37 お父さんたちは心配性①
*変換ミスの修正です。内容自体の変更はありません。
時間は、日付が変わって直ぐの頃。
場所は、〈原初の魔の森〉の外周に当たり、背後に〈とても高く白い山々〉を臨む林の中。
月と星の光だけがうっすら照らす其処に、灯りも持たずに彷徨くリュージンの姿が在った。
フードを被った頭から爪先まで、完全に暗闇に溶け込む色合いである。腰に差していた刀も無く、荷物も持っていない。
林の入口近くの枝に引っ掛かっていた〈茶色っぽい紐の付いた小さな金属片〉を回収した後、更に何かを探すように周囲を見回しながら奥の方へと進んで行く。
魔獣を警戒する素振りは全く見えない。
とは言え。
竜を騎獣に出来るリュージンにチョッカイを出す魔獣は、この辺りには存在しない。
もし居たら、リュージンが喜んで連れ帰って鍛え始めるので「御愁傷様」である。
今も大分遠くから数匹、早いお帰りを願うようにビクビク様子を窺っているだけだ。
リュージン最大の敵は寧ろ、〈武力でどうにもならない事〉と言えるだろう。
「はぁ……方向さえ合ってりゃ、すぐ見つかると思ったのになぁ」
不意に立ち止まったリュージンが、首を左右に倒してコキコキ鳴らした。
それから、ぐるりと周囲を見回す。
適当に間引かれている木々は、薄い月明かりを下草にまで届かせている。
「ったく。魔力が弱過ぎて探知に引っ掛からねぇとか、厄介過ぎるぜ。どうすりゃいいんだ?」
疲れが滲むボヤきを渋い低音の声でこぼすと、ズレかけたフードを深く被り直した。
「チッ――昔は〈魔力を使わない〉のが当たり前だったのに。我ながら、随分忘れちまったモンだなぁ……」
低い舌打ちと重い溜め息を漏らし、ふと首を傾げる。
「ん? 『騎士団で俺に捜し物させた事は無い』って? そうだったか?」
しばらく考えた後、納得した顔で頷いた。
「そう言やぁ『捜し物は鼻が利く連中に任せて他の仕事片付けろ』って、いつも大量の書類渡されてたなぁ。……あ~、はいはい。今戻るよ」
誰かと会話するように呟いていたリュージンは、身を翻すと風を巻き起こして森の上へ舞い上がった。
そのまま雪を吹き上げた風が、山の方に向かって行く。
リュージンがその場に居た痕跡は、人工的な旋風によって綺麗に消え去っていた。
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雪山の中腹、麓の方からは見えない岩場にリュージンは降り立った。
山自体が保つ魔力で常に凍り付いている場所だ。
足跡すら残らない獣道を迷う事無く進んで行く。
着いたのは、比較的新しい氷で出来た簡易的な室。
「今帰ったぞー。何か変わった事有ったか?」
『お帰りなさい、〈ウエ様〉! 変化は〈無し〉です』
飛び付いて来た〈水色の兎〉を抱き止め、リュージンはフードを下ろしながら屈んで室の中に入る。
「そうか。まぁ、想定内だな。留守番ご苦労さん」
言いながら水色のモフモフ耳の根元を堅い指でくすぐり、フサフサ顎の下を掻くように撫でるリュージン。
反対の腕に座る形の兎はトロンとした顔で身を預け、されるがままだ。
月明かりで見える範囲の床には厚手の毛布が敷いてあり、誰かが寝かされているようでブーツの底も見える。
「そっちのチビも、ご苦労さん」
声を投げた先に居たのは〈半透明なヒトデのような形の魔力の塊〉。
寝ている人物の左肩先に正座する形で頭を下げ、その存在に気付いた水色兎がピシッと姿勢を正す。
微笑ましさに頬を緩ませたリュージンは、寝ている人物の右手脇に座り込んだ。
同時に兎が耳の間に小さな光の玉を出し、天井近くへ浮かべる。
ふわりと明るくなった室の中、全員に見下ろされている赤い髪の男性の眉根がほんの少しだけ強く寄せられた。
