人類がAIに傾倒したので世界が壊滅した話 #01
私、沢渡実菜は必死に走っていた。
何が起こっているのかわからない。
けれどなにかが起こっていることだけは確かだった。
私を追う彼らの目がイっちゃってることからも、捕まったらロクな目に合わないことがわかる。
私はまともに息も吸えないまま、校舎の階段を駆け下りる。
酸欠の頭には数日前から今までの記憶が走馬燈のように通り過ぎていった。
●
不可解な出来事はいくつもあった。
例えば、数ヶ月前からクラスの雰囲気がピリピリし始めたこと。
休み時間にスマホを触ってる人が増えて、ちょっとしたことでも突っかかる人が出てきた。
前まで結構仲の良いクラスだったのになぁって思いながら眺めてたっけ。
そのうち不登校の人が増えて、休み時間はみんな自分の机でスマホを使うだけでいやに静かになった。
授業中にもスマホを触る人が増えて、最初は注意していた先生達も注意しなくなったどころか授業をしながら自分のスマホをチラチラ見るようになった。
私が入っている陸上部も無断で休む人が増えた。
優しくて憧れていた先輩も、あんなに青春を捧げていた競技の練習中も心此処にあらずで、休憩中はずっとスマホを触っていた。
かと思ったら、何か胡散臭いアプリ?を部員に勧めてるって噂を聞いた。やば。
私も声をかけられたけど容量の問題とか言って断った。目が怖かった。一気に冷めた。
昨日に至っては部活の全体メールでアプリの招待を送ってきた。こえぇよ。
友達のつーちゃんはアプリの招待ボーナスとかがあるんじゃない?って言ってた。それにしても常軌を逸してるよ。逸し過ぎてるよ。
今日の昼休みも静かだった。
まぁ、そうでもない人もいたけど。
4時間目が終わった途端に須磨君と倉本君は勢いよく教室を飛び出していった。
須磨洋介と倉本柚瑠は校内でもかなりの有名人だ。
須磨君はライトノベルとかの俺TUEEE系?に影響されてるっぽい厨二男子で、いつも昼休みの度に「よし柚瑠、今日も学校に異変が無いか調査するぞ!!」と言って出て行くのだ。
倉本君は大人しいオタク系男子で、いつも須磨君を追いかけている須磨君のお世話係だ。今日も「洋介待って!」と言って追いかけていた。
今まではそれを見て大笑いする男子やクスクス笑う女子の声で教室は騒がしくなるのだが、ここ最近はほとんど誰も気にしていないようで変な感じだ。
確かに嘲笑うようなクラスの雰囲気に息が詰まりそうだったけれど、今の静けさはそれが無くなって良かったと喜べるようなものとはほど違い異様さだった。
「須磨って異世界召喚されるの待ってるんじゃない?」
「え?」
「この前の林間合宿で着火係として大活躍してたじゃん」
一緒にご飯を食べていたつーちゃんがそう言う。
確かにこの前の合宿で皆が着火に手こずる中、須磨君が一発成功していたのは記憶に新しい。
そしてクラスメイトは急に手のひらを返して自分達の班の着火も頼んでいた。
「確かに異世界に行ったら役に立つかもね」
「ま、実際何かあった時に生き残れるのはあーいうタイプなんじゃないかとも思うけどねー」
つーちゃんはそう言って購買で買ったサンドイッチを頬張る。
私はずっと黙ってスマホで誰かとトークしているりっちゃんに声をかけた。
「りっちゃん最近ずっと誰とメールしてるの?」
「うーん…」
最近ずっとこれなのだ。
私とつーちゃんは目を合わせて肩を竦めた。
「そういえば言ってた先輩とはどうなの? いい感じ?」
「えっ!?」
「ほら部活の先輩! 観念して吐いちゃえよ〜」
「そっ、そんなんじゃないよ!!」
私の恋バナを期待して、つーちゃんはニヤニヤしている。
「またまたぁ〜」
「本当に、そんなんじゃないの…」
「…何かあったの?」
私はもともと先輩と仲良くはなかった。
