いていた気持ちを最終的に王妃を辞めるという決意に導いただけ。

 それまでの下地は既に出来ていたのだから。

 やっぱり夫に自分みたいな妻は相応しくない。

 ――これ以上自分が妻で居れば、何をするか分からない。

 愛妾は夫の寵愛深く、常にずっと傍に置かれているという。

 それほどに美しい人なのだろう。

 気付けば、果竪は自分の頬を涙が伝っている事に気付き慌ててそれを拭った。

 泣くな。

 泣く資格なんてない。

 全ては自分の思い通りに進んでいるのだ。

 夫が愛妾を持ったのも、自分がそうなるように仕向けたから。

 だから自分には泣く資格なんてない。

 それに、今は自分の事なんかよりも大切な事があるのだから。


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