人魚姫はビッチな姉たちのあれやこれやでバッドエンドを回避する
いつも思ってたんです。わたしならそもそも王子のために人間にならないって(童話成立しない)
青い海のはるか底、どんな漁師もやってこられないような渦巻く海流のさらに下に人魚の国があり、そこで人魚の姫たちは暮らしていました。
どの人魚も、きらめく鱗とみごとな腰のくびれとたわわな胸を惜しみなくさらしています。
え? そんなビッ……いえいえ、無防備なかっこうで危険ではないのか、ですって?
人魚は海の頂点捕食者なので、人魚の娘たちを襲うような命知らずないきものは海にはいないのです。人魚の遊び相手はシャチかサメに限るといわれるのも同じ理由です。最低でもその程度の獰猛さがないと相手にならないのです。
さて、人魚の王族の中でも六番目の姫は、今日で十五歳の誕生日を迎えます。
十五歳になれば、波の上に出られるのです。
波の上に出るとは、陸の男を探し、交尾をし、子を産むことをさしています。
十五歳ともなれば童話の姫としては大人ですもの、立派に発情期オンシーズンです。
「いいですか、ちー姫」
六番目のお姫さまは末っ子なので、みんなからちー姫と呼ばれていました。
「初めての男を首尾よくごちそうさまできたら。この真珠進呈!」
姉姫の手には、直径五センチはある花形のバロックパールがきらきらしています。
六番目のお姫様は夢中でうなずきました。
「行ってらっしゃーい」
「がんばるのよー」
「うちの妹をふるような男はこの世にいない」
一概に姉ばかともいえないほど、姫は美麗な人魚なのでした。
姫が海の上に愛らしい顔をのぞかせた時、昼だというのに空は暗く、いやな風も吹いていました。嵐が来るんだわ、と姫はピンときます。
見ると、少し沖には大きな船が浮かんでいました。
船の上には明かりがいくつもともり、音楽を鳴らして男たちが騒いでいます。
今日はこの国の王子さまのお誕生日なので船の上でパーティをしているのです。
嵐が来そうなのに船で遊んでる。ばかなのかしらと姫は思いました。
案の定雷が鳴りだします。
このままでは船のマストに雷が落ちて船ごとまっぷたつです。
しょうがないなあと思った姫は、顔見知りのクラーケンを呼んでクラーケンに船を押させ、船を浅瀬に寄せてやります。なにやら船の上で騒いでいますが知ったことではありません。
「ク、ク、クラーケンだ……」
「本当にいたんだ!」
「殺されるう!!」
ちらりと見ると、宝冠を斜めにかぶった王子が手すりから身を乗り出してこちらを見ています。
あら、けっこうハンサムねと姫は思いました。
常日頃から姉姫たちに、発情期の相手を探すときは、見た目がいいこと、生命力が強そうなこと、身分が高ければさらに言うことなしと言われているのです。あの人ならば相手にとって不足はありません。
ですが騒ぎは落ち着く様子もなく、うるさいなあと思った姫は海に帰ろうと思いました。
尾びれを一閃させて泳ぎ出そうとしたその時、後ろでどぼんという音がします。
振り向くと、王子さまが海面でバシャバシャやっているではないですか。
六番目のお姫さまは一瞬きゅんとしました。王子さまが自分を追いかけてきてくれたのかと思ったのです。
──やった、これで両想いだわ。バロックパールゲットよ。
ですが様子が変です。
王子さまはしばらく海面でバタバタしていましたが、やがて力なく沈んでいきます。
ええー、と末のお姫さまは思いました。泳げない生き物がいるなんて夢にも思わなかったのです。
どんどん沈んでいく王子を、姫は追いかけて助けてやりました。クラーケンが心配そうにこちらを見ています。
姫は誰よりも速く泳いで王子を近くの入り江に届けてやり、あちこち押したり叩いたりして水を吐かせてやりました。
王子が息を吹き返したのを確認し、姫はふと思います。
──これってチャンスなんじゃないのかしら? 今ここでごちそうさましちゃおうかしら?