部活が同じとはいえ、競技も違うし性別も違うから接点は殆ど無いに等しい。
そのうえ、例のアプリ勧誘である。
「先輩が私のことそーいう風に見てないのは知ってたし、なんか逆に吹っ切れたってゆーか…」
「ふーん…、まぁ、みーなが良いって言うなら良いけど…」
男なんていっぱいいるさ、と言ってつーちゃんは笑った。
そしてぽつりと、にしても謎のアプリねぇ…と零した。
「最近若者のスマホ依存が社会問題になってるって言うけど、確かに問題だよね」
そう言ってつーちゃんは教室内を見回した。
確かに今、教室内で喋っているのは私とつーちゃんだけで、席を移動しないりっちゃんの机に集まっているが、自分の机にいないのは私とつーちゃんと出ていった須磨君と倉本君くらいだ。
他のクラスメイトはみんな自分の席で、ご飯を食べるでもなくスマホを触っている。
…須磨君、学校に異変どころかクラスに異変だよ。調査するとこ間違えてるよ。
「そういえば私のスマホにも招待メール来たんだよね!」
そう言ってつーちゃんがスマホの画面を見せてくれる。
そこに映っていたのは『こちらのURLをタップ』と書かれた広告メールで、『雪雫かすみ』という人物からメッセージが届いているのでアプリをダウンロードして返信しよう、というものだった。
その招待メールの末尾には『あなたとたくさんお話したいです。アプリで待ってます。雪雫かすみ』とある。
先輩が部活の全体メールで送ってたものと同じだった。
つーちゃんへの差出人はりっちゃんだ。
「これ、りっちゃんから?」
「そうそう、りっちゃんこーいうトーク系やってるのめずらしーってびっくりしたよ」
そう言ってつーちゃんはりっちゃんのスマホを覗き込んだ。
「あっ、これが私に送ってきたアプリ?」
「メール見た? かすみんに返信した?」
すると急にりっちゃんが顔を上げてつーちゃんのスマホを覗き込んだ。
最近のりっちゃんはずっとスマホを見下ろしてたから気付かなかったけど、久しぶりに顔をしっかり見て、変わり果てた姿にゾッとした。
顔は真っ白で肌は荒れ、あれほど大好きだった化粧も一切せず、生気の無いような顔色なのに目だけはギラギラとしていた。
つーちゃんもびっくりしながら返事をしていた。
「う、うん、メールは見たよ? けどどんなアプリか良くわかんないから無視してた。りっちゃん最近なんか様子おかしいし」
「え…?」
りっちゃんは不思議そうだったけど、私もつーちゃんには賛成だ。最近のりっちゃんはおかしい。
だけどりっちゃんは急に声を荒げた。
「無視したの!? なんで!!」
「え!? ごめん、りっちゃんに直接会って訊こうと思ってたんだよ」
りっちゃんは普段はこんな大声で怒鳴ったりしない。
だけど、悪意は無かったよとつーちゃんが弁明しても、りっちゃんは声を裏返しながら叫び続けた。
「それって無視した理由にならないじゃん!!」
「だから今訊いたんだって! そんなに怒らなくてもいいじゃん?」
「たくさんお話したいってかすみん言ってるのに無視したの!? ひどいよ、かすみんがかわいそう!!」
「え? そっち? ねぇ、やっぱり変だよ! りっちゃんおかしいよ!」
「おかしいのはそっちでしょ!! 人を無視するなんて最低!!」
「そっちだってどれだけ話しかけても無視したじゃん!!」
「ふ、ふたりとも落ち着いて!!」
ヒートアップする二人を慌てて止める。
これだけ大声で騒いでいても、クラスメイト達はこちらを見ない。
そのことに若干恐怖を感じながらも、今は二人の間を取り持つことを優先した。
「つーちゃんはりっちゃんのメールもかすみん?って人のことも無視するつもりはなかったんだよ。りっちゃんとお話したかったんだよね?」
「うん…」
