距離
グレイハルトは、乗り気じゃなかった。
(テスラと二人でよかったのにな)
もちろん、口が裂けても言えない。
相手は、兄の婚約者で公爵家の令嬢。自分も同じ公爵家だが、三男と長女では格が違う。というか、兄の婚約者な時点でグレイハルトは緊張していた。
グレイハルトは、チラリと隣を歩くエリーゼを見る。
(綺麗な子だな……蜂蜜みたいな髪、眼は翡翠の宝石みたいにキラキラしてる。着てるドレスもフリフリしてるし、動きにくそうだ)
エリーゼは、間違いなく美少女だ。
兄リツハルトが爵位を継ぐのは二十五歳になってから。今は十九歳なので、六年後。
王立学園を卒業するのは二十歳。本来は十八歳で卒業資格を得るが、リツハルトはさらに二年間、特別上級学院生として勉強をしている。
その間、領地経営や執務を父から習い、いずれは公爵となる。
エリーゼと結婚するのは、エリーゼが学園を卒業してから。現在十七歳なので、一年後だ。
(結婚か……)
結婚。
グレイハルトには想像がつかない。
自分の将来は小説家だ。たまに翻訳を頼まれることもあるが、やはり物語を書くのが自分の人生だとグレイハルトは思っている。
公爵邸を出た後の住処は、テスラがすでに見つけて購入している。実のところ、今日はその家で原稿を書こうかと思っていたのだ。
だが、思わぬところで邪魔が「ねぇ」
「───……え? あ、はい!?」
「ぼーっとして、どうしたの? 考え事?」
「え、ええまぁ」
「ふぅん? ところで、本屋は?」
「え、あー……えっと」
チラリとテスラを見ると、顎でクイッと右側を示す。
その先にあったのは、古ぼけた古書店だった。
「あ、あそこです。その、けっこう埃っぽいし、女の人はあまり好きじゃないかも」
「そんなの関係ないわよ! むしろ、ああいう古書店って趣があっていいじゃない?」
「そ、そうですか?」
意外だった。
絶対に「埃っぽそう」とか「やっぱりやめておきます」とか言うと思っていた。でも、エリーゼは目を輝かせ、古書店に突入した。
慌てて後を追いかけ、グレイハルト、テスラ、エリも中へ入る。
「……いらっしゃい」
新聞を読む店主は、こちらを見ようともしない。
エリーゼは、すでに本棚の前にいた。
「わぁ~……すごぉい」
「じゃ、ご自由に……」
「待って! レディをエスコートするのは誰の仕事?」
「え……でもここ、古本屋ですし、エスコートも何も」
「…………」
「わ、わかりました。わかりました……」
エリーゼの眼力に負け、グレイハルトは渋々エリーゼに従った。
◇◇◇◇◇◇
古書店の入口で、エリとテスラは並んで立っていた。
「少し、お伺いしても?」
「なんでしょうか。答えられることなら」
「ダニエル・ロッシュ」
「……!」
エリは、試すようにテスラを見る。
テスラはにっこり笑い、エリの視線を受け止めた。
「グレイハルト様の作家名ですね?」
「ほぉ……よく調べましたね」
「噂話と、調べものが趣味なので」
「それで? ああ、サインが欲しいのでしたら私から頼んでおきましょう。エリ-ゼ様の趣味は読書でしたね。もしかして、ダニエル・ロッシュの『賢者シリーズ』は読まれたので?」
「ええ、もちろん。ダニエル・ロッシュ、レイディ・バード、ムラクモ・ヒルデ……どの著者の作品も、実に素晴らしかったです」
「ほほぉ……」
ダニエル・ロッシュ。
レイディ・バード。
ムラクモ・ヒルデ。
全て、グレイハルトの作家名。別名義で出版した名前だった。
よく調べている。でも、テスラには自信があった。
「どの方も、グレイハルト様と親交のあるお方たちです。サインが欲しいのでしたら、あとでまとめて送りましょう」
「まぁ、ありがとうございます。でも、お嬢様が欲しいサインは、別にありますので」
「ほほう、それは?」
エリは、にっこり笑って言う。
「タック・マルセイ。ふふ、正体不明の有名作家のサイン、欲しいですわね。ところで……心当たり、ありませんか?」