いえいえ、弱っている生き物と交尾するなど頂点捕食者の沽券にかかわります。どうせならお互い万全の状態で手合わせしたいもの。
そう思って海の底に戻ってきたお姫さまは、姉姫たちのブーイングで迎えられました。
「ええー見逃したあ?」
「ばっかじゃないのー」
「もう一回行ってきなさい!」
発情期のある生き物にとって、ビッ……いえいえ、繁殖に貪欲であることは恥でもなんでもないことや、チャンスは素早くものにすべきことなどなど、発情期の心得をやかましく教え込まれた末の姫は、再びあの入り江へと向かいます。
ですが一歩遅かったのか、見知らぬ女が王子様を起こしているではないですか。
これでは出ていけません。
僕を助けてくれたのは君かい、という声も風に乗って聞こえてきて、姫は唇を噛みました。
──違うのにそれ私なのに。確かにちょっぴり下心もあったけど。
──どうしよう、同じ失敗を二回するなってお姉さまたちに怒られる。
そう思いながら姫はしょんぼりと海の底に戻ります。話を聞いたお姉さまたちは、女の顔の区別もつかない男なんてと、おそるべき語彙の豊富さを発揮して王子さまを罵りました。
「他のにしなさい!」
「発情期には限りがあるんだから、次々サクサクいかないと」
「そうよ、損切りって大事」
「でもお姉さま、私、あの人がいい」
「それは愛情ではなく執着!」
「あなたには恋心と狩猟本能の区別がついていません!」
さんざんないわれようです。
「でもハンサムだったし……あの顔はちょっと、かなり好きだし……」
末姫は小声で言っています。
どうもこのままにしておいてはぐだつきそうだと長年の経験で察したお姉さまたちは、互いに目配せし合います。
王子様のそばに行きたいだの、そのために人間になりたいだのと言いだして魔女に相談されては話が面倒になります。リスク回避は早いうちにする方がいいに決まっているのです。
「あのう……私やっぱり、もう一度あの人の顔を見て」
きます、まで末姫は言えませんでした。
支配欲強めの性癖を持つ一番上の姫が、ぱちぱち指を鳴らしながら、
「3、2、1、眠れ」
得意のカウントダウンで末姫を眠らせます。
そこへすかさず、毒と薬を使わせたら姉妹の中でトップクラスの二番目の姫が、末姫の唇に丸薬を押し込みます。
こくん。飲み込んだのを確認してお姉さまたちはうなずき合いました。
これは発情期の人魚と交わることに抵抗のある人間もいるため、事が済んだあと、必要ならいつでも使えるように常備している記憶を飛ばす薬です。
「ううーん、お姉さま、早く陸に上がりたーい」
末姫の安らかな寝言をよそに、さあ作戦会議が始まります。
一番上の姉はサザエを岩にカンカン打ち付けて言いました。
「緊急動議を行いたいと思います。ちー姫の相手を速やかに選びなおした方がいいと思うのだけど賛成の人は?」
ざっと全員の手が挙がりました。
別にここの王子にこだわる必要はないのです。世界中の海はつながっているので、どこの海で発情期活動をしても一緒なのです。
情報通の三番目の姉がそらで答えます。
海流をふたつ超えた国の王子が美男だということ。彼は異種族交流にも偏見のないオールラウンダーであること。
「それだ」
全員一致でまたしても決定です。
四番目の姉と五番目の姉が、すやすや寝ている末姫を連れてそちらに向かいます。
末姫は目覚めると今度こそ幸せな初デートをするはずです。
え、嵐の夜に王子を助けたのが本当の初デートではないのか、ですって?
