四◇子供の時の終わり
いよいよ成人の儀の日。朝。
おじいちゃん、父さん、母さん、姉さん、兄さん、そしてアダーに見送られて家を出る。
おじいちゃんが厳めしい顔で言う。
「どんなギフトを賜るか、楽しみにしている」
「剣士や魔術師なんてそうそういないからな」
兄さんが経験者ぶって言う。姉さんが続けて、
「だけど、私はこれから薬師になれるかもしれないのよね」
と、笑顔で言う。姉さんと母さんは、アダーからジキウス草の薬の作り方を教えてもらうことになっている。僕はそれが羨ましい。
「姉さん、後で僕にも教えてよね」
「そんなことより、ちゃんと女神様に祈ってくるのよ」
僕にはそんなこと、では無いのだけれど。アダーはと見るといつもの無表情だった。
「アダーは成人の儀が終わるまで村にいる?」
「ジキウスの薬の作り方を教えたら村を出るつもりだ」
成人の儀が終わる頃にはアダーはいないかもしれない。それが僕には残念だった。
「ねえアダー。またこの村に来てよ。そして旅の話を聞かせて」
アダーは曖昧に頷いた。フードの中で小さな声で呟いた言葉はよく聞こえなかった。
家族に見送られて村の真ん中の寺院に向かう。僕は一生に一度の成人の儀に緊張していた。
寺院にはリィスとノーラ、二人の女の子が先に来ていた。司祭様と話をしているところに挨拶する。
「おはようございます、司祭様」
「おはよう、シール」
村の中でも大きな建物、白の女神様を奉る寺院。住んでいるのは司祭様が一人。白い髭の司祭様は穏やかに言う。
「フィズが来たら始めようか」
しばらく司祭様とリィスとノーラと話していると、フィズが扉を開けて入って来た。
「あ、遅れた?」
「おぉ、揃ったか」
僕、フィズ、リィス、ノーラ、四人が並ぶ前で司祭様がゴホンと咳払いする。
「では、成人の儀を始めよう」
寺院の奥へと入り白い石作りの建物の中を進む。
司祭様が用意した服に着替える。白いだぶっとした、寺院の司祭様のような服。
服を変えるだけでガキ大将のフィズも、お喋りなリィスも小さな司祭様のように見えるのが不思議だ。中でもおしとやかなノーラは白い服が似合っていて、本物の女司祭様という風格がある。僕はどう見えているんだろう?
寺院の中で司祭様のような服を身につけると、これから儀式だという気分が高まる。
「白の女神様はいつも見ておられる。人が悪しき道に向かわぬように、導きたまわる。祈りを捧げる者に正しき道を教えたまわる。心静かに祈り、白の女神様の囁きを聞き逃すこと無きように。騒がしく分別無き者はその囁きを聞き逃し、悪しき道に迷う……」
白の女神様の像の前で、司祭様のお話を静かに聞く。祈るときは静かに。親兄弟を大切に。同じ村に住む友を労って。そんな白の女神様の教えを司祭様が改めてお話する。
静かに真面目に司祭様の話を聞いているとき、フィズのお腹が、クウ、と鳴る。
フィズの顔が赤くなる。司祭様が尋ねる。
「フィズ、どうしたのかね?」
「いや、その、あの……」
「お腹が空いたのかね?」
「は、はい」
「朝食は?」
「食べてません」
フィズの言うことを聞いて司祭様は白い髭を震わせて小さく笑う。フィズは顔を赤くして言う。
「だ、だって、成人の儀の眠りの前には、スゴイごちそうが出るっていうから、そのために腹を空かしておこうって」
「毎年、フィズのように言う者が一人はいるものだよ。だが、聖餐の前には、先ずはワシの話をちゃんと聞く。そして白の女神様に祈りを捧げる。これを終わらせてからのスゴイごちそうなのだよ」
「はい……」
「では、続けよう。白の女神様の囁きを無視した愚かな男は、欲のままに年老いた老婆から着物を奪い……」