「……さぁ?」
「あら残念」
テスラは、内心冷や汗ダラダラだった。
この女、只者じゃない。
◇◇◇◇◇◇
「これは何でしょうか?」
「これは、窓際の令嬢と呼ばれたララティア・ベルリオーズの書いた短編集ですね。もう百年以上前の本ですけど、面白いですよ」
「へぇ、ララティア……確か、悲恋の作家と呼ばれた」
「ご存じでしたか。そう、ララティア・ベルリオーズは愛する人と結ばれることなくこの世を去った悲劇の作家。婚約した男性が戦争で死に、その悲しみを綴った嘆きの詩が有名です。ここには……ん~、ないですね。残念」
「読みたいです!」
「あー……うちにならあります。その、兄上に言えば出してくれますよ」
「あら、あなたが準備しておいてくれない? ふふ、今度私の屋敷に招待しますので。おススメの本を何冊かお持ちくださる?」
「え!? そそそんな!! 僕なんかが公爵家の屋敷にお邪魔するなんて!!」
「あなたの家も公爵家でしょう……ふふ、おかしな方」
「……っ」
グレイハルトは顔を赤くして俯く。
前髪のせいで顔はよく見えないが、どことなく可愛らしかった。
エリーゼは、グレイハルトの前髪にそっと手を伸ばす。
「わっ!? なな、なにを」
「あ、ごめんなさい……その、あなた、髪を上げた方が似合いますわ」
「い、いえ。大丈夫ですので!!」
グレイハルトはササっと離れてしまった。
前髪に、というか触れられることに慣れていないので、恥ずかしくて逃げてしまったのだ。
エリーゼは苦笑する。これは重度の恥ずかしがり屋だと。
その後も、グレイハルトは少し離れておススメの古書を紹介してくれた。
古書店に来て数時間。エリが言う。
「お嬢様、そろそろ」
「あ、そんな時間?」
グレイハルトのおススメ古書を二十冊ほど購入。
グレイハルトも、いい本を見つけたのかニコニコしているように見えた。
古書店を出て、近くのベンチに並んで座る。グレイハルトはちょうど一人分のスペースを空け、エリーゼの隣に座った。
エリーゼは、大きく伸びをする。
「あ~楽しかった。グレイハルト、今日はありがとう」
「い、いえ。あ、名前……」
「あ、呼び捨てダメだった?」
「い、いえ」
「なら、私のこともエリーゼでいいわよ」
「そそそそそんな!? 兄上の婚約者様を、呼び捨てなんて!!!」
「あはは、まだ婚約者だし大丈夫よ。結婚したら義姉上って呼んでもらうけどね」
「あねうえ……」
エリーゼは、クスっと笑う。
リツハルトとは違う、気が楽な会話だった。
そして、エリーゼはグレイハルトを覗き込む。
「名前、呼びなさい」
「え」
「エリーゼ。私は、エリーゼよ」
「か、勘弁してください、アイレイウス令嬢……」
「名前を呼ぶだけよ? 簡単でしょ?」
「う……」
距離が近い。
蜂蜜のような金髪は、なぜか甘い匂いがした。
エメラルドグリーンの瞳は、宝石のようにキラキラしている。
グレイハルトは、ごくりと唾を飲み込み……ポツリと呟く。
「エ、エリーゼ……………………令嬢」
「……ふふっ」
エリーゼはにっこり笑い、グレイハルトから離れて立ち上がる。
そして、スカートを軽く持ち上げ一礼した。
「では、グレイハルト。ごきげんよう」
「…………」
エリーゼは、エリと共に待機していた馬車に乗り込んだ。
◇◇◇◇◇◇
「少し、からかいすぎでは?」
「かもね。ふふ、なんだか可愛くって」
「同い年のはずですけど……」
馬車内で、エリーゼはグレイハルトのことを思い出す。
本の話をしているときは、真面目な少年だった。でも、ちょっとからかうと、可愛らしい少年の素顔が見えてくる。そのギャップが、なんともかまいたくなる。
と、エリーゼは思い出した。
「あ!! 本のことばかりで、グレイハルトのこと何も聞かなかったわ」
「……お茶会に招待したときにでも、聞けばいいかと」
「そうね。ふふっ、招待状書かなきゃ」
エリーゼは、グレイハルトのことをエリと話し楽しんでいた。




