02 騎士職見習いと救いの手
ちょっと長くなりました。気合いと根性のご用意を。
*変換ミス直しました。内容自体に変更はありません。
魔族領が近くなる程に普通の獣は少なくなり、獰猛で魔力を持つ獣――魔獣と呼ばれる存在が増えて行く。
そいつらは僅かな血の臭いでも判るのか、雨の中を走るオレの後方に群がって付いて来た。
気配は察知しつつも相手にせず、オレは走る速度を上げる。
兄上は、人族より獣人の割合が多い〈第二騎士団〉に配属され、副団長付きの従騎士になったと聞いた。
実力だけなら第一にも入れたハズだが、獣人と親しいと言う一点のみで第二になったらしい。
オレも騎士学校に入って初めて知った事だが、第二騎士団の王都での扱いは、金の亡者と忌避される傭兵部隊よりも遥かに酷かった。
能力がどうこうでは無く、獣人と言うだけで人族より格下の扱いを受けているのだ。
本来なら団を率いるハズの第二の団長は王都から滅多に出ず、実質副団長が最高責任者だと言うだけでも第二の冷遇ぶりが解るだろう。
そんな騎士団に、恐らくはオレの所為で……。
直接何かしてなくとも、弟が獣人である事が兄上の不利に働いたのかも知れない。
或いは、合法的に弟に危害を加えると脅されて従騎士にされたのだとしても、何ら不思議は無い。
この国――特に王都はそういう場所だと、王都から来た人間もそうだと、この約一年でオレも思い知った。
……故郷の辺境伯領では、獣人も人族も大して変わらない扱いだったのにな。
騎士団詰め所の屋根が辛うじて見えた辺りでオレは反転し、一番近くに突出していた犬型の魔獣に襲い掛かった。
出血を意識した傷を与え、左側へ放り投げる。
同じように右側へ一匹。
逃げるだけの力は奪わずに。
後を付いて来た魔獣たちがほぼ左右に別れ、濃い血の臭いを追い掛けて行く。
喧騒がどんどん遠ざかる。
それを何回か繰り返すと、詰め所の入り口が見える頃にはオレの背後に気配は無く、建物から来た気配も左右に別れて魔獣たちに向かっていた。
オレはその間に水滴を振り落とし、草の陰へと身を潜め、明かりが漏れている窓を睨み付ける。
二階の真ん中辺り、他より間取りが広いと思える部屋に狙いを付け、オレは全力で地面を蹴って跳び上がった。
********
「ほぅ。二階まで易々上がって来るとは、大した力だな」
窓辺の机に座って本を読んでいたらしい壮年男性は、明らかに闖入者であるオレを見ても顔色一つ変えなかった。
それどころか、オレが飛び込む直前に鎧戸も窓も全開にしていた。
おかげで余計な体力は使わずに済んだが、窓を破るつもりで壁も蹴っていたオレは、勢い余って床を転がってしまった。
「そんなに怯えるな。魔物では無いんだろう? 俺に君を害する理由は無いぞ」
待ち構えられていた事に警戒するオレを見て、男がふっと微笑う。
優しげな笑みではあるが、眼前のこの男が兄上を従騎士にしている騎士の可能性が高い以上、オレの警戒心は無くならない。
一目見ただけでガッチリ鍛え上げられていると解る身体に年季の入った制服は、長く騎士団に居る事を告げている。
だが、見た目はそれ程老いていない。せいぜい三十代半ばぐらいだろうか。
揉み上げに若干白髪が交じっているものの、短い髪は全体的に黒く、後ろへ流すように緩く整えている。
同じ色のヒゲは顎と口元を繋げてきちんと刈り込んでいる辺り、几帳面なのかも知れない。
瞳は青灰色で涼しげで、笑いジワが意外と多いか。
一見穏やかで好人物そうだが、纏う気配や立ち居振る舞いに得体の知れない所がある。
味方なら頼もしいかも知れないが、敵なら簡単に寝首を掻かれそう。
兄上にとっては、どっちだ――?
