第十九話「サキュバスのエリザベス」
年期が入っている大理石の床に落ちている髪を、丁寧に箒で掃き集める。
革張りの椅子と鏡台、それに仕事道具はここに来る時に持ってきた物だ。
少し古びているが使い慣れている物はやはりいい。
ここは私の小さな城。私のお気に入りを並べた私の店。
壁紙が剥がれかかっている。ミノさんに直してもらわないと。
ここに来てから7年、ずっと毎日変わらない景色に見えて少しずつ変わっている店内を見ながら深い息を吐く。
ここは魔王城3階の片隅にある「サロン・ド・エリザベス」
扉に「CLOSED」の札をかけ、カーテンを引き鍵をかけてから、私は「本当の姿」に戻る。
ピンク色の髪に、クルンと丸まった角、胸元とおへその辺りまで開いた露出度の高い服に、小さな翼とスペード形の鏃がついた長い尻尾。
クリスティーナが見たら「誰だ貴様は!?」と言われそうな私の本当の姿。
サキュバスのエリザベスに戻った私は深く息を吐く。
「ああ~… 楽だ~…」
ずっとこの姿でいたいけど、この格好は目立ってしまうので普段は地味な姿に変身して通している。
お湯を溜めておいたバスタブに浸かって身体を洗った後は、鏡に自分の姿を映しながらピンクのルージュを引き髪に櫛を通し整える。
手首と首筋と胸の谷間に香水をふり、蠱惑的な香りに私は満足気にうなづく。
私の本当の姿を知っているのは魔王軍の中でもたった2人だけ。
その内の1人と私はある『契約』を交わしており、月に一度2人だけの夜を過ごしている。
時間ぴったり。夜9時にテレポートでやってきたその人に私は微笑みかける。
「いらっしゃい、魔王様」
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「ちょっとやめてよ! 何するのよ!」
「黙れこのサキュバスめ! 子供が生まれなくなったのは、お前のせいだろ!」
魔王軍に来る前、私はある町でひっそりと暮らしていた。
ひっそりと慎ましく、人間達に紛れて暮らしていた。
平穏が破られたのはある日、
子供が生まれなくなった原因はサキュバスのせいだという噂が流れた。
私がサキュバスだとバレたのは時間の問題だった。バレないように慎重を期していたが、カーテンの隙間から、私の本当の姿を見ていた人間がいたらしい。
町の片隅でひっそりと営んでいた私の店舗兼住宅に、人間達が火のついた松明を持って押し入ってきた。
「お前が男達を誘惑し、精力を吸い尽くしたから子供が生まれなくなったんだろ!」
「そんな事してないわよ! 私はここで美容院を営んでいただけよ! 精力だって…、寝てる間にちょっと吸っちゃう程度で…」
「ほらやっぱり! お前が子供が生まれなくなった原因だ!」
「違うって言ってるでしょ! 精力を吸うったってほんのちょっとだし、私1人で吸える量なんて大した事ないわよ!」
いくら言っても聞く耳を持たない人間達に、私は必死で訴えかける。
女悪魔サキュバスとはいえ、魔法は使えないし戦闘力もない。
私が、いやサキュバスにできるのは『変身』と『催淫』だけだ。
「黙れ!」
「キャッ!?」
町長の男に強く肩を押され、私は店の壁にしたたかに身体をぶつけ倒れ込む。
「皆! このサキュバスを退治するぞ!」
「「「オオー!」」」
「やめ…、やめてよ…」
火のついた松明を近づけてくる人間達に、私はおびえながら懇願する。
けれども妄信に囚われた人間達は止まらない。
松明を振り上げ私に殴りかかろうと…
「『スリープ』」
…する直前に、誰かの眠りの魔法で眠らされた。
「…事情は分からんが、とりあえず話を聞かせてもらえるか?」
「ヒャッヒャッヒャ! 魔王よ、話を聞く前に火を消した方がよいぞ」
茶髪の魔法使いっぽい少年と、黒いローブをかぶったリッチーだった。
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「…つまり、町に子供が生まれなくなった責任を押しつけられ殺されそうになっていたと」
「ええ、そうよ」
「ヒャッヒャッヒャ! よくある話じゃのう! 人間とは愚かな生き物じゃ」
「ホントだな… 噂を本当の事だと思い込んで、叩いていいと思った相手には何をしてもいいと勘違いする。本当に愚かな生き物だ」
「いやあなたも人間でしょ?」
「俺は……魔王だ」
「魔王?」
自らを魔王と名乗る少年、いや青年?をしげしげ見やる。
サラサラの茶色い髪に、真っ白い肌、どこにでもいそうな魔法使いだ。
魔王と言うからにはすごい力とかでもあるのかもしれないけど、私には普通の人間にしか見えない。
「でも……危ない所を助けてくれた訳だしね。礼を言っておくわ、ありがとう」
「どういたしまして…と言いたい所だが、何も解決はしてないな。この町にいる限り、また狙われるぞ」
「本当にそうね…」
誤解は解こうとしても解けないだろう。
