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十一◇大賢者、賢者の弟子


 それから後の事は記憶が混濁している。

 時間の前後がはっきりしない。僕に真実を受け止める強さが無かったのだろう。

 狂気の森の後のことで僕が憶えていることは、時間の順番が前後でデタラメになり、繋がりがおかしい。

 憶えていることも人に抑えつけられたり、人の声が意味のわからない、ウワンウワンとした響きだったり、手足をベッドに縛られて小さな部屋で天井を見ていたりと、断片的だ。


 僕は隣国の国境付近の砦の近くで、隣国の兵士に発見されて保護されたという。どうして僕がそんなところにいたのか、僕の住んでいたあの村からは、遠く離れている。

 見つけた砦の兵士には疑問だったことだろう。


 運んだのはアダーだ。他に僕を運ぶ人なんていない。気を失った僕を、砦の兵士に見つかるところへと運んだのだろう。アダーには翼があった。気を失った僕を抱えて、飛んで運んだのだろうか。


 見つかった僕は、意味不明のことを呟く狂人だったという。しかし、僕という子供の狂人の戯れ言の中に、気になるものがあったらしい。

 僕は砦から隣国の王都へと運ばれた。そこで一人の賢者のもとに手厚く保護された。

 賢者の住むところで療養することで、少しずつ僕の精神はもとに戻っていった。


 少しは冷静に考えられるようになって、賢者と話をしたところから、僕の記憶ははっきりしている。


「私はローフィンド。このアブストラ国で賢者なんぞと呼ばれておる。少しばかり物知りとか言われとるジジイだよ」


 おじいさん、という容貌でありながら足腰はしっかりとしているのが賢者ローフィンド。穏やかでいて貫禄がある人だ。


「シール君の話を聞かせてくれないか?」


 本棚にいくつもの本が並ぶ賢者ローフィンドの部屋の中。僕は彼と二人きりでその部屋で話をした。何度も何度も、時間をかけて。

 僕が、うわ言しか言えない頃から、賢者ローフィンドは僕の話を聞こうとしていた。僕を王都の彼の家に運んだのも、彼の指示したことだという。


 僕は自分の身に起きたこと、村のこと、虫のこと、そして毒の魔女、アダーのことを、賢者ローフィンドに話した。話す度に思い出して、泣き出したり叫びだしたりすると、賢者ローフィンドは人を呼んで僕を寝室に運んだ。


 あぁ、そうだ、始めの頃は僕が寝かされた寝室に、賢者ローフィンドが来て話をしていたんだ。僕が落ち着いて話ができるようになってからは、書斎で賢者ローフィンドと話をしたんだ。


 賢者ローフィンドは、ときおりペンで何か書き込みながら僕の話を聞いていた。


「ふむ、正直に言えばシール君の話は、にわかには信じられないことばかりだ。頭に巣食う虫、半人半獣の魔女、虫で人を操る王国に、奇妙な女神を崇める寺院と」


「そうでしょうね。僕の言ってることは、狂人の妄想、と言われてもおかしくないことです」


「しかし、隣国に奇妙な病が流行する今、シール君の話と繋がるところもありそうだ」


「奇妙な、病、ですか?」


「隣国とはかつて戦争していた歴史もあり、今でも交流は少ない。その隣国の人たちが一斉におかしくなってしまった。人の正気を奪う伝染病と、我がアブストラ国は警戒しているのだよ」


 伝染病。人の正気を奪う病。そんな病が一斉に流行する。今までに無い奇妙な伝染病。

 それは病なんかじゃない。

 僕にはその状況に思い付くことがある。この世界でそこに思い至る人は、あの狂乱を見た僕だけだろう。


「我がアブストラ国は病の伝染を防ぐ為に、国境を封鎖し、病の状況を探っている」


「賢者ローフィンド、これは病じゃありません、虫のせいです」


「ふむ、シール君の言う、人の頭に住む寄生虫、のことだね?」


「毒の魔女は、虫の女王のいる王宮に行く、と言っていました。そして虫の女王は虫を支配していると」


 森の小屋の中でフィズの頭から虫を取り出した。そのすぐ後に司祭が村の男と共にやってきた。魔女を殺せというお告げと共に。そのお告げを出したのは何者か。フィズのことを知ったのなら、伝わるのが異常に速い。


