グレイハルト・リトハルド①
グレイハルト・リトハルド。
リトハルド公爵家の三男に生まれ、貴族としての教育を叩きこまれて育った。
だが、グレイハルトは……引っ込み思案で、人前に出たがらなかった。
理由は、兄と姉。
リトハルド公爵家の赤薔薇と呼ばれた兄リツハルト。同じく青薔薇と呼ばれた姉ルルシェ。絶世の美男美女と言われる兄と姉に対し、グレイハルトは明らかに平凡だった。
リツハルトは、頭脳明晰で剣術も得意。ユーグレイス王立学園では生徒会長を務め、女生徒からの人気も圧倒的に高い。まさに物語の英雄のような存在。
ルルシェは、学園では生徒会副会長を務め、学園内で最大の貴族派閥を率いている。さらに、弓の名手でもあり、狙った獲物は決して外さない。そして、青薔薇と呼ぶにふさわしいプラチナブルーのロングヘアは、女生徒たちのあこがれであり、男子生徒たちをも魅了する。
完璧な二人であるが、グレイハルトにとっては生まれた時から恐るべき兄と姉であった。
二人のグレイハルトに対する態度。
リツハルトは『完全な無関心』であり、ルルシェは『いてもいなくても別にいい。誰かが望めば紹介くらいはする弟』という存在だった。
平凡な容姿、頭脳。磨いても鈍さを増すだけの石みたいな存在。
リツハルトとルルシェという存在に満足しているのか、現リトハルド公爵やその妻も、グレイハルトには完全な無関心だった。
幼いころ、家族に愛を求めなかったといえばうそになる。
だが、グレイハルトは……愛が自分に向いてないと知り、早々に諦めた。
むしろ、感謝すらした。
自分を『いないもの』のように扱う家族に見切りをつけた。
幸いなことに、嫌がらせをされたり食事を与えられないなどのことはない。完全な無関心で、『ああ、リトハルド公爵家には三男もいたな』のような扱いだ。
グレイハルトは、自分のやりたいことをやることにした。
まずは、読書。
公爵家の書斎には、山のように本があった。
ほとんどが贈り物で、ジャンルも様々だ。
よくわからない図鑑、歴史書、物語や伝記など。ユーグレイス王国のものではない本や、異国の文字なども多かった。
グレイハルトは、本を読み始めた。異国の文字を解読しながら読むのは楽しかったし、歴史を知るのもまた面白かった。
次に手を出したのは、執筆。
物語を読むうちに、自分でも書いてみたくなったのだ。
書くジャンルは、ファンタジー。
異世界を舞台にした、冒険譚。
主人公は剣を持ち、魔法を得意として、魔獣をバッタバタとなぎ倒す。仲間との出会い、別離……ペンを片手に書きなぐっていると、朝になっていたなんてザラだった。
グレイハルトが自由な生活を始めたのが、十一歳。
ユーグレイス王立学園に通うのが十二歳から。
『ユーグレイス王立学園だけは卒業しろ』という父との約束がある。グレイハルトは学園生活に全く胸を躍らせることがなく、学園に入学した。
この時、兄リツハルトに婚約者ができたと小耳に挟んだ。
相手は、同じ公爵家の、グレイハルトと同い年の少女だと聞いた。
名前はエリーゼ。グレイハルトの義姉になる女性である。
だが、グレイハルトは「ふぅん」と、それだけ思った。
それから三年後の十四歳。
学園に通い始め、三年が経過した。
そのころすでに、グレイハルトは『リトハルド公爵家の三男』ではなく、『べっ甲縁眼鏡のダサいインクまみれの男』と呼ばれていた。
両手は常にインクで汚れ、野暮ったくダサいべっ甲縁眼鏡、ぼさぼさの髪をしていた。
酷い恰好だが、公爵家の三男である。直接的ないじめなどはなかったが、関わり合いになるような人間も誰もいなかった。
グレイハルトは、公爵家の三男という立場に初めて感謝した。
学園の退屈な授業を終えると、素早く家に帰る。普通は学園寮に住まうのだが、趣味の執筆のために家に帰っていた。
グレイハルトは、帰るなり部屋へ。
部屋には、一人の男性がいた。
「お帰りなさいませ、グレイハルト様」
「ただいま、テスラ。お茶お願い、僕はさっそく執筆するからさ」
「かしこまりました」
グレイハルトの専属執事、テスラだ。
二十代前半の男性で、鍛え抜かれた身体をしている。
グレイハルトが心を許す、唯一の相手でもあった。
テスラは紅茶を淹れ、レモン数滴と砂糖を入れて出す。甘い紅茶が好きなグレイハルトのために、砂糖やレモンを予め入れて出すのだ。
グレイハルトは、紅茶を一気に飲み干す。すぐに二杯目が淹れられた。
落ち着いたところで、テスラは言う。
「グレイハルト様。例の件ですが」
「またその話か……あのさ、僕の原稿を書籍化するだっけ? 別にそんなことしなくていいよ。僕は自分の物語が書ければ、それで満足なんだから」
何度かしたやりとりだ。
自分の原稿を小説にする。物書きである以上、これ以上の名誉はない。
グレイハルトは乗り気じゃない。だが今日のテスラは違った。
「ですが、学園の卒業まであと六年。公爵家を出たあと、どのように生活するおつもりで? 公爵家を出れば、当然のことですが自分で働き稼がなくてはなりません」
「…………あ」
「現実は、ファンタジーよりも大変ですよ? グレイハルト様がこうして執筆できるのも、甘い紅茶を飲めるのも……公爵家にいるからです」
「むぅ……」
「まだ六年あります。それに、グレイハルト様には知識も技能もある。この六年で、平民として暮らす土台をきちんと整えましょう」
「…………どうやって?」
「大丈夫です。私に考えがあります」
テスラはにっこり笑い、一礼した。
なんとなく嫌な予感がするグレイハルトだった。