01 騎士職見習いと悪意の騎士
今回は悪夢なので、不愉快な内容と思われます。ご注意を。
*読み難かったので文章を少し整えました。内容自体の変更はありません。
バラバラバラ、と木を打つ水滴の音が耳に響く。
嵐でも来ているのか、木製の鎧戸で閉ざされた窓の隙間が時折白く光っている。
だが、ゴロゴロと機嫌の悪そうな音は大分遠く、まだ落ちた音はしていない。
今日なら――この夜陰なら、逃げ出せるかも知れない。
しかし逃げたとして、その後はどうするのか――どうすればイイのか――。
思考を遮るように、突然木製の扉が開いた。
同時に強い酒精の臭いが鼻を衝く。それだけで酔ってしまいそうな程だ。
「何だ、寝ていなかったか。もしかして、私を待っていたのか? 独りでは、もう寝付けないんだろう?」
そんな訳無いだろうと叫びたいが、言っても折檻が酷くなるだけなのは解っている。
聞くだけで虫酸が走る耳障りな声と言葉。明らかに侮蔑を含み、オレを蔑みながら愉悦に浸っている気配。
このクズ野郎には、人間の言葉が通じない。
「ほら、いつものように〈ご奉仕〉しろ。跪け」
クズ野郎が近付いて来たので、厭々床に膝をついた。
ヤツの股間が丁度目の前だが、顔を背けたら髪を掴まれて引きずられる。被害を最小限に抑える為には、温和しく従う以外に無い。
たとえどんなに厭でも、殺したい程の怒りで震えても、このクズ野郎の従者という立場に在る限り、オレは堪えなくてはならない。
〈この騎士学校内の慣習〉で従者に選ばれたオレは、生贄なのだ。
校内に救いの手など無い事は、とうに解り切っている。
オレは震える手で、ゆっくり目の前の膨らみを扱く。
布越しに脈動を感じるだけで、どうしても肩が震えてしまう。
だが、クズ野郎はそんなオレの様子が面白いらしい。下品な笑い声を立てながら、自分でベルトを外している。
「嫌なら、無理にやらなくても良いぞ? その時は〈従者として使えないレベル〉だと上に報告すれば済む事だ。騎士になるには致命的な欠点だが、騎士団に入ろうと思わなければ問題にもならん。貴様の好きにすれば良い」
言葉だけでオレの逃げる道は封じられ、時間稼ぎすら許されない。
前を開けて肌を出したクズ野郎に、そのまま頭を押さえ付けられた。
顔を背ける事も出来ず、見たくも無い醜い現実を受け止めさせられる。
吐き気がする程生臭くて鼻もひん曲がりそうだが、酒精の臭いで何とか気を紛らわすしか無い。
早く終われと念じながら、ひたすら指示通りにする。
残り一年ちょっと――いや、何か手柄さえ立てれば、その前に抜け出せるかも知れない。
このクズ野郎の手柄でイイ。出世でもして王都に帰ってくれれば、それでイイ。
どうせオレは出世など出来ない。王都で勤める事も有り得ない。
良くて辺境、もしくは最前線の騎士団配属辺りだろう。獣人の扱いなんて、そんなものだ。
それでも、兄上の支えになれるなら、オレは構わない。
いつか……いつかは、こんな事をしないで済むように――。
「――ふっ――くっ。良いぞ、全部呑み込め。こぼすなよ」
オレは吐き気を必死に堪え、味も臭いも遮断し、言われた事をただこなす。
涙は邪魔だ。感情も要らない。ただひたすらに、嵐が過ぎ去るのを待つように。
今は、何も感じずに――。
「んっ――ふぅっ……」
「っ――っ――……ぶはっ、はぁっ――」
ようやくクズ野郎がオレから離れた。
「ぐっ――ぅぐ……」
何とか呑み込めたが、後味も臭いも気持ち悪い。
口元を手の甲で押さえ、吐き気を堪えるのでギリギリだ。床を汚したら、また蹴られてしまう。
早くココから出て行ってくれ。その為なら何でも――。
「……気に入らない目だな」
――――は?
「貴様は私の従者の癖に、私を馬鹿にしているのだろう。それが目に表れているのだ。もっと、きちんと躾けてやらねばなァ……」
……何を、言っているんだ?
まさか――無理矢理こんな〈ご奉仕〉とやらをさせるヤツを、尊敬しろとでも言うつもりか?
こんな扱いをするのが、正当な権利だとでも思ってるのか?
ふざけるな――っ!
叫びそうになった瞬間、新たな声がオレを凍り付かせた。
「おい、もう始めてたのか?」
「気の短い奴だな」
「ったく。お前がいつまでも呑んでるから遅くなったんだろうが」
重い靴音二つと、軽い靴音一つ。三人の気配がオレと扉の間を塞ぐ。
だが同輩では無い。もっと体格が良く、歩き方も隙が少ない。
まさか――正規の騎士?
