零◇プロローグ
注意、後半グロ描写あります。
フルストレス、鬱展開、です。
それでも見てやろう、という方、ラストまでお付き合いいただけると有り難いです。
僕は救われた。
僕だけが助けられ、僕だけが生き延びた。
僕だけがこうして無事に生きていることを、少しは納得できるようになるまで、随分と時が過ぎた。
自分だけが無事であることに、罪悪感を感じていた。
皆、狂ってしまった。誰もが狂気に犯され死んでしまった。生きてはいても人として死んだも同然となり、そのまま本当に死んでいった。
どうしてこうなったのかと、恨んで憎むこともあった。
狂乱の混迷
僕の子供時代の終わり。あの恐ろしい狂気のただ中で、僕だけがその災禍とは直接に触れることは無く、しかし、間近で目の当たりにした。
今でも夢に現れうなされる。
何故こんなことになったのかと、怒りと恨みの嵐に飲まれるばかりだった。
今になって、こうして少しは冷静に過去を振り返ることができる。
ずいぶんと時間が必要だった。
それだけの時が過ぎた。
ひとつの小さな王国が消えた。
狂乱の混迷、と呼ばれたひとつの災禍で。
その中で、僕の家族は死に、故郷の村の者はみんなおかしくなり、国中の多くの人が狂気の災禍に巻き込まれていった。
今はもう、僕が幼い頃に過ごした村も無く。
災禍に飲まれた国がひとつ無くなった。
狂乱の混迷を起こしたのは、ひとりの魔女。
あの魔女を家族の仇、村の仇と恨み、呪ったこともあった。
今でも僕は、あの魔女を赦すつもりは無い。
僕にとって、怒りと恐怖とは、あの魔女と出会ってからの一連のことを言う。
だが、こうして過去を振り返ってみれば、あの魔女はいったいなんだったのだろうか。
多くの人が、あまりにも多くの人が死んだ。
狂気に犯され、泣き叫びながら壊れていった。
しかし、あの魔女は人を殺すためにしたのでは無い。
ひとつの小国の民、そのほとんどが狂ってしまった。
しかし、あの魔女は人を狂わせるために現れたのでは無い。
本当は魔女が現れる前に、とっくに壊れて狂っていたのだ。魔女が来る前に、あの小国は終わっていたのだ。
終わったものを終わらせに来たのか。
終わらせたものを消しに来たのか。
村も消え、国も無くなった。
家族も友も死に失せた。
なにもかもが闇に消え失せた中で、だけど、あの魔女の言ったことは、今も僕の頭の中にこびりついたように残っている。
ひとつの国を滅した狂乱の混迷。
あの始まりの地に僕はいた。
僕だけがあの魔女に守られた、助けられた。
だから僕があの魔女を恨むのは、筋が違う。
筋が違うと解っていても、それでも父を、兄を、目の前で壊れていくところを見る切っ掛けになったのが、あの魔女だ。
狂気の森に佇む、毒の魔女。
こうして思い出すと、胸の中に荒ぶるものに火がつくようで、叫び出したくなる。未だに僕は、あのときのことの整理ができていない。
ひとつの小国が滅した災禍は、周辺の国からは、たちの悪い疫病が襲ったと言われている。
だが、あの小さな国で起きた事に、真実を知る者は少ない。
僕は数少ないあの災禍の真実を知る者として、あのときのことを書き残しておこうと思う。
こうして書くことで、僕があのとき狂乱の混迷を、整理して受け止め直すことができるかもしれないから。
人は、生きていても良いのか?
人は、生きる為には何をしても良いのか?
人は、如何に生きるべきか?
人とは、なにか?
僕には知らないことばかりだ。
僕にはわからないことばかりだ。
だからもう一度、あの魔女に会ってみたい。
会って話を聞いてみたい。おそらくあの魔女は全てを知っていたのだから。
僕の知らなかった、あの小さな王国の裏に隠れたものを。過去から伝わった、あの忌まわしきものを。
僕は知らなければならない。
あの災禍を生き延び、真実を知る者として。
知ることは死ぬことと同義かもしれない。
少なくとも知ることで、ものの見方が変わるなら、かつての世界の見方をしていた自分は、死んだも同然となる。
知ることで過去の自分に戻れなくなり、新たな自分が産まれる。
かつての自分とはものの見方も、考え方も変わった、新たな自分へと変わってしまう。
知識が物の本質を知り、経験が事の内実を知り。世界を識る度にこれまでと見方が変わる。
知らなかったことを知ることが、死ぬことも同じとなれば、知識は時として死をもたらす毒に等しい。
かつての僕は知らぬままに毒に触れたのだろう。
あの魔女のもたらした毒に。
自分だけ助かった。自分だけが無事に生き延びた。だけど毒に触れた僕は、二度ともとの僕に戻れはしない。知ってしまえば隠された真実の恐怖に蝕まれる。
だが、毒に対処する方法もまた知識がもたらす。生きる為には知らなければならない。
だから、書き残しておこう。
思い出しながら、あのときのことを。
いずれ現れる、隠された真実を求める者の為に。
僕があの魔女に出会ったのは、僕がまだ子供とされていた頃。僕が大人になる前。
僕の村にふらりと現れた。
暗い赤い色の髪をした薬師。
狂乱の混迷をもたらした、毒の魔女。
その女の名前は、アダー、と言う。