27 リュノス・リューノ・龍之介
*読み難かったので文章を少し整えました。内容自体の変更はありません。
「レイン、お前――……何で、突然ヒゲ剃っちまったかなぁ」
キッチンに入って来たリュノスが、振り返ったレインを見て思わずだろう言葉と共に重過ぎる溜め息をこぼした。
「いきなり何だよ、タツさん。ヒゲって――?」
キョトンとしていたレインが、不安そうに眉を寄せる。
赤い獣耳と尻尾が少ししょぼくれている所為だろうか。大分背の低い魔導人形仕様の作業台の傍で椅子に座る姿は、何処と無く哀愁が漂っていた。
手には〈ハンドボールサイズの真っ赤な卵〉と〈金属製のボウル〉、作業台の中央には〈浄化済み〉の小鉢が並び、端の小鍋からは甘い湯気が立ち上っている。
小鍋の反対側には〈濃度の違う白い大瓶〉が二本、〈薄茶色い角砂糖が詰まったミニ樽〉と〈薄黄色の葡萄のような房の果実〉も置いてある。
それらにチラリと目をやったリュノスは、自分の後頭部をポリポリ掻いた。
「取り敢えず、先に〈ナマモノ〉だ。〈スズちゃん用〉のレシピ、夏喜に聞いてるか?」
「いや、聞いてない」
驚いて手が止まったレインに、リュノスが「やっぱりか」と小さく呟く。
「デフォルトのは〈女性陣用〉だ。スズちゃんの点数稼ぎしたくて秘密にしたんだろうが、構ってられるか。レイン、ミルクと砂糖は控え目でカラメル倍量入れろ」
「生クリームと風味付けは〈無し〉か?」
「当然だろ。〈スズちゃんの苦手な物〉なんか入れんな」
頷いたレインは〈濃い方の白い瓶〉と〈薄黄色の葡萄〉を奥に退けた。
黄身も白身もたっぷりある卵をボウルに割り、〈薄い方の白い瓶〉から別のボウルに〈ミルクと呼ばれた液体〉を入れる。
「スズちゃんは〈牛乳〉飲むと腹壊すんだとさ。身長伸ばしたくて我慢して飲んでたらしいけど、繊細過ぎるよなぁ。つうか半分以上紅茶か果物なら、もう牛乳じゃ無ぇだろうよ。健気なんだか何なんだか……」
呆れたような言葉に眉を顰めたレインが、ボウルの中の〈サラリとした白い液体〉に視線と幾つかの角砂糖を落とす。
「コレ〈牛の乳〉じゃ無ぇだろ? そもそも〈動物の牛〉なんて、見た事無ぇし」
そのまま左手をボウルに添え、右掌をミルクにかざした。
「そうそう、〈果汁の一種〉だからスズちゃんも飲めるかもな。ただ、〈身長伸びる要素〉が入ってるかは知らねぇ。元々、〈脱水症対策〉で見つけた物だし」
「そうか、飲めりゃイイってモンじゃ無ぇのか」
呟きと共にミルクが湯気を立て、ボウルの中でゆっくり回り出す。
「〈火〉と〈風〉別々になんて、相変わらず〈クレイジー〉な魔力操作してんなぁ」
リュノスが呆れた顔で笑う。
「〈温度〉と〈風量〉の調節訓練だ。制御が甘いと、スズノに怪我をさせちまう」
「そうかい。何やってんだかなー?」
更に熱を奪って冷ましたミルクを卵に加え、〈風魔法〉で混ぜるレイン。
卵は〈鎌鼬〉のような渦に巻かれてあっという間に解され、ミルクと混ざって黄金色に輝いた。
「〈濾し器〉は無かったのか?」
「必要無ぇ」
リュノスに短く答えると、魔力で〈脚付きの氷製ボウル〉を創り出して卵液を移す。
空になったボウルを下にセットすると、氷ボウルの底が細かい網目状になる。
「お前、クレイジー過ぎるだろ。どうなってんだ、コレ?」
卵液が下のボウルに濾されて行く様を見て、流石のリュノスも目を瞠る。
「ザル創って〈薄い膜〉張っただけだ。ナッキーの案で、オレじゃ無ぇよ」