「ああ、今日は〈客〉を呼んでいたんだ。慣れた貴様も楽しめるようにな?」
客って――どういう事だ!?
たとえ卒業生でも部外者は立ち入りを阻止すると、入校時に校長が言って無かったか?
特例は教官としてだが――こんな夜中に、酒を飲んだ状態の騎士が三人も来るハズは無い。
何だ、この状況?
冗談にしても、悪質過ぎるだろう!?
オレは理解が追い付かず、呆然としてしまう。
獲物を追い詰めた獣のような四対の眼前でソレは、あまりに愚策であると気付かないまま……。
「これが例の獣人伯爵か。兄貴は人間で綺麗な金髪だってのに、こいつは髪も耳も尻尾も、血みたいに真っ赤だな。眼の色が緑っぽいって以外、全然似てないぞ?」
「獣人だぞ。辺境伯の次男だろうと、爵位など貰えるものか。それより、さっさとヤらせろ!」
「もうイキってるのかよ。お前の方が短気じゃないか」
声と共に複数の手が伸び、オレの制服を剥ぎ取りに掛かる。
「ゃっ――ヤメろ! オレはお前らの従者じゃ無い! こんな事をされる謂われは無いっ!」
「主の私が貸し出したんだよ。問題は無いだろう?」
叫びも虚しく、三人掛かりでベッドに押さえ付けられ、抵抗も殆ど封じられた。
「ほら、新たな悦びを教えてくれるご主人様たちだ。ちゃんと〈ご奉仕〉しろよ?」
状況を理解出来ないままのオレを見下ろすクズ野郎は、暗い愉悦で顔を醜く歪ませている。
オレは知らずに、コイツにココまで怨まれるような何かをしてしまったんだろうか?
いつ、ドコで――?
……幾ら考えても、思い当たらない。
「ははっ――その表情はいいぞ! 貴様の兄と同じ表情だ!」
……兄上?
コイツは――まさか、兄上に敵意を持っている?
オレの背筋を冷たい何かが走り抜ける。
手足が震え、目の前が赤く点滅した気がする。
「兄上に、何をしたぁっ――!?」
酒精の臭いに酔ってしまったのか、頭も身体も上手く動かない。
酷く優しげな、だがねっとりと絡み付くような声が耳の奥に入り込む。
「私は何もしていない。私は――な?」
このクズ野郎では無い誰か――ソイツが兄上に何かをした?
兄上が絶望するような、何かを――?
「貴様の兄は騎士学校を卒業してすぐ、第二騎士団副団長の従騎士になっただろう。ここでの経験を活かして、副団長を悦ばせでもしたか? 今頃、何をしている事だろうなァ?」
「そっ――そんな事、無いっ――するハズが、無いっ――兄上が、そんな事っ。離せっ、離せぇっ――!」
オレは動かし辛い手足をばた付かせ、必死に身を捩って力の限り暴れる。
「弟の貴様も媚を売るのは得意だろう? だが、もっとしっかり教育してやる。その為に呼んだ客だ。ああ、校長の許可はどうとでも出来るから、心配要らんぞ」
クズ野郎の言葉と共にオレを押さえ付けている男たちが腰をすり寄せ、異常な熱を放つ硬い棒を服越しとは言えオレに押し付ける。
その瞬間、オレの目の前は深紅に染まった。
**********
気が付くと、そこら中に錆びた鉄のような臭いが充満していた。
微かに吐き気を催す臭いを嗅ぎ取り、ソレが口の中にある異物からだと感じて吐き出す。
べちゃりと床に落ちたのは、赤黒い液体塗れの物体。
見覚えはある気がするが、頭が理解を拒否する何か。
人体の一部だと気付いた瞬間に胃からこみ上げて来た逆流物の気配は、取りあえず何とか堪えた。
荒くなった呼吸を、どうにか静める。
……オレは、何をしてたんだっけ……?
意識がどうにもぼんやりしてハッキリしない。
まるで、新入り歓迎の宴で強い酒精を飲まされた時のような……。
もしくは、現実に近い夢を見ている時のような……。
深紅と黒が交互に襲い掛かり、頭の中が点滅しているようにも感じる。
「ひぃっ、ぃっ――ばっ、化け物っ――!」
上擦り震える叫び声に顔を向けると、オレの直属上司であるハズのクズ野郎が見えた。
真っ青な顔で脂汗を滴らせ、体中至る所が赤黒い色に染まり、特に酷い下腹部を手で押さえている。
立ち上がれないのか壁に背を付けて座り込んだその手前には、入り口に頭を向けて倒れている二人と、反対の窓側に向かって倒れている一人。
どれもあちこち赤黒く染まっていて、歪んだような妙な形になって床に伏したまま、微かに呻いている。
……状況が全く解らないが、オレがやった可能性は高そうだ。
辺りを見回そうとして、普段とは違う動きしか出来ない事に気が付いた。
オレは今、立てないらしい。
しかも、手と爪先で体重を支えた前傾姿勢で、真上を見上げるのが少し――いや、大分難しい。
まるで獣みたいだな……と思った瞬間、腑に落ちた。
オレは〈獣化〉をしているんだ。
獣人なら誰でも出来ると聞いていたが、オレは今まで出来た事が無い〈獣化〉を。
視線を下げると、証明するように、深い赤色の毛に包まれた前足が見えた。
どうやら犬系っぽいが、何故こんな事に……?