低い姿勢で警戒し続けていると、男はオレの左目側に目を留めた。
「おい、その怪我はどうした。まさか、そこの森で負った?――いや、森の中では炎魔法を禁じている。そんな筈は無いな……」
ブツブツ言いながら、オレに向かって手を伸ばす。
オレの攻撃距離圏内に入る寸前、その手は止まった。
「傷を見せてくれる気も無いのか。……参ったな」
苦笑いと共に手を引くかと思いきや、そのままかざす。
「仕方無い。勝手に調べさせて貰うが悪く思うなよ、不法侵入者君?」
言葉と共に目の前が赤く光った気がして、オレは思わず顔を背けた。
「うむ……成る程。傷はあまり酷くないようだが、火傷の放置は頂けんな。出来れば治療させて貰えんかね、〈レイナード・ヴェラクリスト〉君?」
名乗ってもいないオレの名を、男は平然と呼んだ。どうやら鑑定系のスキルを持っているらしい。
だとすれば……オレがさっき何をして来たかも、筒抜けなのだろうか――?
もし、オレがした事が判ったら――兄上に迷惑が掛かるかも知れないっ!
オレが後ずさると、男は困った顔で溜め息をついた。
「俺に触られるのが嫌なら……そうだ。身内になら、処置をさせるか?」
オレの返答を待たず、机の上のベルを手に取る。
止める前に澄んだ音が二回響き、すぐさま部屋の外に気配を感じた。
「ウェモリー副団長、お呼びですか!」
ノックの後で聞こえた声に、オレの耳がピンと立つ。
それを見た男が、また微笑った気がする。
「ああ。早く入れ。〈お客〉がお待ちだ」
「失礼します! ――って〈お客〉ですか?」
戸惑った様子で室内に入って来た金髪の制服姿が見えた途端、オレの尻尾が勝手に揺れる。
「危険です、副団長! その魔獣から離れて下さい!」
やっと会えた兄上の第一声とほぼ同時に、オレは目の前が暗くなっていた。
恐らく、緊張の糸が切れたのだと思う。
ずっと走り続けて来た所為か、心臓が張り裂けそうに痛くて呼吸し辛い状態だった。ほぼ気力だけで動いていたのだ。
だから、兄上が剣を抜き掛けたのも、男がそれを仕舞わせたのも、オレには殆ど見えていなかった。
音と気配で判ったが、オレはもう動く気も失せ、その場に倒れ込んでいた。
誰かが近付いて来たが、噛み付くどころか目を開ける体力も気力も無い。
確認するように首筋を撫でられ、その掌の温かさと手つきの優しさに労りを感じて、少しだけ救われた気もした。
――それが兄上の手じゃ無い事に、淋しくなりもしたが。
*******
「……えっ? 副団長、あの――この手負いの魔獣は、副団長が連れて来られたのですか?」
兄上はオレを、ただの魔獣だと思っているのだな……。
そう考えたら、何もかもがどうでも良くなっていた。
それならこのまま魔獣として死んで、少しでも兄上の手柄になったらイイか……と思った気もする。
だが、そんな時は来なかった。
「アーケイル・ヴェラクリスト……お前は〈自分の弟〉も判らんのか?」
「えっ――!?」
思いっ切り呆れている低音の渋い声。
予想外の事を言われて戸惑う若々しい声。
普段より感情がハッキリ判るのは、獣化している所為なのだろうか?
無駄とは思っても、男に反論したくなった。
目はうっすら開いたが、眩暈が起きて視界が定まらない。
白くぼやけて揺れる中、それでも男の顔と思われる方に目を向ける。
違うよ……兄上は悪くない。
オレは今まで、獣化した事が無いんだ。初めて見て、オレだと判るハズ無いだろ?
だから、兄上を責めるなよ……。
咎めるようなオレの視線に気付いたのか、男はわざわざオレの目を覗き込んでくれていた。
それから、一つ頷く。
「そうか。それならまぁ、仕方無いか」
「は――? 副団長?」
兄上と同じように、オレも自分の耳を疑った。
この男は、口に出してないオレの言葉に返事をしたように聞こえたぞ?