「あー、夏喜かぁ……」
二人して遠い目になると、しばらく無言の作業が続いた。
**********
大きくて浅い鍋に湯を張って小鉢を並べ、蓋をして中火にしたら後は待つだけ。
最大火力だと四分で魔力を使い果たす〈魔石〉を〈魔力コンロ〉にセットすると、レインは作業台の上を簡単に片付けて椅子に座った。
「ココに入って来た時のは、何の話だ。タツさん?」
入口の壁に背を預けて腕組みしているリュノスを、じっと見上げる。
チラリと外に目をやったリュノスは右腕を軽く振り、ドーム状に分厚い魔力を出してキッチン内を覆った。
「……〈防音結界〉?」
「万が一の用心だ。気にすんな」
このキッチンに専属の魔導人形は居らず、今はそれぞれの持ち場に居る。
スズノは風呂場で、シノンも当分帰って来ない。
結界を張らずとも、現状は二人きりと言っても過言では無い。
不審そうに眉を寄せているレインの顔を、近付いたリュノスが覗き込む。
「ちゃんと眠れてんのか?」
「スズノが傍に居ると夢見ねぇから、一応眠れてると思う」
「〈小熊〉が居てもか?」
リュノスの左手が伸び、頬を包むようにして親指で碧い目の下の〈薄い隈〉を撫でた。
あからさまに視線を泳がせ、顔を背けるレイン。
半分程伏せられた獣耳は、表情以上に後ろめたそうだ。
「……眠りが深過ぎる。対応出来るか心配で、あんまり寝てねぇ」
「ソレで護衛が務まる訳無ぇだろが。室内だろうと結界張って、ちゃんと眠れ!」
ヘタった獣耳ごとグシャグシャに髪を掻き乱され、レインはバツが悪そうに頷いた。
「ったく。もし何かあったら〈世界を道連れ心中事件〉が勃発すんだぞ。ちゃんと解ってんのか?」
「解ってる。スズノの無事が最優先だ。オレの調子がどうであろうと、ちゃんと送り届ける」
獣耳を立ててキリッと見上げるレインに、リュノスが苦り切った表情で舌打ちする。
「案の定解ってねぇよ。俺が心配してんのは〈お前の無事〉だ。スズちゃんの事はお前とサクラで心配してろ」
「え――〈オレ〉?」
予想外と言わんばかりのレインの額を、リュノスが左手の指で軽く弾いた。
所謂〈デコピン〉だが、『ゴンッ』と人体には有り得ないような音が立つ。
「防音しといて良かったぜ。〈リューさん大好き娘〉に伝わったら、針の筵でグルグル巻きにされて、嫉妬の炎の上をネチネチ転がされちまう所だぞ」
「何でシノンが?」
目を見開くレインに、リュノスが深い溜め息をつく。
「お前に何かあったら〈リューさんが絶望的に哀しむから〉だよ」
「あ……」
「リューさんにとってのお前は〈息子同然〉だ。拒否権なんて無ぇの。〈スズちゃんと似た立場〉って事、いい加減理解してくれよ」
苦々しい声を落とされ、うっすら赤くなった額に戸惑いがちに触れるレイン。
「お前、寝不足だから思考も判断もおかしくなるんだよ。さっきもどうせ、『自分は居ない方が良い』とか考えて俺に案内押し付けたんだろ。ちゃんとスズちゃんの顔、見たか?」
「……見てねぇ。スズノに困った顔、させたくねぇ」
ボソボソ答えたレインに、リュノスが再び溜め息をつく。
「ったく。元々〈子供に過保護気味〉なお前がコレじゃ、そりゃあスズちゃんも困惑しちまうよなー」
「困惑? スズノが何で?」
「言っとくけど。お前今、スズちゃんに〈別人疑惑〉掛けられてるからな?」
「は!?」
目を丸くしているレインを尻目に、リュノスは作業台から別の椅子を引き出して座った。
