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七◇再会、暖かな魔術

 

 夕日の中を暗くなる森の中へと走った。息が切れて足を止めた。ざわざわと葉擦れの音の鳴る森の中で、膝に手をついてぜえぜえと息を荒げる。

 大寺院から迎えが来たら、僕は王都の大寺院に行く。

 司祭様は審問を受けると言った。リィズは地獄の責め苦を受けると言った。

 僕はどうなるのか。森の中をフラフラ歩く。家に帰りたく無い。村に戻りたく無い。

 このまま森の奥へ奥へと入り、狼に食われて死ぬのもいいかもしれない。


 僕は何の為に産まれてきたんだろう? おじいちゃんに嫌われるため? 父さんを怒らせるため? 母さんを泣かせるため? 姉さんと兄さんを村の恥にするため?

 あの家で家族と穏やかに暮らしていたのは、夢だったのだろうか? 夢から覚めた今が本当なのだろうか?

 森の中を進む。日が沈み少しずつ暗くなる。森の中で寂しくひもじく死ぬのはどんな気分なんだろう? だけどそれもいいかもしれない。

 

 自分が死ぬことがひとつの救いのようにも思えて来た。誰もが僕がいなくなればいい、というのなら、僕が消えていなくなることが、みんなのためになるのなら。

 フラフラと進む僕の先に、木々の間から、スウと黒い影法師が現れた。


「あ? え?」


 目にしたものにおかしな声が口から出た。目の前にいるのは黒いフードをすっぽりと被り、出ている顔だけが白い女の人の影法師。


「アダー?」


 村を出た筈の、旅の薬師のアダーが、目の前にいた。どうしてこんなところに?


「……シール、か、どうした?」


 最後に見たときと変わらない、無表情のままのアダー。僕に近づいて、僕の顔を覗き込む。


「泣いているのか?」


 無造作に手を伸ばして、黒い手袋に包まれた手が僕の頬に触れる。青い瞳が僕を見る。表情の変わらない顔で。

 アダーだけが、僕を見る目が成人の儀の前と変わらない。


「あ、アダー……」

「何かあったのか?」


 アダーの手が僕の頬に優しく触れる。成人の儀の前と変わらず、何もかもが変わってしまった世界の中で、アダーが僕に触れる手は変わらない。黒い手袋の手が僕の頬を撫でる。


「アダー、あ、ああ、あああああ!」


 思わずアダーに抱きつき、しがみついた。堪えようとしていたものが、喉から漏れる。幼子のように泣きじゃくって、僕はアダーの黒いローブに顔を埋めた。嘆く声が止まらない。涙の滴が黒いローブの表面を伝う。

