人類がAIに傾倒したので世界が壊滅した話 #02
「手を!!」
私は、伸ばされた倉本君の手を取った。
すると倉本君は強い力で私を教室内に引き込み、勢いよく扉を閉めた。
「はぁ…はぁ…はぁ…ありがとう…」
私は荒い息を整えながら、教室を見回した。
どうやらここは理科準備室のようで、普段は使われていないため、あちらこちらにある器具は埃を被っていた。
ガシャンッ
扉が大きく揺れた音がして振り返ると、引き戸が動かないように箒の柄が立て掛けてある。
何度かドアを開けようと揺らされていたが、諦めたのか音がしなくなった。
心臓が早鐘を打つ。
そしてもう一つの心臓の音を感じて、ふと、下敷きにしてしまっていた倉本君の存在を思い出した。
私は倉本君を押し倒すように倒れかかっており、倉本君は片手で私の手を引きもう片方の腕で私を抱きかかえるようにしていた。
「うぇあ!? ごめん倉本君!! 重いよね!?」
すぐに退くね、と慌てて動こうとすると、倉本君も慌てたようで、上手くバランスが取れずなかなか降りれない。
倉本君の顔がだんだんと赤くなっていく。苦しそうで申し訳なくなってくる。
そこで気がついた。私が上手く動けないのは、私の腰に回された倉本君の腕が原因ではなかろうか。
「ご、ごめん倉本君、腕が引っ掛かってて動けないよ」
だから手を離してほしい、と言い終わる前に、倉本君は大慌てで両手をバンザイし、私に謝った。
「ごごごごごめん」
人は別の誰かがこれ程無く慌てていると逆に落ち着くという。
私は倉本君の慌てようを見て、まるで知恵の輪を解くみたいに冷静になって移動することができた。
「私こそ乗っかっちゃってごめんね、助けてくれてありがとう」
そしてようやく、助けてもらったお礼を言うことができたのだった。
手を差し出して倉本君が起き上がるのを助けようとしたけれど、倉本君は自力でむくりと起き上がった。
「いや、沢渡さんを助けられて良かったよ」
そう言って倉本君は、私に怪我はないかと尋ねた。
改めて自分を見下ろすと、あちこちに掠り傷や打ち身があり、校舎内を走り回っている間にぶつけまくっていたのだと気がついた。
「たいした怪我は無いよ」
「…ごめんね、ここには治療道具が無いから、痛いと思うけど」
私はなんともないと答えたけれど、倉本君は申し訳なさそうに視線を逸らした。
なんとなく気まずい空気が漂う。
何か言おう、いや何を言おうか…と葛藤を繰り返すこと数秒。
教室の窓がガラリと勢い良く開いた。
「!?」
私は慌てて窓から距離を取ったが、その窓から中に入ってきたのは須磨君だった。
倉本君は驚いた様子もなく須磨君に近づく。
それどころか、私と二人で気まずかったところから逃げ出せた喜びの表情にも見える。
「おかえり、洋介。どうだった?」
「ただいま、柚瑠。だいたいわかったぞ」
「そうか、ありがとう」
「む? そこの彼女は沢渡実菜?」
「ああ、襲われそうだったから助けたんだ。」
二人は二言三言交わした後、ちらりと私に視線を向けた。
須磨君は不思議そうに私を見る。
だがちょっと待って欲しい。
ここは2階なのだ。須磨君は2階の窓から入ってきたということである。
急に殺戮マシーンと化したクラスメイトも恐怖だったけれど、自然な雰囲気で2階の窓から入ってくる須磨君も、それを平然と迎え入れる倉本君もある意味別の恐怖を感じざるを得ない。
なんというかサイコホラーと幽霊的なホラーの違いというか、スズメバチとゴキ○リの違いというか…
ん? どっちがスズメバチでどっちがゴキ○リなんだろ?
いやいや待て待てそれは今関係無いよ!!