「聞けば納得。夏喜の〈笑えない話〉の一つだ。〈パパを探してギャン泣き事件〉」
「ソレ、オレが聞いてもイイ話か?」
「聞いても聞かなくても、どうせ後悔するぞ。温和しく聞いとけ」
覚悟を決めた顔で頷いたレインを見て、リュノスが話し出した。
*********
「スズちゃんが三歳頃の事らしい。夏喜が忙しくて、しばらく顔合わせて無かったんだと。で、ようやく休みが取れた夏喜の顔は〈無精ヒゲぼうぼう〉。人見知りが激しいスズちゃん、ギャン泣き」
「……ナッキーにも大ダメージだろ」
「だろうな。でも母親と姉ちゃんの取りなしで、何とか『パパだ』と認識して貰えました。ココまでなら良かったが――」
リュノスが「ふぅ」と溜め息をつく。
「次の日、夏喜はスズちゃんが寝てる間にヒゲ剃っちまいました」
「え?」
「その結果、スズちゃんギャン泣き再び。目の前に夏喜が居るのに、『パパどこ!? ニセモノ来るな!』って悲痛な顔で探し回ったとさ」
片手で口元を覆ったレインの顔が蒼ざめて行く。
「その時はまだ剃ってる途中だったから、手付かずの右側見て『パパ居た』って泣き止んだらしいぜ。そのまま目の前で剃って顎先だけ残したら、〈ヒゲも髪と一緒〉で〈長さが変わる物〉ってどうにか納得してくれたそうな」
「そうか、だからナッキーは今も顎先だけ残して……」
軽く頷くリュノス。
「お前はシノンに唆されて剃ったんだろうが、〈寝て起きたら認識してたヒゲが無ぇ〉ってのは今の話と同じだろ。つまり、間が悪過ぎたんだよ」
蒼白な顔でリュノスを見上げるレインの獣耳と尻尾は、限界まで萎れていた。
「オレは、どうしたらイイ?」
「大丈夫だよ。子供の頃じゃあるまいし、今はスズちゃんだって理解してるぜ」
縋るような目を向けて来るレインを、リュノスは哀れみの篭もった瞳で見返す。
「ただ、生まれつきの感覚だ。頭では解ってても、見ると混乱するんだろ。変な顔しちまうのは〈理性と本能のせめぎ合い〉とでも思って、生温かく見守ってやれよ」
ニカッと笑うと、レインの肩をポンポンと叩く。
「……理性と本能?」
しばらく戸惑っていたレインが、コテンと首を傾げた。
「いやな。昔ケイルがリューさんの真似してヒゲ生やした時、獣人連中が一々〈匂いでケイルを確認〉してたんだよ。推測だが、〈スズちゃんも同じ〉じゃ無ぇかなー?と思ってる」
腕組みして宙を睨むリュノス。
「例えば――〈髪型変えたら初対面レベルで警戒された〉とか〈似た毛色を模様ですぐ見分ける〉とかは、〈第二騎士団ではよくある事〉だったし。スズちゃんは案外、〈感覚が獣人に近い〉んじゃねぇかな?」
「確かに、オレよりよっぽど〈獣人っぽく見える〉時があるけど――」
一瞬頷き掛けたレインが、力無く頭を振る。
「スズノは〈獣人が居ない世界〉の人間だろ。そんな事あるのか?」
「そりゃ確証は無ぇよ。俺も獣人じゃ無ぇし、実際にどう認識してるのかも判らん」
遠くを見ているようなレインの目が、暗く沈んだ。
「……〈普通の獣人〉なら、〈一度獣化すれば元通り〉だよな」
ポツリと呟いた姿に、リュノスが初めて会った頃の〈怯えた子犬〉が重なる。
「――待て待て待て、こんな事で獣化するってか!? 流石にソレは〈過ぎ〉てんだろ。レイン、お前そんな性格だったか?」
「判らねぇ。こんなの初めてだし、どうしたらイイのか……」
両手で頭を抱え、俯くレイン。