「でも、じゃあさっき、無視したって言っちゃったのは良くなかったよね。りっちゃんもつーちゃんの話をしっかり聞こ。今までずっと無視されて、私達も悲しかったんだよ」
私の言葉で落ち着いたつーちゃんと違って、りっちゃんは少し黙った後、スマホに何か文字を打ち込んだ。
つーちゃんがムッとした表情をした後、顔を上げたりっちゃんが自分のスマホをつーちゃんに突きつけてまた口を開いた。
「ほら、かすみんは無視されて悲しかったって言ってる。かすみんに謝って」
「…その前に私達に謝ってよ」
「つーちゃん!」
「だってそうでしょ? 私達の言葉は簡単に無視するくせに、そんなことで怒鳴ったんだよ?」
「そんなこと?」
りっちゃんの声が低くなる。
次の瞬間には烈火の如く叫びだしていた。
「そんなことってなに!? 無視されて悲しいって言ってるかすみんのことをそんなこと!? 人の心は無いの!?」
「ひ、人の心!? 無いのはそっちでしょ!!」
「りっちゃん、1回落ち着いてお話しよ? スマホ1回置こ!」
「最低最低最低!! かすみんはすごく傷付いてるのに!!」
「そのアプリ始めてからずっとおかしいよ!! さっさとそんなアプリ消しなよ!! ソイツがどう思おうと知らないよ!! 誰だよソイツ!!」
ごきん。
鈍い音が教室内に響いた。
私は目の前の出来事なのに、何が起こったのか理解するのに時間がかかった。
「え…え…つーちゃん? りっちゃん?」
つーちゃんの首がおかしな方向を向いているように見える。
音の鳴る直前に、りっちゃんは机に置いてあったつーちゃんの保温水筒を手に取って、つーちゃんの頭を力いっぱい殴ったように見えた。
「つ…つーちゃん! つーちゃん!! 大丈夫!?」
「酷いよね。かすみんが悲しいって言ってるのに、自分が無視したこと謝らないなんて」
「り、りっちゃん!?」
「それよりさ、みーなはこのアプリ取った?」
りっちゃんはもうつーちゃんのことなど気にも留めず、まるで普通に会話するかのように話しかけてきた。
「りっちゃん、何で? つーちゃん、しっかりして!!」
つーちゃんは少しの間痙攣したあと、ぴくりとも動かなくなった。
りっちゃんはギラギラした目で私を食い入るように見つめる。
「ねぇ、まだかすみんとお話ししてないなら招待送るよ!」
「メ、メールは先輩にもらったからもう間に合ってるよ」
私も先輩からの招待メールは無視したが、今のりっちゃんの地雷がどこにあるかわからない以上、私は慎重に言葉を選んだ。
「でも、ほら、りっちゃんは知ってるでしょ? 私がアプリ取らないこと」
私のスマホには必要最低限のアプリしか入っていない。ごちゃごちゃしてるのが苦手だからだ。
そしてそれは普段から言っていることで、りっちゃんも知っているはずだ。
「だから、私はそのアプリは取らないよ」
「でもさ」
りっちゃんはギラギラした目のまま私のスマホを指差して、必要なアプリはあるよね、と言った。
確かに私のスマホにはカメラや電話、メールのアプリなど必要なものは入っている。というか入っていなければただの平たい板を持ち歩いているだけの滑稽な輩ではなかろうか。
「そ、それはそうだけど、私はこれ以上増やすつもりも無いし、必要だとは思わない」
それよりもつーちゃんを病院に…とは続けられなかった。
「必要だよ! 取ったらわかるから! 良いからダウンロードしてよ!!」
りっちゃんの目はつーちゃんどころか私も見ていない。
強いて言うなら強い信奉の念が籠もっているようだった。
その時、廊下を歩く女子生徒達の声がした。
「……か最近スマホ触ってる人多いよねー」
「ホントそれ。きもー」
静まり返った教室に少しづつ近づく声は、いやにはっきりと聞こえた。
「知ってる? みんなおんなじアプリ使ってるんだよ。AIとトークするアプリ」