表にいる連中が目を覚ましたら、また襲ってくるのは明白だ。
「そこでエリザベスさん。魔王国に来ないか?」
「魔王国?」
「仲間を集めて廃城をリフォームして国を作る予定なんだ」
「今何人いるの?」
「俺とこのリッチーのティルさんだ」
「2人だけじゃない」
「ヒャッヒャッヒャ! 前途多難じゃのう」
「…ハア、まあ他に頼る当てもないから何でもいいんだけど」
少なくともこの町にいるよりはマシだろう。
「でも私髪切る事と、寝てる間に男達の精力をちょっと吸うくらいしかできないわよ。魔法も使えないし、戦う事もできないし」
「じゃあ城で美容師でもしてくれりゃいいよ。他の事は他の連中に任せりゃいいからさ」
「他の連中も何も、まだワシしかおらんがのう」
「ふうん…」
人間にしては理解がありそうな魔王とやらを、私は改めて見る。
「…ま、悪くないか」
「え?」
「いいわ、魔王国とやらに行ってあげる。その代わり本当に戦う事とかできないわよ」
「ああいい、それでいい。できることをして、好きに暮らしていいから」
気前のいい事を言う魔王に、私は「本当の姿」を晒す。
「えっ? エッ!? エ、エリザベスさん!????」
それまでの黒髪で地味な女の姿から、ピンク髪で露出の多いサキュバスになった私の姿を見て、魔王が顔を真っ赤にし目を丸くして目をそらす。
「ヒャッヒャッヒャ! どうやらさっきまでのは世を忍ぶ仮の姿だったみたいじゃのう」
「そういう事。それじゃあ私と『契約』して」
「け、契約?」
おそるおそるこっちを向いた魔王が、おそるおそる尋ねる。
「そ。『契約』してくれないと私はこの町を出られないの。だから『契約』して」
「『契約』って・・・何を?」
「○○○(ピー)」
店の奥にある居住スペースにつながるドアを開いて、私は魔王に『契約』を迫る。
ピンクで統一された寝室の真ん中には、シングルベッドが鎮座していた。
「ヒャッヒャッヒャ! じゃあワシは外の見張りでもしておくとするかのう」
リッチーが、空気を読んだのか外に出て行こうとする。
「え? え? ティルさん?」
「それじゃ魔王、頑張って来いよ」
グッと親指を立てて去って行こうとするリッチーを、魔王が肩を掴んで止める。
「いやいやいや頑張るって何を!?」
「ナニをじゃろう」
「いやいやいや無理だって! 会ったばかりの相手と○○○(ピー)なんて無理だって!」
「そうは言ってものう。ワシリッチーじゃし。死んでおるし枯れておるし。サキュバスの嬢ちゃんだって魔王がいいじゃろ?」
「ええ」
「ほれ、嬢ちゃんもこう言っておる事だし頑張ってこい」
「いやいやいや!」
バタン。
魔王を振り切って、リッチーが出て行く。よし、邪魔者はいなくなった。
「それじゃあしましょ」
「いや、あの…いきなり言われても…」
「なあに坊や、童貞なの?」
私も処女だけど、そんな事は置いといて魔王の腕に胸を当てるようにして抱きつく。
「ど、どどど童貞ちゃうわ! 前世で経験した事あるわ!」
「前世? …まあ童貞でも大丈夫よ」
私は魔王の耳に息を吹きかけ甘い声でささやく。
「お姉さんがリードしてあ・げ・る」
私も処女だけど、まあサキュバスだし幼い頃から母や店のお姉さんサキュバス達に色々手練手管を聞かされてきたからなんとかなるだろう。私は魔王に『催淫』をかける。
「よ、よろしくお願いします…」
すると魔王が顔を真っ赤にして頷く。よし、ちょろいなコイツ。
私は魔王を寝室へ誘い無事『契約』を果たした。
初めての割にはうまくいった………という事にしておこう。
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海の青と空の青が、朝陽に照らされて世界が色づいていく。
夕焼けに染まる海と空もいいが、私はこっちの方が好きだ。
開け放った窓から通る心地よい海風を頬に感じ、花瓶に生けた花を愛でながら私はモーニングコーヒーを啜る。
朝が弱い魔王様は、休日という事もありまだベッドの中で夢の中にいる。
そのサラサラの茶色い髪をなでながら、私はそっと独りごちる。
「『契約』なんて、実はウソなんだけどね」
『仲間になる代わりに、毎月1回○○○(ピー)をする』
これが私と魔王様が交わした『契約』。
でも、こんな『契約』しなくても私はあの町から出る事ができた。
「…なんでこんなウソ吐いちゃったのか、自分でも分からないけど」
責任を植え付けて、一生守ってもらおうと思ったのか。
それともただ単にこの魔王に惹かれたのか。
「でもまあ……好きよ、魔王様」
ここに来て7年も関係を続けていれば情も湧く。前に「結婚してくれないか」って言われた時は断っちゃったけどね。
私はサキュバスのエリザベス。
『サロン・ド・エリザベス』の美容師にして幹部の1人で、魔王様の愛人。
今のこの立場と居場所を、私は気に入っている。




