第10話 祠
そこは、最初に果竪が目覚めた場所だった。
「ここが神殿?」
「神殿の一部。といっても、一番の中心に当たる場所」
「中心って……さっきの地底湖が、それっぽかった気がするんですけど」
「あれは神殿への入り口にすぎないわ」
「入り口……」
「この洞窟で唯一残された場所。それがこの最奥の宮」
「宮って……ただの鍾乳洞に見えるんですけど」
「それはまやかしの術のせいよ」
少女が手を横に振った途端、景色が変わる。
幻想的なまでに美しい鍾乳洞の中央に、それは現れた。
「ほこ……ら」
それは果竪の背丈ほどの高さの社殿だった。
石造で出来ており、切妻屋根を備え観音開きの戸が備え付けられていた。
しかし……それは酷く壊れていた。
「なんか……壊れていますけど」
しかも、祠の周りには黒い欠片が飛び散っている。
「ええ、壊れたから」
「こ、壊れた? いつ?」
「ついさっき」
ついさっき?……そういえば、この社のある位置って……さっき私が倒れていた所じゃなかったっけ?
「そう、倒れていた場所。貴女は上から此処まで降ってきた」
少女の言葉に果竪は天井を見る。
天井は暗く、どのぐらいの高さがあるのかはよく分からない。
だが、降ってきたからには、たぶん天井には大きな割れ目があるのだろう。
「けど……それにしては音の反響の仕方がおかしい……」
それに、風の通りも何も無い。
これはどういう構造なのだろう。
だが、ちょっと待って。
果竪は壊れた社と先程の少女の言葉を思い出す。
壊れた社があった場所に自分が倒れていた。
しかも、社が壊れたのはついさっき。
つまり、それの意味することは……。
「もしかして……私が、壊しちゃった?」
恐る恐る聞けば、少女がにこりと笑う。
「のぉぉぉぉぉっ!」
果竪の絶叫が鍾乳洞に木霊した。
「ってか、石造りの祠壊すってどんだけぇぇ?!」
どれだけ自分は強靱な体を持っているんだ。
ってか、お肉じゃなくて成分は鉄か?!
「はっ!!」
これはまさか大根パワーか?!
「毎日のように大根を摂取する事によって、無駄な贅肉が落ち、発達した筋肉が極限まで鍛えられ鉄の如き効果を発揮」
「え? 今の大根はそんな素晴らしい効能を持っているの?」
「私も今初めてしりました!くぅぅ、帰ったら即座に研究しなきゃ!!」
「じゃあ早く帰れるようにしないとね」
「で、でもこの祠が……そ、そうだ」
「ん? 何を探しているの?」
「こういう祠って像や神体が置かれているのが殆どだった筈!! それは、それは無事なんですか?!」
果竪の住んでいた山奥の村の祠も同じだった。
いつも村の子供達が掃除とお供えを担当した。
神のくせ何を祀るのかと疑問に思った事もあったが、そこには古代の神が祀られていた。
その神は、村長曰く第一世代の全能神によって造られた古代の神の一人だったという。
――但し、その祠も村が滅ぼされた時、一緒に焼き捨てられたが。
その時の悲しさは今でも覚えて居る。
なのに、今度は自分が壊す側に回ってしまった。
「ご、ご神体は」
「それそれ」
少女が指を差せば、割れた鏡の欠片が壊れた祠の中に散らばっていた。
全部で十二枚。
「う、うっそぉぉ!!」
「ああ、大丈夫。それは壊してないから」
「へ?」
「貴女が壊したのはこっちよ」
少女が黒い欠片を指さす。
「こ、これは」
「触らないで!!」
思わず触れようとした果竪に少女が鋭く制止する。
「え、ご、ごめんなさい」
「お願いだから、触らないで。それはとても危険な物よ」
「危険?」
しかし、少女はそれ以上その黒い欠片について口を開こうとはしなかった。
「と、とりあえず……ご神体を」
果竪はご神体の欠片を集めると、何とか元の形にしようとするが、当然無理だった。
「せ、セロハンテープ」
人間の文明の危機――セロハン。
天界でも人間界勤務だった神々によって持ち込まれ、現在はポピュラーな文房具として使われているが、ここにある筈がない。
ってか、あったところでどうするというのか。
「もういいわ」
「で、でも……ご神体がなくなっちゃうなんて……」
「いいのよ。まあ、確かに何も無いのは、さまにならないけど」
少女の言葉に、果竪は罪悪感が込み上げる。
「何か、強い思いがこもった石か鏡でもあればいいんだけど」
「強い思い……あ、じゃあこれは?!」
そう言って果竪が差し出したのは小さな大根のキーホルダー。
「これは私が翡翠から削りだし手ずから造った翡翠大根!! あの大根の艶めかしくもうっとりとするような素晴らしい肌を再現する為に一週間かけてたおやかな曲線美の研究を続け、更に一週間磨き続け、完璧に仕上げた最高傑作!!」
「お~~」
パチパチと手を叩く少女に果竪の大根熱は更にヒートアップしていく。