 アダーは少し困惑していたようだが、僕の背中に優しく手を回した。その手に身を委ねて、僕の涙と嗚咽が止まらなくなった。

 アダーだけが、変わらずに僕を見て、包むように抱きしめてくれた。アダーの胸に抱かれて僕は泣きじゃくった。


 どれだけそうしていたか分からない。発作のような嗚咽がやっと治まったとき、日は沈み森の中はすっかり暗くなっていた。


「落ち着いたか?」


「うん……」


 アダーに抱きついたまま頷く。

 アダーが右手を振ると人指し指の先に、ポッと白い明かりが灯る。アダーの指が光る? 白い明かりに照らされて暗かった森の中が見えるようになる。


「魔術だ」


 アダーは右手に明かりを灯したまま、左手で僕の手を引いて歩き出す。アダーの明かりに導かれて、着いた先は森の中の猟師小屋。


 小屋の中に入ってアダーはランプに火を灯す。小さな小屋の中が明るくなる。アダーに促されて椅子に座る。

 僕は幼い子供のように泣いてしまったことが恥ずかしくなりうつむく。椅子に座ったまま何も言えずにアダーのことをチラリチラリと見ていた。


「何か食べるか?」


 僕が頷くとアダーは黒いローブを外す。暗い赤色の髪がハラリと流れて、身体を締め付けるような白い異国の衣裳が露になる。


 リュックとベルトポーチを外し、リュックの中から木の器をふたつ出す。筒の形の水筒から水を器に入れて、アダーが指を振りボソリと何か呟くと、器の水から湯気が立ち上る。

 水が、火も使わずにお湯になった。

 驚く僕の目の前で、アダーは器の中に焦げ茶色の塊を落として、スプーンでかき混ぜるといい匂いが広がる。あっという間にスープができた。


「すごい、魔術だ」


「ただの保存用の食料で、これは魔術では無い」


「じゃあ、火も使わずに、水をお湯にしたのは?」


「そっちは魔術だ」


 アダーは、本物の魔術師だった。司祭様の治癒術は長いお祈りが必要なのに、アダーの魔術は指を振るだけで水を簡単にスープに変えてしまった。

 いつの間にかスープの隣にパンも置かれていた。触ってみると日持ちがするように、硬く焼かれた丸いパンだ。


「食べなから話を聞こう」


「う、うん」


 アダーは魔術は見世物じゃない、派手じゃないと言っていたけれど、指に明かりを灯したり、水をお湯に変えたりとできる、凄い魔術師だった。


 硬いパンをスープにつけて食べる。目の前で、さっと作ったとは思えない美味しいスープ。魔術のスープ。

 アダーと二人で食べるこの食事が、成人の儀を終えてからは初めてのちゃんとした食事に思えた。ちゃんと味がする、美味しい食事。

 温かな魔術のスープを吸い込んだパンを口にして、また涙が出そうになる。誤魔化すようにアダーに聞いてみる。


「アダーは、まだこの森にいたんだ」

「あぁ」


 相変わらず黒い手袋のまま、パンを摘まんで食べるアダー。


「シールはどうしてこんな時間に森に?」


 僕はアダーに僕の身に起きたことを話した。

 成人の儀で僕だけギフトを得られなかったこと。僕が加護無しになったこと。家族から疎まれたこと。村の一員になれなかったこと。大人になれない罪の子として、王都の大寺院に連れていかれること。それを待つのに耐えられなくなって、逃げ出してきたこと。

 アダーはゆっくりと食事を続けながら聞いていた。


「……それが白の女神の成人の儀、か」


 アダーにしがみついて泣くだけ泣いたからか、僕は少し落ち着いていた。スープとパンを食べ終えるとアダーがお茶を淹れてくれる。


「薬草茶だ。鎮静効果がある」


 爽やかな香りのお茶を口に含むと、なんだか穏やかな気分になる。アダーもお茶を飲みつつ話す。


「成人の眠り、というのは三日眠り続けるのか。その間、何か夢でも?」


「ううん、何も。憶えてない」


「シールだけがギフトを得られず……。シールが他の者と違うところ。何か憶えていないか?」


「何か、と言われても」


「司祭の話を聞き、女神像に祈り、聖餐を食べ、白い聖酒を飲み、三日の間眠る。それで加護を得て大人になる、か」


 あの日のことを思い出す。僕の最後の楽しい子供の時間。何のギフトを賜るかと期待して浮かれていたとき。フィズ、リィズ、ノーラの三人と、司祭様と、喜んで聖餐を食べて楽しく話をした。僕だけが違うことをした憶えは無い。

 僕があの日にしたことは、他に何があったか。

 ひとつ思い出した。

 

「あの、僕、寝る前にトイレで吐いた」


「吐いた、聖餐で食べたものをか?」


「うん」


「他の者は吐かなかったのか? シールの前後にトイレに来た者は?」


「いない、と思う。部屋の中で吐いてたら分からないけれど」


「そうか……」


 アダーは黒い手袋の手で拳を握って顎に当てる。ランプの明かりの中で見るアダーの青い瞳は、思慮深い賢者のように見えた。考え込むアダーに聞いてみた。


「……アダー、僕は、罪の子だって。白の女神様からギフトを賜れ無い、加護無しだって」


「シールに罪は無い、むしろ……」


 アダーは目を閉じて考えに沈む。

 僕に罪は無い。アダーの言った言葉が、僕には救いに思えた。

 罪の子、加護無しと、家族にも村の人にも扱われた僕のことを、アダーは罪は無いと言ってくれた。

 アダーの薬草茶に口をつける。暖かい穏やかな時間。失ったと思っていた安らぎが、森の中の小さな小屋の中にあった。

 村の人たちとは無縁のアダーだからそう言ってくれたのだろう。それが嬉しかった。


「あの、アダーはこれからどうするの?」


「私がすることは決まっている。先ずは明日に備えて寝る」


「そうじゃなくて、次は何処へ行くの? 旅の目的は?」


「旅の目的か、私には探しているものがある」


「それはなに?」


 尋ねるとアダーの青い瞳が揺れて僕を見る。アダーの探すもの、不思議な薬草とか、古代の魔術の道具とか、だろうか? 