特に気を悪くした風でも無く、男がまた頷く。
「ああ。俺はスキルのおかげで、獣型であれば魔獣とも会話が可能だからな」
一瞬、オレの頭の中から意味のある言葉全てが吹き飛んだ。
「大丈夫か? 気をしっかり保て、レイナード君」
いつから……オレの言葉が、聞こえてたんだろう?
「ついさっきだ。ちゃんと目と目が合わないと、マトモな会話は成立しないようだな」
……へぇ。
ちょっとだけ、安心した……。
けど、そんなスキルが在るなんて、知らなかった……。
「それはそうだろう。普通、獣や魔獣と喋ろうとは思わんらしいぞ。たとえ喋れたとしても、ひた隠しにするようだ」
確かに……普通は襲われる前に逃げるか、戦うかだもんな。
じゃあ、いつ使う――あ、今か。
「ああ、今だ。かなり便利だな。目を見るだけで解るぞ」
うん、確かに便利だ……オレがとても助かる気がする。
喋れないから――どうしようかと、思ってたんだ。
「伝えるぐらいはしてやれるが。……大分辛そうだな。今なら、俺に治療させて貰えるかな?」
うぅ……これ以上、兄上に迷惑を掛けたくないし……。
「このまま死ぬ気か? しかしその姿では、弁解の余地も無く、問答無用で討伐対象だぞ。最悪、ヴェラクリスト辺境伯の責任問題にされるが……人型には戻れないのか?」
……戻れない。そもそも、戻り方を知らない……。
「そうか……それなら、怪我の影響で変身の制御が出来ない可能性も出て来るな。取り敢えず、俺に治療されてみるか?」
……ううぅ~…………お願い、します。
「ああ、任せておけ。俺は第二騎士団の副団長で、リュージン・ウェモリーだ。現状、この詰め所の最高責任者でもある。俺の手元に在る限り、人型に戻れずとも討伐などさせん。心配は要らんぞ」
微笑んだ男――副団長は床に座り込み、強張っているオレの身体を膝に乗せて呼吸が楽になるようにしてくれた。
頭から背中、尻尾の方まで――大きくて温かい掌が優しく撫でて摩ってくれる。
多分魔力が発動しているけど、魔法かスキルかオレには判らない。さっきと同じ鑑定系かも知れない。
オレの言葉が全く聞こえていない兄上は、オロオロして副団長とオレを交互に見ている。
聞こえない以上、さっきのはどう見ても副団長の独り言だもんなぁ。
だからと言って無言で見つめ合ってても、ソレはソレでおかしな状況だし……。
……何か、色々と申し訳ありません。
副団長は兄上をチラッと見ると、面白そうに喉で笑って頷いてくれた。
「ところで、君は獣人だろう。その姿では、人型のように喋れないのか?」
え――獣化してても、喋れるの?
「俺の知っている連中は、普通に会話しているな」
あぁ、そうなんだ……。
……何で、オレは喋れないんだろう?
「そうか――レイナード君は、獣人の親から産まれた訳では無かったな。その所為かも知れん」
っ――知ってた、の?
「うむ。アーケイルを引き抜く時に、色々聞かされたからな」
そ、か――やっぱり、そうだよな……。
「それで俺も調べたんだが。君のような〈先祖返り〉や〈取り替え子〉と呼ばれる現象には、どうやら〈特殊な法則〉があるらしい。そこから〈何かしらの制約〉が発生しているのかも知れん、と言う話だ」
……制約、って?
