34 運命来たりて戸を叩く
*読み難かったので文章を少し整えました。内容自体の変更はありません。
ギェントイール王国の王都〈ゲンティーリール〉から遥か北東に離れた〈ヴェラクリスト領〉の北には、〈とても高く白い山々〉と呼ばれる山脈が在る。
高濃度魔力を含んだ万年雪を戴く山が連なり、麓に広がる〈原初の魔の森〉と共に王国と魔族の国とを分けている。
高魔力の存在が創り出す一般的な〈迷宮〉と違い、魔獣が環境に応じて自然と生態系を作り出した〈天然迷宮〉の一つであり、『踏破した者の名を未だ聞かぬ秘境』として有名な危険地帯でもある。
高さが異なる四つの峰の中央にぽっかり空いた谷間は『竜の爪跡』とも呼ばれているが、その谷底にある平地の片隅で、しばらく前から〈とある人間〉が洞窟生活を満喫していた事を世間は知らない……。
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サクラの羽ばたきで舞い上がった雪煙の冷たさに、シノンはハッと我に返った。
座椅子に組み込まれた〈隠蔽及び耐衝撃結界〉を大急ぎで起動し、今にも落ちそうな姿勢のスズノをコートを掴んで抱え込む。
「サクラちゃん、一旦地面に降りよ! スズくん、椅子にしっかりつかまり!」
サクラにしては静かに降りてくれた事にホッと息を吐きつつ、シノンは周囲を見回して現状把握に努める。
先程まで張っていた〈目くらましの結界〉が効いている所為か、それ程遠くない場所に複数の魔獣が居る気配を感じた。
正確には、魔獣の魔力を好む〈好戦的な精霊たちの気配〉だが、付いて回っているから同じだとシノンは考えている。
まだ山の入口と言っても過言では無い場所で、目的地はあの高い峰の向こう側。
雪山に加え、傍に広がる〈原初の魔の森〉からも飢えた魔獣は集まって来るだろう。
恐らく墜ちたであろうレインを捜すか、先にナッキーに会って助力を頼むか――。
「レインさん……そんな恥ずかしかったの? 急に、居なくなるぐらい……」
腕の中から聞こえた鼻声の呟きは、シノンにとって思い掛けないものだった。
小さく丸められた背にグッと唇を噛み締め、首を振る。
「有り得へん。レインくんは、自分で消えた訳や無いよ」
「ホント……?」
恐る恐る上げられた深緑の瞳は、光を失って不安そうに揺れている。
「ウチの命賭けて、絶対やわ」
シノンは視線をしっかり合わせて力強く頷いた。かつて琥珀色の瞳が、不安がる自分にそうしてくれたように。
「そやし、考えられるんは外部からの攻撃か……」
言いながら、背後をふと振り返る。
この世界の人間には馴染みが無いのか、或いは技術が高度過ぎるのか、あまり使われていないと聞く。だが、〈日本のサブカルチャー〉に触れた事があれば当たり前に使うだろう魔法を思い出す。
この山に本当に日本人が居るのなら、見張り代わりに必ず一枚は張っているだろう。
「まさか、〈ナッキーの結界〉に阻まれた――?」
魔力を辿ると、外部からの干渉を撥ね除けるように組まれた強い魔力の塊が、山をぐるりと囲む形で煌めいていた。
隠蔽の魔法も入っているのか、相当集中しても薄い光しか見えない高度な物だ。
その位置は、レインが消えた辺りと符合する。
「……やっぱり、結界やな」
「え――ナンデ? レインさんも、仲間なんだよね?」
「せや」
困惑顔のスズノに、シノンはハッキリ頷きを返す。
「召喚されたウチら全員の共通認識やよ。レインくんは〈同類〉。リューさんを裏切るなんて有り得へん人や」
