十二◇死体を開く、歴史を知る
ローフィンド師が隣国へと赴くことになり、僕もローフィンド師について行く。
この頃には僕も大賢者の直弟子という振る舞いを少しだけ身に着けていた。
大賢者を護衛する為の一団の中で、馬車に乗る。アブストラ国の王都から、かつての僕のいた国へと長い旅。
アブストラ国の軍隊はすでにあの小国の王宮を占拠している。もはや抵抗する軍隊は壊滅し争いにもならなかったという。
馬車の中は僕とローフィンド師の二人きり。
秘密の話をするのに都合がいい。
「シール君の言った通り、あの小国で無事なのは子供ばかりだ」
「子供たちはどうなりますか?」
「狂乱の混迷の原因は謎の奇病ということになっている。なので我が国に受け入れる訳にはいかん。病と怖れる者が多いのでな」
「それじゃ見殺しですか? 12歳から下の子供たちだけでどうやって生きていけばいいんです?」
「見殺しにするとは言っとらんよ。アブストラ国がこの国を支配下に置く。難民の自治区ということになるだろうか、そこで軍が子供の面倒を見る。……子供たち全員を救うことは無理だが」
「……声を荒げてすみません、ローフィンド師。アブストラ国の軍隊が助けてくれるなら、救えるだけでも救えるのなら……。ありがとうございます。大賢者ローフィンド師」
揺れる馬車の旅、僕とローフィンド師はこの道中で国の中を見ることになった。
どこも酷いものだった。小さな村、小さな町に生きている人は誰もいない。道端で、畑で、あちこちで死んでいる人を見つけた。
頭の中が壊れて、人として生活できなくなった人達。死因は衰弱と飢え。食事を取るという生物としては当然のことすらできなくなった人達の死体。虫がたかり野犬や鳥に啄まれて野ざらしになっている。
彼らに苦しさや悲しさはあったのだろうか。狂ったことでそれすらも感じられないとなれば、もしかしたら救いであったのかもしれない。
僕とローフィンド師は死体を空き家へと運んだ。ローフィンド師の護衛の騎士に警備をしてもらい、他の人には誰にも見せないようにする。
誰にも見られる訳にはいかない。知るのは僕とローフィンド師。他にはローフィンド師が信頼する人だけの秘密。
毒の魔女、アダーがフィズにしたことを思い出しながら、僕はテーブルに寝かせた死体の後頭部を開く。これはローフィンド師に虫のことを話した僕がしなければならないこと。虫の実在を証明しないといけない。
そのために死体の頭を開く。
ひとつ目の死体、ふたつ目の死体。頭の中までバラバラにした。だが白いムカデは見つから無かった。
ふたつ目の死体の頭を解体するときはじっくりと観察した。ふたつ目の死体には、まぶたが不自然に裂けた傷跡があった。
あの白いムカデは宿主の人間が死ぬと、目から外へと逃げ出すのかもしれない。
みっつ目の死体は状態をよく見て、まぶたに傷跡が無い、死んでから間も無いものを選んだ。大人の死体は町の近くに、町の中に、いくつもいくつもあった。探すのに困らない。
比較的に綺麗な傷の少ない死体を運ぶ。閉ざされた空き家の中、ローフィンド師の前で、僕はその死体の後頭部を開く。
ひとつ目のときは手が震えた。途中で吐いた。ふたつ目からは吐かなくなった。
虫の実在を証明する。それが病では無いことローフィンド師に解ってもらう。既に調査隊がこの国に入り、アブストラ国の者は病に感染しないということは伝わり始めている。ローフィンド師も僕の話した虫のことを、まだ目にしてはいないが信じてくれている。
それでも僕の話を、虫のことを知ってもらわないといけない。この国の子供たちのことがある。子供たちは狂わないと、虫に巣食われてはいないのだと。
なぜ僕が、とも思うが、僕しかいないのならば、これを責任感というのか、使命感というのか。だから僕がやらなければならない。
ローフィンド師とふたり、口許を布で巻きテーブルの上の死体を挟む。
僕は死体の後頭部をナイフで皮を剥ぐ。次に金槌とノミで頭の骨を少しずつ割っていく。頭の中の肉が見えるように、骨を割り広げていく。
匙とピンセットで頭の中の肉を調べていく。あのときアダーはどれだけ深く指を沈めていたか? 思い出しながら死体の頭の中を探る。頭の中の肉に分け入り、匙で掬う。腐った肉の臭いが広がる。
見つけた。
「ローフィンド師、見て下さい」
僕は慎重にピンセットで摘まんだモノを引っ張り出す。
白いムカデ。見憶えのある虫は動かない、死んでいるようだ。
「これが、寄生虫です」
「む、う……」
ローフィンド師は顔を青くして、僕が示す白いムカデを睨む。僕は考えられることを口にする。
「前の二体を調べて虫を見つけられませんでした。宿主が死ねばこの虫は死体から逃げ出すのかもしれません。しかし、この虫は卵の状態で人の身体に入り、その後は人の頭の中、脳の中で暮らします。なので人の身体の外では生きていけない虫、ではないでしょうか」
「この虫の生命力が謎でなんとも言えんが、外に逃げることもできずに死んだ虫は、こうして見つけることはできるか」
「虫の卵さえ口にしなければ、狂乱の混迷に飲まれることは無いでしょう。これまで通り、口に入れる水は一度沸かして飲むようにすればいいのではないかと」
「そこは隊の者に徹底させよう。しかし、こんな虫が人の脳に住み、人を操るとは……」
「アダー、毒の魔女が言うには、寄生虫の力が人の能力を開花させるとか」
「シール君、この虫のことは極秘に」
「はい、ローフィンド師」
ピンセットに摘まむ白いムカデを見る。
『私を怪物と謗るなら、同じ怪物を頭の中に飼うお前たちはなんだ?』
アダーが言っていたこと。この国の大人は頭の中にこの白いムカデがいた。誰がこの虫の卵を人に飲ませた?