「俺も詳しくは解らん。先祖返りは君しか知らんのでな。ただ見た所、君の獣化自体が単純な話では無さそうだ。もしかすると――獣人の親から産まれた場合とは、仕組み自体が違うのかも知れんなぁ」
オレの疑問に答えてくれた低音の声は、穏やかでとても心地良かった。
オレがオレである事を、そのまま受け入れてくれている気がする。
人族の両親から産まれた獣人である、このオレを――。
オレは獣の耳と尻尾を持ちながら、人族と同じ形の耳も持っている。
一般的な人族よりは身体能力が高いが、獣人にしては大分低い。
それに、獣人が苦手な魔法の素質は人族の中でも高い方らしい。
両親や使用人には、呪いや災いを疑われた。
大昔には魔法を得意とする獣人も居たようだと、古くから領内に住んでいる獣人の長老が教えてくれた。オレは多分、先祖返りなのだろうと。
しかし、人族の両親から獣人として産まれた事に関しては、説明がつかないようだった。
判明したのは、オレが獣人としても異端らしい事だけだ。
同類に会った事は一度も無いし、見た事があると言う話すら聞かない。
〈先祖返り〉や〈半獣人〉ならマシな方で、陰では〈魔獣人〉とも呼ばれている。
こんなオレを、当たり前に居る存在のように扱ってくれた。
そんなの、兄妹以外では初めてじゃないだろうか……?
オレは右目をもう少しだけ開けた。
ぼやける視界に、大きな白い影が映る。
影の左肩辺りが動くと、その度に身体が温かくなって呼吸も楽になる。
何をされているのかは全く解らなかったが、何となく、この人は信じても大丈夫な人間だと感じた。
オレは目を瞑って全身の力を抜き、優しい掌に身を任せた。
******
「ほ、本当に――本当にこれがレイナードなんですか、副団長? 確かに、耳と尻尾の色は同じだけど――何で――何で急に獣化なんか――!?」
今にも泣きそうな声で、兄上が心配してくれている。
「うむ……。ケイル。レイナード君がウチの騎士学校所属なのは、間違い無いか?」
「はい。春からの新入りですが、正式な所属です」
「ならば扱いは〈騎士職自体の見習い〉か。従騎士や従者として扱える〈見習い騎士〉には未だ足りない〈騎士見習い〉――で、合ってるか?」
「合ってます」
「そうか。せめて一年経過していれば、見習い騎士として問題無く俺の庇護下に置けたのにな……」
「……今のレイナードでは、たとえ見習いでも騎士としては認められません。寧ろ、たった一年間の騎士見習いに耐えられず逃げ出した落伍者――そう判断されると思います」
「だろうな。じゃあ――騎士見習いを従者にする、抜け道みたいな方法はあるのか?」
「……通常は、無理です」
「ん?――通常は?」
「騎士学校内では慣例で、指導的立場の騎士が〈疑似的な従者〉を指定する事が認められています。元々、家同士の繋がりからの主従関係を容認する為の措置でしたが――それを悪用する者も、存在します」
兄上の声が曇った。やはり、以前何かあったのだろう。
ピクリと動いたオレの耳を、副団長の手が宥めるように撫でてくれる。
「ああ――気に入らない奴を指定して、教育や躾と言う美名の下に心を折るのか?」
「……俺には身分的に手を出せなかったのでしょうが、同室だった者が従者として指定され、目の前で酷い扱いをされました。主の命令に従えなければ従者になれぬと、教官にも訴えを聞き流されました」
「やれやれ……。男の嫉妬は見苦しいな。何処の世界でも」
ふと呟かれたその声は、非常に実感が篭もっていた。
「しかし、そうなると……本当に今まで獣化した事が無いのなら、少し面倒な事になるかも知れんな……」
「えっ――?」
副団長の手がオレから離れ、低音の声に厳しさが混じる。
「この身体中の血は、レイナード君の物じゃ無い。彼の傷は主に左目付近で、後はほぼ返り血だ。さっきの、森での騒ぎの物も含まれているだろうが……そう言えば、様子を見に行った連中はまだ戻らんか?」
「あ――はい、まだのようです」
「無いとは思うが、もし〈第二所属じゃ無い誰か〉と一緒ならすぐに言え。俺が対応する」
「ぇ――はい?」
「この返り血は、魔獣の血だけじゃ無い。これがどう言う意味か解るか、ケイル?」
「それは……っ――!」
意味が解ったのか、兄上は息を呑んで黙ってしまった。