パッと目に付くのは、浅く上下する胸の中心からやや右上に逸れた部分の酷い負傷。
局所爆発のような衝撃があったらしく、上着だけでなくアンダーシャツの布地も吹き飛び、更に本体にまで影響が及んでいた。
リュージンが回収して直ぐ治癒魔法を掛けた際は暗くて見逃していたが、古傷しか見えない肌が青黒く変色している。
眉を顰めたリュージンは、二種類の布のほつれた部分にそっと指を這わせた。
どちらも、多少の攻撃なら傷一つ付かずに弾く〈魔力を篭めて織られた布〉だ。
おかげでこの程度で済んだのだが、吹き飛ぶとはどれ程の負荷が掛かったものか。
万一に備えて一式を〈クラン支給〉にしておいて良かったと、心底思うリュージンである。
ただ、この世界の危険では無く、〈異世界の客人がやらかす〉とは製作者側も全くの予想外だったろう。
リュージンはヒトデを眼帯の上から左顎まで包むように張り付かせ、そちらに流れる魔力の遮断を指示する。
「緊急対応だ。多少痛くても許せよ、レイン」
呟くと、使える中で〈一番弱い回復魔法〉を変色部分に向けて放った。
*********
呻き声と共に、寝ていた人物の左手が僅かに動く。回復魔法は、弱かろうがやはり痛みを伴うらしい。
直ぐに身体が強張り、細い呼吸でゆっくり息を吐き、またゆっくりと吸い込んだ。
「目が覚めたのか、レイン?」
返事は無くとも真っ赤な獣耳が忙しなく動き、聞こえている事を伝えてくれる。
リュージンの口から思った以上に安堵した吐息が漏れ、黒っぽい眉毛が不服そうにグイッと寄る。
しかし金髪交じりの赤い睫毛が震え、ゆっくり瞼が上がり始めると簡単に解けた。
「……師匠?」
掠れて不安定な声に、今度は険しい表情で眉間に深い皺を刻んだが。
潤んでいる碧眼に妙な淀みは見えず、〈鑑定〉や〈診断〉を掛けても〈外傷〉以外の特に気になる表記は無い。
リュージンは一つ頷いた。
「おう、久し振りだな。応急処置はしといたが、コレも飲んどけ」
掌サイズの細長い瓶を懐から取り出し、左右に振る。
中に詰まった薄青い液体は、澄み切った力強い魔力に満ちている。
「〈上級〉、治癒薬……?」
「〈最上〉の方だ。流石に、これをぶっ掛けるのは躊躇ったんだよ。作った奴が情けねぇツラしそうだろ?」
「ああ……」
レインの片頬も緩く上がったのは、同じ顔を想像したのだろう。
クランで一番ぽっちゃりした〈ジン・アントニック〉の顔は、八の字眉になる率が一番多い顔でもあった。
主に、活躍のタイミングが殆ど無く、あるとしても大抵扱いが非道い所為だ。
「滅多に怪我しねぇメンバーじゃ、〈調薬特化の先生〉も形無しだよなぁ」
他人事のように笑っているリュージンは、彼の作る薬に対して一番容赦ない。二日酔いを治す為に飲む。
自ら魔法で治せるリュージンには他に機会が無い事も理解しているが、ジンが複雑な顔をしてしまうのもまた人情であろう。
逆に、魔法で治せないレインは最もジンの世話になっている。
何かあれば治癒薬を買いに行くし、素材採取から調剤まで手伝う事も多い。
ジンが作る薬の全種類を、味付けで判別出来るのはレインだけである。
「そのまま起きると、悪化しそうだな」
返事も待たず、リュージンは水色兎に合図した。
胡座をかいたリュージンの膝に座っていた兎が、モフモフの耳をレインの背に当たる部分に向けて魔力を放つ。
あっという間に床の氷の一部が斜めに分厚くなり、背もたれになった。敷かれていた毛布もずり落ちない工夫がしてある。
レインの向こうで、半透明のヒトデが身を乗り出すように観察している。
「よしよし。上出来だぞ」
満足そうなリュージンに頭と顎を撫で回され、水色の兎は小さな胸を張っていた。