怪しいのは大寺院、しかし、僕の村の司祭は王宮とも言っていた。
人が人に虫の卵を飲ませた。いつからか、どうしてそんなことをしたのか。人が人で無くなってしまう。誰がこんなことをしたのか。
白いムカデを筒に入れる。厳重に封をしてローフィンド師に渡す。
「古代、如何なる目的の為に作られたのか、目的の為とはいえ、人の尊厳を見失ったのか」
「ローフィンド師、これが古き魔術の遺産ですか?」
「……古代魔術文明の遺産はあまりにも多岐に渡り、また失われたものも多い。中にはやたらと頑丈なガラスの器具など、ただ便利なだけの無害なものもある」
「他にはどんなものが?」
「アブストラ国にもいくつか遺跡がある。だが、見つかるものでこのような不気味なものは私は知らん」
ローフィンド師は虫の死骸の入った筒を忌々しそうに見て言った。
道中、こういった調査をしながら僕とローフィンド師の一行は進む。馬車の中でローフィンド師が話をする。
「シール君は、この国の歴史を知っているかね?」
「歴史ですか? 白の女神の教え以外のことはあまり。村の子供に歴史を教える人もいませんでした」
「村の農民の子に歴史は必要無かったか。かつて我が国、アブストラ王国がこの国と戦争をしていた、と言ったろう」
「はい、それであまり国交が無かったと聞きました」
「この小国は昔、アブストラ国の属国だったのだよ。戦争というのはこの国の独立戦争だ」
揺れる馬車の中で、僕はローフィンド師の歴史の話を聞いた。
「アブストラ王国はこの国を属国として栄えた。この小国からいろいろと産物を得て豊かになった。この小国そのものがアブストラ王国の奴隷のようなものだったという。
そのことが不満であったのだろう。この国は独立を得る為にアブストラ王国に戦いを挑んだ。
碌な軍隊の無い小国と侮った当時のアブストラ王国は、ずいふんと痛い目を見たらしい。負け戦だからか記録にも曖昧なところが多い。
この小国の軍隊は、いつ鍛えたのか解らんが強かった。異常なまでに統制がとれ、戦場では見事な連携を見せたという。それは鳥の群れが一斉に向きを変えるかのように、と。
また兵士は死を恐れぬ勇猛さを見せ、戦意は高く、当時のアブストラ王国の軍はこの小国から追われて逃げ帰ったという」
異常なまでに統制のとれる軍隊。見事な連携を見せる人の集団。
その軍隊の兵士が、頭に寄生虫を入れていたならば可能となるだろうか。虫と虫が離れていても通じ合うというのなら、離れていても命令通りに動くのなら。
あの日、狂気の森の中。村の男たちは一斉にアダーに向かって突撃した。司祭の、怪物を殺せ、という声に従って。
怪物の正体を見せたアダーに向かって。あの恐ろしい魔獣、まるで恐怖が形になって地に立つような毒の魔女に。
手にする武器は剣でも槍でも無い、鎌に鍬。ただの農具だ。それでもあの魔獣に向かっていった。魔獣と戦ったことの無い村の人たちが。
アダーが正体を見せたとき、すくんで怯えていたというのに。
戦意は高く、死をも恐れぬ勇猛さ。
それも頭の中の虫に操られてのことなら。
ローフィンド師の歴史の語りは続く。
「アブストラ王国はこの小国の独立を認めた。不思議なのはそれほど強い軍隊を持ちながら、アブストラ国に攻め込まなかったことだ。
戦線を広げるほどに兵士の数が無い。アブストラ王国に攻め込み支配しても、治めるだけの人材が足りない、などといくつか説はあるが、腑に落ちぬ」
「それは、虫の通信範囲の影響かもしれません。どれだけの距離に届くのか解りませんが、限界があるのなら、虫の女王の支配する範囲の外に出したく無い、ということではないかと」
「虫という要因を考えたなら、過去の謎にいくつか説明がつく。支配するアブストラ王国に気づかれぬように、短期間で屈強な軍隊を育てることも可能となるか」
それがこの国が虫を使った理由なのか。隣国の奴隷でいることをやめて、代わりに虫の奴隷となることを選んだのか。
隣国から独立を勝ち取るために。
古代の遺産で強くなり、支配から逃れようと。
人の奴隷から虫の奴隷になることを選んだのか。それとも兵士だけに留めるつもりで使い始めたのか。
救われようとして巣食われた。救いの無い狂気に染められた。その隠された狂気の上の平穏と平和。
「アブストラ王国では、この戦争の記録については曖昧なところが多い。我が国の領土が攻められてはおらず、なにより属国を支配していた者の責任問題などから、歴史にはうやむやにされている箇所がある。しかし、この一件からアブストラ王国では奴隷の扱いが変わった」
「アブストラ王国には奴隷がいたんですか?」
「今では奴隷制度は廃止されている。人を人と扱わねば、やり過ぎれば反乱を起こされる、と学んだわけだ」
虫を利用して独立を勝ち取ろうとした、過去の人達。隣国の支配から逃れ、自国の尊厳を取り戻そうとして。
その結果が人の尊厳を虫に売り渡すことになった。
虫を使う理由があった。誰が見つけて誰が使おうとしたのかは解らないが。
僕は知らないことばかりだ。僕には、わからないことばかりだ。