一
「あつー」
久しぶりの駅を出ると、太陽がまぶしい。あー、もう暑い季節が来たんだなー。こっから目的地まで、歩いて約二十分。
今日は母方の叔母の家にお使いだ。あんまりいい内容ではないんだけどね。
ここんちの悟君は、私の引っ越しの際に手伝いに来てくれた従兄弟。三兄弟の末っ子で、私にとっても弟みたいな子だ。
怪しげな記憶を頼りに歩いて行くと、叔母の住居が見えてきた。
電話で今日行く事は伝えたけど、叔母さん、まだ大分気落ちしているみたいだったな……
それもそうか。長男の実兄ちゃんが、事故で亡くなってまだ半年も経っていないんだから。
実兄ちゃんはうちの兄と同い年の従兄弟で、悟君の上のお兄さん。兄とも仲が良かったし、母親同士が姉妹だからか、昔から行き来があったんだよね。
今日のお使いは、実兄ちゃんの事で元気をなくしている叔母さんの様子を見てこい、というミッションなのだ。
ちなみに、依頼主は祖母と母。祖母にとっては娘だし、母にとっては妹だから、心配らしい。
いや、私も心配だけどさ。
「あ、ここだ。良かった、忘れてなくて」
ここんちに来るのも、久しぶりだからね。子供の頃は、叔母さん一家がうちに来る事の方が多かったから。
うち、一応叔母さんの実家だし。父はいわゆるマスオさん。婿入りした訳じゃないんだけどな、とは父の言葉だ。
呼び鈴を押すと、しばらくしてドアが開いた。
「ああ、美羽ちゃん、いらっしゃい」
「こんにちは、叔母さん」
お邪魔しまーすと言って、室内に入る。今日は次男の徹君も三男の悟君も留守みたい。
今の仏壇の側には、実兄ちゃんの写真。
「お線香、上げさせてね」
「ありがとうね」
線香を上げて手を合わせる。私ですらまだ信じられないんだもん。叔母さんだってまだ立ち直れなくても、おかしくはないんだよね。
「えーとね、これ、うちの実家から」
「ああ、これ、私の好物だわ。母さんも姉さんも、気を遣わなくてもいいのに」
「いやあ……」
叔母さんの好物の和菓子を届けるのを口実に、様子見てこい、が本音だからなあ。
でも、そんなばあちゃん達の思惑も、叔母さんにはお見通しだったらしい。
「美羽ちゃんも、ごめんね、こんな遠くまで。母さん達に頼まれたんでしょ? 私の様子を見てこいって」
「え……まあ、その……」
「いいのよ。二人が心配してくれてるのはわかってるの。でも、もう少し待ってちょうだい」
そう言った叔母さんの顔は、とても寂しそうだった。
二人してしんみりしていると、玄関ドアが開く音がする。
「ただいまー。あれ? 誰か来てるの?」
「お帰り、悟。美羽ちゃんが来てるのよ」
「えー? あ、本当だ。いらっしゃい、美羽ちゃん」
「お邪魔してまーす」
悟君は現役高校生。とはいえ、三年だからもう受験の山場だ。確か運動部系の部活だったから、もう引退したのかな?