深紅と黒の点滅はいつの間にか治まっていて、ぼんやりしていた意識も少しハッキリして来た。
そう言えば……拘束から逃れる為に、唯一動かせる口でメチャクチャに噛み付いたかも知れない。
目の前に次々と現れる何か――太い棒状の物や、先が五股になった杖のような物など――金属では無い物、噛めそうな物であれば、ソレが何か考える事も無く喰い付いて、時には布ごと噛み千切った気がする。
ああ――その結果が〈この惨状〉か。
拘束が完全に解けて、目の前に現れる物が無くなった事で、ようやく少し落ち着いたのか?
――って、こんな事してる場合じゃ無い。兄上が心配だ。早く行かないと。
人型より、このままの方が移動は早そうだな。どうやって外へ出るか……。
「――はっ、早く撃て! そいつを殺せっ!」
クズ野郎がいきなり、引き攣ったような声を上げた。向けられた声の先はオレの左側――部屋の入り口だ。
そこには、いつもクズ野郎に諂っている同輩が居た。普段から陰湿なイヤガラセをして来る男で、当然オレの味方では無い。
部屋は獣人棟の隣の棟にあるハズだが、今日は近くに待機していたのだろうか。準備のよろしい事だ。
想定外の声を聞き付けて馳せ参じたらしいヤツは、目が合った〈獣〉が〈何者〉なのか、すぐに理解したようだった。
隣の部屋から出て来た獣人の同輩を突き飛ばしながら、右手を振り上げる。
瞬間、オレの左目付近に衝撃が走った。
一瞬見えた物からして、投げナイフか。〈対魔獣用〉の、魔力が篭められた物のようだ。
眼に刺さらずに済んだのは恐らく、同じ獣人である同輩が咄嗟に妨害してくれたおかげだろう。
だが、左目は溢れる血で開けられなくなった。刺さりこそしなかったが、視界が半分奪われた事に変わりない。
熱さと痛みと鉄錆が熱されたような臭いで怯んだ所へ、呪文の詠唱が聞こえる。
炎の魔法だ――と判断した瞬間、オレは窓へ走った。
片目の所為で距離感が上手く掴めなかったが、大雑把な体当たりで鎧戸ごと窓をぶち破る。
オレが外へ身を踊らせたのと同時に、拳大の炎の塊がオレの顔の左側を掠めて飛んで行った。
左目付近の痛みと熱さに加えて、一瞬焦げ臭さを感じた気がしたが毛に燃え移ったのだろうか。
とは言え確認のしようも無く、オレはそのまま激しい風雨の中へ投げ出され、背中からぬかるんだ地面に落ちた。
*********
頭は何とか庇ったが、受け身を取れないまま三階から落ちたオレは、ほんの少しの間動けずに倒れていた。
それでも、獣化した事で強化されたオレの身体は軽い打ち身程度で済んだらしい。
直撃では無かった上に強い雨のおかげか、炎もすぐに消えたようだ。外部からの熱も焦げ臭さも、もう感じない。
微かに窓から怒声が聞こえ、建物内部が俄に騒がしくなった気配がした。
オレはすぐに身体を起こし、急いで目の前の森の中へ飛び込む。
兄上が居る第二騎士団は、この森を突っ切った先、魔族領との国境の詰め所に駐屯しているハズだった。
オレは森の奥へとひた走る。
激しい風雨が足跡や臭いを消してくれる内に、少しでも先へ。
奥へ行く程に倒木や争った痕が顕著に見えるのは、ただの獣では無く魔獣が棲んでいるという証だ。
縄張りへの侵入者は誰であろうと許さないハズ。上手く抜けてしまえば、追っ手の足止めになるかも知れない。
左目周辺が激しく痛んでいるが、焼かれたおかげか血は止まっているらしい。
冷たい雨も、火傷の手当をする暇が無い現状では有り難いとも言える。
オレはまだ走れる。
少しでも早く。
先回りされる前に。
夜陰と風雨に紛れて、魔力を強く感じる方――魔族領へと、オレはひたすらに走り続けた。
基本的に偶数日に投稿したいと思ってます。
*BLタグの殆どは、この一話で回収されます。
後は色んな意味で無自覚と言って良いです…残念ながら。