「しかもこの翡翠は、翡翠谷と呼ばれる翡翠が沢山産出される場所でも数百年に一度の最高の代物!!」
それを掘り出した明燐としては、果竪の装飾品として加工する筈だったが、何故か結果は大根となった。
「一目見た瞬間、私の中に電撃が走ったの。そう、私が今考えている大根のアクセサリーを造るには、この素晴らしき翡翠しか相応しくないって!!」
果竪の瞳はもはやらんらんと輝きを増す。
「そうよ、あの果てしなく白く透き通る肌、艶めかしい雰囲気、包み込むような柔らかい笑顔!! 白々とした艶めかしい肌の質感による清逸さはもう――」
果竪の脳裏に、そっと白い両肩まで露わにした大根のセクシーな姿が蘇る。
ぶっ――。
「……なんで鼻を押えて前屈みになるの?」
「あまりのセクシーさについ……」
危うく吹きかけた鼻血を必死に堪えながら果竪は叫んだ。
「と、とにかくそれ差し上げます!!」
「……なんかよく分からないけど、強い思いは入ってそうね」
強いなんてもんじゃない。
一歩間違えれば怨念、妄執にも近い大根への愛が詰まっている。
「それに、材質も……そうね、しばらくはもつわね」
え?それをご神体代わりにしちゃうの?
そう、明燐がいればつっこんだだろう。
とうとう大根はご神体まで支配しだした。
「ありがとう」
「いえ、こちらこそ色々と壊しちゃってすいません……」
そう言うと、果竪は祠を見る。
「祠はどうすれば……」
「気にしないで。ご神体があればそれでいいのだから。それに、問題のものは既に壊されたから暫くは持つでしょう。それにこの大根にも力があるし……暫くは隠せる筈」
「暫くは?」
首を傾げる果竪に、少女はふわりと儚げな笑みを見せる。
「それで、貴女はどうするの?」
「え?」
「このまま此処に留まるの?」
「ここに……って、この鍾乳洞に、ですか?!」
いや、それはまずいだろう。
ここで生活するにしては何もなさすぎるし、それに明燐が怒る――って、あぁ?!
「そ、そうだ明燐達が心配してる!!」
それだけじゃない。
果竪は此処に落ちてくる前に起きた事態を思い出した。
「領主に伝えないと!!」
泉の干上がりと異形出現の件という大事。
なのに、すっかりと忘れていた私って……。
「なら、帰る?」
「勿論です!!」
「じゃあ案内するわ。この大根のお礼もかねてね」
出口までは、先程とは逆だった。
祠に来た時と同じように再び壁にめり込み――いや、通り抜けあの巨大な地底湖へと出た。
その後、すたこらと歩いて行けば、一気に狭さが増し、巨大な井戸のような深い竪穴を通り抜ける事となった。
しかも、所々に小滝が現れ、水音が洞内に響き渡る。
「足下に気をつけて」
「は、はい」
少女の指示は的確で、果竪は一人で歩いていた時よりもずっと楽に歩く事が出来た。
「足が痛くないから楽だわ」
「足?痛めたの?」
果竪はそこで足を痛めたが、何時の間にか治っていた事を告げる。
「そう……それは、この鍾乳石の地底湖の水の御陰ね。ここの水はね、治癒の力を持つの」
「そ、そうなんですか?!」
そういえば、二度とも足は水に濡れていた。
「そうよ」
「へ~~、みんなにも教えてあげたいな」
「そうね……多くの人に役立てて貰いたいわね……もう無理だけど」
「無理って……きゃっ!」
「大丈夫?!」
「つ、冷たぁ!」
突然、頭からまとまった水を被った。
「あらあら」
鍾乳洞の中は大量に水滴が垂れていたが、これは流石に酷すぎる。
「か、傘があれば……」
「残念ながらないわね」
確かに、こんな場所に傘なんてないだろう。
そんな事をしているうちに、ようやく鍾乳洞の出口へと辿り着いた。
といっても、出口は果竪の頭よりも数メートル上。
幸いなのは、積み重なった鍾乳石が階段のようになっており、ぽっかりと開いている出口まで続いている事だ。
「そこを登れば、洞窟に出るから、そこを少し歩けば無事に外に出られるわ」
「あ、ありがとうございます――って、貴女は?」
「私は……此処に残るわ」
「残るって、一人で、ですか?!」
「大丈夫よ」
だが、一人でこの鍾乳洞に残して行くなんて……。
「ど、どうしても残るんですか?!」
「残ってほしくないみたいね」
「だ、だって……そ、それに異形が」
果竪は思い出す。
そうだ、この鍾乳洞の上の森では異形が出たのだ。
「異形……」
「そうなんです!!」
果竪は異形が現れた時の事や地震についても話す。
あの異形は間違いなく嫌なもので、もしかしたら魔族の類かもしれない。
「だから危険ですから、一度外に」
「いいえ、ここにいるわ」
「そんな!!」
「貴女には貴女がやるべき事があるように、私にもやるべき事があるの」
「でも、一人じゃ危険です」
「危険じゃないわ」
「……やるべき事って、何ですか?」
「う~~ん、見回り?」
からからと笑う少女。
見回りとはどういう事だろう?