「あの虫は、虫同士で何か繋がりがあるようです。声や音では無い何かです。虫を支配する虫の女王が、アダーの手にかかったとするなら、支配者を失った配下の虫がどうなるのか、わかりません」


「女王を失い、統制を無くし混乱した虫が、人が狂った原因だと?」


「人の頭の中の虫が女王を失い、混乱した、おかしくなった、狂乱した。あの国の人達が、一斉に狂ったとなると、考えられるのは」


「ふむ……」


「病ではありません。伝染するものでは無いです。虫の卵さえ飲まなければいい。人の頭の中に巣食う虫と、その虫という古い魔術を追いかけた毒の魔女が起こしたのが、あの国の人達を狂わせた、狂乱の混迷です」


「狂乱の混迷、か。狂気のもとは病にあらず、と。これを調べるには病で死んだ、という者の頭を開いて調べてみるか」


「……賢者ローフィンド、こんな話を信じますか?」


「世迷い言、戯言、の類いにも聞こえることだろう」


 賢者ローフィンドは額にシワをつくって険しい顔をする。


「だが隣国で謎の奇病、おかしな現象が起きていることは事実。シール君の言うことは符合する。シール君は貴重な隣国の情報源でもある」


「それで只の村人の僕を、丁寧に扱ってくれるんですね」


「そして、ここだけの話になるが、私は古代魔術文明の遺産について、少しは知識がある。シール君の言う、虫のような存在は在りうるかもしれん」


「知っているんですか? 古い魔術の遺産を?」


「それが我が国にとって危険なものであれば警戒しなければならない。それが私の仕事でもある。まあ、私の場合、自分の知的好奇心でやっているところもあるが」


「……他にもあるんですか? あんな、恐ろしい、気持ちの悪いものが」


「シール君、虫の話と毒の魔女、アダーについて、今後は私以外の者には話さない、と約束して欲しい。人の頭の中に巣食う虫が蔓延する、と民衆が知れば要らぬ混乱を起こすだろう」


「それは、わかります。僕も混乱しましたから」


「シール君が約束を守ってくれるなら、これからも私がシール君を保護しよう。ふむ、対外的にはシール君を私の弟子ということにしよう」


「僕が、賢者の弟子、ですか?」


「見所はある。君は頭の回転が速い」


 目を細めて僕を見る賢者ローフィンド。僕は彼に聞いてみる。


「賢者ローフィンド、僕の住んでいた村は、あの国は、どうなっていますか?」


「伝染病を怖れて国境を封鎖している。それもあってあまり情報が入らないが。伝わっているところでは、ある日突然、人々がおかしくなった。意味不明なことを喋り出したり、外に走り出して帰ってこなかったりと。それも多くの人が一斉に」


 話を聞いて思い出すのは、あの日、あの狂気の森の中。誰もが頭の中を壊されて、訳の分からないことを言っていた。人としておかしくなった、壊された、薄暗い森の中の地獄。

 あの光景が国中に広がったのか。


「貴族や領主もまた狂気に落ちたという。今のあの国では未曾有(みぞう)の混乱が起きている。狂乱の混迷とは、相応しい呼び方かもしれん」


「子供は、どうなっていますか?」


「子供?」


 僕は思い出す。かつての平穏だった、僕の子供の頃を。

 村の外れ、丘の上で。フィズも、リィスも、ノーラも、一緒に笑っていたあの丘の上。何も知らずに明るく笑い会えたあの頃。日が暮れるまでみんなで遊んでいた。みんなで息が切れるまで走って鬼ごっこをしたりしていた。