副団長によると〈獣化〉は感情が振り切れた時――つまり、〈キレた時〉に起こり易いらしい。
普通の獣人ならば大抵が幼児の内に何度も起こし、変身と制御の方法を学ぶと言う。
しかしオレは、今までに獣化した事が無い。
性格などもあるだろうが、むしろ〈今までに無い程ブチキレる状況〉に陥った事が非常にマズい――と言うか、ヤバいようだ。
主に、〈キレさせた原因〉が〈生死の境を彷徨う〉――と言う意味で。
獣人の高い身体能力は、獣化した時、特に顕著になる。
純粋な筋力だけなら、幼児でも人族の一般的な成人男性と張り合える程らしい。
だから普通、獣人をブチキレさせる事は自殺行為と見なされるし、一般人はしない。
だが、腕力以外の力を持つ王侯貴族には、ソレが当てはまらない。
三百年ぐらい前までは、亜人を魔法や魔導具で捕らえて奴隷として扱う商売が普通に在ったらしい。
貴族の権力の象徴だったが、裏の商売としても完全に禁じられて大体二百年程経つとか。
しかし、記録と記憶を連綿と受け継ぐ貴族の中には、亜人が法的に人族と同じ権利を持つ事を未だに受け入れない輩も少なくない。
その言動が第二騎士団への扱いに繋がり、獣人たちとの軋轢の元になっていて尚、身分と権力で罷り通ってしまうのが現在のギェントイール王国なのだ。
副団長は、そう教えてくれた。
……ああ、そうか。
怪我で済めばまだしも、貴族の命が失われたら身分に関係なく拿捕される。
その上、被害者が正式な騎士団の一員なら――加害者がまだ見習いの、しかも獣人なら――最悪、正式な拿捕の前に私刑も有り得るのか。
もしかしたら今頃、騎士学校でオレへの討伐隊が組まれてるかも知れないな……。
……でもイイや。兄上が無事なら、オレはどうでも。
何なら、動けるようになったらすぐココを出て――。
「こら、自暴自棄になるんじゃない!」
副団長が突然そう言い、オレの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。傷のある左目付近には触れないように、ちゃんと避けてくれている。
「君はまだ若い――と言うより幼いのだから、もっと大人に頼って良いんだ。寧ろ、俺に頼るように!」
オレは今、目を閉じているハズなのに。
どうして解ったんだろう?
「副団長、今のは一体――?」
「〈兄貴思いの弟分の行動〉なら、大体読める。それに獣人の特性の所為か、レイナード君はとても素直で正直だからな。ただ――すぐに特攻するのだけは止めてくれ。助けられるものも、助けられなくなるだろうが……」
呆れたような声に、予想以上に苦い色が混じっていた。
シュンとしたオレの耳を、武骨な指がくすぐるように弄ぶ。
「別に、怒った訳じゃ無い。だが、少し腹が立ったのも事実だ。レイナード君にでは無く、レイナード君への扱いに対して――だがな。八つ当たりして、悪かったな?」
副団長の手が、また優しく撫でてくれる。
頭から首筋、背中から腹、尻尾の方へ。
気遣うような手つきは、騎士学校の連中とは大違いだ――そう思った瞬間、腹の底にモヤッとした厭な熱さが広がった気がした。
副団長の手が止まり、兄上に顔を向けた気配がする。
「それも含めて、今すぐに対処の必要が有りそうだ。ケイル、リューノとマキに緊急で連絡してくれ」
「あ――はいっ!」
兄上はあまり足音を立てずに走り去った。
金属的な物は大して身に着けて無かったとは思うが、普通はブーツが床を蹴る音ぐらいはするものだ。事実騎士学校では、足音で上級生か指導教官かの判別が付くぐらいには聞こえていた。
それこそ、身軽な獣人たち以外は足音がしていたのだ。
勿論、オレも含めて。
獣人が多い所為なのか、この第二騎士団は色々とオレの想像を超えているようだ。
その最たる人が、オレの首回りの毛に指を埋めて呟く。
「治療する前に、レイナード君には風呂に入って貰おう。一通り拭ったが、毛の奥に絡まってる汚れがどうしても取れん。衛生的に影響すると、後で困るからなぁ」
さっきから撫でていたのは、オレの身体を拭ってくれていたのか。
どうしても取れない汚れとは……多分、鉄臭い汚れだろう。
「一人で入れる――か――?」
頷こうとして、オレは固まった。
副団長も固まっている。
獣の姿で風呂に――どうやって入ればイイのだろう?