その後は、みんな静かに司祭様の話を聞いていたけれど、フィズのお腹の音が鳴る度に、笑い出さないように堪えるのがたいへんだった。
お話を終えた後は白の女神様の像に跪き祈りを捧げる。いつもより長い時間祈る。良きギフトを賜れますように。道に迷うときは教え導いて下さいますように。僕と家族とこの村の人達に加護を。
司祭様に教えられた聖句を、司祭様に続いて真似して唱える。
ここでちゃんとしないと加護を賜ることができないかもしれない。ちゃんとすれば願うギフトが得られるかもしれない。
いつもは勝手なフィズもお喋りなリィスも、真剣にマジメにやっている。
僕も真剣に祈る。剣士とか魔術師とか、カッコイイのがいいです。だけど、僕はいろんなところを旅して見てみたいので、旅の薬師か旅の商人のギフトをお願いします。白の女神様。
僕が必死に祈ったのはこのときと、その随分前に、おばあちゃんが死なないように、と祈ったときの二回だ。
後に僕が、祈りが叶わないと解ったのは、この二回があったからだろう。祈るだけ無駄だと知ったのは随分と後になってから。だけど、そのときは、祈りは叶うと、願う通りになるようにと、真剣に真面目に祈っていた。
幼い祈りが届かないことを知らないままに。
長い祈りの時間が終わると聖餐のとき。フィズが待ち望んでいたスゴイごちそうの時間だ。
僕たちが祈っている間に作られていたらしい。司祭様に案内された部屋のテーブルの上には、見たことの無い料理があった。美味しそうな匂いがする。
司祭様が説明してくれる。
「大寺院と、この国の王様から、これから大人になり、この国の力になってくれる新たな成人への祝いの聖餐だよ。さあ、席につきなさい」
腹の虫を鳴らしていたフィズと目を輝かせたリィスが急いで席につく。僕とノーラは慌てないように、落ち着いてゆっくり席につく。
テーブルの上の料理は、村の祭りのごちそうでも見たことの無いもの。料理の名前なんてわからない。花の絵の入った綺麗な皿に、見た目も綺麗になるようにと飾りつけられた料理が並ぶ。食べる為に形を崩すのがもったいないような、だけど美味しそうな匂いがする。そんな料理がいくつもテーブルの上にある。
「白の女神様と王国と大寺院に感謝して、さあ食べなさい」
お腹を空かせていたフィズは勢い良く、お喋りなリィスは、
「すごい! なんだかお城のお姫様の食べるお料理みたい!」
とはしゃいで、隣のノーラは司祭様に尋ねる。
「司祭様、このお料理って王都のお貴族様が食べているお料理ですか?」
「ふむ、貴族でも毎日食べられるものでは無い。貴族や王族の夜会や宴で出るのがこういうごちそうだよ。この村では手に入りにくい食材や香辛料など使われている」
フィズはうまい、これ辛い、でもうまい、とはしゃぎながら次々にガツガツと。リィスはお姫様気分なのか、澄ました顔でナイフとフォークを手にして。
僕はどう食べればいいか解らない、なんだか高級そうな料理を前にしてちょっと迷う。
司祭様の手もとを見て、真似しながらナイフとフォークを使ってみる。ノーラも同じように司祭様の真似をして、目を細めて一口一口じっくりと味わいながら食べている。
初めて食べる綺麗なごちそうは、なんだかいろんな味がして、ただ美味しいだけじゃなくて不思議な複雑な感じがした。
「みんなには司祭の秘密のことを教えよう」
司祭様がニコニコしながら言う。
「この中で司祭のギフトを賜る者がいるかもしれないが、司祭となると一年に一度、こうして成人の儀のごちそうのご相伴に預かれるのだよ。これは他の村人には秘密にして欲しい、羨ましがられてしまうからの」