 あのとき、まだ誰も虫に巣食われてはいなかった。


 僕は椅子から落ちるように下りて、賢者ローフィンドの前に跪く。


「賢者ローフィンド、賢者様、村の子供を助けて下さい。成人の儀の前の子供は、まだ虫の卵を飲んでいません。頭の中にまだ虫はいないんです。子供たちだけは無事な筈です」


「む、成人の儀で飲むという女神の涙、そこに虫の卵があるという話だったな」


「12歳から下の子供たちは狂気に犯されていない筈です。調べてみて下さい。病だとするなら12歳以下の子供は病にかからない、ということになります。そんな病がありますか?」


「なるほど、それは調べる価値がある」


「賢者様、村の子供たちを救って下さい。お願いします。どうか、子供を助けて下さい」


 床に頭を着けて賢者ローフィンドに頼み込んだ。誰もがおかしくなる狂乱の混迷。そこから自分だけが助かってしまった罪悪感。僕の村にも、まだ無事な子供がいるかもしれないという希望。


 贖罪、のつもりだったのかもしれない。世界の裏側を知ってしまった者としての責任感だったのかもしれない。

 だけど、あの丘で、僕は子供の中で最年長として、歳下の子を家に送ったり、背中に背負ったりと、面倒を見ていた。

 あの子供たちに、生きていて欲しいと、無事でいて欲しいと願った。祈った。祈る女神を失っても、救いを求めた。どうか子供たちを助けて下さい、と。


「賢者様、成人の儀を終えた大人は狂っても、まだ虫の卵を飲んでいない子供は狂いません。どうかお慈悲を」


「……王に進言しよう。調査隊を編成し隣国を調べるように」


「病の原因を調べるために、病にかからない子供を保護して調べる、ということになりませんか?」


「君はなかなかに頭が回る……、ふむ、助かる者がいるというのに見殺しにするのも気分が悪い。シール君の話を信じれば病では無く、我が国の者が狂うことは無い、か。ならば私も調査隊と共に隣国へと行こうか」


「賢者様……」


「私にできることはしよう」


 賢者ローフィンドは立ち上がる。床に跪く僕に手を伸ばし立つように促す。


「シール君、君のことはこれから私の直弟子、ということにする。なので私のことは師と呼ぶように」


「はい、ローフィンド師」


 こうして僕は隣国、アブストラ王国の大賢者と呼ばれるローフィンド師の弟子となった。

 ローフィンド師は王国の中で重要な人物だったようで、賢者の提案から僕のいた小国へと調査隊が出されることが決まった。


 ただ、ローフィンド師が王の知恵とも呼ばれる程にアブストラ国の王様に大事にされていた為に、ローフィンド師本人が調査隊と共に隣国に赴くのは、しばらく後のことになる。


 僕は、僕の暮らしていた村と村の寺院、白の女神信仰、成人の儀と、知っていることをローフィンド師に伝えた。


 ローフィンド師からは学問を教えてもらう。僕が直弟子として格好がつくように。

 ローフィンド師に教えを受けたいという人からはやっかまれた。なんであんな子供が、と。これまで直弟子のいなかったローフィンド師が何故、僕なんかを直弟子にしたのかと。

 僕の過去を誤魔化す為に、僕はこのアブストラ国の出身でローフィンド師の遠縁に当たるとか、いろいろとでっち上げられた。


 ひとつの小国が病で滅ぶ。病を恐れる他国は様子をうかがっている。

 病の原因を知る僕の情報は、アブストラ国でそれなりに重宝されるようだった。と言っても内容が内容であり、ローフィンド師が話す相手は限られる。


 他の国が謎の奇病を怖れ慎重になっている中で、アブストラ国だけが率先して調査の為に軍を動かした。


 先に行った調査隊に病に伝染した者が出ないと解り、僕とローフィンド師もあの国に向かうことになる。



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