混乱する頭をどうにか大人しくさせて、私が絞り出した言葉は「須磨君は何して来たの」だった。
「俺か? 俺は学校の異変を調査していたぞ」
思ってた答えと違う。
須磨君らしいっちゃらしいんだけど、調査と言ってもなんであえて窓なのかというか、異変って確かに異変だけどいつもみたいな言い方されるとうっかりスルーしちゃいそうというか。
そんなことを考えていると、須磨君が近付いてきた。
「ところで沢渡実菜、携帯電話は持っているか?」
「え? …あ、教室に置いてきちゃった」
須磨君の質問の意図はわからなかったが、スマホをあの教室に置いてきたことは失敗だった。
絶対に取りに戻れない。買ったばっかりだったのに。
スマホがあったら家に電話して、お母さんに…あ、
「通報! そうだ、通報して助けてもらおう! 二人はスマホ持ってるの?」
私は学校のこの異常事態を通報して、警察とかに助けてもらおうと考えた。
事実、怪我人とか、血とか、警察が動くだけの理由がある。
そう思っての問いかけだったのだが、返ってきたのはかなり絶望的な答えだった。
「無理だな」
須磨君はあっさりとそう言って、先程入ってきた窓を指差した。
「街も同じ状態だ」
窓の向こうに見えるグラウンドのそのまた向こう、都会的な街の風景は、今までとは異なっていた。
黒い煙があちこちから立ち昇っている。
「え…」
「沢渡実菜、もう一度訊くぞ。今、携帯電話は持っていないのだな?」
「う、うん…」
押され気味に私が答えると、須磨君は小さく息を吐いて、視線を倉本君の方へ向けた。
「やはり例のアプリケーションが問題だな」
「そうか」
「ただ、その影響力に疑問を抱かずにはいられない。それに目的も掴めない」
「雪雫かすみか…」
「えっ、AIかすみん?」
私は倉本君の『雪雫かすみ』という言葉に反応した。ついさっきまで狂信者的な集団に追い回されていたからだ。
須磨君と倉本君も私の反応に反応した。
室内が静かな緊張感に包まれた。
「な、なに…? 私何か変なこと言った?」
「沢渡実菜」
須磨君がじっと私を見つめて口を開いた。
「雪雫かすみとのチャット型トーク系アプリケーションのことは知っているか?」
そう言われて私の脳裏を過るのは、イカれた眼で話すりっちゃんと、先輩から送られてきたメールだ。
私は静かに頷いてみせた。
倉本君が口を開く。
「沢渡さんは、そのアプリは使ったことない?」
「…ない、けど。二人はあるの?」
倉本君はほっとしたように息を吐き、良かった、と呟いた。
「あのアプリは危険だよ。使ったことがなくて良かった」
「ど、どう危険なの?」
確かにあの異常なまでの信奉と暴走は危険だと思う。
だけど、この世界はファンタジーではない。
呪われたアプリとか、何かに取り憑かれるとか、そんな馬鹿げた非現実的な話があるわけない。
しかし倉本君は困ったように眉尻を下げただけだった。
代わりに答えたのは須磨君だった。
「何が危険かはまだ断言できない。仮説は二つある」
一、アプリ自体に何らかの原因があり、使用によってあの状態になった。
二、何らかの要因であの状態になった人が、あのアプリを使用している。
「さっき校舎を軽く見て回ったが、徘徊している生徒や教師は全員が携帯電話を所持していた」
そのうえ、ずっとスマホに何かを打ち込むような動作をしていたと言う。
私が見た教室の状況と同じだ。
「隠密行動を第一にしていたので携帯電話を強奪等はしていない。そのため例のアプリケーションについては確認せずに帰ってきた」
「それなら、私のスマホに招待メールが届いてたから、そこから調べる?」
私の提案に、二人は首を横に振った。
「落ち着け、沢渡実菜。どの様なメカニズムでこの状況が起きているのかわからない以上、下手に手を出すべきではない」
「それに教室までスマホを取りに行くのは危険すぎるよ」
「そ、それじゃ…」
どうしたらいいの?
もう皆まともじゃない。まともだった人達は殺された。
この教室には食べ物も飲み物も無い。救助も望めない。
ないない尽くしの現状で、だけど二人の目は諦めたそれではなかった。
「一旦アプリケーションについては保留だな。基地まで移動するか」
「さっき無線を試したけど繋がらなかった。何事も無ければ良いんだけど」
「何も無いわけが無いだろう。それを何処まで対処出来ているかが問題だな」
急に始まった移動の話に私は焦った。
置いて行かれては困る。だがしかし私も付いて行こうと思うと、またあの集団に追われるということだ。
「移動って、どこに行くの?」
「何処と言われても、基地としか言えないな」
「そこには緊急時用の物資があるから」
「…どうやって、行くの?」
私の言葉に、二人は顔を見合わせて答える。
「道なりに行くしかあるまい」
「追いかけられるだろうけど、逃げながらになるね」
それにね、と倉本君は言葉を続ける。
「ここが破られるのも時間の問題だと思うんだ。ゾンビ映画とかだと音を立てなければ去っていくけど、彼らは人間だからね。ここに隠れた僕らの存在を忘れるとは思えない。」
たしかに、と思った。
外が静かになったから諦めたんだと思って安心してたけど、もしも確実に私達を引き摺り出すために一度退いたのだとしたら…?