大分いい歳した男の筈だが、友達と喧嘩して途方に暮れる小さな男の子にも見える。
一瞬硬直したリュノスが、激しく瞬かせた目をそっと逸らす。
「案外、今まで通りに接してりゃあ大丈夫なんじゃ無ぇの? またヒゲ生えるまでだろうし、大した時間じゃ無ぇよなぁ?」
呟くと自分の頭をバリバリ掻き、天を仰いだ。
「あーもう、面倒くせぇ! お前ら〈正反対〉なんだから、自分で何とかしろよ!」
「オレとスズノが、正反対?」
顔を上げてキョトンとするレインに、リュノスが大きく溜め息をつく。
「お前〈見た目は獣人〉だけど〈感覚は人族寄り〉だろ? 〈見た目人族〉で〈感覚が獣人寄り〉のスズちゃんと、正反対だろが」
まだ半分伏せられている赤い獣耳の先を摘み上げ、更に言葉を続ける。
「それに、届ける相手は〈あの夏喜〉だぞ。スズちゃんに〈会わせた後〉も〈何事も無く済む可能性が高い〉のは〈お前だけ〉だ。しゃんとしろ、レイン」
特に声を荒らげた訳でも無いのに、レインの肩がビクリと跳ねて背筋が伸びた。
「ああ、うん――そうか、そうだな。今優先すべきは、ソレだったよな」
レインが大きく息をつき、顔色が少し良くなった。
リュノスも凝り固まった気がする肩をゆっくり回し、首を揉む。
「(今のレイン坊が獣化したら、顎周りとかどうなるんだろうなぁ?)」
レインの獣化は精神状態に大きく左右される上、殆どの魔力を消費する。デメリットが大き過ぎて話にならない。
密やかな疑問は〈永遠の謎〉に決定した。
********
コンロの火が消えている事に気付いたレインが、いそいそ立ち上がった。
浅い鍋から小鉢を取り出すと、一つだけスプーンを添えてリュノスの前に置く。
「タツさん、味見頼む」
「おう、遠慮無く。いただきます」
取り出した時点でレインが冷やしたのだろう。ほんのり卵が香る滑らかな表面に、リュノスはそっとスプーンを入れた。
つるんとした山吹色の塊を掬い上げ、滲み出した焦げ茶色のカラメルを付ける。
大きな口に放り込む。
「どうだ?」
「ん、色以外は俺が知ってるプリンだな。〈卵鳥の卵〉は〈鶏卵〉より赤みと味が濃いのか。甘過ぎねぇからリューさんでも食える。上出来だろ」
「よし!」
プルンと艶やかで甘い匂いを漂わせる山吹色の菓子は、スズノを確実に〈幸せな顔〉にさせるだろう。
簡単に想像出来るその姿は、レインの頬も緩ませた。
魔力で創った〈氷の棚〉に小鉢を並べながら、いつの間にか赤い耳がピコピコ動き、尻尾もパタパタ揺れている。
さっさと食べ終えたリュノスは、頬杖をついてその様子をじっと見ていた。
立ち上がる気配すら無い。
「そう言えば。タツさん、出掛けるんじゃ無かったか?」
視線に気付いたのか、レインが困惑した顔で振り向いた。
目を泳がせたリュノスは大きく息を吐き出し、ようやく立ち上がる。
「ムカつく事に、〈犬耳・尻尾付きのおっさん〉で和んじまってたよ」
「――ぁあ!? タツさんに〈おっさん呼び〉される筋合いは無ぇぞ!?」
バリバリと頭を掻いたリュノスの呟きを、レインの獣耳はしっかり拾っていた。
元気に吠えられたリュノスがニヤッと笑う。
「シノンが戻り次第、スズちゃん預けて仮眠取れよー?」
結界の解除ついでにレインに背を向け、振り向かず手を振ったリュノスは食材倉庫の方へと消えて行った。
料理でどう魔法を使うか考えるのがメチャクチャ楽しかった。後悔はしていない。
だが、反省はする。特に無くても困らないシーンなんですよね…。