司祭様の言うことに僕らは笑う。きっと司祭様は、毎年、この秘密を成人の儀の度に言っているんだろう。兄さんも姉さんも聖餐のごちそうの話をしていた。
ノーラが目を細めながら司祭様に尋ねる。
「王様と大寺院からのお祝いが、この国中の、こんな小さな村にも届けられるんですか?」
「もちろん。どんな小さな村でもだよ。子供が大人になり、大人がちゃんと役割を果たせば、王国は栄える。そのために王様からも、みんなに頑張ってくれ、と贈り物がこうして振る舞われるのだよ」
王様からの贈り物のごちそう。それが小さな村の一人にも届けられる。そんな国に産まれたというのは、幸せなことかもしれない。いままで口にしたことの無い、すごく手の込んだ、貴族様が食べるような料理。綺麗な器に乗せられて飾られた料理がいくつもある。
隣のフィズに、それも取ってくれ、と言われてフィズの前に皿を回す。フィズの前のお皿を僕の前に持ってきて食べる。この赤い料理はちょっと辛い。でも美味しい。
「デザートには王都で作られたお菓子もある。砂糖たっぷりの甘いお菓子だよ」
珍しい料理に甘いお菓子。高級品の砂糖が使われたお菓子なんて村では手に入らない。僕たちは浮かれてはしゃいで、美味しい、素敵、と聖餐を食べた。
この村で大人になるということは、王様に、大寺院に期待されて、白の女神様に祝福されていることだと、そう感じた。
そう感じさせるための聖餐だったのかもしれない。
デザートも食べ終えてすっかり満足した僕たちを見て、司祭様が立ち上がる。
「この後のことを話そう。家族に聞いて知っているかもしれんが改めて」
司祭様が奥から銀の器を持ってくる。僕たちの前にひとつずつ。テーブルに置かれた銀の器の中は、白いミルクのようなものが入っている。
「これは女神の涙。これを飲むことで皆は深く眠る。眠りの中で皆の魂は白の女神様に会うことになる。三日という深い眠りの中で、魂の旅を終えた者が白の女神様のギフトを賜る」
僕たちは銀の器を両手に持つ。
「目が覚めたときには、皆は立派な大人となる。さあ、白の女神様に祈りを捧げて」
教えられた聖句を唱えて。フィズは、
「剣士になれますように!」
と、気合いを入れて銀の器に口をつける。リィスも小さく呟いて、ノーラは目をつぶって。
僕も、いろんなところへ旅にいけますように、と女神様に祈って銀の器に口をつける。女神の涙をゴクゴクと飲む。山羊のミルクとお酒とハチミツを混ぜたような、甘くて白い、女神の涙。飲み干した銀の器をそっとテーブルの上に置く。
司祭様が白い髭を揺らして微笑む。
「これで今日の儀式は終わりだよ。深く眠り魂の旅を終えたとき、皆は大人になり白の女神様からギフトを授かるだろう」
次に目覚めたときは大人の僕になる。どんなギフトを授かるのか解らないけれど、家族の為に、村の皆の為に、この国の為になれる、立派な大人になろう。そんな気持ちで胸がいっぱいだった。
食べ過ぎてお腹を押さえるフィズ。花の形の砂糖菓子を指に摘まむリィス。けぷっ、と口から音が出て恥ずかしそうに手で隠すノーラ。皆も満足そうな笑顔で、だけど目つきはなんだか、前よりキリッとして見える。きっと僕と同じ気持ちなんだろう。
これが僕の、子供のときの終わり。
このときの事を思い出すと、幸福とは未来に希望を抱けるときにしか無い、そう思える。
待ち構える不幸を知らないから、幸せな気分にひたれるというものなのだろう。
振り返れば、僕にも幸福なときがあった。
だけど願いは、願った分だけ、叶わなかったときの苦痛が重い。