「そうだ、まだ一人は駄目だ。人型じゃ無いと、流石に説明役が必要だよな。済まないが、しばらくは常に俺かケイルと一緒に――」
兄上の名が出た瞬間、オレは無意識に身体を動かしてしまったらしい。
「――いや、当分俺と一緒で良いか? そうだな、少なくともこの詰め所の全員に周知するまでで良いのだが。出来れば、俺の傍を離れないで欲しい。傍に居てくれれば、対処出来るからな?」
言い直した副団長は、宥めるように優しくオレの頭を撫でてくれる。
「……大丈夫だ。此処にケイルを貶める者は居ない。君も、此処に居る限り何も心配しなくて良い。此処の一番の責任者は俺だ。何があろうと、責任を取るのは俺だけだ。どんな手を使っても、他の者には指一本触らせたりせん。安心しなさい」
オレが何に怯えたのか、副団長には筒抜けのようだ。
確固とした口調は、自分の意思でココに居る全員を護っているのだとオレに教えてくれた。
口先だけでは無いのも、何となく伝わって来る。
そして副団長は、オレの頭をその分厚い肩に乗せるようにして抱え上げ、ドコかに向かって歩き出した。
*****
眩暈も治まってない状態で、ドコをどう歩いたのかはサッパリ判らない。
だが腹這いの格好で下ろされたタイル張りの床から、風呂場に連れて来られた事はすぐに判った。
運ばれる間ずっと強張っていたオレの身体を、副団長の大きな手が優しく撫でてくれる。
「驚かせて悪かったな。すぐ湯を沸かすから、少し待っていてくれ」
声と同時に魔力の気配がして、辺りにもうもうと湯気が立ち込めた。
部屋の半分を占めそうな大きな四角いバスタブの中の水が、ほぼ一瞬で湯に変わっている。
副団長は、詠唱も無しで魔法を使ったらしい。
驚いていると、フフッと優しい笑い声がした。
「新入りは大抵、コレで驚いてくれる。だが、カラクリ自体は大した物じゃ無いんだ。気付けるかどうかだぞ?」
コレも訓練の内だから内緒だがな、と笑いながら大きなタライに手桶で湯を汲み上げる副団長。
副団長は制服の上着を脱ぎ、シャツの袖とズボンの裾を捲っただけで、濡れるのも厭わず丁寧にオレの身体を洗ってくれた。
耳の後ろから背中、首回りと顎から胸下、肩から前足の爪の中へと、見落としがちな所まで忘れずに。
噛み付いた所為で鉄臭かった口の中も綺麗になるまでお湯でゆすがせてくれたし、傷の部分と下半身は触る前に声を掛けて力加減を確認した上で慎重に洗ってくれた。
おかげで、オレも心の準備がちゃんと出来て、騒がずに済んで助かった。
「湯に浸かりたいかも知れんが、今日は止めておこう。一応、頭の傷だからな。大事を取った方が良いだろう」
意味は解らないが、鑑定系スキルを持っている副団長が言うならそうした方がイイんだと思う。
頷くと、大きな布で身体ごとくるまれて抱えられた。
唐突で一切説明の無い行動だが、少し慣れて来たオレは指示があるまで動かない方がイイと判断する。
副団長は少し移動してから、木製の床に敷いた厚めの布にそっと下ろしてくれた。
「乾かすから、そのままじっとしていてくれよ」
声と共に身体をくるんでいた布が外され、温かい風が渦巻いてオレを包み込む。
あっという間に全身の湿り気が消え、毛も空気を孕んでふわっと膨らんだ。
コレも、湯と同じカラクリなのだろうか?