 アダーは僕を見たまま、いつもの無表情な顔のまま言う。


「ひとつ、見つけたかもしれぬ」


「……え?」


「夜も更けた、そろそろ寝るといい」


 小さな小屋の中に寝具は無かった。何処で寝ようか考えているとアダーが黒いローブを床に敷く。アダーの手が僕の肩に伸びて、あっさりと床に転がされる。


「え?」


 と、言ってる間に、横になった僕をアダーが黒いローブにクルリと包む。アダーの手は細く見えるのに、意外と力がある。床に転がされたけれど痛くもない。驚いている間に僕は、アダーの黒いローブにスッポリとくるまれていた。


「あの、アダー?」


「夜は冷える」


「でも、アダーは?」


「私は旅慣れている」


 アダーの黒いローブに包まれて、横になる僕の頭の横でアダーがあぐらをかいて座る。そのまま腕を組み、目を閉じる。なんだか瞑想するみたいだ。

 黒いローブに顔を埋めると、微かにアダーの匂いがするようで、このローブにしがみついて大泣きしたのを思い出して、気恥ずかしい。


 すぐ近くに座り目を閉じるアダーは、白いピッチリした異国の奇妙な衣裳。いくつもの白いベルトが身体を締め付けているような、なんだか拘束されているような服のアダーは、僕には女神のようにも見えた。


 少なくとも、僕を罪の子とした白の女神様よりも、アダーの方が僕にとって女神様だ。

 誰もが僕を見る目が変わってしまった。優しかった家族は恨むような目で見る。仲の良かった同い年の友人は憎むように見る。笑顔で挨拶をしていた村の人達は蔑んだ目で僕を見た。

 変わらずにいたのはアダーだけだ。僕に罪は無いと言ってくれたのも。


 横になったままアダーの横顔を見上げていると、何が起きてもアダーが守ってくれるような気がして、安らかな気分のまま、まぶたが重くなる。

 

 その夜、おかしな夢を見た。

 暗い闇の中に焚き火が見える。

 その炎を囲む三人の影法師がいる。闇の中で焚き火に照らされた三人の影法師が、ボソボソと話している。


 一人はだらしなく横たわり、こちらに背を向けていて顔が見えない。その向こうの二人はあぐらをかいて座り、焚き火を見ている。

 炎に照らされて見える顔は、二人ともアダーだった。

 夜闇の中、ひとつの明かりに浮かぶ三つの影法師。まるで魔女の集会のようだ。囁くような話し声が聞こえてくる。


『調べるのに時間をかけ過ぎじゃないか? アダー?』


『慎重に進めているだけだ、ゲルダ』


『アダー、調べる行為は手早く切り上げないと、相手にカンづかれる』


『ゲルダの心配も分かるが、試したいこともある』


『はん、めんどくせえな。さっさと叩き潰して踏み潰してしまえばいい』


『ラムラーダ、それは最後の手段だ』


『今回は俺の出番は無さそうだ。寝るからあとよろしく』


『あぁ、そうしてくれ』


『ラムラーダが必要になれば起こす』


『俺の相手になる奴が出てこなけりゃ、起こすなよ』


『そうそういないだろうに』


『今回の相手はラムラーダ向きでは無さそうだ』


『だけどよ、肩入れし過ぎてないか? アダー?』


『ラムラーダの言うことも分かる。だが、保護する価値はある』


『それだけか? アダー?』


『他に何がある? ゲルダ?』


『まあ、いい。調査が終わったら代われ』


『あぁ、試すことを試したら、あとはゲルダに任せる』


『試すだけムダかもしれんぞ、アダー』


『無駄だと解れば、それが成果だ、ゲルダ』


 暗闇の中、ボソボソと聞こえる声は、意味が解らない。声は三人ともアダーの声に聞こえる。

 暗闇の中で三人の影法師のお喋りを、僕は遠くからぼんやりと聞いていた。アダーが三人もいる。アダーがアダーと話していた。

 だけどアダーが三人もいることを、夢の中では何故か、おかしなこととは思わなかった。

 ボソボソと話すアダーたちのお喋りを、僕はぼうっと聞いていた。言っている言葉の意味はわからないまま、アダーたちの声が心地好いと感じていた。

 暗闇の中で行われる三人の魔女の集会のような、なんだかお伽噺みたいな光景。

 その夜は、そんな不思議な夢を見た。


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