六◇苦境、困惑、罪の子
呆然と白の女神様の像を見上げていた。石の女神像の微笑みは変わらない。石でできた像が話す訳が無い。それでも白の女神様が何か言ってくれないかと、ただ見上げていた。
司祭様が戻ってきた。僕の父さんと母さんを連れて。
「シール、こちらに来なさい」
険しい顔をした司祭様に呼ばれて、何も言わない白の女神様の像の前から離れる。
小さな部屋に連れられて椅子に座る。テーブルを挟んで正面に父さんと母さんが並んで座る。僕の隣に司祭様が座る。
「落ち着いて聞きなさい」
司祭様が父さんと母さんに話す。何かただならぬ事が起きたのでは、と訝しんでいた父さんと母さん。司祭様が話をするとその顔が青ざめていく。
「そんな、シールが罪の子なんて……」
母さんの絶望した声に、僕は責められた気分になり俯く。父さんは片手で頭を抱える。
「罪の子がこの村に出たことなんて……」
「ワシも驚いた。実に珍しいことではあるが、シールに女神様の加護は無いのだよ」
「なんてことだ……」
父さんの顔を見ることができないまま、僕は俯く。父さんがどんな目で僕を見ているのか、知りたく無い。父さんが司祭様に尋ねる声がする。
「司祭様、シールはどうなりますか?」
「ワシから王都の大寺院に伝え、大寺院から迎えが来ることになる。大寺院の使者が来るまで、心静かに待ちなさい」
母さんが司祭様に尋ねる。
「シールはどうなりますか?」
「如何なる罪を犯したかを調べる為に、大寺院で審問を受けることになるだろう」
「……シールは、もう女神様の加護を得られないのですか?」
「それは、わからない。白の女神様がシールを赦せば、加護を賜ることもあるかもしれないが……」
司祭様も父さんも母さんも僕のことを話している。だけど、僕にはそれが遠い誰かの話のように聞こえる。
僕が大寺院で審問される。加護を得られない罪の子は、村から追放されると聞いたことはある。
だけど、僕がそうなるなんて考えもしなかった。これまでこの村で成人の儀で加護を得られなかった人はいなかったから。
噂話で知ってるのは、罪の子は大人になれないまま、村を追い出されるという話。村から追放された罪の子がどうなるかは知らない。碌でも無いと想像はできる。野放れ死ぬのか、狼に食べられるのか。
母さんはシクシクと泣き出し、父さんが母さんの肩を抱く。司祭様が二人に落ち着くようにと言う。
「後のことは大寺院に委ねなさい。白の女神様への祈りを欠かさぬように」
「はい、司祭様……」
父さんと母さんが立ち上がり、二人の後について家に帰る。
寺院の外では、村人が成人の儀の祝いの祭りの準備をしているところだった。他の村人に見つからぬように、寺院の裏口から出る。足早にこそこそと家に帰る。
その日から僕の家族は冷たくなった。
僕を暖かく送り出してくれた家族は、家に戻ってきた僕を罪人として見るようになった。
白の女神様からギフトを賜ることのできなかった、罪の子として。
家の中は葬式のように暗く沈鬱だった。ある意味で僕の葬式なのかもしれない。
父さんと母さんの話を聞いた姉さんも兄さんも、もう僕を家族として見てくれない。いや、家族から罪の子が出たことで余計に僕が憎まれたのだろう。
その日の夕食は、料理はごちそうだった。祭りの祝いの料理。
寺院の聖餐とは違い素朴な村の料理。だけどいつもは無い山羊や羊や鳥の肉料理があって、父さんも兄さんもお酒を口にする。
だけど、誰もが無言でもそもそと静かに食べる。美味しいはずの料理が味気無い。
家の外、遠くから聞こえるのは祭りの賑やかな音、楽器を奏でる音や陽気な歌が聞こえてくる。
成人の儀で大人になったフィズ、リィス、ノーラを祝い、歌って踊っているのだろう。
扉が開いて村長のおじいちゃんが帰ってきた。
「祭りは他の者に任せてきた」
厳めしい顔で椅子に座り、焼き鳥を手にして口をつける。
「まったく、我が家から罪の子が出るなど……」
おじいちゃんに睨まれて僕はまた俯く。兄さんが、あーあ、と口にする。
「シールのせいで祭りに行けないなんてなあ」
トゲのある言い方をする。祭りに行きたかった姉さんも僕を視界に入れないように顔を背けている。
「村長のワシの孫が罪の子などと、とんだ恥さらしだ。本当にワシの孫なのか?」
言ったおじいちゃんを父さんが睨む。
「どういう意味だ?」
その後はひどかった。おじいちゃんは母さんの浮気を疑い、父さんはおじいちゃんに怒鳴り、おじいちゃんが怒鳴り返しテーブルを叩き、母さんは顔を伏せて泣き出した。姉さんは母さんの背を撫でて、兄さんは僕を睨む。