「よし、こんなモンかな。そうだ、ブラシは――と。これで良いかな?」
ふかふかになったオレの全身に鼻歌混じりで櫛を通す副団長は、手慣れてる上にスゴく楽しそうだ。
もしかして、完全に犬扱いされてないか?
……いや、いっそその方が気が楽か。
そう思ったら体も少し軽くなって来る気がして、尻尾が緩く揺れているのに気が付いた。
正に犬と同じだが、他の獣人も獣化したらこんな感じなのだろうか?
それとも、喋るのと同じで――また、オレだけ?
「さてと。汚れも落としたし、もう治療しても良いかな。何時までもこのままじゃ、不便だろう?」
オレは一瞬身体が強張ったのを感じたが、副団長に頷いて見せる。
疼くような痛みの他、厭な熱さが左目付近にくすぶっている。
時間が経つと範囲が広がりそうなので、可能ならば取り除いて欲しい。
副団長も頷いて、オレの頭を軽く撫でた。
「もしかしたら痛いかも知れんが、少し我慢してくれ。副作用だと思って、耐えてくれよ?」
よく解らない事を呟いた副団長は、オレの身体をしっかり捕まえて膝の上に抱き上げた。
ゴツゴツした武骨な手がオレの左目周辺を覆い隠す。
っ――!?
大きな手から何やら熱い気配が染み込んで来るが、物凄く痛いっ!
皮膚周辺はむず痒いだけで痛みは無い。むしろ心地良いぐらいなのに。
問題は左目の中と言うか、奥と言うか――投げナイフの傷から流れた血が染みた辺りに思える。
身体を押さえ付けられて動けないけど、それでも暴れてしまう程、本当に痛いっ!!
獣化してから声が出せないが、出せていたら思いっ切り叫んで吼えていただろう。
「くそっ――マジか! コレで治せねぇなんて、ただの傷じゃ無ぇぞ!?」
副団長が急に、柄の悪い口調になった。
まるで下っ端騎士みたいだけど、声自体はさっきまでと同じ、副団長の声だ。
取り繕うのをヤメたと言うより、言葉遣いまで気が回らなくなったと言うか――。
多分、こっちが本来の副団長の口調なのだろう。
「まさか――呪いでも付けやがったのかっ!?」
オレに呪いなんて、そんなハズは――。
もしや――対魔獣用のあの投げナイフにか?
アレは上の命令だから従ったのでは無く、本気でオレを仕留めようとしていた――!?
オレは知らぬ内、あの男にも呪い殺したい程憎まれていたのか……?
唐突に熱い気配が止み、激痛から解放されたオレはぐったりと身体を投げ出してしまった。
左目の痛みがさっきより酷く、ジクジクと疼いている。目玉と瞼が厭な熱でひっ付いてしまったようにも感じる。
何だコレ……どうすればイイんだ?
「……済まん、レイナード君。君の傷に関しては、俺の力が及ばないようだ。治してやれなくて、本当に済まん……」
期待を持たせておいて不甲斐ない――と呟いたのが聞こえ、オレは副団長に顔を向ける。右目だけで見つめ、オレの気持ちを伝える。
副団長の所為じゃ無い。
元々、攻撃を避けられなかったオレが悪いんだ。
気にしないで欲しい。
「……やはり、何かしらの攻撃を受けて出来た傷か。しかも相手は人間、だな」
絞り出したような副団長の声は、苦り切っていた。
「君は俺の予想以上に、酷い目に遭っていたようだ。まさか、呪いまで掛けられていたとは……」
心のドコかでホッとしていたオレは、副団長の不穏な声の響きに魂ごと凍り付きそうな恐怖を感じた。
「あ――済まん。君に怒った訳じゃ無いから、怯えないでくれ。頭に血が上ると、どうしても魔力の制御が甘くなるんだ。俺は未熟で、人間もデキてないからなぁ」
そっとオレの頭を撫でてくれる指先からは、本当にチリチリと魔力が漏れている。
何故副団長が怒っているのか、オレには解らない。
ただ、オレに向けた怒りじゃ無い事だけは理解した。
副団長が深く長く息を吐く。
魔力の漏れが無くなり、胸を押し潰すような圧迫感もスッと消える。