レインの事は一切疑っていないし、〈敵対〉は〈この世界が夢落ち〉と同レベルで有り得ないと知っている。
ナッキーも同様だ。
「でも。理由は判らへんけど、それ以外〈無い〉わ」
「……結界って、どうやって通すか通さないか決めるの? アカウント作るとか?」
目の光が戻って来たスズノの言葉に、シノンが思い当たった顔で頷く。
「ウチらは基本的に〈魔力登録〉やね。でも滅多に会えへん人らは、結界構築した時に〈識別用の情報を渡される〉とか聞くわ」
「じゃ、〈ID間違い〉や〈パスワードエラー〉みたいのもある?」
「〈似たような状況〉やったら……無いとは言えへんね」
二人は顔を見合わせ、背後に目を向ける。
現状、煌めく魔力の塊を視認出来るのはシノンだけだ。
腕輪に掛かったスズノの手を軽く押さえ、シノンが三つ編みを揺らして首を振る。
「何もせんでええ。それが、〈スズくんの今のお仕事〉やよ」
「でも――」
「誤差に収めるし、ちゃんと護られとき。レインくんの仕事取ったらアカンやろ?」
「……うん」
目を伏せて頷くスズノの肩を、シノンはコート越しにポンポンと軽く叩いた。
同時に、いつでも使えるよう〈通信機〉を片手でそっと握り込む。
「サクラちゃん、真後ろ向いてちょっと戻ってみよか~。落とし物捜索やよ~」
そうして二人と一頭は、消えた仲間を捜しに結界の近くへと戻って行った。
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それは、その日の昼頃の事。
一人の壮年男性が、自分の首筋を右手で摩りつつ、洞窟からのっそりと出て来た事に端を発した。
左手は着流しのように着崩した前合わせのコートで懐手をし、帯代わりの太いベルトに差した刀の柄に乗せている。
〈紫紐の刀の柄〉と〈蒼いグラデーションのコート〉以外、シャツやズボンやベルトにブーツとほぼ黒ずくめだが、仕草も含めて妙に似合っていた。
不意に、項で縛った半分白髪交じりの黒っぽい髪を揺らし、同じ色の無精ヒゲに彩られた顎が上を向く。
大分遠くで穏やかに晴れている春の空を、鋭く光る青灰色の瞳が睨んで小さく鼻を鳴らす。
「……何だか、気に食わねぇなぁ」
ドスが利きまくった不機嫌そうな低い声に、洞窟脇で〈蒼銀色の長毛の大きな山犬〉をのんびりブラッシングしていた赤褐色の髪の男性が振り向いた。
「ソレは〈緊急警報〉? それとも〈八割確定の予知〉の方?」
小首を傾げると、肩に付く長さの緩い癖毛が動きに従ってふわっと揺れる。
髪と同じ色のヒゲを顎先だけ蓄えているのが特徴で、若くとも三十代後半のように見える。確実に〈中年〉と言っていい年代だ。
二人ともレインたちと色違いの服を着ているので、同じクランのメンバーだろう。
悪戯っぽい琥珀色の瞳をジロリと見下ろしつつ、白髪交じりの頭が軽く振られた。
「特に危険は感じねぇが……何かムカつく。二日酔いじゃ無ぇしなぁ?」
無精ヒゲを撫でて考え込んだ途端、コートの裾がブワリと舞い上がる。
「待って、リューさん! 苛々して魔力出てる!」
「お、済まん」
尻尾を丸めて後ずさる山犬を庇って上げられた悲鳴に、リューさんと呼ばれた壮年男性――〈リュージン・ウェモリー〉は全身から漏れ出す魔力を直ぐに止めた。
「もう。せっかくのブラッシングが台無し~」
「悪かったな」
「いいけどさ~。取り敢えずソレ、〈予知〉っぽいよね。ドコ見ると一番厭?」
長い毛で顔を隠したがる山犬を宥めるように撫でながら、再びブラッシングする中年男性。