僕が元凶で、僕が責められているように思えてきて、実際にそうなのだろう。優しく暖かい家族は既に無くなり、みんなが僕を罪の子と責める。家族の優しい眼差しは、もう記憶の中にあるだけだ。あの頃が嘘のようだ。
僕は、自分がこの世に産まれてきたことが罪悪に思えてきた。
僕がいなければ、僕が産まれてこなければ、みんなは穏やかに普通に暮らせたというのに。
母さんを悲しませて、皆を不機嫌にさせたのは、僕がここにいるから。僕が産まれてきたから。
「……罪の子でも一人前に飯は食うんだな」
兄さんの言葉にパンを持った手を下ろして皿の上に戻す。僕は、ごちそうさま、と呟いて部屋を出る。母さんの泣き声を聞きながら扉を閉める。
涙が溢れる。手で拭って重い足を引きずってベッドに向かう。ふと思い出して振り返り、アダーの泊まっていた部屋に向かう。
アダーはもういない。僕が成人の儀の間に村を出たらしい。
アダーの使っていた布団に顔を埋める。そうするとアダーの持っていた薬草の匂いが微かにするような気がして、少しだけ落ち着いた。
もしもアダーがいたら、僕は村から連れ出してくれるように頼んだのだろうか。もう僕には、この家にも、この村にも居場所が無い。
一人で旅のできるアダーが羨ましい。
家の外、寺院の前からは村の人達が祭りで騒ぐ声が聞こえる。それがとても遠く、二度と僕が近づけない祝福の祭りの音に胸が苦しくなる。どうしてこんなことに。
翌日、僕は家から出ないで大人しくする。家族に蔑んで見られるのが辛い。
部屋をそっと出て、家族に見つからないように台所からパンを持ってくる。アダーの泊まっていた部屋に戻り、一人でもそもそとパンを食べる。自分の家の中なのにまるで泥棒みたいだ。
フィズもリィスもノーラも、昨日の祭りを楽しんだことだろう。新たな村の大人の一員として村の人達の祝福を受けて、お酒を飲んだりしたのだろう。兄さんと姉さんのときのように。
僕はもう、その中には戻れない。
パンを食べ終えてどうしようか考える。大寺院の使者が迎えに来るまで大人しくしないといけない。だけどこの家の中にいるのも息が詰まる。
父さんも兄さんも畑に出たのだろうか? おじいちゃんは村長として、村の祭りの後片付けとか、司祭様と話をしたりとか、してるのだろうか?
外に出ようと部屋を出ると母さんがいた。
「あ……、母さん、おはよう」
母さんは何も言わずにチラリと僕を見るだけで、洗濯ものを持って僕の隣を通り過ぎた。まるで僕を見なかったようにしてるみたいだった。
僕は家を出て丘に向かう。晴れているときは子供達が集まって遊ぶ村外れの丘へ。
村の中を歩いていると、村の人たちの僕を見る目が変わっていた。忌まわしいものを見るような目、目を合わせないように視線を逸らす人。だれも成人の儀の前のように僕に挨拶をする人はいない。
丘に着くとそこには村の子供たちが集まっていた。フィズとリィスとノーラが自慢気に話をしている。
「俺は今日から猟師のデルンの弟子になるんだ。俺用の弓を用意してくれるってさ」
「あたしはオードばあさんから機織りを教えてもらうのよ。皆の服を作ってあげるんだから」
「ノーラは司祭様から治癒術を習うんだって、スゲエだろ」
「う、うん。私、司祭様みたいにできるように頑張る」
「スッ転んでケガしたらノーラに治してもらおうな」
「まだ何も教えてもらってないわよ」
「フィズがウサギを獲ったらあたしが料理するのね」
「おう、鳥もウサギもバンバン取って腹いっぱい肉を食おうぜ」
「そんなことしたら鳥もウサギもいなくなっちゃうわよ」
同じ13歳のフィズとリィスとノーラ。12歳から下の子供たちに囲まれて、賑やかに、誇らしげに。
僕もあの三人とずっと一緒だった。それが成人の儀が終わったら一緒にいられなくなった。
だけどあの三人なら、僕が白の女神様に罰を受けるようなことをしていないと、分かってくれるんじゃないか。そんなことを考えてフラフラと僕は、子供たちが集まるところに近づいた。
「あ、シール」
リィスが真っ先に気がついた。振り返ったフィズが僕を見て顔をしかめる。子供たちの前に出て来て片手でドン、と僕の胸を突き飛ばす。僕たちの中で一番腕力のあるフィズに突き飛ばされて尻餅をつく。
「加護無しが子供に近づくんじゃねえよ!」
強く押された胸と地面に打った尻が痛い。そのまま見上げるフィズは、まるで僕から子供たちを守るように、立ち塞がるように、僕の前に立つ。
「シール、お前何しに来た? 村の子供を罪の子に巻き込もうっていうのか?」
「そんな、フィズ、僕が何をしたっていうんだ?」