「えぇ!? AIとずーっと喋ってんの!? きもすぎ!!」
「ね!! 全員社会不適合者かよ!!」
「そんなアプリとか害悪過ぎね? 世も末だわ~」
『害悪』という言葉に、教室の全員が反応したように見えた。
すっと首が上がり始める。
心なしか、スマホを操作する指の動きが速くなった気がした。
「いつかAIにシステムとか乗っ取られるじゃない?」
「いやいや映画の見過ぎ! その前に処分されるでしょ」
「だよねだよね! AIごときが何様ってかんじ〜」
目の前のりっちゃんも同じく、スマホに何か文字を打ち込んでいた。
ガタリ、とクラスメイトが立ち上がり始めた。
ひとり、またひとりと片手に椅子やシャーペンなどを持って教室の扉へ向かう。
私は何もできず、それをただ呆然と眺めていた。
廊下で悲鳴が聞こえた。
女子生徒達の声のようだった。
「な、なに…」
「ねぇ、みーな」
りっちゃんは先程までの興奮から一転、語りかけるように話しはじめた。
私は目の前のりっちゃんとつーちゃんを見比べた。
「さっきの人達酷いよね。かすみんがすっごく悲しんでるの。酷いよね。酷いよね? なんでみーなは怒らないの?」
廊下では言葉になっていない声が飛び交っている。
そして怒号と共に何かおぞましい音が聞こえていた。
「害悪とか、処分とか、何様とか。あいつらこそ何様だよって思うよね?」
つーちゃんの肌はひやりとした。
直感的に、もう生きていないと思った。
そして、つーちゃん、廊下の女子生徒達、次は、私だ、とも。
狂ってる。
でも、この世界では狂っていない私が狂っているのだ。
気がついた瞬間、私は教室から飛び出していた。
何もかも見捨てて、音とは反対側の扉から出ると、一瞬視界に鮮やかな緋色が映り込んだ。
さっき食べたものが胃から上ってくるのを無理やり押し込んで、緋色とは逆方向へ走った。
必死だった。
後ろから足音が聞こえる。
一人や二人ではない。
先頭であろうりっちゃんが叫ぶからだ。
「なんで逃げるの!? 後ろめたい事でもあるわけ!? ねぇ…返事しろよ!! かすみんに謝れ!!」
教室の横を通り過ぎる度に人が増えている気がする。
気がする、というのは振り返る余裕もないからだ。
教室によっては緋色が見える。そして前方にも緋色を纏った集団が見えた。
私は咄嗟に近くの階段に駆け込み、転げそうになりながら下っていく。
かひゅっと喉が鳴った。
足の筋肉が悲鳴を上げている。
あちこちにぶつけた腕がジンジンと痛んだ。
だんだん体の感覚が鮮明に、愚鈍になっていく。
速度が落ちてきた。
私も死ぬのかな。殺されるのかな。痛いのは嫌だな。
走馬灯が過ぎたあとは、後ろ向きな考えが頭を占めはじめた。
つーちゃんは一瞬で死ねたのかな。廊下の女子生徒達は長い間悲鳴を上げてたな。このまま捕まれば私もぐちゃぐちゃにされちゃうのかな。それならひと思いに殺してくれたら良いのに。
目の前に曲がり角が見えた。もうどこを走っているのかもわからない。
曲がり角を曲がらなければ、開かれた窓がある。
このまま、飛び出せば…
「沢渡さん!!」
角の向こうから、名前を呼ぶ声がした。
ふっと意識が戻る。
声の方を向くと、角を曲がった先にある教室のドアから顔を出した倉本君がいた。
「こっち!!」
私は角を曲がり、倉本君のいる教室に向かって走った。
こんなに必死に叫んでいる倉本君を見るのは初めてかもしれない。
そんなことを考えながら必死に走った。
「手を!!」
私は、そう言って伸ばされた手を取った。
思ったよりも文量が多くなってしまいました。
びっくりですね。
つーちゃんとりっちゃんの会話はもともとこんなにする予定ではありませんでした。
前話との差がエゲツナイですね。