7話:ソニーラジオ盗難事件が大きな宣伝効果。
1958年1月13日、ソニーのニューヨーク事務所開設の準備のためニューヨークに滞在していた担当者が、家に帰りラジオのスイッチを入れると、ソニーのラジオがデルモニコ社から4千個盗まれたというニュースが流れてきた。半信半疑ながら、すぐに山田志道未亡人に電話をかけて、「今ラジオで、こんなニュースが入ったが……」と言うと、山田未亡人も「確かに聞いた」と言う。
その翌日の『ニューヨークタイムズ』を見ると『日本のトランジスタラジオが4千個、デルモニコの倉庫から盗まれた』と大きな見出しで報道されている。その記事によれば、デルモニコの事務所や倉庫のある場所は、ショッピングヤードといわれる繁華街で、結構人通りの多い場所にある。その人の多い街で最も人の出盛る夕方の18時に、2階の窓を破り中に入りドアを開けた。
そして堂々とトラックを横付けして4、5人の人数で盗んだということだ。しかも、その倉庫にはソニーのラジオだけでなく、ほかの会社のラジオもたくさん置いてあったのに、それには目もくれず、1梱包10個入りのソニーTR-63型400梱包だけを盗んだのである。被害総額は10万ドルであった。とにかく、このニュースのお陰で、ソニーは一躍有名になった。
これは、アメリカの業界はじまって以来の大泥棒だといって、その大胆な手口といい、ソニー製だけを持って行く利口さといい、新年早々からニューヨークっ子の格好の話題をさらってしまったのだ。それからしばらくの間、どこに行っても、この話題ばかり。「ソニーは濡れ手に粟で1銭も宣伝費をかけずに、宣伝100%の効果を挙げた」とか、大げさに吹聴された・
「お前の所は、どうしてそんなにうまい具合に盗まれたのか、秘訣を教えろ」と、いろいろな人からからかい半分の問い合わせが相次ぎ、ニューヨーク事務所開設準備の担当者を困らせた。泥棒に入られて喜ぶというのも、おかしな話ではあるが、この時のソニーはまさにそんな状態。反面、4千個の追加オーダーをこなすのに工場では非常に苦労をした。
それに、盗まれたラジオの製造番号を知らせたりと東京本社でも大騷ぎであった。こうして、すっかり話題をさらったTR-63型であるが、この年の6月には、TR-63よりも一回り小型軽量になったTR-610型が発売され、輸出の決定版となった。TR-610型は、国内よりも欧米への輸出のほうが先で、斬新なデザインと性能の優秀さで大評判となった。
その後、1960年までの2年間で、日本を含む全世界に50万台が売られていったほどである。また海外の一流デパートや高級専門店では競ってTR-610型を展示し、一時はプレミアム付きで取り引きされたり、アメリカから逆輸入して模造品を作るメーカーまで現れるという人気機種となり、ソニーの名を決定的に諸外国に知らしめる役割を果たしたのである。