「引っ越しの時以来かな?」
「そうだね。改めて、あの時はありがとう」
「ちゃんとご飯奢ってもらったし、いいよ」
悟君は昔から優しい子だよなあ。きっと学校でもモテてるに違いない。
その後少し三人で話して、今日のところはこれでお暇する事にした。
「じゃあ叔母さん、また」
「ありがとうね。あ、悟、駅まで美羽ちゃん、送っていって」
「え? いいよそんな」
「いいからいいから」
結局、叔母さんに押し切られる形で、悟君に送ってもらう事になった。
「なんか、かえってごめんね?」
「いいよ、たいした距離じゃないし。それと、今日はありがとう。お袋の事、心配してくれたんだよね」
「あー、うん、まあ……といっても、主にうちの母とおばあちゃんが、なんだけど」
「うん。でもうちのお袋、美羽ちゃんの事、昔からかわいがってるから」
そうなんだよねー。叔母さんち、男の子ばかり三人だからか、昔から姪の私の事をかわいがってくれてるんだよね。
だから、おばあちゃんもお母さんも、叔母さんの様子を見に行くのに、私を派遣したんだし。
まだ昼間の熱が引かない夕暮れの道を歩く中、悟君が真剣な口調で言い出した。
「あのさ」
「何?」
「変な事聞いてもいい?」
「……何?」
身構えていると、足を止めて悟君が私に向き直る。
「実兄ちゃんの夢って、ここ最近見た?」
「え?」
実兄ちゃんの夢? 訳がわからず固まっていると、悟君は口早に話し始めた。
二、三日前から、実兄ちゃんの夢を見始めたらしい。夢の中で、実兄ちゃんはいつも黒い塊に飲み込まれそうになっているという。
「助けようと思って手を伸ばすんだけど、手が届かなくて苦しくて、どうしようもなくていつも目が覚めるんだ……」
「そ、そうなんだ……」
ヤバい。背筋が寒くなってきた。まさか、叔母さんの家に行った帰りに、こんな話を聞くなんて。
どうせなら父方従姉妹の和美ちゃんがいてくれればなあ……でも、さすがに和美ちゃんを母方の親戚である叔母さんの家に誘う訳にもいかないし。
和美ちゃん、ホラーな話が得意だから、悟君から色々聞き出してくれたろうに。
私は怖いので、黙って聞くのが精一杯です。
悟君が実兄ちゃんの夢を見るのは、それが初めてではなかったらしい。実兄ちゃんの葬式の夜にも、夢を見たそうだ。
その時は、何もない場所に実兄ちゃんが一人でぽつんと立っていたそうで、黒い塊はなかったんだって。
「夢だっていうのはわかってるんだけど、兄ちゃんの苦しそうな姿が頭から離れなくて……」
「悟君……」
「実兄ちゃんの事故の話も、おかしいんだ。話、聞いてる?」
「少しだけ」
実兄ちゃんの死因は事故死。よくある歩道を歩いていたところに車が突っ込んだってやつなんだけど。
最初は運転手が操作を誤ったって事だったそう。でも、よくよく話を聞いてみると、運転中にハンドルが引っ張られたって言ってるらしい。
「あそこ、他にも事故が起こってるんだ。見通しのいい直線コースなのに、決まって同じ方向にハンドルを切って事故を起こしている。対人だったり単独だったりの違いはあるんだけど、事故を起こした箇所って、距離にして数メートルくらいしか違わないんだよ」
ヤバい。本格的にヤバい。何だか知らないけど、背筋のゾクゾクが止まらないよ……
私の様子には気づかないまま、悟君は続けた。
「徹兄ちゃんには話したんだけど、兄ちゃん、この手の話は信じないから、受験勉強で疲れてるんだろうって」
あー、次男の徹君は現実主義者だもんね。叔母さんはうちの母の妹なので、当然ばあちゃんと悟君達三兄弟も血の繋がりがある訳で、いちま様の話は子供の頃から聞いている。
実兄ちゃんや悟君は遊び半分でも「こえー!」とか言っていたけど、徹君だけは「そんな事あるわけない」って言い切ってたもんな。
でも、私は否定出来ない。何せ去年二回、怖い目にあったから。幸い、あれ以来いちま様のお世話になる事はなかったんだけど。
ただなー、たまにいちま様が不機嫌になるのが問題なんだよねー。今のところ、近所のおいしいケーキ屋さんのケーキで解消されるからいいけど。
あ、今日は東京駅を経由するから、駅ナカの有名パティスリーでお土産買おうかな。
その後もなんとなく歩いて、駅に無事着いた。
「なんかごめんね、美羽ちゃん。変な話しちゃって」
「ううん、大丈夫」
嘘です。大丈夫じゃないです。何か今頃になって怖い。ああ、早く部屋に帰りたい。あそこは安全地帯だから。
別れの挨拶をして、改札をくぐる。夕刻といってもまだラッシュ前だからか、人はまばらだ。
だからかな、ぼんやり電車の来る方を見ていたら、何だか引き込まれそうになっちゃった。危ない危ない。
電車に乗り込んで、空いていたので座席に座る。東京駅が終点だから、このまま乗っていればいい。あー、いちま様のお土産、何にしよう?
そんな事を考えていたら、いつの間にか眠ってしまったらしい。