私はさっと青ざめて扉を見た。
「架空世界の話と違って殺すことも出来ぬ」
「こ、殺すって…」
「向こうは此方を殺すつもりで追ってくる。しかし俺達は殺さず無力化するか逃げ延びる必要がある」
あっさりと『殺す』という言葉が出てきて驚いたけど、確かに私も殺されかけた。
今からその中に出ていくのだと考えると、先程の恐怖が蘇ってきて足が震えた。
「…窓から行く?」
「それが最善だろう」
「ま、まど…!?」
たしかに、たしかに! 須磨君は窓から帰ってきたけど!!
付いて行くには2階の窓から飛び出さなければならないらしい。
ガシャンッ ドゴッ ダンッ ミシミシッ
その時教室の扉が大きな音を立てた。
扉が破られるのも時間の問題だと言った倉本君の言葉を思い出す。
「時間が無い。行くぞ、柚瑠」
「うっ、うん」
須磨君は教室の窓をカラカラと大きく開く。
倉本君はちらりと私を振り返った。
「…私も、行くっ!」
私は意を決して声を出した。
震える足を叱咤して窓際へ向かう。
「震えているが大丈夫か?」
「ここに居たってすぐに死ぬ。それに…」
私は精一杯笑ってみせた。もしかしたら引き攣っていたかもしれないけど。
「これは武者震いだよ。試合前にはよくあったし」
嘘。恐怖でガクブルだった。
だけど武者震いということにした。自分を奮い立たせる為に。
「じゃあ、僕が背負って降りようか」
「それじゃ足手まといだよ、自分で降りる」
自分の所為で、死んで欲しくない。
それなら自分の責任で自分の生を確保する。
そう思って言った言葉に満足したように、須磨君は自分が先頭、間が私、殿を倉本君と指示した。
私が遅いと後ろの倉本君が危険だから私が最後にと言ったが、きっぱりと断られた。
「俺達は緊急時、出来る限り人民を救助するように言われている。沢渡実菜を連れて逃げるのは当然だ」
「それに僕が最後尾の方が何とかできる。後ろのことは気にしなくて良いよ」
「どちらかが背負うつもりだったが、その実しっかりと芯がある」
そう言って二人は近くの鞄からロープを取り出して手すりに括り付け、教室内のあちこちに結び始めた。
その鮮やかな手腕と、須磨君の人民救助という言葉に戸惑っている間に脱出の手筈は整っていた。
真似して付いてこいと言って須磨君がロープを伝って下へ降りていく。
私は慌ててロープを掴み窓から身を乗り出した。
その時、一際大きな音を立てて扉が壊される。
私がこのまま降りるか戻るかを一瞬躊躇していると、倉本君が「行って!」と叫んだ。
私は倉本君を信じて降りる方を選択した。
須磨君が足を置いた出っ張りを追うように、私も少しづつ下へ下へ降りる。
1階の窓枠に足をかけた時、須磨君が「跳べ」と言ったので跳んだ。
須磨君は私を抱きとめて、立たせる。
「走るぞ!」
「倉本君は!?」
須磨君は私の手を引いて走り出す。
倉本君を待たずに進むのかと問いながら私も足を動かした。
でないと転びそうだったから。
「柚瑠もすぐ来る。適当に時間を稼いだら来いと言ってあるからな」
どうやらロープをセッティングしている間に打ち合わせをしていたらしい。
チラチラ後ろを見ながらグラウンドを走っていると、窓から身を乗り出した倉本君が、ロープを手に取りひょいひょいと降りてくるのが見えた。
私がめちゃくちゃ手間取っていたことが恥ずかしくなるほどちゃっちゃと降りた倉本君は、私の速度に合わせて走ってくれている私達にすぐに追いついた。速い。
「柚瑠、このまま走り抜けるぞ!」
「わかってる!」
倉本君の手には箒の柄が握られていた。
さっきまでそれで戦っていたのだろうか。ほんのり血が付いている。
校舎からわらわらと出てきて追ってくる生徒達から逃げつつ、校門が視界に入ったところだった。
「助けてっ!!」
近くの部室棟から声がした。
須磨君と倉本君は視線を交わし、頷きあった。
「ごめん、沢渡さん」
「寄り道するぞ」
「えっ、ひゃぁぁぁ!!」
何故か倉本君は私を横抱きにし、須磨君は声のした部屋まで突っ走った。
倉本君もそれを追いかけ、私達三人は部屋の中に突っ込む。
私はいきなりのことで慌てふためいていたが、なんとか落ち着いて顔を上げると、そこには三人の男女がいた。
思っていたより立ち話しかしていませんでしたね。
ちゃっちゃと移動しろと思っていたのですが、
常識の範疇にいないすまっちがいるとこれほど話が進まないとは思いませんでした。
何を言ってるんだね須磨くぅんと皆が皆思うことでしょう。
それを平然と受け入れるくらもっちー。
次は三人の学生達です。