九◇暴かれた女神の加護
注意、ここからグロ描写がアリます。次話以降も出て来ます。
アダーはリュックから紐を取り出す。テーブルの上にうつ伏せに寝るフィズの、手首と足首を縛る。フィズはうつ伏せのまま、テーブルの上で両手両足を大きく開く格好になる。手首と足首の紐はテーブルの四本の足に縛りつけられる。手足を広げてうつ伏せに、そんな体勢でまだ寝ている。
小屋の中には部屋の隅に転がされた猟師のデルンのイビキが聞こえる。
アダーは手袋を外す。アダーが肘まである黒い手袋を外すところを始めて見た。白く細い指の先、爪は鮮やかな青い色に染められて、手の甲には小さな青い宝石のような、艶のある楕円形のものがついている。
ベルトポーチを開くと中からいろんな道具がぞろぞろと出てきた。変な形のスプーン、短いハサミ、曲がった刃物、銀色の串、透明な小瓶、金属の器、奇妙な魔術の道具の数々。
ギフトを奪うという魔術の儀式とはどんなものだろうか? アダーがどんな魔術を見せてくれるのか、僕はワクワクしていた。
「シール、そこから一歩下がってくれ」
「う、うん」
「言ったことは守れるか?」
「大声を出さない、騒がない。わかってるよアダー」
「それならいい。……始める」
アダーが右手に短い刃物を持つ。薄くて湾曲している変わった刃物。
その刃物を、うつ伏せに眠るフィズの後ろ頭にあてる。え?
刃物の先でスウッと丸を描く。次にアダーは刃物を持ち代えて、今度は細い片刃のナイフをフィズの後ろ頭にあてる。
左手でフィズの頭を押さえて、ザシザシと頭の皮にナイフを入れる。フィズの頭の皮を剥いでいく。
驚いて声が出そうになる。両手で口を抑える。鼻から下に巻かれた白い布を自分の顔に押し付けるようにして、自分の口を塞ぐ。大声を出さない、騒がない。
だけどこんなことになるとは思って無かった。魔術の儀式が、フィズの頭の皮を切るなんて。指を振って呪文を唱えたら何か起きるのかと思っていた。それが、いきなりフィズの頭の皮を刃物で剥ぐなんて。
フィズの頭から垂れる血が、テーブルにポツポツと落ちる。フィズは魔術でどれだけ深く眠っているのだろう。ピクリともしない。
ザシザシ、と頭の皮にナイフを入れる音がする。
フィズの後ろ頭の皮は、円形に切られてめくられた。アダーは剥いだ頭の皮を、髪の毛がついている方を下にしてテーブルの隅、そこに置かれた皿の上に置く。
人の頭の皮の裏側も、皮を剥かれた頭の白い骨も、初めて見た。口から吐き気が込み上げる。
これまで鳥を絞めるところを見たことも、羊をばらすところを見たこともある。だけど、人間は初めてだった。
頭の皮を剥かれているのに、小さく寝息を立てているフィズが、不気味で、何か滑稽だった。なんでまだ寝ているんだ? 痛くないのか? それとも痛みを感じないようにされているのか?
アダーは淡々と血のついた手で刃物を持ち代える。今度は厚みのある短い刃物。
慎重にフィズの後ろ頭の骨にあてる。キシキシと骨が切れる、軋むような音がする。聞いていると背中に鳥肌が立つ、骨が擦れて軋む音。
アダーは刃物が深く入らないように気をつけているみたいだ。
左手で細長い棒を持ち、その棒の先を後ろ頭の白い骨に刺している。アダーはその棒をチラチラと見ながら、慎重にフィズの頭の骨を切る。
六角形の形に切られた頭の骨。アダーはフィズの頭の骨も、テーブルの隅にある皿の上に置く。
頭の皮と頭の骨が並ぶ。吐き気が込み上げて、口の中に苦いものが上がってくる。両手で抑えて飲み込む。必死で声を出さないようにする。
膝が震える。人の頭の皮を剥いで、頭の骨を切って、無表情に作業を進めるアダー。アダーが怖い。だけど、僕がフィズからギフトを奪って、と言ったからこうなってしまった。こんなことになるとは知らなかったけれど。
魔術の儀式がこんなに怖いものだったなんて。
後ろ頭の骨を六角形に切られて、頭の中身を見せるフィズ。薄いピンク色のシワだらけの人の頭の中身が、白い骨の六角の窓から見える。
あれが人の頭の中。あんなシワシワの変な肉が、僕の頭の中にもあるんだろうか? 頭の中を覗いても、フィズが何を考えているか、今の眠るフィズがどんな夢を見ているのか、わからない。
アダーがじっとフィズの頭の中を見る。表情ひとつ変えないまま観察する目で、人の頭を覗く。
アダーの右手が伸び、六角形の骨の窓に指を入れる。フィズの頭の中、ピンク色のシワだらけの肉がグニャリと歪む。僕は吐き気を必死にこらえて、まばたきもできず石のように固まって、目の前で起きることを見る。
アダーの指が、ゆっくりと引き抜かれる。親指と人指し指の間に挟まれたものが、フィズの頭の中からズルリ、ズルリと引き出されていく。それは蠢いている。
アダーが指に摘まんで引き出したのは、一匹のムカデのような白い虫だった。
足が細く長く、何十本もある足が蠢いている。身をくねらせてアダーの手から逃れようとしている。フィズの頭の中から白いムカデが?