「知らねえよそんなの。でも何か悪いことをしたから、女神様がお前にギフトを贈らなかったんだろ。悪い奴は村の子供に近づくな」
悪い奴、僕が悪い奴。リィスもノーラも、フィズの後ろから僕を気味の悪いものでも見るような目で見る。その後ろに12歳から下の子供たちがいる。
一緒に遊んでいた子が、背中におんぶしていた子が、この丘で共に駆け回っていた子たちが、僕を怖がるような目で見ている。
既に僕のことを聞いているんだろう。小さな村で僕が加護無しというのは、子供にも知られてしまっていた。
「加護無し、もう俺たちに近づくなよ」
同じ村の子供で、友達だと思っていた。そのフィズが僕を冷たく見下ろしている。ノーラがフィズの後ろからボソボソと言う。
「あの、シール、王都の大寺院に行けば、加護を賜れるかもしれないって、司祭様が言ってた」
思わず顔を上げる。王都の大寺院で加護を賜れる? リィスがイヤな笑いかたをして続ける。
「それ聞いたことあるわ。大寺院で罪を認めて女神様に赦されるまで、罪人は地獄の責め苦を味わうっていうのよ」
「リィス、大寺院で罪の子がどうなるか、司祭様は教えてくれなかったわよ」
「でも罪の子が許されてギフトを賜ったなんて、聞いたこと無いもの」
そんな話は知らない。地獄の責め苦? 拷問? どうして? 僕がいったい何をしたっていうんだ?
「おいシール、さっさとあっち行けよ。大寺院からお迎えが来るまで、二度と村の子に近づくなよ」
フィズに睨まれ、子供たちの白い目に追われ、僕はヨロヨロと立ち上がり家に帰る。
同じ村の同い歳で、仲良くしていた三人は、もう別人のように見えた。僕を薄汚いものでも見るような目で見ていた。
ノーラの言ったことは本当だろうか? 罪の子について知らないことばかりだ。
村の大人たちも詳しくは知らない筈だ。この村から加護無しが出たなんて、聞いたことが無いから。
ノーラはなんであんなことを言ったんだろう? ほんの少しでも僕に同情があったんだろうか?
家に帰るとおじいちゃんに殴られた。
「何をフラフラ出歩いている!」
悪いことをして叱って殴る手じゃ無い。苛立ちを憎しみにぶつけるような殴り方だった。殴られた頬が熱い。
「お前は外に出るな! 我が家の恥さらしが!」
「ごめん、なさい……」
痛む頬を抑えて家に入る。僕がするべきことをしたら、よくやったと僕の頭を撫でていたおじいちゃんの手は、もう思い出の中にしか無い。
変わった。変わってしまった。何もかも。こんなに簡単に人の心は裏返ってしまうのか。優しかった僕の家族は、夢だったのか。
部屋に閉じ籠り膝を抱える。なんでこうなったのか。僕に悪いところがあれば何処なのか。
考えても解らない。壁に背中を預ける。窓から夕日の明かりが入って部屋の中がオレンジ色に染まる。
「……あぁ、司祭様」
「……こんばんわ、村長」
静かな家の中、居間の方から話し声が微かに聞こえて来る。司祭様が来たみたいだ。おじいちゃんと父さんと話している。
「……司祭様、シールを寺院で預かってくれんか?」
「何かあったのか?」
「同じ家に加護無しがいるなど、ワシの孫が罪の子などと、耐えられん」
「ふむ……」
「罪の子が近くにいるのは、他の孫にも良くない」
「では寺院で預かろう。だが、今からというのは急過ぎるのでな。こちらも用意をして、明日、迎えに来よう」
「頼む」
僕がここにいるだけで、兄さんにも姉さんにも良くないらしい。同じ家にいるだけで、耐えられないと言う。
でも外に出て村の人に見られたら、我が家の恥さらしだという。
家にいてもダメ、外にフラフラ出るのもダメ、じゃあ、僕はどうすればいい? 何処に行けばいい? もう何処にも僕の居場所は無いのか?
もう、イヤだ。この家も、この村も、イヤだ。もうイヤだ。もうここに居たくない。何処にも居たく無い。
窓から裏庭に出る。裏庭から足音を立てないように外に出る。夕日の中を僕は走った。
逃げたい。消えてしまいたい。何処かに行きたい。誰も僕を知らないところへと、いっそ消えてしまいたい。
僕の願いは叶わなかった、祈りは届かなかった。大人に成れなかった。代わりに罪の子になった。村の仲間になれなかった。白の女神様の加護を受けられず、みんなに罪人と扱われた。家族にも憎まれて嫌われた。友達だと思っていたフィズに敵のように見られた。
願いは願った分だけ惨めになった。
祈りは祈った分だけ無様になった。
叫びたくなるのを堪えて、その代わりに足を動かした。
走って、走って、走った。
目的地も無いのに。
何処にも行くところなど無いのに。