そこは都合よく解釈です。忘れた記憶はノーカンです。
「これでひと安心。あそこの王子は前戯も丁寧だし」
情報通の三番目の姉がうっかり口をすべらせます。
「なによあなた味見してるんじゃない!」
「そりゃそうでしょ発情期ってそういうものよね!」
あやうく姉妹喧嘩が勃発しそうになるところを、一番上の姉が議長権限でストップをかけます。
「身内同士で争わないの! そんなことより報復よ」
つかみ合いの喧嘩をしかけていた二人はぴたりとおとなしくなりました。目先の小競り合いよりも、より大きな闘争本能が勝ったのです。
そうです。仮にも命を助けてもらったくせに、当の本人の顔も覚えていないだなんて、恩知らずにもほどがあります。
これが原因でかわいい末姫の乙女心が粉々になり、やさぐれて海の魔女にでもなったらどうしてくれるのでしょう。海の魔女はひとりいれば十分です。
報復は速やかに行われます。
まず海に住むすべての魚介類及び海藻類たちにハンドサインで通達をまわし、薄情な王子さまの住む海の浅瀬からは全員引き上げさせました。漁師の網の届かないほど遠くに移動させたのです。
そうしておいてから、当該国の漁港すべてに人魚のフェロモンを使って強力な結界を張りました。これでよそから魚が入ってくることもありません。
姉姫は通達の際に指を三本立てましたから、これで今から三百年の間、漁獲量の回復は見込めません。
王子が誕生日に船でパーティをするくらいですから、この国は海洋国家です。海からの豊富な資源が途絶えてしまっては国はたちゆきません。
そうこうしているうち、末姫が二つ先の海流から鼻歌を歌いながら帰ってきました。末姫の後ろでは四番目と五番目のお姉さまが指でまるを作っています。
「お帰りなさい。楽しかった?」
「うん!」
ごきげんな末姫を囲むようにして、姉姫たちは海の底へと戻っていきました。
さて、困ったのは王国側です。
漁獲量があがらず食糧の自給自足があやしくなってきたため、同盟国に書類を送って援助を要請しようとしましたが、姉姫たちは抜かりありません。遠縁のポセイドンに頼んで国まわりの海流を一部複雑にしてもらいます。これでこの国から船は出せないし、外から入っても来られなくなりました。経済制裁です。
国はじわじわ弱っていきました。
相変わらず海にはカニの一匹もいないし、漁師が船を出そうにも波が複雑すぎてすぐに押し戻されてしまうのです。
経済状況が悪化しだしたため、入り江で王子を助けたことになっていた隣国の姫との婚約は、内々に破棄されることになりました。
そして飢えはじめた民衆の間には、ひそひそと、これは王子のせいなのだ、王子が海に好意の返礼を怠ったせいなのだという噂が流れます。
それもそのはずです。
王子は命の恩人の顔も忘れるぼんくらですけれども、人魚の姫がおぼれた王子を助けてやったのを、あのパーティ船に乗っていた人間全員が見ていたからです。
その後しばらくして、まったく顔立ちの違う隣国の王女を、これがあの時僕の命を助けて下さったかたですと王子が紹介してまわるのを、彼らは首をかしげて見ていたのです。なにぶん相手が王族なのでおもてだって疑問は差し挟みませんでしたが。
姉姫たちは国の衰退を沖合いから眺めています。
「どうするー?」
「うーん、もう一息」
「でも一般市民に罪はないのよね。それっ、鯨をプレゼントしましょう」
「内緒で食べるのよー」
「鯨一匹あがれば七つの村が助かるっていうもんね」
こうして市民が飢えないように微調整しながら、お姉さまたちは様子を伺います。
王子が不人気のあまり廃位の運びになるのを確かめてから、姉姫たちはようやく海中封鎖を解除してやりました。
ふたたび以前のように魚やエビが獲れるようになり、人々は喜びに沸いています。
「やはり王子のあれが原因だったのだ」
「もうこんなことがないように、人魚を見かけたら礼儀を尽くすよう、語り継がねば」
人魚たちはあがめられて、よりいっそう発情期活動がしやすくなったと支配管理欲の強いドミナント嗜好の一番上の姉姫は小さくガッツポーズをしました。
「お姉さまたち、この間から何してるの?」
心なしか色つやのよくなった末姫がやってきます。
「いいのよ知らなくて」
「ほらっ、あげるの忘れてたバロックパールよ、欲しかったんでしょうー?」
「う、うん……」
一番上の姉が末姫の目の前でバロックパールを振り子のように揺らします。
末姫はなにかを思い出しかけたのですが、大粒の真珠が一定の間隔で揺れるのを見ていると、なぜでしょう、なにかが遠ざかっていきます。
末姫のほのかな恋心は、誰にも知られることなくはかなく消えました。
こうして人魚の末姫はお姉さまたちのあれやこれやによって、叶わぬ恋に苦しんで海の泡になったりすることなく、いつまでも幸せに姉姫同様ビッチの道を歩み続けましたとさ。