アダーはそのムカデをテーブルの上の小瓶に落とす。透明な液体が跳ねる。アダーは手早く小瓶に蓋をする。
小瓶の中は液体に埋められ、ムカデは透明な水の中でユラユラと蠢いている。
アダーは血のついた手で小瓶を持ち、顔の前でじっくりとフィズの頭の中から出てきた虫を見る。フィズの頭の中から出てきた虫が蠢く。
アダーは僕の方を向いて白いムカデの入った小瓶を、僕に見えるように示す。
「この虫が、白の女神のギフトだ」
頭の中の虫が、女神のギフト? この気持ち悪い白いムカデが、白の女神の加護?
「古代魔術文明、寄生虫を使って人の能力を底上げしようという研究があった。この寄生虫は宿主の脳に寄生することで、人の能力を開花させる」
アダーは淡々と説明する。
「この寄生虫には変わった副産物があり、そこに注目された。脳に影響を及ぼし人の衝動、感情を誘導することができる。また、改良された寄生虫は同種で思念通信を行い、寄生虫の女王のもとに制御される」
頭の中の虫に、感情が誘導される? それは、人が虫の操り人形のようになるということ?
「支配者にとっては都合がいい。民衆の犯罪を抑止し治安は良くなる。記憶片と連結した寄生虫の女王から、専門的な知識も断片ながら送られる。本人の嗜好、能力から向き不向きも解る。また、頭の中の寄生虫が思念通信を交わすことで、同じ共同体の個人と解り合い、仲間意識が高まる。当人にこの寄生虫に誘導されている自覚は無いだろうが」
頭の中の虫に、いいようにされる。自分でも気がつかないままに。それじゃ、成人の儀を越えた村の大人たちは。
「シールは成人の儀での聖餐を吐き出した。聖餐か女神の涙という聖酒に寄生虫の卵が入っていたのだろう。シールの身体はこの寄生虫を拒絶した。他の寄生虫は卵を吐き出したシールを異物と警戒する。それが村の者がシールに対する嫌悪として出たのだろう。寄生虫を受け付けないシールは同じ仲間では無い、警戒すべき者となる」
そんな、それが、僕が罪の子として疎まれた理由? 村で僕が嫌われたのは、この虫のせい? アダーは手に持つ小瓶を揺らす。中の白いムカデがクルリと回る。
「この寄生虫をシールの脳に入れるとシールがギフトを得られる。他の村人と同じように。しかし、寄生虫の卵を拒絶して吐き出したシールの身体が、この寄生虫と共生できる成功率は低い」
この気持ち悪いムカデを、僕の頭の中に? 小瓶の中で白いムカデが足を蠢かせる。踊るように誘うように。あんなものを頭の中に。
イヤだ。それはイヤだ。それで村の大人になれるとしても、虫が頭の中に住み着いて、その虫にいいようにされるなんて、気持ち悪い。
僕は鼻から下を覆う布を強く口に押し付ける。そうしないと吐いてしまいそうだ。頭がおかしくなりそうだ。
「成功すれば、シールは村の大人の一員になれるが」
「い、イヤだ。頭の中に虫を入れるなんて、イヤだ」
「そうか」
アダーはテーブルの上に小瓶を置く。中で白いムカデがユラユラと揺れる。フィズはうつ伏せに倒れたまま、手足が、ビク、ビクと痙攣している。
「あ、アダー、フィズは、どうなるの?」
「寄生虫を取り出すことで、もとに戻るか試してみたが……」
アダーはフィズの後ろ頭、六角形の骨の窓からフィズの頭の中を見る。
「一度、寄生虫と共生した脳は、寄生虫を取り出すと破損する、か。これでは再生は不可能だ。身体は生きているが、人としては死んだも同然だ」
頭の中身を見せたまま、フィズの手が、足が、時おり思い出したようにビクンと動く。
ぐおお、という音は床に眠る猟師のデルンのイビキだ。あのデルンの頭の中にも白いムカデが。デルンだけじゃ無い。成人の儀を越えた村の大人が全員、頭の中に虫がいる。
成人の儀の聖餐の中に、白いムカデの卵が。フィズもリィスもノーラも、成人の眠りの中で頭の中に白いムカデが住み着いたのか。
卵を吐き出した僕だけが、仲間外れになった。頭の中に白いムカデがいない僕だけが、みんなと同じになれなかった。そして嫌われた。
おじいちゃんも、父さんも母さんも姉さんも兄さんも、白いムカデに操られている?