「初めから〈診断〉では無く〈鑑定〉を掛けていたら、とも思ったが――変わらんな。どうやら、ハッキリとした呪いでは無いようだ。〈解呪〉も〈祓い〉も効かん。状態異常とまでは言えない弱い呪い――いや、強い悪意か。思った以上に厄介だぞ、コレは」
幾ら状態異常を治すスキルが使えても、異常だと認識されない限り治せないと副団長は言った。
それから、自分にはこれ以上の術が無い――とも。
「いつか治せる奴が現れると良いんだが。それまではずっと、片目のまま――か」
オレの左瞼に、そっと副団長の指先が触れる。表面だけを温かい何かが流れた気がした。
内部に触れなければ、あの痛みは感じないらしい。
「……これは痛く無いのか。ならば、変身に支障が出ない程度には治せるか?」
副団長の何気ない呟きに、オレは不意打ちを喰らった気がした。
「もしかして……人型には、戻りたくないのか?」
無意識に身体が跳ねていたらしい。副団長の声に不審そうな色が混ざっている。
巧い言い訳を思い付かずに黙っていると、「そうか……」と何とも言えない呟きが落ちて来た。
自分でも、薄々気付いていた。
戻ろうと思うと、鳩尾の辺りでモヤッと厭な感覚がする事に。
流石に魔獣の姿ではあんな事させないだろうと言う、微かな意識がある事にも――。
両脚の間にフサフサした肌触りを感じ、オレはいつの間にか丸めていた尻尾が股の間にあった事に初めて気が付いた。
副団長が「ふぅ……」と重い溜め息をつく。
「騎士学校内での言動は、第二とは言え騎士団副団長の俺にも責任の一端がある。獣人に対する差別的な行動などは、もっと厳しく取り締まるよう進言するべきだった。本当に申し訳無い」
オレに向かって頭を深々と下げてくれるが、悪いのは副団長じゃない。オレに悪意を向けていた連中だ。
「申し訳無いついでに、済まないが最終手段を取らせて貰う」
言葉に驚いていると、副団長の手がオレの額を覆う。
「知り得た事は誰にも言わん。ただ、何があったのか――君が何をされていたのか――正確に知っておきたい。今後の対処に関わるので、どうか許して欲しい……」
酷く真面目で厳かな声は、ドコか苦しそうでもある。
オレが何をされていたか、薄々察してはいるのだろう。
本来なら知りたく無い事だろうに、副団長としての義務感から放置も出来ないのか。
難儀な事だ……。
「違う。君のプライバシーを侵害する事になるからだ。それに、君の口から語らせたいとも思わん。知るのは――対処する俺だけでいい」
副団長が苦々しい口調になったのは、何故だろう?
オレを気遣うように頭を撫でてくれるのも、何故だろう?
「厭な気分にさせて済まないが……騎士学校での事、出来るだけたくさん思い出してくれないか? 誰に、何をされたか、出来るだけ……」
副団長の声と共に、目の前がまた赤く光った。
****
気が付くと、オレは騎士学校のあの寮の部屋に戻っていた。
しかも、獣化していたハズの身体も人型になっている。
だと言うのに、服はドコにも見あたらない。
オレの腕にも――足にも――胴体にも。
その上、両膝をついているのは床じゃ無く、固くきしんだ音を出す粗末なベッド。
「何だ、寝ていなかったか。もしかして、私を待っていたのか? 独りでは、もう寝付けないんだろう?」
聞こえるハズの無い声がねっとりと耳に絡み付き、オレの全身の毛が逆立った。
背後に気配を感じて横に飛び退いたが、見えない壁のような何かにぶつかって逃げ道を閉ざされ、腹這いにベッドへ叩き付けられる。
「お前が温和しく騎士学校に居れば、第二騎士団の連中が追放される事も無かったろうに。お前の存在は、本当に災いその物だなァ?」
耳元で嘲笑する声に慄き、オレは思わず腕を振り払っていた。
次話でストックが切れます。
とっ散らかってるのを手早くまとめるスキルが欲しい…。