それに……ずっと不思議に思っていたが、この隠れた鍾乳石を自由に彷徨く事が出来るとは一体……。
「あの……」
「ん?」
「貴女は……誰ですか?この鍾乳石の中を知っていて、しかも祠がある事も知っていました」
それに、自分が王妃である事も知っていた。
普通の少女だとは考えられない。
彼女の正体は一体何なのだろう?
ただ、一つだけ分かることがある。
それは、少女が悪い存在ではないという事だ。
何故?と聞かれれば困るが、ただそんな気がする。
この少女は自分の敵ではない。
まあ、だからといって味方だとも言い切れないが。
「さて、誰でしょうね? 私は」
「は、はぐらかさないで下さい」
「そうね。唯の鍾乳洞好きな女の子といえば良いかしら?」
「だからぁ!」
「いいじゃない、別に」
「よ、よくはありませんよ!!」
「はいはい、じゃあきちんと説明するわ。私はここの祠を担当しているのよ」
「祠の担当?」
「そう、ずっと昔……暗黒大戦前からね」
暗黒大戦――千年にわたって続いた殺戮と略奪の日々。
もう二度と思い出したくない言葉に、果竪はグッと唇を噛み締める。
「ここを掃除して祀る者達も殆ど死に絶えたわね」
「……ですか?」
「ん?」
「貴女は、ここを祀る存在……ですか?それか、その血縁者か」
そうだとすれば、少女が此処に留まる理由も分かる。
祠を祀る者達が少なくなった今、ここで少女もいなくなれば祠は完全に放置される。
「祠を祀る為に……」
「……そうね~、そうかもね」
「だとしても、今は危険です!!」
「大丈夫よ。それに今動かなければ取り返しが付かなくなる」
「動くって……もしや、ご神体?」
壊れたご神体を直すつもりなのか?
「でも……でも……」
「心配しないで。それに、ここの鍾乳洞は邪悪なものは入れないから――通常であればね」
「……でも」
「それより、貴女は早く戻りなさい。伝えるべき事があるでしょう?」
だが、なかなか果竪は動かない。
「心配なら、またいらっしゃい。私は殆ど此処に居るから……しばらくの間だけど」
「……分かりました」
ようやく果竪は頷いた。
「でも、もし危なくなったらすぐに逃げて下さいね!!」
「はいはい。あ、そうそう、これあげるわ」
「へ? こ、これってご神体の!!」
それは割れたご神体の鏡の破片だった。
丁度掌に収まる扇形の欠片は、果竪へと放り投げられる。
慌てて受取り少女を見れば、お礼だと告げた。
「欠けても元はご神体。持っていると役に立つわ」
「い、いいんですか?」
「良くなければ渡さないわ。ふふ、それ便利よ?」
「便利?」
「下手なお守りより、よっぽど強力な護符になるわ。後は自分で探してみてね――それじゃあ、お別れよ」
そう言うと、果竪をせかすようにして階段状となっている鍾乳石を登らせていく。
が、穴の前で果竪はふと気付く。
そういえば……慌てて、後ろを振り向いた。
「あの、そういえばまだ名前窺っていません!!」
少女に向かって叫ぶ。
「私の名は果竪」
「良い名ね」
少女が微笑むのが分かった。
そして少女の唇がゆっくりと己が名を紡ぐ。
「私は……カ―ヤと呼ばれ……」
その時、風が果竪の背を押す。
「うわっととっ!」
「風が吹いてきたわね。さっさと行きなさい――またね」
暗い洞窟をしばし進めば、ようやく外へと出た。
久しぶりに見る外は曇天の空のもと、小雨が降っていた。
今、何時だろう?
「ってか、ここはまだ聖域の森のなかね」
但し、かなり森の出口に近い場所だ。
ここからなら、すぐに森を抜けられるだろう。
果竪は小雨の中を森の外に向かって走り出した。
そして
「果竪、何処かに行く時にはきちんと言いなさいと言ってますでしょう!!」
探しに来た明燐からしっかりとお仕置きされたのだった。
さて、ようやく鍾乳洞も終りました。
舞台は地上へと戻っていきます。
ってか、服装とか文化背景とか難しいですね~~。
一体どこで説明しようかと考えつつ、上手くいかない……。
ってか、改訂版の(始まり編)では色々と新キャラがでてきます。
それに伴い、帰郷編とかも書き直しが入るかも……。