リュージンはビクつく山犬から離れ、雪の無い平地の真ん中で周囲の岩壁をぐるりと見回した。
しばらくして、南西から西の方角を流し見て首を傾げる。
「一番ムカつくのは、この辺だが――苛つくのはこっち、か? 夏喜、周辺の結界はどうなってる?」
その言葉に、〈ナッキー・リンド〉と名乗っている中年男性が、赤褐色の癖毛を揺らして立ち上がった。
「も~。リューさん最近、僕の話ちっとも聞いてくれなかったもんな~」
お座りで待つ山犬の頭を優しく撫で、リュージンの隣に弾む足取りで歩み寄る。
「ついこの間まで、〈知らない番号〉から頻繁に通信入って来てたんだよ。だから、警戒レベル上げときました。山に入って直ぐの第一陣が〈対B級〉、中腹第二陣が〈対A級〉ですよ~」
白が交ざらない黒っぽい眉毛が、グッと眉間に皺を寄せる。
「この時期に〈知らない番号〉だと? 〈ウチの登録札〉以外からって事か?」
「だと思うけど。〈マキちゃん〉と違って、僕は実際に鑑定しなきゃ魔導具の事判らないからね~」
へらりと崩れる整った顔に、リュージンが胡乱げな視線を向ける。
「過剰防衛」
短い溜め息と共に出た低音の言葉も、非常に短かった。
「え~?」
赤褐色の癖毛を押し上げて不満そうに膨らむ頬を無視し、リュージンは先程『ムカつく』と言った〈南西の方向〉に視線を戻す。
睨むように見つめる瞳が、金色混じりの赤い光を放つ。
直ぐに小さな溜め息をつき、リュージンは目を閉じた。
「夏喜。あの国の腕利きじゃ、最高でも『ウチのC級』程度だ。二陣はせいぜい〈対E級〉、一陣は〈威嚇〉で構わん。追い返すのは良いが、命は奪うな」
「でもさ~。一応、〈絶対不審な存在〉にだけ反応する設定だし~……」
元の青灰色に戻った瞳が振り向き、琥珀色の瞳を静かに見据える。
「お前の息子、〈血溜まりの痕跡〉見ても平気なタイプか?」
「イエッサー! 今すぐ警戒レベル下げますです!」
赤褐色の癖毛が勢い良く数回、縦に跳ねた。
その場で魔法陣を展開し始めたナッキーを横目に、リュージンはまた右手で首筋を撫で摩り、晴れない表情で西と南西を交互に見る。
「一応見回って来るから、勝手に出歩くんじゃ無ぇぞ。山の中だけで我慢しとけ」
「解ってますってば。リューさんこそ、目立たないようにお気を付けて~。あの〈アホ国王〉は『この山も王国領』、とか言い出しかねないんだからね~?」
「重々承知だ。心配すんな」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべたリュージンは、「よっ」と言う声を残して思い切り上空へ跳び上がった。
空中でもう一度跳び上がり、しばらくそのまま浮かんだかと思うと、スーッと溶けるように姿も気配も消えて行く。
一陣の風を置き土産に、リュージンはその場から掻き消えた。
「幾ら風魔法が使えるとしても、〈単独で空飛ぶ〉かね。相変わらず〈人外過ぎる〉お人だよね~」
安心したように尻尾を振りながら寄って来た山犬の頭を撫でながら、片手で魔法陣を起動させるナッキー。
「さてと。威嚇か~。〈警報〉鳴らしたら帰ってくれるかな? それとも、〈ノックバック〉で押し戻す~?」
うんうん悩む姿は、しかし楽しそうでもあった。
ここが〈運命の分岐点〉だったと後悔するのは、いつでも〈過ぎ去った後〉である。
彼らがそれに気付くのは、この日が終わって割と直ぐの事だった。
リューさんは「世界一のチート」と「優しさ」で出来ています。
医者じゃないブラック・ジャック先生イメージ。
あの声で巻き舌で喋って欲しいな~、という願望。