成人の儀の前の家族を、僕は思い出していた。
厳しいけれどやることをちゃんとやれば褒めてくれる村長のおじいちゃん。おじいちゃんに怒られたあとは、次はしっかりやろうな、と僕を元気づけてくれた父さん。優しくてのんきな母さん。一緒にベリーを摘みに行って遊んだ姉さん。一緒に川で魚釣りをした兄さん。
あれが全部、頭の中の虫に操られてしていたこと? 優しかったことも、家族として可愛がってくれたことも、そのあと罪の子と憎まれたことも、何もかもが全てが虫のせい? 家族ってなんだ? 村の大人ってなんだ? 人ってなんだ?
世界が変わる。世界が壊れる。僕が平穏と信じていた世界がバラバラに砕けていく。
僕が大人だと思っていたのは、頭の中に虫を飼う人たちだったのか。みんなこの虫が頭の中にいるのか。
世界が揺れる。まるで水面に映った景色のようだ。石を投げ込めば波紋でグニャグニャになる、揺れる水に映った世界。足がふらつく。立っていられない。
ふらついたところをアダーの手が僕の肩を掴む。もう片方の手で椅子を引っ張ってきて、僕を椅子に座らせる。
そのままグラグラと揺れる頭で、かつての家族を、村の人たちを思い出していた。
成人の儀の前と後で、何が変わったのか。思い返してもその変化は解らない。せいぜいが大人の自覚が芽生えたのか、前よりしっかりしたように見えるくらいだ。
性格が変わったとか、おかしなことをし始めたとか、そんな違いは無い。
どうしてあんな虫がいる? いったいいつから僕の村にあの虫がいる? 成人の儀はいつからこの村にある? 司祭様は知っていたのか? 村長のおじいちゃんは?
誰が虫のことを知っている? 虫のことを知らないのは誰だ? フィズ、今、ここで頭を開かれたフィズは、知らない筈だ。僕と一緒に成人の儀を受けたリィスもノーラも。
誰がこんなことを? どうして? なんのために? いつから?
もしかして、ずっと昔から?
わからない、わからない、わからない。
僕にはなにもわからない。僕は何も知らない。知らないことがこんなに怖いことだったなんて。こんなに恐ろしいものが僕の暮らしていた村にあったなんて。
「……アダー、あの虫は、いつから村の人に、村の人の頭の中に?」
「白の女神信仰がいつからこの国にあるのか、寺院の司祭がいつから寄生虫の卵を人に飲ませるようになったか、不明だ」
「……、」
「寄生虫の力に気付き、王都の大寺院が利用しているのか、この国の王族が主導なのか、それとも司祭も王族も既に頭に寄生虫を入れているのか」
アダーは淡々と語りながら、黒いブーツを脱ぐ。膝まである黒いブーツのベルトを外して、素足を晒す。
アダーの足の爪は、手の爪と同じ青色だった。白い肌の足の甲にも、手の甲と同じ、艶のある小さな楕円形のものがくっついている。
グラグラする頭でその足を見ていた。じっと見ていると足の甲の青い宝石のようなものが、なんだか甲虫の甲殻のように見えてきた。
ボンヤリとその青い虫の甲殻のような艶を見ていた。混乱したままで。
どれだけ時間が過ぎたのか。
「アダー、なんでブーツを脱いでいるの?」
「この寄生虫は寄生虫同士で思念通信をしている。その範囲がどれだけ広いかは不明だが、ここで頭の中から寄生虫を取り出した余所者がいる、ということは村に伝わっただろう」
「え?」
「古代魔術文明の遺産、その秘密に感づいた余所者。秘密を守りたければ始末しようとするだろう」
素手素足を出して、白いベルトがいっぱいの白いピッチリした服を着たアダー。まるで知らない世界から来た、僕の知らないことを知る魔術師。僕の村の秘密を暴いた、古代の魔術の探索者。
アダーは何を何処まで知っているのだろう? 何もかも知っているから、表情ひとつ変えることなく動けるのだろうか。
「もはや隠して動くこともできないが、寄生虫の正体を確認するには、引きずり出す以外に無かった。……早いな、もう来たか」
言ってアダーは猟師小屋の扉を開ける。外に出る。僕は慌ててアダーの後ろに続く。
猟師小屋の外は村の大人たちが囲んでいた。誰もが憎々しげに僕とアダーを睨んでいる。村の男ばかりで、手に手に鎌や鍬、鋤を持って殺気だっている。