婚約破棄
アイレイウス公爵家の屋敷にて。
「エリーゼ!! キミ……プリメラに何を言ったんだ!!」
「…………」
リツハルトは、怒りをあらわにしてエリーゼに詰め寄る。
エリーゼは、静かに紅茶を啜った。
「婚約破棄だぞ!? プリメラの話では、エリーゼに酷い事を言われたと」
「それを信じるのですか?」
「当たり前だろう!!───あっ」
リツハルトは口を押える。
婚約者よりも、取引相手の娘の言葉を信じると言ってしまったのだ。
「……と、とにかく!! 婚約破棄なんてダメだ。ボクも、キミも」
「リツハルト様」
「な、なんだい?」
「正直におっしゃってくださいな。本当は……傷つくのが、怖いのでは?」
「えっ……」
「確かに、私と結婚するより、国の新たな産業を手掛けるヘルマン侯爵家と繋がりを持った方が、後々有利になりますものね。それに、家同士の関係はともかく……このまま私と婚約破棄してプリメラ令嬢と婚約すれば、私は婚約破棄された令嬢、あなたは私を捨ててプリメラ令嬢に乗り換えた男……ですよね」
「……ふ、深読みしすぎだ」
「世間体を気にしているのでしょう? それに……いつからプリメラ令嬢のことを呼び捨てに?」
「あっ」
リツハルトは口を押えた。
頭脳明晰と思っていたが、あくまで勉学だけのようだ。
駆け引きには向いていない。
「リツハルト様、正直に仰ってください……プリメラ令嬢のこと、どう思っていますの?」
「…………はぁ」
リツハルトはため息を吐き、エリーゼをまっすぐ見た。
「彼女は、ボクを本当に愛してくれる。親同士が決めた仲じゃない、真実の愛をボクに教えてくれた」
「…………」
「すまない、エリーゼ……穏便に、誰も傷つかないように婚約解消したかった。ボクも、キミも、双方納得の上で婚約解消したかった」
「…………」
「でも、もう遅い。悪いがエリーゼ、ボクはプリメラの味方をする。アイレイウス公爵も、父上も納得してくれた。ボクたちはもう、終わりだ」
「…………」
「さよならエリーゼ……今まで、ありがとう」
そう言って、リツハルトは立ち上がり部屋を出て行った。
エリーゼは何も言わず、ぬるくなった紅茶を飲み干した。
◇◇◇◇◇◇
エリーゼは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
オレンジ色の夕日が沈んでいく。
「婚約破棄、かぁ……」
小さなころから、リツハルトと結婚することが決まっていた。
別に文句はなかった。リツハルトは人気者だし、頭もいいし、剣術だってすごいし……優しかった。
だから、彼のために何でもしようと思った。
だが……どうやらエリーゼは、真の愛とやらに負けたらしい。
きっと、プリメラとは長く付き合っていたのだろう。せめてもの情けに、双方納得する婚約解消を目指していたようだ……だが、昨日のプリメラの一件で、台無しになったようだが。
「というか、何? 『双方納得の婚約破棄』って。婚約破棄された令嬢がどんな人生を歩むかわかってんのかしら? 後ろ指さされながら生きていくのよ? どんな事情があっても関係ない、婚約破棄された令嬢ってだけで……」
気が付くと、目頭が熱くなっていた。
悲しい。
そして、悔しい。
今までの人生は、何だったのだろうか。
「…………」
涙を拭い、気分を変えようと読みかけの本を手に取り……思う。
「グレイハルト……」
彼が勧めてくれた本。彼と話した本の感想。
それを想うと、胸が温かくなる。
なぜか無性に、グレイハルトに会いたかった。